32:あの日の真実

 何故ゲイルが死んで、俺がここにいるのか。きっと、誰だって聞きたいことだ。

 ただ、それは「俺だって聞きたい」のだ。尋問の時、ロイドに向かって「何故か」と問い返したのと同じ。

 それでも、いくつか想定できることはある。あくまで、俺の主観による、極めて曖昧な認識でしかないのだけれど。

「これは、後から聞いた話と、俺自身の記憶を継ぎ接ぎした『妄想』に過ぎないんですが」

「ええ、構わないわ」

「ゲイルは、俺の助けを求める声を、聞いたんだと思います」

 ロイドはその言葉だけで、俺の言わんとしていることを理解したようだった。深い溜息と共に、言葉を吐き出す。

「そう。あんたたちは、繋がってたのね。あんたが囚われた、その後も」

 かつて、俺とゲイルは常に『エアリエル』を通して魂魄を同調させてきた。結果『エアリエル』の外でもお互いの魂魄を探す癖がついていたのだ。声に出さなくとも意思疎通が成り立つこともあれば、離れていてもゲイルの感情が伝わることだってあった。

「発見された時、俺の魂魄はずたずただったそうですが、それでも、修復可能な損傷でした。完全に壊してしまうと『虚空書庫』の閲覧もできませんから、連中も加減したのでしょう。だから、無意識に助けを求めていたのだと、思います。動くことも考えることもできないまま、ただ、助けてほしい、とだけ」

 当時のことはほとんど記憶していないが、絶えず助けを求めていたというおぼろげな認識だけは残っている。生きているとは言えず、さりとて死ぬこともできない俺の、最後の足掻きだったに違いない。

「ゲイルは、俺が教団を率いているという噂を信じなかった。教団との戦闘にも消極的だった。そうですよね、先生」

「ええ。でも、三年前の教団の本拠地強襲だけは率先して飛んだらしいけど……、そう、あんたの声が聞こえていたなら、当然ね」

 ゲイルは最初から、俺を殺す気なんてなかったのだ。俺たちの船で、俺を迎えに来た。ただ、それだけだった。それだけだったのに。

「ゲイルは、俺を助けに来て、殺されたんです。俺を救出しようとした隙を突かれて」

 ロイドが息を呑んだのは、扉越しにもわかった。

「ただ、ゲイルが連中の気を引いたお陰ですかね、当時ゲイルの僚機を務めたアーサーが、俺の回収に成功して帰還した、と聞いています」

 それもこれも、全て後から聞いた話なので、どこまで事実かは俺にはわからない。それでも、ゲイルが俺を助けに来て、結果命を落とすことになったということだけは、間違いないと思っている。

 覚えてなどいないはずなのに、ゲイルが俺の目の前に現れた瞬間を、命を失った瞬間を、はっきりと思い描くことができるから。『虚空書庫』が、要求もしていないのに、その時のイメージを俺の内側に焼き付けてしまったから。

「その後は、多分、十分想像できると思います。ゲイルの死は公表できない。俺の生存も公表できない。どちらも、女王国の士気や世界の情勢に関わる重大な問題だったから」

「だから、あんたが『ゲイル』の名前を背負った」

「それ以外に選択肢が無かったから……、とは、言い切れませんけどね」

 本当は、一息に殺してもらいたかったのだ。

 居場所を奪われ、使いものにならない体と、あやふやな真実を抱えたまま。二度と「オズワルド・フォーサイス」として生きることが許されないなら、死んだ方がよっぽど楽だと思ったのだ。

 だが、俺がそう伝えた時、サヨは静かな、しかし確かな怒りを篭めた目で俺を見下ろして、言い放ったのだ。

『あんたは生きろ。ゲイルの仮面を被ってでも、地面を這いずり回ってでも生き続けろ。それがゲイルとあたしのために、今のあんたができる、唯一だ』

 ――と。

 サヨは俺を恨んでいるのだ。ゲイルの死の原因を作った、俺を。そう思えば、少しだけ気が楽になった。

 俺には、生きる目的が与えられている。それが憎悪や怨恨に起因するものでも、俺のこれからが、俺のせいで死んだゲイルと、ゲイルを失ったサヨのためのものであると思えば、まだ、立ち上がれた。立ち上がらなければならないと、思えたのだ。

 そこまでを説明したところで、ロイドが「どうかしらね」と静かに言った。

「……それは、本当に、恨んでたのかしらね」

「どういうことです?」

「いいえ、あんたが気づいていなければそれでいいわ。とにかく、あんたはそうして『ゲイル』として今まで生きてきた、ってわけね」

 はい、と答えたところで、言葉が尽きた。

 耳に痛いほどの静寂の中、時折チェスの駒を動かす声と音だけが、独房の扉を挟んで響く。

 白の歩兵の射程に飛び込んだ駒を刈り取ったところで、ふと、この機会に聞けていなかったことを聞いておこうと思った。多分、これが最後の機会であろうから。

「あの、俺からも聞いていいですか」

「どうぞ」

「先生、俺がオズだって、気づいてましたよね?」

 最低限、俺がサードカーテン基地に転属した当初から、ロイドは俺が「ゲイルではない」と確信していたはずだ。「俺」とわかっていたかどうかはまた別の話として。

 案の定、ロイドは小さな笑みの気配と共に、声を投げ返してきた。

「ええ。でも、いつからわかってた?」

「確信したのはセレスが来てから。その前から、そうかなとは思ってましたけど」

 ロイドは、司令として命令を下す際に、個人を指す記号として「ゲイル・ウインドワード」と呼ぶことはあっても、プライベートでは一度も俺を「ゲイル」と呼ばなかったから。

「そうね。あんたがゲイルじゃないっていうのは、すぐにわかったわ。証拠はどこにもなかったけど。ただ、ほとんど『完全な』ゲイルの模写から、オズなんだろうなって思ってた程度で。あんたは完璧主義者だから、やるなら徹底的にやるでしょう?」

「そりゃ、やると決めたら手は抜けませんから」

 黒の騎士を動かしてから、ロイドはくすくすと笑いながら言う。

「セレスを『エアリエル』の操縦士として教育しろ、っていうのは時計台の指示だけど、あんたを教育係に任命したのは、ご想像のとおり、あんたがオズだったからよ。ゲイルが他人を教えるなんて、逆立ちしても無理だわ」

「やっぱりそうですよね」

 予測はできていたけれど、改めて言われると情けない話だ。俺ではなくゲイルが。あいつは気のいい奴だが、人として色々足りてなかったから、ロイドの判断は極めて正しい。

 ただ、それと同時に、どうしても疑問が拭えなくて。俺は、乱れそうになる呼吸を何とか整えながら、問いを、投げかける。

「……先生は、俺を疑わなかったんですか」

 時計台で己を偽り続けるのに耐え切れず、転属を希望したのは俺自身だが、それでも気が休まったことは一度もなかった。

 いつ、この平和極まりない生活が終わるのか。じりじりとした不安を抱えながら、しかし、一年の間、俺はゲイルの役を全うし続けてしまった。

 ――どうして、ロイドは俺を告発しなかった?

 それこそが、今に至るまでの最大の疑問だったのだ。

 すると、ロイドは「あのねえ」と呆れた声を上げ、笑い声すら混ぜながら言う。

「私の知ってるオズは、そんな大それたことをできる人間じゃないわよ」

「……なるほど」

 思わず、心の底から納得してしまった。ロイドは本当に俺という人間をよく理解している。

 そうだ、俺の望みなんて、ほんの些細なものだったのに。それすらも、俺の手を遠く離れて二度と届かないものになってしまったことを思い知る。

 戻らないものを思っても仕方がない。どうしようも、ない。

 想像上のチェス盤に向き直ろうとした俺の意識に、ロイドの声が割り込んでくる。

「それで、あんたは、どうしたい?」

「……どうしたい、とは?」

 問いの意味が、全く理解できなかった。

 ロイドは、「物分りの悪い生徒ね」と溜息混じりに言葉を加える。

「あんたの説明は理解できたわ。教官として、あんたをよく知ってるから。ただ、信じない奴が大半でしょうね。私もサードカーテン基地司令という立場なら、あんたの話は『妄想』だと言って切り捨てる」

 サードカーテン基地を、守るために。

 世間に知られている姿の方が偽物であったとしても。どんな理由があったとしても。今まで基地の人間全てを騙し、英雄の名を騙った『原書教団オリジナル・スクリプチャの教主オズワルド・フォーサイス』を野放しにはできないのだ。

 当然だと思う。もし俺がロイドの立場なら同じ判断を下す。

 なのに、ロイドは「でも」と続けるのだ。

「私や周囲の判断と、あんたの希望の間にはなんにも関係がない。ねえ、あんたは、今、どうしたい?」

 俺はロイドから見えないのをいいことに、強く、強く、唇を噛む。そうして、反射的に浮かびかけた答えを飲み込んで、その代わりに想像上の駒を動かす。

「白の騎士を、b6へ」

「オズ、質問に答えなさい」

 見えなくたって、ロイドはきっと俺の動揺に気づいている。この胸に狂おしいまでの感情が渦巻いていることも。

 それでも。

「その質問に、何の意味がありますか?」

 俺は何も望まない。望んではならない。そう思い極めてここにいるのだ。何もかもを捨て去った今、その決意すらも折るわけにはいかないのだ。

 ロイドは、俺の言葉に深く溜息をついた。そこには多分に失望の感情が篭められていたのだと思う。

「そう。そうね、あんたの問いに答えるなら、私の質問に意味はないわ。だけど」

 ロイドはほんの少しだけ、声のトーンを下げた。

「最期の瞬間に後悔しないようになさい。霧航士ミストノートの命は短い、あんたの生きたいように生きて、笑って死になさい」

「それは、命令ですか」

「まさか。命令されなきゃ従えない?」

 俺は、ロイドから見えないとわかっていても、首を横に振った。ロイドの言葉に従う、という意味ではない。仮に命令されたって従える気がしない、という意味だ。

 俺の生きる目的は、行くべき道は、既に閉ざされている。この扉は俺の意思では開かない。この廊下の先に待つのは断頭台である。

 それを認めた以上、何も考えないようにすること以外、俺にできることは何一つないのだから。

「あーあ、これは足掻いても勝てないわね。投了リザインよ」

 一瞬前までの真剣な語調が嘘のように、あっけらかんとロイドが言う。

「鈍ってるわね。最近、あんまり打たせてもらえてないからかしら」

「賭けチェスは流行ってますけど、ロイド相手じゃ賭けになりませんしね」

 うちの基地で、ロイドに敵う奴はいないんだ。賭けを持ちかけてもいいことはない。

「しょうがないわね。次までには勉強し直しとくわ」

 ――次。

 あるはずもない、仮定。

「ロイドまで、そんなこと言うんですね」

「あら、誰かにも言われた? 例えば、セレスとか」

 俺は沈黙をもって肯定とする。すると、ロイドは大げさに溜息をついてみせた。

「セレスもかわいそうよねえ。本気であんたのこと心配してるのに『二度と俺の前に姿を現すな』なんて言われたら、流石に傷つくわよ」

 バレてるじゃねーか。俺とセレスの間に何があったのかも、俺が何を言ってしまったのかも。独房の会話は全て記録されているだろうから、大方それを参照したのだろう。

 全く性格が悪い、と思っていると、ロイドのいやに明るい声が扉越しに響く。

「セレスはしぶといわよ。覚悟しときなさい、『ゲイル』」

 思わず立ち上がって、鉄格子越しにロイドを睨もうとするが、その時には既にロイドは扉の前を離れ、廊下を遠ざかっていくところだった。

 途端、全身の力が抜けてしまって、そのまま、背中から寝台に倒れこむ。左の肩が酷く痛んだが、もう、どうでもいい。

 何もかも、何もかも、どうでもいい。

 どうでもいいと思いながら、頭の中に響く声が、今もなお消えてくれない。

 青い、青い、声が――。

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