33:ひとりでは飛べない

 ――警報。

 サードカーテン基地に転属してから一度も聞いたことのなかった緊急警報の音色が、俺の意識を現実に無理やり引き戻す。染み付いた経験というのは、どうも俺の理性よりも強く肉体を制御しているらしい。

 警報に続いてロイドの声が響く。教団の船団が再び攻めてきた、おそらくは『ロビン・グッドフェロー』も一団に混ざっているはずだ、と。何となく、基地全体がばたばたしているのは、この独房からでも感じ取れる。

 だが、俺にできることは何もない。セレス一人でも『エアリエル』は飛ばせるし、何よりジェムの『オベロン』は上手く使えば『ロビン・グッドフェロー』を炙り出せる。ロイドも『ロビン・グッドフェロー』の弱点を知らないわけではあるまいし、勝ち筋がないわけではないのだ。

 ……まあ、現行最も「上手い」霧航士ミストノートであるトレヴァーを前に、どれだけ作戦を遂行させてもらえるか、という最大の懸念はあるわけだが、どれもこれも、俺の関知できる範囲を逸脱している。

 俺が取れる唯一の行動は、けたたましく鳴き喚く警報を聞きながら、大人しくしていることだけだ――と改めて横になった途端、激しく扉が叩かれた。

「どういうことだ、オズワルド・フォーサイス!」

 横になったまま扉の鉄格子を見れば、ジェムが相変わらず敵意剥き出しの形相でこちらを睨めつけていた。とはいえ、因縁をつけられる覚えもないので、目を細めて睨み返す。

「あぁ? 何がだよ」

「教団の長が何を言う、奴らを扇動しているのは貴様だろう!」

「だから言っただろ。俺は何も知らない。連中が勝手に動いてるだけだ」

 ……本当に。もし俺が指示を下してるなら、もう少し上手くやるっつーの。それを言ったら余計に話がこんがらがりそうだから、沈黙を選ぶが。

「それより、こんなとこで油売ってていいのか、霧航士ミストノート様。今、まともに戦えるのは手前だけだ、さっさと出撃しろよ」

「……っ、貴様に言われなくても!」

 顔を真っ赤にしたジェムが、激しい足音を立ててその場から駆け去る。

 いや、疑われてしかるべきではある。しかし本当に知らないのだから仕方ない。いっそ、何か知ってれば基地の連中の助けにもなれるというのに、いつも、俺は周縁から渦中を眺めていることしかできない。

 今だって、この独房の扉越しに、外の騒ぎを聞き届けるくらいしか――。

 と、扉に目を戻した途端、固く閉ざされていたはずの扉が弾け飛ぶように開いた。思わず「ひっ」と喉が鳴る。一体何が起こったのかわからずに混乱していると。

 騒がしさを貫く、青い、青い、声が。

 

「ゲイル、飛びますよ」

 

 セレスの姿をとって、そう、告げた。

 

 ――意味がわからない。

 本来ロイド以外に開く権限を持たないはずの独房の扉が開いたことも。セレスが今もなお俺を「ゲイル」と呼ぶことも。そもそも「飛ぶ」とは一体どういうことなのか。

 何もかも、さっぱり、わからない。

 しかし、セレスは俺の混乱など知ったことではないとばかりに、ずんずん独房に入ってくる。反射的にずるずる寝台の上を後じさりながら――もちろんすぐに壁に背中をぶつけるわけだが――まとまらない思考を必死に撚り合わせて問いかける。

「え、ちょ、お前、どうしてここに」

 ダメだ、現在の状況と「セレスがここにいる」ことの関係がどうしても理解できない。この緊急事態下でセレスが来る理由がどこにあるっていうんだ。これはもしかして悪い夢の続きなのか、と思い始めたその時。

 セレスが、珍しく眉間に皺を寄せて、きっぱりと言い切った。

「納得ができませんでした」

「……は? 何が?」

 思わず間抜けな声を上げると、セレスはきっと俺を睨みつけて。

「何もかもです!」

 と、いつになく激しい語調で言った。

 俺が何も言えずに口をぱくぱくさせている間に、セレスは言葉を連ねていく。

「ゲイルは、二度と姿を現すなと言いました。しかし、その要請に正当性がないと判断しました。正当性があると主張するならば教えてください。何故、ゲイルはわたしの姿が見たくないのですか。何故、ゲイルはわたしの声が聞きたくないのですか。ゲイルは、わたしという個人に対して嫌悪感を抱いているのですか」

「いや、それは、お前がどうこうって話じゃなくて」

「もし、そうでないのだとすれば、ゲイルは何故わたしと飛べないと言ったのですか。飛べない理由を教えてください。わたしに、納得ができるように!」

「ちょっ、そのっ、待ってくれ!」

 勘弁してくれ、今はそんなことを論じている場合じゃないだろ。なのにセレスはじっと俺を見据えて離してくれそうにない。納得できない、そうセレスは言った。つまり、納得するまでテコでもここを動く気がないということだ。

 驚きの波が引くと、苛立ちが募ってくる。今まで徹底的に従順であったというのに、何故かこんな時に限って我を張るセレスに対する苛立ちと、それを上手くあしらうことすらできない、不器用な俺自身への苛立ち。

 奥歯を噛み締めて、セレスを睨む。納得できないというなら、俺だってそうだ。

「まず、お前はなんで俺のことをゲイルって呼ぶんだ! 違うって言ってんだろ!」

「ゲイルが、そう言ったからです」

 ――何だって?

「ゲイルは言いました。『俺様のことはゲイルでいい』と。階級や敬称もいらないと」

「……お、おう、確かに言ったな」

 遺憾ながら俺は俺自身の記憶を疑えない。そう言った、という記憶がある以上、セレスの言葉は正しい。

 そして、俺はゲイル・ウインドワードではない、とは言ったが、セレスからの呼び方を改めた記憶はない。確かにそうだが、融通が利かないにもほどがあるんじゃないか。

 ……と、思っていると。

「それに」

 セレスは、寝台にへたりこむ俺を見下ろして、青よりも青い目を、瞬かせる。

「ゲイルは、何と呼ばれたいのですか」

「ああ?」

「わたしがオズワルド・フォーサイスと呼べば、ゲイルは納得するのですか」

 そうだ、と言おうとして、口を噤む。

 本当に?

 本当に、そうなのか?

 俺はどうして、そんなところに拘っているのか。呼び方くらい、どうだっていいはずだ。事実、セレス以外には「好きに呼べ」と言ったはずじゃないか。

「……違う、そうじゃない」

 なら、俺は何をそんなに嫌悪しているのか。それは、きっと、表面的な呼び名なんかじゃない。呼び名よりもよっぽど根本的な「認識の相違」が、俺の意識をぎりぎりと苛むのだ。その青すぎる視線と一緒に。

 ああ、そうだ。

 初めて出会った時から、セレスは俺の懐に踏み込んできた。最初は違和感しかなかったけれど、すぐに、セレスが側にいることを心地よく感じる自分に気づいたのだ。

 だが、それは――。

「呼び方だけ変えたところで意味ないよな。お前が見てるのは、俺じゃないんだから」

 今までセレスの側にいたのは、どこまでも「オズワルド・フォーサイス」ではない。

「お前が言う『ゲイル』は、どこにも存在しないんだ、セレス」

 セレスの青い目に映っていたのは、俺の中に遺された記憶から形作った、本来の俺からは程遠い「ゲイル・ウインドワード」の仮面だ。

 どんな時でも上を向き、口元に笑みを絶やさずに。実のところ、海の上しか見ていない人でなしでありながら、それでも、俺が憧れてやまなかった男の姿だ。

「ゲイル」

 ああ、セレスの目に映る俺は、きっと酷い顔をしている。

 今まで必死に意識しないようにしてきたのに、セレスの鏡のような青い瞳は、否応なく俺を暴き立てるのだ。ゲイルの顔をしていながら、どうしたってゲイルになりきれなかった「俺」を。

「……そうだよ、それが、嫌だったんだ」

 だから。

「ずっと、ずっと、嫌だったんだ」

 うつむいて、顔を覆って、セレスの青すぎる目を遮って。それでも、胸の奥から湧き出てくる言葉を、止めることができない。

「ゲイルのフリをし続けるのも、英雄って呼ばれるのも。俺が、殺したも同然なのに。俺のせいで、あいつは死んで。俺だけが、生きてっ」

 こんなこと、セレスに言ったって仕方ない。

 今更泣いても喚いても、目の当たりにしてきた「事実」が覆りなんてしない。

 それでも、

「俺は、一人じゃ飛べないのに」

 俺は、

 

「何で、ここにいないんだよ、ゲイル……!」

 

 あいつがいないと、飛べないんだよ――!

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