時計の街 (2)

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「近衛兵だ。初めて見た――。ほら、今日、女王陛下が来るから……」


 クロク・トウンは小さな街だが、ジェ・ラームの孤塔の破壊を前に、街には写真家や記者、観光客が訪れている。街は、乾いた気候に不似合いな恰好をする人で賑わっていて、街角に立つ警官や、王都から到着した近衛兵団の姿もあった。


 黄粘土煉瓦造りの建物が並ぶクロク・トウンの景観は、どこにいってもたいてい黄味がかっている。砂混じりの乾いた風が吹く大通りを、人ごみにまぎれつつ宿屋へ戻る途中に、ギズはマオルーンに出くわした。非番の日ということで、ギズもマオルーンも制服を着けていなかったが、長年の付き合いのある友人の顔は、雑踏の中でも目立って見えていた。


「宿に戻ろう、ギズ」


「そのつもりだけど?」


 二人で宿屋への道をたどりつつ、マオルーンは尋ねた。


には会えたのか」


「まあな」


「ということは、ウースーはもう着いたのか」


「ああ。女王一行と一緒に特用列車で来たらしい」


「なら、おまえの用はもう済んだな? よかった。――急だが、出動命令が出た」


「ハア? 今日は非番だろ」


「一般人が孤塔に入ったらしい」


「ハア?」


「孤塔の内部は磁力の塊で、少し入るだけなら難病に効くって言われているだろう? それを信じて、破壊される前にと入った奴がいるらしい。カシホが先に向かった」


「見習いに任せたのか?」


「俺も置いていかれたクチだ。俺とおまえがいないとわかったら、近衛兵がカシホを連れていったんだ。へたな事件を起こして、女王が来る開門の儀に泥を塗るわけにはいかないと――」


「アホか? 本番前に塔師の一人が迷子になったら、本番自体がなくなるじゃねえかよ」


 ギズは辟易と吐き、自分もと早足になった。


「移動手段は」


揚空機ヘリコプターだ。カシホを孤塔の入口に下ろしてから、戻って来るらしい。その後で俺たちもいく」






 宿屋に戻って荷物を背負い、カシホが泊っていた部屋を覗いて、背嚢リュックが残っているのを見つけると、ギズは舌打ちをした。


「あのガキ、手ぶらでいったのかよ」


 廊下から同じものを確かめて、マオルーンもため息をついた。


「見つけたら説教しておかないと」


 宿屋の裏手が、揚空機の発着場になった。刈り取りが終わった後の畑に風を起こして揚空機が降り立つと、すばやく乗り込む。揚空機はすぐに舞いあがり、砂海に建つジェ・ラームの孤塔へと二人を運んだ。


「孤塔の近くで空路をとるなんて、ああ、やだやだ。頼むから起きるなよ、嵐――」


 ギズは小窓の奥にかすむ孤塔を睨み続けて、マオルーンは操縦席に備わる磁嵐の観測装置を見つめる。やがて、轟音とともに揚空機の機体が着陸した。砂の地面が近づくなり二人は扉を開けて飛び降り、孤塔の入口へと駆けた。


 砂海にぽつりと建つジェ・ラームの孤塔のふもとには、石造りの小屋があった。孤塔の異常を監視するために使われているが、山地の避難小屋や、海際の漁師小屋程度の粗末な造りで、揚空機が近くに降りると、壁の石材がぐらぐらと揺れる。 


 孤塔の周りには、人が大勢いた。近衛兵の姿もあったが、ほとんどが塔師局から派遣された作業員で、二日後に迫った開門の儀に備えて支度を進めていたはずだった。そこへ向かって走り、ギズは同僚へ罵声を浴びせた。


「どうしておれかマオルーンを待てなかったんだ。見習いを一人で行かせるなんて――」


 轟音と風で揚空機の到着には気づいているはずなのに、そこで輪を成す作業員は後方を振り返るものの、気まずそうな真顔をするだけだった。


「おい、そんなとこでつっ立ってねえで道を開けろよ。一般人が孤塔で遭難したんだろ? 救助に行く。あのガキが孤塔に入ったのは何分前だ?」


 人の輪を作る作業員の足元には、襯衣シャツを着た男がいた。七歳くらいの子供を抱きしめていて、子供は男の腕の中から周りを見回し、目を大きく開けていた。


「目が見えるよ、お父ちゃん。すごいね、きらきらしてるね。風も孤塔もぴかぴかだね。孤塔のおかげだね。あのおじさんの言った通りだね、孤塔は僕を、ちゃんとジェラだって認めてくれたんだ。僕の目は、孤塔が治してくれたんだね」


 二人の後ろに少女が立っていて、親子を見下ろして微笑んでいる。塔師の制服を着ていないせいでいつもよりも小柄に見えているが、カシホだった。


 ギズとマオルーンに気づくと、カシホは顔を上げた。


「あっ――お疲れ様です。この方たちは二階で保護しました。孤塔ってすごいですね。孤塔の中で、その子の目が見えるようになったんです。生まれた時から見えなかった目だって……それなのに――」


 作業員の輪に入って足を止め、ギズはため息を吐いた。


「その格好で孤塔に入ったのか。その、ガキが店で小間使いをするような格好で――」


 カシホの姿は、大きすぎる制服から、少女がする格好に代わっていた。膝上丈のふわりとした上着の裾から厚手の撚糸穿スパッツを覗かせて革帯を締め、脚には制服の長靴を履いている。


「携帯通信機は持ちました。あと、磁値観測装置をギズ教官の部屋から勝手に持ち出してしまいました、すみません――」


「すみませんじゃねえんだよ。持ってって当然だ。おれが言いたいのは、しょうもねえ自信がどれだけあったのかってことだ。いつ何が起きるかわからねえんだから、装備の携帯は絶対だ。基本も守れねえのか」


「すみません――」


 カシホは身体を小さくして頭を下げる。ギズを、マオルーンが宥めた。


「説教は後だ、カシホ。こってりしぼるから覚悟しておけ。――俺たちは帰ろう。せっかく連れて帰った奴が処罰されるのを見たくはないだろう?」


「処罰?」


「――行くぞ」


 カシホの手を、ギズは有無を言わさず掴んだ。引きずるように輪の外へ引っ張り出してすぐに、親子が懇願する声が聞こえる。


「お願いです、ジェルトだけは……息子だけは――お願いです」


 男に答えた近衛兵の声は、呆れ気味だった。


「ここは王領だ。侵入罪の中でも最高刑が科される場所だ。それに、見えなかった目が見えるようになったといっていたが、孤塔の中で起きた偶然の奇跡がまことしやかに伝わると、おまえたちのような者が続くことになって困るのだ。このまま帰すわけにはいかない」


 「いいえ、いいえ……」と、男は首を横に振った。


「しかし、ここは正真正銘の王領ではないではありませんか」


「なんだと?」


「ここはジェラの地です。《赤戦争》の前はジェラの地であって、戦後に王領にされたことをジェラ族は認めていないはずです。ジェラは病気になると、昔から孤塔に入って治しました。ここは王領ではないのですから、私は、お咎めを受けるようなことを一切しておりません」


 遠ざかりながら、ギズは男の声に耳をそばだてた。


「ジェラだと?」


 応えたのは、マオルーン。


「ジェ・ラーム砂海で暮らす遊牧民の部族の一つだ。あの男は遊牧民の出なのかな」


「あの格好で? ジェラは、砂よけの外套を頭からかぶっているんじゃなかったか。あいつの出自はジェラかもしれねえが、今は街暮らしだろう」


 男を見下ろす近衛兵は、かえって不機嫌になった。肩から提げた長銃を構えて、男へ銃口を向けた。


「自分がジェラだと言い張るのならば、住まいを言え。女王陛下は、土着民の意思を尊重するお考えをお持ちだ。街に定住したい者には市民権を与え、エクル王国民と扱うご配慮をなさった。市民権を得ているなら、おまえはエクル王国民であり、ジェラとは見なされない。おまえの住まいはどこだ? クロク・トウンだろう? それとも本当に砂漠なのなら、法廷でそれを証言できるか」


「僕はジェラだよ。ほら、ここに証もあるよ――」


 少年が、膝丈の筒服ズボン衣嚢ポケットを探り始める。父親のほうは、それ以上ジェラの名を出さなかった。


「お願いです、誰にも言いませんから。私はどうなっても構いません、息子はまだ七歳です、お願いです」


 背後を振り返っては手首に力を込めるカシホの腕を、ギズは力任せに引っ張った。


「とっとと歩けよ」


「でも……」


「来い、カシホ」


 親子を振り返ってばかりのカシホを連行するように、マオルーンも腕を伸ばす。少女の背中には大き過ぎる手を添えて押して歩かせるが、カシホは何度も振り返った。背後で、幼い少年の泣き声が響き始めた。


「僕、帰れないの? お母ちゃんに会いたい、せっかく目が見えるようになったのに。お母ちゃんの顔が見たいよぉ」


 振り返りながら、カシホは目を潤ませた。


「ギズ教官、マオルーン教官、あの子が帰れないってどういうことです」


 カシホの泣き顔から目を逸らして、ギズは舌打ちをした。


「辛気臭い――やってられねえ」


 ギズからすれば、一般人が王領――しかも、孤塔に入った後に何が起こるかなどは、当然のこととして覚えている。国内で確認されている孤塔は全部で五十五あるが、そのすべてが王直属の組織、塔師局の管理下にある。孤塔を中心に、半径二キロルの範囲はすべて王領で、民家や耕作地をつくることは許されていない。孤塔に迷い込んだ一般人を保護することが、当人にとっての「救助」にはならないこともよく知っていた。


 さっさと行こうと、足早になった。しかし、不意に足が止まる。立ち止まり、背後を振り返った。


 目が向いた先は、天と地を繋ぐ線のように細くまっすぐに伸びる「塔」。孤塔を振り返り、じっと見据えた。


(なにか、いるな) 


 根拠などなく、勘だった。長年孤塔というものと関わってきた者の勘が、足を止めた。


 茫漠とした黄色の砂海の宙を埋めるように漂う砂混じりの風。それが頬を撫でるたびに頬がからからに乾いていき、肌の表面に砂粒が残る。


 ふと、マオルーンの声が聞こえて、我に返った。


「カシホ」


 声のしたほうを見やると、カシホはマオルーンの手を振り切り、ギズの真横で孤塔を向いて茫然としていた。


 カシホの唇がかすかに動く。蜂蜜色の眉をひそめてなにかをつぶやいたものの、カシホは見間違いを諦めるように踵を返して、マオルーンのもとへ戻ろうとした。


「マオルーン教官、今、なにか――いいえ、なんでもありません」


 カシホが見つめた先の孤塔の前には、ジェルトという名の少年が泣きじゃくり、その父親らしき男が嘆願を続けている。親子の姿に目を向けると、カシホの顔は暗く翳る。しかし、歯を食いしばるように目を逸らすと、揚空機の乗台へ足を向けた。


「いきましょう」


 カシホの後ろ姿を見て、ギズはそっと唇を結んだ。


(もしかして、あいつも同じものを感じた?)


 それも、たぶん勘だ。根拠などない。しかし、いま自分の足を止めたなにかに、その少女も感づいたのだと気づいた。


(マオルーンは、気づいていない――)


 塔師は「神に選ばれた者」と揶揄されることがある。それは、塔師の仕事をまっとうするためには、必要な才能が生まれつき身に備わっていなければならず、努力して身につけることができないからだ。


(カシホ・オージユ、新人ねえ――)


 暗い顔をして、大人しく揚空機の乗台に足をかけた少女の後ろ姿を視界におさめて、ギズも砂に足跡をつけていく。


 三人の塔師を乗せた揚空機が、ジェ・ラーム砂海の空に上がってすぐのことだった。


 孤塔の前で近衛兵に囲まれていた親子に、異変が起きた。父親が自分の身体に隠すように抱いていた少年が、突然身動きをしなくなった。


「ジェルト? ジェルト」


 父親は腕の中を覗き込んで名を呼ぶが、少年の目は閉じ、まぶたも頬もぴくりとも動かない。父親の腕にしがみついていた腕がだらんと垂れ、糸を断ち切られた人形のように動かなくなった。


「どうしたジェルト。ジェルト! 肌は、温かい――脈も、ある――」


 父親は血相を変えて少年の小さな胸に耳を近づけたが、少年はもう動かなかった。息を止めたわけではなかった。しかし、閉じた目はそれから開くことがなく、少年は死んだように眠り続けた。

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