時計の街 (3)

 + + +


「マオルーン教官、あれは陽向花ゴルド――ですか?」


「ああ。エクル王家の花だ。太陽花とも呼ばれて、女王陛下が野外で儀式をおこなう時には必ず撒かれる」


 滞在三日目の朝。幌付きの貨物車に乗って孤塔の麓にたどり着くと、周り一面が、鮮やかな黄色に染まっていた。砂の上に拳大の花が撒かれて、花の絨毯ができていた。


 周りには、近衛兵団がいる。塔師とは色違いの、豊穣の実〈カリス〉の鮮やかな青色の生地を身に纏う男たちが、揃って長銃を構えている。


 儀式か演習かと思ったが、銃口の先に人がいることに気づくと、カシホは眉をひそめた。近衛兵に囲まれ、銃を突きつけられた人たちは、砂と同じ色の大きな布を頭からすっぽりとかぶっていた。


「ジェラだな」


 マオルーンが教えた。


「このあたりで暮らす遊牧民だ。孤塔を壊すと聞いて集まったんだろう。遊牧民の間では、孤塔は聖地という話になっているから――」


「聖地?」


「ああ。連中の神話では、ジェ・ラーム砂海の水源を司るのは孤塔らしいよ。大昔、ここら一帯には豊かな森が広がっていたが、孤塔が水を吸い上げて砂漠にしてしまったとか」


 「あの塔が、天から地に刺さった吸管ストローだっていうわけだな」と、マオルーンは付け加えた。


 ジェラは、長銃の囲いの内側で肩を組み、声を張り上げて歌っていた。歌声は泣き声のように時折きしんで、嗚咽をこらえるように震えもする。葬礼の気配すら帯びていた。


「――泣いてる」


「歌詞はジェラの言葉だな。何を言ってるのかわからんが、孤塔を壊すなと抗議しているんだろう」


「そうですね、きっと――」


 ジェラたちは、歌の節に合わせて演舞ダンスをするように身体を揺らしている。歌声には、老人の声も成人男性の太い声も、少年の声も混じっていて、叫ぶような抑揚をつけ、時には膝を震わせてうずくまる者もいた。


 様子をじっと見つめて、黙り込んだ。すると、嘲るような笑い声がした。


「どうしたガキ、哀しいのか。いい加減わかったろ。塔師ってのはな、英雄じゃない。正義の味方でもない。女王陛下の犬で、孤塔を残したがってる奴らから見れば悪魔だ。おまえさ、悪魔になりきる自信があるか? ないなら、さっさと塔師になるのを諦めろ。後で精神を病まれると、こっちが胸糞悪い」


 ギズだった。こういう人だとは充分わかったつもりでいたが、いちいち棘のある言葉で嘲笑されるのは、あまり気持ちのいいものではない。とはいえ、相手は指導教官だ。


「――わたしの精神なら大丈夫です、わたしは塔師になります」


 見習いのカシホからすれば教えを乞う相手で、口答えができる人ではない。苛立ちをおしこらえて冷静に返したが、かえって嗤われる。


「だったら、もっと腹から声出して返事しろよ。いちいち辛気臭い顔もするな。品行方正な優等生には向かねえ仕事なんだよ」


 相手は指導教官だ。冷静に――という言葉が知らぬ間に頭から抜け落ちていく。ついにむっとして、ギズを睨んだ。


「わたしは塔師になります」


「もっとでかい声でいえよ。なんだ、その顔。文句でもあるのか」


「おいおい、なんだ二人とも」


 マオルーンが呆れて、二人の足を前へと進ませる。


「雰囲気悪いぞ。行こう。開門の儀が始まる。そら、女王陛下のお出ましだ――」


 マオルーンが向いた先に、もうもうと上がる砂煙が見えている。砂丘を越えてやってくる装甲車だが、陽光を浴びて砂煙の中でもぎらぎらと光っている。地上を這う太陽のように輝くのは、塗装が金色だからだ。王専用車両の証だった。


 その時。銃声が鳴った。


「口を閉じよ、ジェラども。女王陛下の広い御心によってこの場にいることを許してきたが、陛下の御前でおこなわれる儀式を妨害する不手際があれば、すぐさま射殺する」


 天へ向けられた近衛兵の長銃が、再び空を撃つ。悲鳴をあげてうずくまるジェラの民を真上から威圧するように、男は声を張り上げた。


「声一つ、妙な行動一つ許すわけにはいかん。おまえたちの血で開門の儀を汚すのも許されない。孤塔の裏で開門の儀の始まりを待つがいい。歩け!」


 硝煙の匂いをまとった銃口に脅されながら、ジェラの民は、「そっちだ、奥へ行け」と、銃口が示す方向へと移り始める。しかし――。


「セイラゼス・ナ・ジェラ・アム・サリ――」


 ジェラ語で喚いて、長銃の囲いを破った男がいた。集まった中では最高齢の老人で、皺に飾られた目が追うものは、近衛兵の奥にそびえる彼らの聖地――孤塔だ。よろけながらも器用に砂の上を駆け、囲いを突破していくが、小さな後ろ姿を狙って、銃口が火を吹いた。


 悲鳴と銃声が重なり、老人の骨ばった膝が砂に埋まる。獲物を仕留めた銃口は、すぐさまジェラの民へと向けられた。


「いいか、余計な真似をすればすぐに射殺する。女王陛下の御前で貴様らの血を流すわけにもいかぬ。よって、これから一言でも声を上げた者を射殺する。足を止めるな。このまま孤塔の裏側へいけ。射殺するぞ」


 悲鳴は絶えなかった。空へ向けた銃声も鳴り続けた。「ジェスジャード、ジェスジャード」と喚いて、倒れた老人に駆け寄ろうとする男が数人続くと、とうとう近衛兵は、ジェラの小さな子供の腕を掴み、後頭部に銃を突き付けた。


「次に誰かが声を出せば、この子供を殺す。さっさと奥へ行け。最後に孤塔を拝むことを許した女王陛下の広い御心に無礼で返す気か。手間をとらせるな」


 人質をとられると、ジェラの民は苦悶の表情を浮かべて、抵抗をやめる。泣き咽ぶ顔を隠すように大判の布をひるがえし、「とっとと歩け、いけ」と銃で道筋を示す兵に従って、場を離れていった。


 砂の上で動かなくなった老人の身体は、長銃を突き付けられた一族の男の手で、孤塔の向こう側へと運ばれる。


「早く連れて行け。儀式の場を汚すな」


 カシホは、動けなかった。一部始終をそばで見て、聞き耳を立てていた。しかし、背中に置かれた大きな手のひらに「前へ進め」と押される。


「行こう、俺たちの場所は一番前だ」


「はい――」


 マオルーンはカシホを気づかったが、かえって囃し立てる男もいた。


「だから、辛気臭い顔すんな、うざってえ。あー、これだから真面目な新人は嫌なんだ」


 条件反射のようにむっとして、言い返したが。


「緊張しているだけです。新人が真面目ではいけないのですか」


「二人とも――困った奴らだな。ほら、行こう」


 カシホはまだギズを睨んでいたが、場をとりなしたマオルーンの手のひらにぐいと押される。


 貴族や神官の列の前に塔師が並び、警備を務める近衛兵も持ち場についた頃、装甲車が巻き上げた砂煙が、熱風に乗って儀式の場に吹き込んだ。


 砂煙に先導をさせた装甲車が動きを止めるなり、乗降口に侍従が並ぶ。侍従はそれぞれ手に籠を持っていて、その籠から、陽向花ゴルドの花を撒いていく。まるで、孤塔へ続くまっすぐな道を描くようだった。花の絨毯の仕上がりは、装甲車の扉が開く合図になる。


 王専用車の金色は、古来〈天鳥王〉を名乗ってきたエクル王家の象徴色だ。装甲車の中から姿を現した女が身につけた装飾の数々も、金色をしていた。


 黄色の花を踏みつけ、女王が砂地にが降り立つと、近衛兵は長銃を掲げて列を飾る。花の上を進み、女王は、一段高いところに用意された仮の王座へ歩んだ。


 女王の名は、マリーゴルド三世という。長く続いた内紛を収めたマリーゴルド女王から数えて三代目にあたり、在位二十年を経ていた。


 女王が王座につけば、顔を上げてよい決まりだ。そろそろと頭を上げると、カシホの目の高さには、ちょうど女王が纏う砂避けの肩布の裾が見えていた。


 肩布は一般的なものよりも倍は丈が長く、砂をまとわせた熱風にゆらりとなびき、揺れている。衣装は鮮やかな陽向花ゴルド色で、金色の小珠ビーズが縫い込まれて、足元から首元までがきらきら輝いていた。刺繍飾りが特に精緻で、裾に縫い込まれた花や草の文様は、上にいくにつれて鳥の羽や陽光を思わせる文様へと繋がっていく。衣装そのものが天と地を表していて、胸元には、天の楽園に住まうという神の鳥が大きく縫い込まれていた。


(神の鳥〈ガラ〉――この鳥の紋を身につけるのは、王陛下だけだって――)


 見惚れて、カシホはまばたきをするのも忘れて上を向いた。


 神の鳥〈ガラ〉――と思うと、懐かしい光景も目の裏に浮かんだ。


 女王陛下の紋でもある神の鳥〈ガラ〉を勝手に身に着けたり、印刷したりすることは禁じられている。だから、聖女の名を継ぐ女王家に憧れた庶民は、神の鳥〈ガラ〉に似せた鳥の柄を好んだ。


 その鳥の焼き印のついた革表紙付きの帳面を、リイトという少年もとても大事にしていた。革張りの帳面は子供が欲しがるには高価だったので、祖母の知り合いから贈られたというその帳面を使う時、リイトは、尖らせた鉛筆で、細かい文字を端から端までびっしりと書き、紙面を覗き込んだカシホを驚かせたものだった。


『こんなに細かな文字じゃ、読み直す時に虫眼鏡がいるね』


 そう言ったカシホへ、リイトは満足げに笑った。


『ううん。文字を書いているうちに、文字が手から腕を通って僕の頭に入るんだ。だから、じっと見なくても書いたことを思い出せるから、平気だよ』


 リイトのことを思い出せば、カシホはいつでも少女に戻る。長身の男たちと並んで大きな背嚢リュックと長銃を背負い、王国の端に位置する砂漠にいることなど、あっというまに忘れてしまう。


(リイト――わたし、とうとうここに――孤塔の前に来たよ。これから、孤塔に登るよ。あなたが行きたがっていたところに、登るよ――)


 目の裏には、あどけない少年の笑顔があった。


 その少年の顔を追ってぼんやりしていたが、ある時、視線の先で紅色の唇が動いた。


「私が珍しいか? 塔師の少女よ」


 見れば、正面の王座にいる女王の目が、じっとカシホを見つめている。太陽を身に纏ったような姿の高貴な女性がカシホだけを――それが、もともとは自分が女王をじっと見つめていたせいだと気づくと、青ざめて、すぐさま片膝をつき頭を下げた。


「申し訳ございません。女王陛下に、無礼な真似を」


「畏まらずともよい。咎めたいわけではなかった。そなたが女王の私を珍しいと思い見ていたというなら、私もそなたを珍しいと思い見ていました。――立ちなさい。女性の塔師を見たのは初めてです。しかも、そなたのように若い娘が……」


 女王の瞳は、深い海の色に似た碧玉の色をしていた。化粧に飾られた目を細めつつ、女王は、純白の立ち襟に飾られた顎をわずかに動かし、カシホの隣に立つ青年、ギズへと目線を移した。


「久しぶりだな、ギズ・デンバー。そなたの活躍はよく耳にしています」


 ギズは無言のまま頭を下げ、女王の言葉に聞き入るふうな姿勢をとった。女王は満足げに唇の端を上げ、笑みを浮かべた。


「その少女をよく導いて、見事務めを果たしなさい。では――始めましょうか」


 儀式は、神官によって執り行われる。聖なる水を陽向花ゴルドの上にふりかけ、孤塔の入口を清めた末に、四人の神官の手によって門が開かれる。開門の儀は、女王の許しの言葉をもって締めくくられた。


「よろしい。世界復興を成した聖女、女王マリーゴルド一世の御名に誓って、ジェ・ラームの孤塔への干渉を塔師局へ許す。孤塔の上へ向かい、孤塔を破壊するすべを探してまいれ」

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