30:夢を見ていた

「何ふさぎ込んでるんだよ」

「……ほっといてくれ」

 つい、棘のある言葉を投げ返しながら顔を上げれば、ゲイルが俺を見下ろしていた。

 光をはらむと燃えるように輝く、赤みの強い金髪に、柔らかな琥珀色アンバーの瞳。鮮やかな色彩は、重く沈んだ色をした俺とは大違いだ。魂魄レベルの「色彩」も含めて。

 長らく『エアリエル』を通して同調し続けているからだろうか、俺の目には『エアリエル』を介さない今もゲイルの魂魄が色として見えている。目にも眩しい金色として。

 やけにきらきらして見えるゲイルは、俺の横に座ると、椅子の背にもたれかかって、天井を仰ぐ。

「もしかして、またロイドに怒られたのか?」

 俺が答える前に、いつの間にか目の前を通りがかっていたらしい――そう、こいつはいつだって気配を見せないで近づいてくる――トレヴァーが、口元に笑みを貼り付けて言う。

「らしいよ。まあ、ロイドも手を焼く問題児だからねえ、オズは」

 トレヴァー、とゲイルがたしなめるような声音で言う。とはいえ、言い方はともかくとして、トレヴァーの言うことが間違っていたことは、今まで一度もない。

「いいさ、事実だ。俺が飛べないことも、先生の手を煩わせてることも」

 ロイドに怒られた、というゲイルの指摘は正しくはない。ロイドは前の戦闘のログから、俺が決定的に欠いた部分――つまり、飛行能力の欠如を指摘したに過ぎない。それが、どうにもならない「適性」であるとお互いわかっていながら。

 ゲイルがいるならそのままで十二分だ、とロイドは言う。ただ、例えば戦闘中にゲイルが蒸発したら。そうでなくとも、ゲイルが戦闘不能の状態に陥ったら。俺は一人で戦場を飛ぶことになる。それで無事に帰還できるだけのビジョンがあるか、と問われて、答えに窮したのだ。

 つまり、俺が落ちこんでいるのは俺自身の情けなさに対してであって、ロイドのせいではない。

 再びうつむきかけていた顔を上げると、いきなり、トレヴァーの細い目が目の前にあってびっくりする。近い。やけに近い。瞼を縁取る白い睫毛とは対照的な小さな黒い目が、俺をじっと見据えている。

「オズ」

「何だよ」

「その口癖、止めたほうがいいと思うよ」

「え?」

「『俺は飛べない』って」

 口癖、のつもりはなかったが、ざっと記憶を見直してみるに、確かに口癖と思われておかしくないくらい、同じ言葉を繰り返していたことに気づく。

 それは、いくら逆立ちしても変えることのできない俺の「適性」だ。俺は致命的に、翅翼艇エリトラとの同調適性が無い。全翅翼艇エリトラ中最も単純な『エアリエル』ですら、俺にとってはただ「真っ直ぐ飛ばす」だけが精一杯で、ゲイルのように全身全霊で『エアリエル』の力を引き出すことができない。

 その、事実を語っているに過ぎない、つもりではあったのだけれど。

 トレヴァーは、いつになく真剣な顔つきで、薄い色の唇を開く。

「君はいつか、それを言い訳にしそうだからね。自分で飛べようが飛べまいが、ボクらは霧航士ミストノートだ。己の命すらも翅翼に捧げる『飛行狂』だ。その事実は変わらないんだよ、オズ」

 どきり、とした。トレヴァーの言葉に。その視線に含まれる静かながらも苛烈な非難の色に。

 そして、ゲイルもけたけたと笑いながら、俺の背中を強く叩く。

「……こればかりはトレヴァーが正しいな。反省しろよ」

 舌打ちが口をついて出る。簡単に言ってくれる。これだから、飛べる連中は嫌なんだ。ただ、こいつらの言葉に苛立ちを覚えた以上、図星ということでもある。

 どんなに他人や自分自身が俺をこき下ろそうと、俺もまた、霧航士ミストノートなのだ。

 こいつらのように自由には飛べなくとも。

 生まれついたこの「目」をもって、ゲイルや仲間を導く霧航士ミストノートだ。

 つい、トレヴァーから視線を逸らして、けれどその言葉の意味をじっくり吟味していると、ゲイルが急に立ち上がって、俺の腕を引いた。

「オズ、そうやってじっとしてっから落ち込むんだ」

「は?」

「飛ぶぞ」

 待て、出撃許可は出てないだろ。『エアリエル』を勝手に飛ばせば、また上官にどやされる。もう訓練生じゃないのだから少しは落ち着けと、俺までロイドに呆れた顔で見られるのは目に見えている――!

 そんな俺の必死の訴えなど、ゲイルに届くはずもない。「飛ぶ」と言ったゲイルは、絶対に言葉を覆さない。俺を連れ出すのだって、飛ぶための建前に過ぎないのだから。

「トレヴァー! ゲイルを止めてくれ!」

 せめて、横でニヤニヤしているトレヴァーに助けを求める。俺の声は聞こえなくとも、「天敵」たるトレヴァーが何か言ってくれれば、少しは効果が上がるかもしれないという願いがあったのだが。

「ふふ、これは間近で舐めるようにゲイルを見つめるチャンス」

「畜生、こいつ話通じないんだった!」

 わかってはいた。わからないふりをしておきたかっただけだ。

 ゲイルは半ば「一緒に飛ぶ」と宣言したも同然のトレヴァーに対して「げっ」という顔をしながらも、俺の体を引きずるのを止めない。

 こうなってしまっては、ロイドか誰かが通りがかって止めてくれないと無理だ。なす術も無く引きずられながら、俺は腹の底から、深く、深く、溜息をつくしかなかった。

 

 

 これが過去の記憶であることを、一拍遅れて把握する。

 ――俺は、本当の意味で物事を「忘れる」ことができない。

 それが、物心ついたころから開かれていた『虚空書庫』の影響かどうかは知ったことではないが、とにかく、俺は一度目にした風景を、耳にした音色を、この肌に触れた何もかもを、忘れることができない。

 いくら「忘れたい」と願ったって、本当は忘れられないとわかっていながら、過去の記憶を意識の奥底に封じていた。そうしなければ、今の俺が「俺」を続けていくことに耐え切れなかったから。

 だが、もうよいのだと、俺の一部がそっと囁く。

 抵抗をやめて、記憶の海に飲まれて。現実から遠く離れた、積み重ねられた過去の底に沈んでしまえばいい。そうすれば、きっと楽になれる。

 ――二度と、目覚めさえ、しなければ。

 

 

『なあ、オズ』

 ゲイルと過ごした、幼い日を思い出す。

 俺が描いた青空を探しに行こうとして、下町で一番高い建物に登って、その上に更に梯子をかけて。それでも、頭上にかかる霧を越えることができなかった日。

『もっと高い場所に行こうぜ。俺とお前の、二人でさ!』

 それが、ゲイルとの最初の約束になった。

 そして、一つの約束が果たされると、新しい約束が増える。何しろ、霧の海は厚く深く、何より高く高く俺たちの前に立ちはだかっている。梯子では届かないなら飛ぶ手段を探し、最も速く高く飛ぶ手段として霧航士ミストノートを選んだ今もなお、霧の海の向こう側なんて、夢のまた夢。

 そもそも「青い空」なんて、俺だって夢でしか見たことのない代物だ。空が青いなんて話、他の誰からも聞いたことはない。俺の想像力による、他愛ない子供の夢でしかない可能性だって、否定できなかったんだ。

 ――それなのに。

「なあ、オズ」

 あの日と同じように、ゲイルは俺に語りかけてくる。『エアリエル』に響くゲイルの声は、俺の内側に黄金色の波紋を生む。

「今日は、どんな夢だった?」

 青い翅翼を広げた『エアリエル』は、ゲイルの手によってゆるやかに制御され、ゆったりと霧の海の低層を泳いでいる。上下左右、三百六十度の白に埋め尽くされた視界の中、たった一隻、翅翼の青い光を投げかけながら泳ぐ。「視覚」に特化した俺とは対照的に、「聴覚」に依存した感覚系を持つゲイルから伝わる、風の歌声を聴きながら。

 実際はトレヴァーの『ロビン・グッドフェロー』が追随しているのだろうが、戦闘でもないのに全力で探知する理由もない。俺も最低限の知覚を維持しながら、ゲイルの問いに答える。

「いつもと変わらない。青空と、その下に広がる湖のような風景」

 俺が、そんな夢を見るようになったのは、いつからだっただろう。物心つく前からだった気がする。気づいた時には、脳裏に青い空の風景が焼きついて離れてくれなかった。

 しかも、その夢はごく細部まで思い出すことができる。空にたなびく白い煙の形も、数も。水面を走る波の色も。何もかも、何もかも。

 それを、俺は、遥か高い場所から見つめている。それがどこなのかもわからないけれど、たった一人で見つめていることだけは、間違いなかった。

「そうだ、今日は鳥が飛んでたな」

「鳥?」

「ああ、俺の頭のすぐ上を行きすぎたんだ。『エアリエル』の視界で見るのと同じくらい、はっきり見えたよ。力強い羽を持った、大型の鳥だ。俺の知らない形をしてた」

 鳥とは言ったが、霧の高層を飛ぶ鳥とは、また違う種類の生物だったかもしれない。一瞬の交錯で見えた鋭い目は、空を見据える、琥珀色アンバーの輝きに満ちていた。ゲイルのそれと、よく似た色の。

「次はその絵にしようか。青空を飛ぶ、鳥の絵」

「いいな。今から楽しみだ」

 ゲイルは声を上げて笑いながら、『エアリエル』を加速させる。半透明の翅翼を震わせて、ぐんぐんと高度を上げていく。

「おい、ゲイル。同調しすぎるなよ、戦闘とは違うんだ」

「わかってるって!」

 子供の時と何も変わらない、わかってるんだかわかってないんだかさっぱりわからない、ただ快活なだけの返事に鈍い頭痛を感じながらも、ゲイルの同調率を監視する。一応、今のところは言葉通りに低い同調率を守ってくれているようではあった。こんなところで蒸発されちゃたまったもんじゃない。

 上層の風を掴んだゲイルは、風が奏でる旋律を口ずさみながら飛んでゆく。俺が『エアリエル』を通して見た風景は、そのままゲイルの目にも映っている。ちょうど群れをなして飛んでいた鳥の間に『エアリエル』を割り込ませて、まるで一羽の鳥になったかのように、自由に飛び続ける。

 ――鳥、か。

『エアリエル』を通しているこの状態なら、俺の頭の中のイメージをそのままゲイルに伝えることだってできる。言葉では表現し切れなかった、夢の中の「鳥」の姿も誤りなく伝えることができる。

 だが、ゲイルがそれを頑なに拒否するのだ。

『俺様がお前と同じものを見んのは、本物を前にした時だけでいい』

 と言って。そして、白い歯を見せて俺に笑いかけるのだ。

『だから、その時までは、お前が絵を描いてくれよ。お前の絵、好きだからさ』

 だから、俺は霧航士ミストノートとして霧の海を行く傍ら、絵を描き続けている。最初にゲイルと出会ったその日から、ずっと。

 魄霧はくむを運ぶ冷たい風が『エアリエル』の船体を叩く。その冷気を肌に感じているのだろう、ゲイルは、ほう、と息をつく。きっと、その目は真っ直ぐに――空の高みを、見据えたまま。

「見てみてーな。青い空」

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