(2-10)時代の変わる音が響く時 後編

ラウロの高笑いがルーム内に響く。

真っ先に反応したのは、怪物三体だった。


「ギャォォオオオオ!!!」


壮健な一体が猛々しく鳴いた。


「ギャ、ギャウ・・・」


傷だらけな一体が呼びかけるように嘶いた。


「グルルル・・・。」


第一班に追いつめられた巨大な一体が思考するように低く唸った。

三者三様の反応を見せ、次の瞬間にはそれぞれが別の行動を見せる。


一際巨大な一体、勝利達と戦っていた個体が、背中から酸をまき散らす。


「喰らうな!全力で避けろ!!」


素早く勝利から指示が飛ぶ。酸は的確に仲間の怪物だけを避け、その他大勢に降り注いだ。あるものは魔法で障壁を、あるものは盾を振りかざし仲間を守る。自衛手段がない紅花月の面々は次々と焼けただれ、熟れた肉塊へとなり下がる。酸のすべてを見切り躱すウィリアム、そもそも酸を喰らったところで即座に回復、自身の血でさらに強化されていくラウロは流石と言ったところか。勝利も自前のタワーシールドを掲げ酸をしのぐ。好子作の武器や防具は高い耐久性を兼ね備えており、酸の攻撃にも表面を溶かすだけに留まっていた。


そして酸が降り注ぎ終わった途端に、壮健な個体が近場の獲物に襲い掛かりつつ全身を開始する。近くにいた神楽たち第二班は交戦を余儀なくされた。同時に酸を吐き終えた個体も全身を開始し、勝利達と距離を取り始める。迷いなく直進する様は、先ほどの穴掘りと相まってどこか異常性を感じさせた。


ウィリアムも行動を開始する。酸から己の大切な宝物を守るように近場に寄せていた彼は、即座に複数の眼球を展開し、そのまま神楽たちに突撃する。鋭い突きが神楽を襲うが、それを刀で捌き、合間を好子や自衛隊の面々がチクチクと攻撃を加えることで拮抗していた。


勝利はまっすぐにラウロに突貫。満身創痍だったラウロだったが、既に全ての傷が塞がり回復しているようだった。即座に勝利に応戦し、遅れて動き出した勝利の弟子たちがそこに参戦。残りの自衛隊のメンバーは怪物の処理に取り掛かった。


戦場が慌ただしく動き出す。だれもが眼前の敵に集中し、本来最も警戒しなければならないことに意識を向けられなかった。


だからこそ、それが起きた。


一直線に走る怪物二体。向かう先はお互い一緒。傷つき血を垂れ流す個体の場所だった。引き寄せられるように三体が急速に近づいていく。


「あれを、止めろっ!」


傷つきながらも、自体の推移を冷静に見つめていた男が、大きな声でそう言った。

榊原だけは、その可能性に気が付いていた。そもそも、似た姿をしている怪物三体が、同時期に現れるだろうか。さらにはお互い示し合わせた様に一か所に集まろうとし、先ほどまで戦っていた個体は、何かを呼びかけるように弱々しく声を上げている。


何かは分からない。だが、三体を集めてはいけないことだけは、なんとなくわかった。だからこその指示。だが惜しむべくは自身たちの中で最大火力である水川がしばしの間行動不能なこと、そして己たちの武器が現状大して怪物に効かないことだった。必死の抵抗とばかりに残弾を打ち尽くす勢いで発砲する第三班。榊原は他の有力者に視線を這わせるが誰もが紅花月の幹部と交戦中。


まずい、そう思った時にはすべてが遅かった。


「グルルルッッ!!!!!!」

「ギャオオオオオ!!!!!」

「グロロロ・・・・・・・・」


遂に三体が集合する。ルームの中央付近で三体が会話をするように唸り、吠える。

そして、巨大な一体に対し、瓜二つの外見を持った二体が、噛みついた。


「な、何をしている!?」


突然の奇行に、榊原を始め事態を見ていた自衛隊の面々が戸惑いの感情を抱く。

だが、それは一瞬のこと。続いて起きた異常事態に、驚愕の表情を浮かべることとなった。


巨大な一体の左右にある、皮膚がえぐり取られたように筋肉が露出している部分に二体が噛みついたかと思うと、徐々にその顔から同化を始め、その巨体を補完していく。巨大な後ろ足はさらに強靭さを増し、鱗もびっしりと生え揃う。短く細かった前足は徐々に肥大化し後ろ足同様凶悪さを兼ね備えた形となり、やがて後ろ足同様の大きさまで成長した。背中にしかなかった亀裂が左右に一本ずつ形成され、更にその亀裂が首元まで伸びるとそこからぐちゃぐちゃと肉質な音を響かせ、二本の首が生えた。落ちくぼんだ眼孔は、今や炎をともしたかのように真っ赤に染まった眼球が空洞を埋め、鋭い眼光を携えた。千切れていた尻尾が再生したかと思えば、更に二本追加され先端に膨らみが出来上がる。それを一度地面に叩きつけ、地面を容易く叩き割ったことでそれがいかに凶悪なものに生まれ変わったか知らしめた。


地面を叩いた音が、一度全員の視線を集める。それを確認したからなのかはわからない。だが、そのタイミングで三首の竜が、三つの口を大きく開き、大音量の咆哮を上げた。


「「「グララァァァアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」」」


まさしくそれは産声。別々の場所で生まれた怪物たちは、集まることで本来の姿を得た。幼体から成体へ。ダンジョンが愉悦で生み出した怪物は、ここに恐怖を促した。


「僕から視線を外していいはずがないだろぉ?」


この状況でぶれない人間が、二人。


「黙れ、てめーに構ってる暇はない。」


誰もが動きを止めている中、ただ一人勝利めがけてナイフを振るうラウロ。そしてそれを当たり前のように受け軽口すら叩ける勝利。この二人だけは、くぐってきた修羅場の数が違った。初めに邂逅したあの時、暴れまわる魔物の群れにただ一人突っ込んでいった勝利とその魔物の群れに囲まれながらも血を浴び愉悦の表情を浮かべるラウロが視線を交えたその時から幾重にもわたって死線を超えた二人だからこそ、慌てず本来の標的を潰すという選択を取れたのだ。


「空!泰平!砂月に真帆!お前らは榊原さんたちと連携してあの化け物に当たれ!影光は神楽さんたちを手伝え!お前の貯蔵を渡すんだ!」


激しく攻め立てるラウロをあしらいつつ、矢継ぎ早に指示を飛ばす勝利。それを受けた全員が迷いなくそれぞれの役割を全うすべく動き出す。己たちの柱はどこまでも太く頼りがいがあり、何より揺るがない。ならばその声に従うまで、だからこそのこの反応の速さなのだ。誰もが疑うべくもない、チームとしての動きがここにあった。


去り行く仲間たちの背中を一瞥した勝利は、意識を目の前の敵だけに絞った。今までは周囲の仲間の様子を見つつの動きだったが、今は違う。強化済みのラウロが目の前にいる。それだけで血が騒いだ。どうしようもなく、眼前の敵を潰したくなった。だからこそ、己の周りから仲間を排除したのだ。幾度も刃を交え、その実力を認めた相手だからこそ、己も全力を賭せる。勝利は、昂っているのだ。


絶対に、下して見せる。己の名前は『勝利』なのだから。


圧が増した。意識を前に向けるその行為だけで、ラウロは全身が総毛立つのが分かった。だが、それは許せない。己は勝者で、怖気づくことなどあってはならないのだ。しかし、同時にこう思うことも事実だった。ああ、ここまで気分が昂っているのは、殺意が迸り、目の前の敵を殺したときの血の熱さを渇望しているのはいついらいかと。きっと己はこの敵を好いている。最後の一滴まで鮮血を浴びたい。


相反する感情が複雑に絡み合い、結果として全力以上の力を引き出すこととなる。


「きゃははははは!!!!!死ね死ね死ね!!!!!」

  

「てめーこそ死にやがれ!!!!!!」


白熱する攻防。ナイフを振るえば叩き壊され、棍棒を振るえば悉くが躱される。どうしようもなく実力が拮抗した状態で、両者は互いを求め続けた。歩む道が違ったなら、もしも世界がこうならなければ、もしかしたらこの二人は唯一無二の親友になったかもしれない。だがそれはもしもの話。この現実では確かに、二人の関係は天敵最愛だった。


◇◆◇◆


互いの命を奪い合う二人から離れたところで、同じく命のやり取りが行われていた。片方は狂気と正義のぶつかり合い。片方は絶望を砕く戦い。形は違えど、熾烈な戦闘が繰り広げられているという点では同じ。


今もウィリアムが連続して突きを放ち、宙に浮かぶ眼球の一つ一つから小規模の魔法を打ち出したところ。戦闘が再開された直後から新たにそのような行動をとってきたウィリアム。仲間の誤爆を恐れ使用を避けていたが、その仲間たちは現在大半が肉の塊となり果てていた。そこに抑えきれない怒りが加わったならば、止められない怪物が出来上がる。


「ようやくだ!剣術特殊開放:第二、発動!『伸縮自在』!!!」


戦闘開始そうそう第一開放を行っていた神楽はようやく第二の発動へと至る。最初の戦闘から何とか維持を続けていた特殊開放だったが、このルームに全員がそろうという珍事のおかげで発動が解除されてしまっていた。幸いにも体に負担がないタイプの開放だったため再度発動したが、やはりクールタイムと言うべき再発動の待機時間は致命的だった。敵の攻撃が更に苛烈に、更に多彩になったことで仲間たちに多少の被害が出ている。運がいいことにウィリアムの全ヘイトが神楽に向いていることが救いだった。幾度も火の光線を、水の鉄砲を、風の刃をその身に刻んでも最小限のダメージだけに留めるよう動いていた神楽。ようやく己の切り札への道が再開された。もう好きにはさせない。満を持して刀を納め、居合の型へと入る。


「先程と同じか!やらせはせんぞ!!!」


「老人はとっととくたばりな!!!」


居合の動きを防ごうと強引に接近を試みるウィリアムだったが、そこへようやく息を整え終わった好子が割って入ることで押しとどめる。今の今まで動きを最小限にとどめ、走り疲れたことで乱れた息を整えていた好子だったが、さすがにこれ以上は戦線に響く。仲間の傷も増え、己が戦えないことにもどかしさを感じていた好子。その感情を乗せた戦槌の力はすさまじかった。スキルを発動していることもあって、空気を震わせ、地面を砕くその猛烈な攻撃にウィリアムがたじろぐ。


ここまで激しい怒りでだましていた肉体的疲労がここにきてウィリアムに動揺を生んだ。好子の攻撃に徐々に徐々に後れを取っていく。そしてそこに―――


「ふっ!!!」


神楽の居合が混ざり始める。間合いが延長され、刀身が一瞬にしてウィリアムに届く。鞭のようにも見える軌道を読み躱せたことが奇跡に近いタイミング。ウィリアムの持つ多数の眼が無ければ今ので一刀両断されていた。


「このウジ虫が!貴様から潰してくれる!!!」


ここにきて好子へのヘイト移行。神楽は瞬時に好子のサポートへと回る。何も遠距離からの居合だけが攻撃ではない。距離をあえて詰め、好子の一撃一撃のサポートをすることで隙を無くす。ウィリアムは徐々に怒りから困惑へと感情を遷移させていた。なぜ、目の前の二人は倒れない?これまでなら二人三人、それ以上が相手でも己の剣技と眼を操る力でどうとでもなった。それなのになぜ、この二人は倒れない?命を請わない?むしろ闘志むき出しに、折れぬ心で攻め立ててくる。おかしい、私は強いはず!それなのになぜ!!!


次第に叫び声は苦痛に歪む喘ぎに変わり、鬼の形相は疲労と困惑でぐちゃぐちゃになっていた。


さらにウィリアムは生来から抱える疑問に思考を巡らせる。

ウィリアムは英国からの留学生と、それに体を許してしまった日本の女子高生との間に生まれた。母は、ウィリアムが大人になりこの手で殺すその日まで常に父が迎えに来てくれると信じていた。その父は母のことなど忘れ女遊びに現を抜かしていたと言うのに。結局その男を殺してもウィリアムの心は癒されなかった。強引に子供を産んだ母は勘当同然の立場まで追いやられた。当然自身も小さな頃から周囲に蔑みの眼を向けられ、母からは躾と称して虐待の日々。いつしか彼は人の眼を見ることを辞めていた。視線を合わせれば叩かれる。視線を合わせれば謂れのない非難を浴びる。うつむき、給食費も払えずみすぼらしい恰好をネタにいじめを受ける学校から、地獄とさえ呼べる家を往復する毎日に、希望などなかった。なぜ自分はこうも恵まれていないのか。その考えに至ったのはいつだっただろう。


そんな日々に一時の幸福が訪れる。それは学校の図書館に避難した時のこと。決して大きくない部屋の片隅で静かに本を読むその少女と偶々眼が合った時、ウィリアムの中で何かが芽生えた。その眼は、己を映してもなお、自然体。一切の興味をもつことなく、再度本へと視線を落としたそのしぐさに、心惹かれた。


そこからの短い時間を、ウィリアムは忘れることはない。度々図書館に通うようになり、少しずつその少女と交友を深めていった。必死に万引きを繰り返し、まともな服を手に入れ、彼女の前では普通でいようと心掛ける。彼女もまた自然体で話しかけてくれることがなんとも心地よかった。些細な事だが、それでもウィリアムは満たされた。


だが、世界はそれを許しはしなかった。今も常に思う。どうして己ばかり不幸を背負わされるのだろうと。


それは初めて図書館から二人で帰った時のこと。

まさしく人生の絶頂。有頂天になった彼は、横ばかりみて話していた。だから、赤信号に気付くことなく歩みを続けてしまった。そして不運にも、運転手がよそ見をしているトラックがウィリアムに気付くことなく、スピード上げ続けたまま直進してきていた。


「あっ―――――――――」


気づいた時には己は歩道に倒れ、代わりに彼女が車道に身を晒していた。咄嗟に服を引かれ、反動で彼女が入れ替るように車道側へと飛び出してしまったのだ。


ゆっくりと流れる時間の中で、ウィリアムが見たのは、恐怖に涙するその眼と、それでも気丈に口を引き結んでぎこちない笑顔をこちらに向ける彼女のその顔だった。


顔面に降りかかる鮮血。生暖かいそれは、彼にぬくもりを伝えてしまった。人は暖かいのだと、この時初めて彼は知る。


降り注ぐ肉片が周囲を真っ赤に染めた。ああ、彼女の赤色はなんと美しいのか。


そして最後に、偶然にも無傷で転がる一つの眼球が、彼を見つめた。ああ、ああああ、ああああああ!!!!なんと美しいことか。光を浴び煌めくそれに、彼は魅入られてしまった。彼女の死は美しく、彼女の眼は芸術だった。もっと見たい。もっと知りたい。歪みに歪んだ彼の人生が、ついに彼の思考すらも歪めてしまう。


それから彼は、今のウィリアムになった。人の最後の表情を見たくて殺し、美しいその眼を愛でる。それが彼に与えられた唯一の癒しだった。


これまで殺してきた数は計り知れない。ラウロに発見されてからも、その奇行は続き、いつしか彼に力を与えた。絶対の自負。人の最後を多く見てきたことが、彼に己は人よりも優れた存在だと錯覚させた。だが、それは強さとは違う。さらに言えば、本当の強さを持った相手と彼は出会ったことがなかった。だからこそ、神楽や好子の、まっすぐな瞳が妙にむず痒かった。知らない、己の知らない眼。耐えられない、これ以上は己の何かが壊れてしまう。


思考の海から急浮上したウィリアムは、湧き出した恐怖に抗うように、細剣を振り回した。


「あああああ!!!!くるな!寄るな!私は、私は!!!!」


「ちょっと、急になに!」


「好子さん、変わって!」


敵の急な変化に、好子のリズムが崩れる。攻めより守りが弱い好子はすぐさま神楽の指示に従う。


「この!私が!私の!あああああああ!!!!!!!」


「狂ったか。まったく、君は狂う資格など、ありはしないだろうに。」


神楽は今のウィリアムを見て、一瞬だけ悲痛な顔を浮かべた。

だがそれを振り払うように、細剣を一度大きく弾き返し、距離を取る。


「話は後、だね。そろそろ終わりにするよ。」


そこで一旦息を吐き出し、続いて切り札の言葉を連ね始める。


「剣術特殊開放:第三、発動―――」


この時ウィリアムは恐怖が塗りつぶされるのを感じていた。何か、得体のしれない感情が押し寄せる。これを受けてはいけない、だめだ、それは・・・


「『神速結界立チ入ルコト禁ズ』」


一つ、視界が潰れた。極限まで集中した思考は時を引き延ばし、その事象を事細かにウィリアムに知覚させる。

二つ、視界が潰れた。今度は三つ、また四つ。どんどんと視界が閉ざされ、いつしか己の二つの視界のみになった時にようやく気が付く、四肢がずれていくことに。ずるりと鮮やかな断面を残し、体が重力に引かれて地面へと落ちていく。そこでようやく思考のスピードが通常に戻った。気づいた時にはもう遅い。瞬く間に切り伏せられたウィリアムは、あっけない終わりに痛みにもがくことすらもしなかった。ようやく、これで終われ―――


「時に、君は刀を持った若者数人のことを覚えているかい?無残にも解体されたその死体には眼球が無かったそうだ。何か、覚えていることは、ないかな?」


「・・・・・・ああ、覚えているとも。美しかっ。」


「・・・もういいよ、それ以上は。」


―――神楽が問い、ウィリアムが答え、途中で刀を額に突き刺した。なんのことない。ただ一人の狂人に幕が下りただけ。


終わりを迎えたウィリアム。彼は最後の最後で嘘をついた。


神楽の問うた若者たちの眼は美しくはなかった。それ以外の、己が殺した者たちのどの眼も美しくはなかったと彼は気がついていた。気がついていて眼を逸らしていたのだ。彼女の美しさを、ただ思い出したかっただけなのに。なんて不器用で、無駄な行為だったのだろう。


ああ、彼女は私を待っていてくれたのだろうか。だがそれはもうわからないな。だって己は地獄へと落ちるのだから。そうだ、今度は自身の両目で見つめてみよう、地獄の蓋のその向こうにもしかしたら彼女が――――――


◇◆◇◆


神楽たちが戦闘を終え、戦場を見回した時、予想もしない光景が広がっていた。


折れた剣を握り、フラフラの空。壊れた盾を支えにして膝をつく泰平。真帆は魔力が切れたのか荒い息を繰り返し、砂月は体中に火傷を負っていた。榊原と水川だけがボロボロになりながらも戦闘を続け、それを支援するように自衛隊員の面々が射撃を繰り返す。だがその射撃も数は少なく、多数が地面に横たわったり傷の治療をしていたりだった。影光が神楽たちについてきた自衛隊員に銃弾を渡し、こちらは大丈夫と言ってこの戦場に流したは良いが、その者達までやられている始末。


戦闘に集中しすぎて、こちらへの配慮を忘れていた。なぜこんなことになってしまったのか、考えを巡らすが答えは一つだけだった。


「そこまで、強くなるかね、好子さん。今更だけど、加勢、するよ。」


「任せ、なさい。少々暴れたりないところ、だったから。」


息切れを起こす二人。だが立ち向かわねばならぬ。誰一人として欠けてはいけない。それが仲間というものだから。恐怖をはねのけ、走り出す二人。これを乗り越えれば、そう考えひた走った。だがそれは虚しく終わる。


まだ、恐怖は始まったばかりだから。


◇◆◇◆


榊原率いる第三班に第二班の自衛隊員が合流した時まで時間は遡る。

その時すでに第三班の面々と勝利の弟子たちはぼろぼろの状態だった。


「グルルル、グオオオオ!!!!!」


またしても怪物が尻尾を振るう。振り向きざま、三本が独立して敵を狙い、障壁を作り出す真帆、盾を構える泰平、全力でその場を離脱する砂月へと殺到していた。


障壁に当たればいとも容易く打ち砕き、盾にヒビを入れ、地面を割るその膂力は言うまでもない。すでに何回か繰り返されたこの光景に、合流組の自衛隊員は度肝を抜かれた。


そこで安全圏から一気に駆けだす榊原。尻尾を振るった状態のほんの少しの隙を狙って果敢に攻める。それを援護するように影を纏った矢と威力を増した弾丸が一直線に飛来するも、硬い鱗に阻まれる。煩わし気に今度は前足でのストンピングを繰り出す怪物。直前まで迫っていた榊原は地面を大きく割るその攻撃に後退を余儀なくされていた。


どこから攻撃しようとも、三つの首が死角をカバーし、その巨体ゆえの破壊力で敵を寄せ付けない。三位一体以上の強さがそこにはあった。通常状態での攻撃は硬さを増した鱗を貫くことは出来ず、空の剣や榊原の銃剣の刃では到底傷をつけようもなかった。それでも凌げているのは怪物が酸での攻撃をしてこないからであり、この敗北寄りの均衡もすぐに崩れることとなる。


三つ首が、それぞれ別の方を向き、同時に喉を膨らませる。


「来るぞ!身を守れ!!!」


斜め上めがけてそれぞれ放たれた酸は散布するように細かく雨になって降り注いだ。慌てて真帆が仲間全員の分障壁を張る。先ほどから尻尾などの攻撃で魔法を障壁に全振りしている真帆。火力不足を補う切り札が封じられたことが現状になった大きな要因。加えてすでに真帆の魔力限界が近づく。周囲の魔素を吸い上げることで魔法を組むことが出来るのだが、その際本人の内臓魔力を少し使うことで外気の魔素を使いやすい魔力へと変換するため、どうしても人ひとりの魔法行使回数に限界が生じてしまう。今も多数の障壁を張ったことで余分に魔力を使い、荒い息を吐きだす真帆。守りの要がここにきてダウンするのはまずい。そう考えた榊原が、空と一時的なタックを組み、再び怪物へと接近する。なんとかして攻撃をこちらに釘付けにできれば、まだ勝機はあるのだ。


しかし、怪物もその程度すでに把握している。恐ろしいことに、この怪物は生まれいでてからものすごいスピードで思考力を伸ばし続けていた。ダンジョンから与えられていた知識に加え、人間以上の成長力を兼ね備えた怪物に、『死角』はない。


空気を揺らし、急接近する榊原。直線のスピードなら誰にも引けを取らない。それに追従する空もまたそれ相応のスピードを発揮する。


それに対し、怪物は、笑っていた。


不意に低く伏せる怪物。頭を下げ榊原が狙いやすい位置まで降りてきた弱点。それを見逃さないわけにはいかないが、それにしても行動の意図が読めない。走りに迷いが生じる。ほんの少しの減速。それが功を奏した。


割れ捲っていた地面。その亀裂から、勢いよく酸が噴き出した。


「なっ!!!」


突然のことに急停止する榊原。酸のしぶきが体に飛来し、少しばかりの火傷を負う。痛みを堪えさっと後退、酸を迂回して進もうとする。


「だめ!止まて下さい!」


水川の必死の声が耳に届く。その時にはすでに酸の壁、その端を抜けようかというところだった。そして視界一杯に広がる怪物の巨躯。低い体勢は尻尾の一本を地中に伸ばし視覚外からの攻撃を放つためだった。それと同時に、スタートダッシュを決めるためでもあったのだ。


巨大すぎるため鈍く感じる動き。だが実際は莫大な筋力から生み出された尋常ではない速さで走っており、そのまま前足の進む動作で吹き飛ばされる榊原。咄嗟に留まり後ろへと飛ぼうとしていたこともあって多少は威力が減算されていた。だがすぐ後ろを走る空ごともみくちゃになりながら10メートル以上は吹き飛ばされたことが、いかに怪物の膂力がすさまじいかを物語っている。


そして、怪物の勢いは止まらない。


「グロァァァアアアアア!!!!!」


まっすぐに走るその先は、真帆や影光や自衛隊員といった後方支援組だった。その進路にいち早く気づいた泰平が間に割って入り、タワーシールドを地面に打ち付け障壁を展開する。そこに加え真帆が三重の魔力障壁を張り、万全の構えをとった。


だが、怪物の勢いは、止まらない。


ドンッ!重たく響く衝撃の音。三重の魔力障壁は一息に破砕され、泰平の張ったシールドプリズンにぶち当たり、大きくヒビを生じさてようやく歩みが遅くなる。だが、それでも怪物の足は止まらない。ズンッと前足を強く踏み込み、強引に前進しようとする。その動作だけでさらにヒビが亀裂と変わり、続く二歩目で亀裂は全体へと広がる。


「ガルルゥゥゥ。」


今度は後ろ足を突っ張り、タックルのような体制をとった怪物。その行動の間際、あざ笑うかのように喉を鳴らす竜の怪物は、とうとう泰平の障壁さへぶち破る。


勢いあまって舞台に躍り出るように二歩三歩と前進する怪物。そして三つの首で地上を俯瞰すると、そのまま巨躯を躍らさるように蹂躙劇を開始する。


足を踏み鳴らし地面を割り、三つの首が縦横無尽に駆け巡る。顎が打ち鳴らされる度、誰かの四肢、下半身、上半身、はたまた全身が喰われ、踏みつぶされた。


泰平は、苦渋の決断で影光と真帆を守る。もはや半分から下を失ったタワーシールドで首を打ち払い、亀裂が生じた戦槌で足を迎撃していた。ひとえに人外の膂力があってこその芸当だが、次々に仲間が失われていく光景が胸に刺さり、精神が削られていく。同時に絶え間なく行使する力の反動で、筋肉にガタがきていた。足元が、一瞬支えを失い振らりと揺れる。その隙を突いて酸での攻撃が降り注いだ。


「くっ!エアシールド!」


前方に一片が二メートルの四角い半透明のシールドが張られる。自身の前側のみしか守れないが、それでもないよりはまし。その行為の隙に、影光と真帆が怪物の攻撃範囲から離脱する。気を見計らって自身も後退しようとした、その時。


影が泰平を覆う。


シールドに酸が付着したころで、前方の景色が疎かになっていた。そして、それが致命となる。壊れた盾をなんとか着弾間際に尻尾と己との間に挟み込むことに成功するも、重たく、どこまでも果てしない衝撃の大きさは、泰平に膝を突かせた。


「かはっ!」


体を突き抜ける衝撃は内臓すらも揺らし、泰平は血反吐を吐いてその場でダウンしてしまう。


「泰平!」


怪物の眼前で膝を突いてしまった泰平。暴威に晒される仲間の元へ一心不乱に駆けつける砂月。今まさにその顎が泰平をとらえるその瞬間に砂月が割り込み鋭くナイフを一閃。眼球を切りつけられた怪物は猛り狂い、首を滅茶苦茶に揺らす。運悪くそれに当たった砂月は数メートル吹き飛ばされ、そこを狙った別の首が酸を玉のようにプッと吐き出した。砂月は痛みに身動きが取れず、逃げることが出来ない。真帆が残り僅かの魔力を使って砂月を何とか覆える程度の障壁を張るも、鋭く発射された酸弾とも呼べる攻撃の前に脆くも崩れ去る。


半分以上は障壁の外に弾かれた酸だったが、それでも砂月の体中に張り付き、肌を焼いた。


「きゃぁぁ―――――――――――――ッ!!!!」


鋭い叫び声を上げる砂月。絶え間なく襲う痛みにのたうち回る。地面に付着した酸の上を転がるものだから、更に痛みは倍増し、悲痛な呻きがこだました。


仲間二人がダウンしたことにより、焦る空。圧倒的な力の前で、打ちひしがれることもできず、意識に引っ張られるように駆けだす。


焦りから出たその軽率な行動に、榊原が止めようとするも、あと一歩のところでするりとその体を逃してしまう。


砂月に狙いを定めた怪物は前足を上げ踏みつぶそうとする。その時点で後ろ足までたどり着いていた空は駆け抜けざまに剣を二度振るも、硬い鱗の前に浅い傷しかつけられない。だが歩みを止めず、その場で飛び上がると前足の付け根を狙って剣を薙いだ。


硬質な音を響かせ、剣が折れる。だがその音により視線を空に向けた怪物は上げた前足を払うようにして空を吹き飛ばした。なんとか痛みを堪えその場から離脱する砂月だったが、十分離れたところで倒れ伏し、全身を蝕む痛みに全神経を集中させ耐えようとする。吹き飛ばされた空も、もろに攻撃を喰らい全身の至るところで骨折を生じさせ、それでもなお立ち上がろうと剣を支えにし怪物を睨みつける。


だれもかれもが満身創痍。傷だらけの仲間を見て、これが自分たちの実力かと悟る。あまりに遠い師匠の背より、実力の乖離を感じさせられるこの敵の方がよほど強烈。誰もかれもが絶望していた。


この時、影光は状況を冷静に分析して、こう結論付けた。もう、勝てない。一切攻撃が通用しない上に死角さえなく、頭もいい。未だ全力を出していないところを見るに、こちらをもてあそぶ余裕さえあるのだろう。


諦めが、脳内を埋め尽くした。


弓を握る手から、力が抜ける。


あと少しで、己の武器を手放しかけた、その時。


「待たせたな。良く持たせた。泣くな影光、これからまた強くなればいい。」


「そうだね、まずは後ろで黙ってみていなさい。大人の力を、見せてあげよう。」


「はは、私はそこまで強くないけどね。それでも。」


駆けつけた好子が、そこで言葉を区切り、残る二人に視線を向ける。


「この二人は確実に強いわ。もう安心しなさい、『勝利』が来たんだから。」


絶対なる強者が、ここに君臨した。


◇◆◇◆


ラウロは走る。

勝利との戦闘は名残惜しいが、カードを出し尽くした現状ではただ戦闘が長引くだけ。死力を尽くして戦ったのち、互いの熱が冷めた瞬間を感じ取った。勝利は仲間たちの窮地を見て、己は今しか逃げ道はないと考えたことにより。


そのため、血を霧状にして目くらましをした瞬間、ルームの出口めがけ走り、そのままの勢いで真っすぐな道をひた走っていた。


「良かったのぉ?随分楽しそうだったけど。」


「ああ、いいさ。彼との殺し合いは格別だ。格別すぎて、少しの不純物でも簡単に台無しになってしまう。誰もいない、二人しかいないところで、彼の最上級の嘆きを見たい。本来はサプライズ的に用意しただけど、もっと違う意味が生まれたよ。彼を追いつめる為の布石さ。途中で気が付いた僕は流石というしかない。ああ、楽しみだ、彼の憎悪を一心に受ける日が。それを叩き潰す快感が待ち遠しい。」


「ふーん。気持ち悪いねぇ。」


「まったく、君に言われたくないよ、千里。その身の毛もよだつ装飾じゃ些か説得力にかけるだろう?」


「ははは、暖かいんだぁこれ。今度ラウロにも作ってあげるよ。」


「何を言っているんだ。一番暖かいのは血に決まってるだろう。そんなものを着ればせっかくの生の暖かさが無駄になる。」


「相容れないねぇ。」


「はは、それがいいんじゃないか。結局他人同士、正確があっていても正反対でも、どのみち一緒さ。だったら違う方が楽しい。僕は人間の表情が好きなんだ、君が楽しんでいる時の顔はすごくきれいだ。その顔が苦痛に歪む日が来たらどうなるか、考えただけで僕はとっても楽しいよ。」


「なにそれー、もううちの家使わせないよぉ。」


「それは、困った。帰りにアイスでも買ってあげよう。」


「それで手打ちにしてやろぉー。」


他愛ない会話をする二人。二人の関係をこの会話から推し量ることは出来ない。そもそもどこかずれている。相手がだれであってもこの二人は同じような会話を繰り返すだろう。言いたいことを言っているだけ。ただちょっとだけ他の人間よりも話が解るというだけのこと。


ダンジョンから出るまで、結局この二人の会話は続いたのだった。


◇◆◇◆


怪物は、先程まで遠くで何やら動いていた存在がこちらにやってきたことに気が付いた。気が付いていながら、他愛ない存在と一蹴し、近場に落ちている餌を食べようと、首を動かす。そして、ほんのわずか動いたその習慣に、全身を殺気が襲った。


「おい、動いてんじゃねーよ。」


おかしい。大声で発したわけでもないのに、自身の耳に嫌なくらい響く。

自然と足が一歩下がる。それを見た小さな敵は、声が届かなかったと勘違いしたのか、再度言葉を連ねる。


「だからよぉ、俺が相手するってんだ。違う方向に、動いてんじゃねーよ。」


圧が、襲う。

空気が重い。自身の体が、軋む錯覚さえ、覚えた。

何かがおかしい。そうだ、あの存在を喰らえば元通りになるのではないか。

そう考えた怪物は、愚かにも、勇むように一歩前に踏み出す。


己にとっての、悪魔へと。


「ほほう、ようやっとやる気になったか!こちとら、不完全燃焼でイラついてんだ。本気出せよ。じゃねーと・・・」


何を言っているかはわからない。だがその言葉に、死を感じた怪物は、それを振りあ払うように迎撃の姿勢を取ろうと―――


「―――一瞬だぜ?」


頭上に『終わり』が現れる。


初手でど真ん中の頭部が弾けた。否、凄まじい力で殴られた頭部が一瞬で地面にめり込むほど叩きつけられたのだ。その際の衝撃は、容易く意識を刈り取るほど。頭部についた鱗は打撃個所を中心にして木っ端微塵となっている。


だが、辛うじて頭部は無事。驚異的な生命力は、即座に頭部の意識を回復した。今度は油断しない、確実に迎撃を―――


「だから、本気出せって言ってんだよ!!!」


今度は宙にいる男がその場で体をよじり、持っていた鉄の棍棒を真下に投擲して、脳を直接破壊しにきた。動作だけで危険性を感知していた怪物は、未だ震える脳から何とか少しばかりの身じろぎを神経経由で体に命令することに成功する。


結果、ほんの少しだけ狙いがずれ、怪物の鼻を貫通、顎を突き抜けて地面に縫い付けた。


「グォォォォォ!!!」


くぐもった叫びが口の端から洩れる。己の相手するものは人間なのか、こんな怪物、記憶にはない!疑問が脳内で錯綜する。だが幸いにも、己にはあと二つの脳がある。そいつらはもうすでに動いているのだ、宙空で動けない人間はただの的でしかない。そう考えた怪物は、直後信じられないものを目にする。


「キシャァァアアア!!!」

「ギュァァァアアア!!!」


二頭同時に襲い掛かる。開かれた顎の内側にはびっしりと牙が生え揃っていた。これで喰いちぎれぬものなどありはしない。そう考えた怪物は、それが慢心であることを忘れた。傲慢であったことを意識の外に追いやった。今先程、動けなかったというのに。視認すら辛うじてといったところだったにも関わらず。


「ふんぬゥ!!!」


それは奇妙な光景だった。

男が、人間の男が怪物の顎を左右の手足で受けとめたのだ。片手片足で締まる力に対抗するその様は、いっそ彼が鬼か何かと説明された方がよほどすんなり受け入れれただろう。


これを見ていた者たちは、一様に痛感していた。

圧倒的ではあったが、怪物の実力は、それ相応に理解できる範疇のものだった。硬い鱗、三つの独立した頭部。酸や尻尾、鉤爪に鋭い牙の多彩な攻撃手段。尋常ではない膂力。どれもが高水準だったが故に、理解できていた。


だが、これは違う。そんな生易しいものじゃない。


傍から見ていたからわからなかっただけ。相手もまた理解の外の存在だったからわからなかっただけだった。


こうして、きちんとした物差し的存在が居てようやく、の強さが解る。これがレベル6。未だ到達者の少ない、隔絶した存在。


不知火勝利が、皆の心に、その姿を焼き付け―――


「君にばっかり、いい恰好させられんよ。」


白銀が、踊り。


血しぶきが、舞う。


「――――――――ッ!!!」


怪物の側面、ガラ空きとなったそこを、十字の線が走った。そのまま、流れるように銀色が側面沿いに走り抜け、そのあとを紅が彩る。


鱗は綺麗に切り裂かれていた。

その奥の筋肉も、同様。

さらに奥にある太い血管まで、傷は到達していた。


「―――――――――――――――――――ッ!!!!!!」


大音量の絶叫がルーム内に木霊する。

そこで怪物は気づいた。もはや、己の相手するものは矮小な存在などでは決してないことを。己に死の恐怖を感じさせる存在ということを。


強引に、楔である鉄の棒から中央の頭が引く抜かれる。このままではやられてしまう、ならば多少の傷は厭わない。そう判断しての行動。多量の血と極大の痛みが襲うがそれは無視。即座に背中の割れ目を開いて範囲攻撃を、そう思った矢先。


気づいてしまう。先ほど、己は何を拘束していた?二つの首を使って、空中に何を留めていたのだ?なぜ、それが今、視界にいない?


疑問の答えを自前で用意する前に、それは向こうからやってきた。


「とりあえず、閉じてろ。」


酸を放出しようと開いた背中の割れ目。発射寸前でそれを閉じられた。構造上、硬い背びれで縁取られた割れ目は、どこか一か所閉じられれば他も一緒にある程度閉じてしまう。故に、勝利の行動によって、放出されかけた酸が割れ目内に充満し、やがて体表を伝って零れ落ちる。付着するくらいならば、ある程度耐性のある己の体。だが、それが流れ出ている間ずっと表皮を溶かし続けたなら。


もうもうと上がる煙。もちろん、怪物の鱗とその奥の肉が溶かされた際に上がるものだ。怪物は、己の武器によってまんまと傷を付けられてしまう。


「あっち!やっべ着いちまった。」


割れ目から漏れ出した酸は勝利にも付着する。ナイフすらもはじき返す強化状態であっても貫通してくる痛みから察するに相当な溶解力。侮れないと、更に気を引き締める勝利であった。なお、皮膚を少し焼いただけで動きにまったく支障は無いのだが。ともかく酸の放出が止まったことを確認した勝利はすぐさま背中から下りる。


「なんだなんだ、随分どんくさい竜だな。これじゃ、六層じゃやってけねーぜ?」


ここまで圧倒してからのこのセリフ。怪物に言っても仕方のないことだが、どこか真実味のある言葉。聞いた者は、勝利が一体どのレベルであれば本気を出せるのか指標を得る。同時に、己らが四階層あたりで止まっているその事実に悔しい思いを抱く。勝利と関わった期間が長いものほど、良く知っている、彼がボロボロになる姿を。幾度もダンジョンに潜り、ひたすら戦い続けていたのを。だからこそ、それを知っているからこそ、己の弱さが際立ってしまう。倒れて動けぬ己に嫌気がさす。


「動ける奴は動けないやつを引っ張って退避しろ!こいつは俺と神楽さんが倒す。あ、あと好子さんも手伝って。さて、ほんじゃ、仕上げと行くか。」


それでも、悔しさよりも先立つ感情があった。

その背中に、その猛々しい気迫に、憧れを抱く。


男だろうが女だろうが、若かろうが老いていようが、そうありたいと願う。

人を惹きつける強さが、そこにあった。


「やれやれ、それじゃあ、僕も切り札を使おうか。」


「一発でかいの放ったらすぐに引くからね。私じゃさすがに叩き続けるのは身が重い。」


「了解っす。適当に、合わせましょう。」


他のふたりも、やはりこの中では別格だった。勝利ほど輝いてはいないが、それでも纏う雰囲気は強者のそれ。神楽に至っては底を見せていない分、むしろ期待値が高くなっている。


もう、誰もが恐れを抱いていなかった。

ただ、見たい。強者同士の戦いを。


ここにきてようやく怪物が痛みから意識を切り替える。

目の前の脅威に、本気以上の覚悟を持って接しなければいけないと。

ダンジョンの命令など、等の昔に忘れていた。成体になった際の全能感も、消え去っている。精神は武人のそれ。獣の感性が備わっている分、人間よりもよほど恐ろしいかもしれない。


ひりつく空気。両陣営が同時に動き出す。


飛び出す勝利と竜の怪物。

瞬く間に距離を詰め、新たに装備した斧と、振り上げた鉤爪がぶつかり合う。軋む斧、震える鉤爪。両者拮抗した状態で、勝利は斧を傾け力のかかる方向をずらし自身の側方へと受け流す。その場で体を回転させ、強引に斧を遠心力で振るい、足首に鋭い一撃を加える。鱗数枚を砕き割り、深く食い込んだ斧を手放して、勝利は刀を抜刀し、さらに一撃を見舞うと、いったん後退。たたらを踏んだ三つ首の竜は、勝利がいる方向へと体を斜めにし体当たりを繰り出した。だがすでに勝利の前には戦槌を構えた好子がおり、真正面から怪物の攻撃を待ち構える。体と武器にはそれぞれスキルの力がみなぎり、大きく振りかぶった戦槌は円を描いて怪物の体に直撃。


「ぶっ飛びやがれ!!!」


気合一発、最後まで振り抜いた好子。膂力はもはや並みの戦士を凌駕し、巨体である竜の体を3メートルほど浮かせ、放物線を描きながら吹き飛ばした。


砕け散った鱗が宙に尾を引きキラキラと舞う中を、白刃が突き進む。


「剣術特殊開放:第四、発動。」


怪物はその言葉を聞いた時にはすでに緊急回避として酸の範囲放出をしていた。どんな敵であろうと、これを躱すか防ぐかするには一つの行動を挟まなければならない。その間に態勢を整えれば―――


「『幻刀多重結界一生謳歌ヲ禁ズ』」


その瞬間、神楽の体がぶれた。ぶれたまま一歩進む。姿が二重、三重と重なっていき、進む度に輪郭はぼやけていく。そして驚くべきことに、刀身三つ分の範囲内に入ったすべての酸の塊が悉く散りじりになって消えていく。怪物が着地したことで舞い上がる瓦礫も、砂埃さえチリチリと音を立てて消えていく。


そして、その結界が、怪物の腹に直撃した時。


「ギッ――――――――――――――――――――!!!!」


ぱっくりと、腹に直径3メートルほどの半球状の穴が空いた。

血しぶきが上がり、酸の袋に穴が開いたことで一気に地面へと液体がぶちまけられる。ごうごうと煙を巻き上げ、周囲一体がどろどろに溶けだす。


怪物のどてっぱらに穴をあけた瞬間に特殊開放の効果が消えた神楽。その時にはすでに撤退していたため、被害は全くない。だが、右手に持つ、知る人ぞ知る名刀は刀身を砂に変えさらさらと自壊していった。


「まったく、この技を使うと刀がだめになってしまうから使いたくなかったんだがね。それでも、景気づけには丁度いい、そうだろ?」


隣には誰もいないが、それでも言葉を発する神楽。

だが一陣の風がすぐさま神楽の横を吹き抜けていく。


「ええ!最高ですよ!」


全力疾走の勝利がそう答え、一直線に走り抜けていく。目指すは、傷の回復に専念する怪物。三つ首をこちらに向け、痛みに嘆く表情を浮かべるも、眼には未だに鋭い闘志が宿っていた。


「いいぜぇ!!!熱いな、熱いよな!!!戦いは、こうでないとなぁぁあああ!!!!!!」


万遍の笑みを浮かべる勝利が、怪物に引導を渡さんと得物を振りかぶる。その手には海割が握られていた。もう一つの相棒である斧はすでに投じられた後。


回転数はすさまじく、空気を裂く音が異様に鋭い。そのまま警戒する三つ首の反応すらも越えて、勝利に一番近い首の、その根元に突き刺さる。


「ギュ、ギュラララァァァアアアア!!!!!!!」


半ば断たれかかった首が、なおも抗おうと鋭く首を振る。捨て身の頭突き、されど怪物の猛威の上を征くのが勝利であった。


「しゃらくせぇぇぇぇえええええ!!!『装着:不知火Mk.1』!!!!」


ここにきてさらに加速する。乱戦への突入、その後の神楽との闘い、そして怪物とのやりとり。その過程で極まった強化は、ラウロと戦っていた時と同等かそれに近いものとなっていた。そして、不知火と名付けられた鎧が煌めき、更なる力を勝利に与える。


「どけぇえええ!!!」


裏拳が炸裂し、首がはじき返される。固く閉ざされた口だったが、その中の牙までも粉砕する力は、道を強引にこじ開けた。


「せいッ!!!」


首元に喰らいついていた斧をむんずとつかむと、走る勢いのままぶちぶちっと残りの首を両断。残りは二本。斧と刀を持った姿は鬼神のごとし。


「グララァァ嗚呼嗚呼!!!!」


必死の形相で中央の首を死守しようとする三つ目の頭部。大きく首を曲げて勝利に喰らいつこうとする。牙には酸を纏ってその凶悪性を増すというおまけつき。


それに対し、勝利は。


「ぎゃーぎゃーうるせぇええええ!!!!」


すくい上げるように斧を振るい、刃の部分を下あごに打ち据える。その勢いのまま振り抜くと、大きく開いた口がばくんと閉じてしまう。今の勝利の膂力は、好子をも凌ぐ。それ故に簡単に閉ざされた口に驚愕する竜。二本目を断ち切るタイミングを逃した勝利はそのまま走り抜け反転。頭を揺られたことにとりスタン状態に入った三つ目の頭部の首をそのまま海割で断ち切った。残り、一本。


「GURARAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!」


もはや狂騒状態になる最後の頭部。己の三分の一の思考を奪われた怪物は、とにかく目の前の『怪物』をどうにせねばと全身をじたばたさせる。本来であればこれすらも驚異的な破壊を生み出すが、行動自体はあまりに稚拙。


そのようなことで、勝利の足は止まらない。勝利の腕は下がらない。


勝利の眼は、光を失わない。


「ラストォォォオオオオオオオオオオ!!!!」


猛り狂う勝利。咆哮とともに繰り出された刀。足のストンピングや体をくねらせる動きを掻い潜り上段から降りぬかれた刀は首を―――


ギンッッッ!!!


―――断ち切ることは無かった。


三体が融合する前。ひと際巨大で壮健だった中央に位置する頭部の持ち主。体の中で最も固いのが骨であるが故に、最後に残ったこの頭部が持つ首の骨も、それ相応に硬かった。更に、運の悪いことに、刀は関節ではなく連なる骨の内の一個にぶち当たっていた。残り僅かの正常な思考の中で、怪物はこれを好機と見―――


「まだまだァァアアアアッ!!!!!」


下から迫る、凶悪な見た目の斧。片手で振るわれているというのに、その勢いはまるで岩をも砕くよう。


固い鱗を粉砕し、その下の筋肉の繊維を両断し、更にその奥の、硬い骨を真っ向から破壊する。海割が骨の半ばまで達していたこともあり、両方からの破壊に耐えられなかった骨が粉々に砕け散り。


「ギ、ギャ・・・・・・」


遂に最後の首が、地に落ちた。


「「「・・・・・・・・」」」


しんと静まり返るルーム内。誰もが、その男が立ち上がるのを待った。


首から噴き出る血を浴びて、残心の姿勢からゆっくりと立ち上がる。

一歩、流れ出る血の滝から踏み出し、さっと刀と斧を振るって血を吹き飛ばすと、高々と、片手を上げた。


「勝ったぞ。」


「「「「「「う、うおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお」」」」」」


絶叫が、周囲を包む。

誰もが長く苦しい戦いからの勝利に沸いていた。


特に喜んでいたのが勝利の弟子たちである。

彼らは一様に歓喜の声を高々と上げていた。やはり己の師匠は強かったと。これからも一生ついて行くと。


だが同時にこうも思う。このままではだめだ。いつまでもおんぶにだっこではこの先、自分たちはお荷物になってしまう。


心の内で決意する、いつか並び立つと。いつの日か、対等の存在になると。


こうして、時代に一つの区切りがついた。


先駆者は更なる高みへと昇り。

追従する者達は覚悟を新たにした。

ここから先、更なる波乱が彼らを飲み込み、その中でさらに成長を遂げるだろう。


それの先に待ち受けるものは何か。それはまたのお話。


◇◆◇◆


『同期率が30%を超えました。これより、魔王の選定に入ります。』


『・・・終了しました。厄災の種の【発芽】を確認。魔王化の準備期間に入ります。』


荒廃した都。どこか当時の賑わいを感じさせるその寂れた都市の中央。

王が座すその広い部屋で、は遠くを眺めていた。


『ようやく、か。』


一つ息を吐き。


玉座から、立ち上がる。


古き魔王が、動き出した。


◇◆◇◆


首領こそ逃してしまったが、それでも紅花月の壊滅を達成させた一行は、喜ばしさと仲間を多数失った悲しさ両方を平等に感じながら、気丈にも笑ってダンジョンから出てきた。


「なん、だ、これ。」


ダンジョンの入口に設置された関門を抜けた一行だったが、その先に広がった光景にただ唖然と見つめるしかできなかった。


広がる血。倒れる無数の死体。どれもが冷たく横たわっていた。


「あいつ、か。あいつが、やったんだろうな。」


どっと吹き上がる殺気。それも一つじゃない。この場にいる全員が、怒気をはらんだ目つきをしていた。


この日、ダンジョンから出る為だけに、ラウロと千里が殺した人の数は、自衛隊員と多数の攻略者合わせて約100人。史上最大規模の少数での大量殺人となったこの事件は、後の世まで語り継がれる。正義をかざすものと、悪を振りまくもの。両者の長い戦いは、永遠に続くのだった。


「・・・はい。・・・ええ、はい。え!?ちょっと待って下さい!勝利君!君の家が!!!」


携帯の音が鳴り響き、事態の報告を兼ねて榊原が話そうとしたその瞬間。思いもよらぬ情報が舞い込んできた。


「・・・・・・。」


歪む勝利の顔。すぐさま駆け出したその背には、絶対の決意が刻まれていた。

その時、ごうごうと風が吹きおこる。発生源はダンジョン。強烈な風は、何かを予感させた。


この場にいるものは知る由もないことだが、日本中のダンジョンが同じ現象を起こしていた。いや、日本だけではない。世界中で、風が巻き起こっていたのだ。唸るその音は、まさしくダンジョンの叫び。


これより、変革が巻き起こる。


◇◆◇◆


火を巻き上がる家屋。が住んでいたその家は、もはや無事なところがないほどに燃えていた。


「・・・・・・剣心君。君は、取り返しの、つかないことをしたね。」


「おじさん。いいんです。これは決別なんだ。あいつを超えるには、これ以上のことをしないといけない。だから、これは決別の意を込めた、宣戦布告なんだ。」


思い悩んだ末に、たどり着いた答え。それが災禍をもたらした。


燃えているのは勝利の家、だけではない。通り一体見渡す限りが燃えていた。

だが、通りに泣きわめく声はない。我が家を失った無念の声は、響かない。


代わりにあるのは、両断された死体達。流れ出る血。排水溝にぽたぽたと落ちていくその光景は、もはや地獄絵図だった。


「おじさん達には恩があります。だから今回は見逃してあげましょう。また来ます。その時は、覚悟してください。」


袈裟懸けに切られながらも、わずかに息のある勝利の母と、それを支える傷だらけの父。なんの気まぐれか、闇に落ちた少年は二人を見逃した。


その行動が、少年の運命を分けることとなる。


眠れる怪物が、眼を開けた。


◇◆◇◆


To be continued

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る