24:トレヴァー・トラヴァース

 その顔は俺からは見えてこそいないが、つり上がった細目を更に細め、口を裂けんばかりに吊り上げて。

『さあ、ボクの愛した君を見せてくれよ、ゲイル!』

 心底嬉しそうに笑ってることくらいは、想像がつくってもんだ。

「右に転回!」

 セレスに指示を飛ばし、『エアリエル』の探知網の範囲を狭める代わりに感度を上げる。

 もう、ここからは勘の勝負だ。

 何しろどれだけ目を凝らしたところで、『ロビン・グッドフェロー』の姿は見えない。消音記術で音すらも消して迫る相手を見つけるなんて、どだい無理な話だ。

 気配もなく放たれる針型弾――魄霧はくむの充填動作が探知されやすい記術兵装でなく、『ロビン・グッドフェロー』に内蔵された物理兵装――を間一髪でかわし、声を上げる。

『おい、ざっけんなトレヴァー! 手前、いつ教団に寝返った!』

『寝返ったなんて人聞きの悪い』

 トレヴァーの声が、四方八方から響く。通信の出所も綺麗に隠すから性質が悪い。

 とはいえ、トレヴァーの居所がまるっきり「わからない」かというと、そういうわけでもない。

 本来、敵陣の拠点爆撃を目的に造られたという隠密ステルス攻撃翅翼艇エリトラ『ロビン・グッドフェロー』は、性能を豪快に隠密ステルスに振り切っているお陰で、それ以外の基本性能は他の翅翼艇エリトラに数段劣る。空対空に特化した『エアリエル』が全力で飛べば追いつけないし、『オベロン』のように広範囲に攻撃することも、遠くの敵を狙うこともできない。

 故に、適当な距離を保ってさえいれば、攻撃が飛来するタイミングと位置で、相手の位置を推測することは、かろうじて不可能ではない……はず、なのだ。

 白い海のどこかに潜むトレヴァーは、俺たちが肩を並べていた頃と何も変わらない、夢見るような口ぶりで語る。

『一度は船を降りたのは本当だよ。飛べない君に価値はない。そんな君を見て、ボクもすっかり萎えちゃってさ』

 トレヴァーは、三年前、『原書教団』との抗争終結とほぼ同時に姿を消した。教団との戦いの末に撃ち落されたとばかり思っていたが、実際は、俺が重傷を負って飛べなくなったと知って姿を消してた、ってわけか。

 完璧に軍紀違反なわけだが、それを「萎えた」って一言で済ませる辺り、この変態の変態ぶりが伺える。これだから霧航士ミストノートにはろくな奴がいないんだ。

『だって、ボクは君と飛ぶために霧航士ミストノートでい続けたんだよ? 自由に海を行く君を、ずっと間近で見ているために。でも』

 ――あの日、ゲイルの翼は、折れた。

『ゲイルのいない海なんて、いらないよ』

 そう言ったトレヴァーの言葉は、どこまでも真っ直ぐで、純粋だ。純粋だからこそ、手に負えない。

 トレヴァーにとって、霧航士ミストノートという肩書きは手段に過ぎない。ゲイル・ウインドワードという霧航士ミストノートと『エアリエル』という翅翼艇エリトラを間近で観測するための。

『愛するもののいない、海なんて』

 そして、トレヴァーの愛とは、ゲイル・ウインドワードという個人に向けられたものじゃない。奴の愛が注がれる先は、そいつが「飛ぶ姿」ただ一つなのだ。

『でもね』

 すぐ側を、針がかすめる。間違いなく、位置は近い。セレスに絶えず意識で指示を送りながら何度も『ゼファー』を撃ちこんでいくが、どうしても手ごたえがない。

『教団の再建とか何とか言ってる連中がさ、教えてくれたんだ。「エアリエル」が飛んでるって。ゲイルが、飛んでるんだって。ボクの興奮をわかってくれるだろう? この熱を、昂ぶりをさあ!』

 つまり、トレヴァーにとっては『原書教団』に与することすら手段でしかない、ってことだ。

 これは確かに、「寝返った」って言葉は正しくなかったな。

 こいつは、こいつ自身の欲望を満たすために、俺の前に現れた。今までも焦がれて望み続けていたであろうことを、ついに実行に移した。ただ、それだけの話。

『ねえゲイル、ボクはね、一度でいいからこうしてみたかったんだ』

 トレヴァーは、肌に絡みつく熱っぽい吐息の錯覚と共に、恍惚の声を吐き出す。

『何度も、何度も何度も何度も夢見るほどに。君と本気でぶつかり合いたかったのさ!』

 今度こそ、針が、『エアリエル』の尾の辺りを掠める。確実に、こちらの動きが読まれ始めている。俺の方は、あいつの攻撃の出を読みきれてないってのに――!

「被弾しました。速度を上げます」

「セレス、だが」

「振り切るには、これしかありません」

 わかっている。わかってはいるのだ。俺たちが生き残るには『ロビン・グッドフェロー』を上回るスピードで、奴の攻撃から逃れ続ける必要がある。

 だが『エアリエル』が放つ警告が俺にためらいを生む。セレスの耐久限界は、刻一刻と迫っている。セレスが逃げ切っている間に、俺が、奴の動きを見切らなければならない。

 わかっている――、のに。

 頭の片隅が痺れて、上手く動いてくれない。

 かつて、あいつはどうしていた。俺はどうしていた。振り切りたくてもどうしても振り切れない、振り切ってはいけない「それ」が、思考にブレーキをかける。

「ゲイル……?」

 相手はトレヴァーだ、出し惜しみして勝てる相手ではないと「知って」いる。

 だからこそ、俺は未だ全ての手を明かせずにいる。

「加速します」

 俺の動揺を察したのか、セレスは俺の答えを待たずに『エアリエル』を加速させる。びりびりと船体に響く震えは、セレス自身の緊張と恐怖と、それ以上の覚悟の表れだ。俺には越えられない一線を、軽々と飛び越えて飛び続ける。

 見えないトレヴァーを前にしても、迷いはなく。俺には見えない針の出を回避し続ける。セレスにも見えているわけではない、ただ、『エアリエル』を通して研ぎ澄まされた感覚と、数合の打ち合いから判断した「勘」に違いない。

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