25:掛け金を、はずす

 ――俺は、何をしている?

 トレヴァーの動きを読み切ることもできない俺は、今やセレスの動きを眺めているに過ぎない。

 どこからか流れ込むトレヴァーの声が、歌うように告げる。

『ゲイルほどじゃないけど、君も筋は悪くない。荒削りだけど、ゲイルとよく似てる』

 気配はどこにも無いのに、首筋を舐められるような。気色悪さをどうしても振り払えない――それが、トレヴァーの飛び方だ。

 仲間だった頃もそうだった。遥かに機動力で劣るはずの『ロビン・グッドフェロー』を駆りながら、『エアリエル』にぴったり追随し、その行く手を阻む連中を撃ち落としてきた。

 変態だが、腕だけは確か。だからこそ、絶対に敵に回したくない相手だった。

 隙が、見えない。言葉をどれだけ重ねたところで、トレヴァーは俺たちの前に尻尾を見せない。

 船体に衝撃が走り、セレスが小さく呻く。胴体に針が突き刺さったのを、察する。

『……残念だね。出会ったのが「今」じゃなきゃ、もう少し愉しめただろうに』

 トレヴァーの声を合図に、刺さった針が熱を帯びて弾ける、轟音。激しく揺さぶられる船体、魂魄に走る無数の警告。だが、セレスはその全てを受け止めながら、なおも、全力で離脱を図る。壊れかけの『エアリエル』は声を殺すセレスの代わりに甲高く吠え、青い翅を震わせて更に速度を上げる。

 視界の端で捉える同調率はほぼ百パーセント。魄霧はくむ汚染以上に船体の傷みを全て引き受ける苦痛を堪えながら、高く、高く飛び続けるセレスに耐え切れず、つい声を上げていた。

「同調を緩めろ! そのままじゃお前まで」

「ダメです、少しでも緩めれば撃ち落とされます!」

 俺の声を遮ってセレスが叫ぶ。そうだ、セレスが正しい。『エアリエル』の優位は『ロビン・グッドフェロー』よりも速いということ、ただそれだけ。同調を緩めたタイミングは必ず隙ができる。そこを見逃すトレヴァーではない。

 だが、それよりも、セレスが。

 俺の思考を切り裂いて針が飛来するも、『エアリエル』の船体が破壊された際の熱が生んだ大気の揺らぎで、針の位置をかろうじて感じ取る。咄嗟に計算を走らせ、セレスに投げ渡す。

「……セレス!」

「はいっ」

 セレスは、どこまでも、俺に忠実だった。

『エアリエル』を鋭角的に旋回させ、俺たちの行く手を塞ごうと放たれた針の隙間を、鮮やかな機動で抜ける。

 それでも、それでも――。

 

『本当に、残念だね』

 

 トレヴァーの宣告は、正しかった。皮肉なまでに。

 がくん、と。『エアリエル』の船体が、急に力を失う。ほとんど反射的に操縦権を奪取して、形だけは立て直しながらも、船内を精査する。

 精査自体は一瞬で済んだ。

 だが、セレスの姿は、既に正操縦士プライマリ席から消えていた。

 ――蒸発。

 霧航士ミストノートの寿命。許容量を超えた魄霧はくむを取り込んだ肉体は、魄霧はくむへ「還元」される。それは、怪我や病気による死とは異なるが、肉体の死に他ならない。

「嘘……、だろ」

 思わず声が漏れていた。

 わかってはいたんだ。セレスにとって、トレヴァーの相手は荷が重過ぎる。ジェムがそうであるように、セレスも「加減」を知らない。『エアリエル』は正操縦士プライマリが探査や兵装操作に意識を注がないがゆえに、更に加減を誤りやすい船だと。俺は誰よりもよく知っていたはずなのに。

「俺の、せいだ」

 俺が躊躇わなければ。何もかもを捨ててトレヴァーと対峙する覚悟があったなら。

「そうだ、俺が殺したも同然じゃないか、あいつと同じ。俺が、殺した……」

 ――違います、ゲイル。

 その時、セレスの声が聞こえた気がした。いや、幻聴でも何でもない、俺の魂魄はまだセレスの気配を感じている。そう、セレスはここにいるのだ。『エアリエル』の内側に。

 ――大丈夫です。わたしは、生きています。

 ノイズ交じりの声が囁く。ほとんど消え入りそうになりながら、俺に必死に訴えているのが、感じ取れる。

「そうか、これが、人工霧航士ミストノート……」

 セレスは生きている。人工霧航士ミストノートは、肉体が蒸発しても一定時間は魂魄が魂魄界に留まる。その間に新たな肉体と接続することができれば、セレスは事実上「死ぬ」ことはない。

 だが、それはあくまで、無事に基地まで帰れたなら、だ。俺の耳にセレスの声が届くということは、セレスの魂魄は未だ『エアリエル』に同期したまま。すなわち『エアリエル』が落ちたとき、セレスが完全に死ぬということ――。

 

『さあゲイル、これで二人きりだよ』

 

 だが、俺の焦りなんざ知ったこっちゃないとばかりに、トレヴァーが、俺の前に立ちはだかる。見えていなくても、わかる。『ロビン・グッドフェロー』の針は、俺が少しでも動いた瞬間に『エアリエル』の機関部を撃ち抜くであろうと。

『君が操縦しなきゃ「エアリエル」は落ちる。もちろん、ボクが撃ち落とす。でも、そんなのつまらないだろ?』

 つまらない。

 その、なんてことはない一言で、俺の内側で全てが噛み合った。過去から現在に至るまで、俺の内側で燻っていた感情も。セレスの飛び方に感じた羨望も。トレヴァーを前にして生まれた躊躇いも。セレスの喪失の原因も。何もかも、何もかも。

 ああ、そうだな。お前の言うとおりだよ、トレヴァー。

 ずっと、つまらないと思っていた。

 あいつのいない海なんて、飛ぶ価値がないと、思っていた。

 だが、やっとわかった。

 そんなのただの言い訳だ。飛べない俺が、その理由をあいつの死に求めていただけの話。飛べないのに飛びたいと願った俺のわがままが、俺だけでなく、どこかあいつに似たセレスを危険に晒した。

「ごめん、セレス」

 そう、俺は、どうしたって飛べないけれど。

 せめて、この場だけは切り抜ける。それが、今の俺にできる唯一だ。

 本当は、もう少しだけ、夢を見ていたかったけれど。

 想像上の掛け金を外して、今まで制限していた『エアリエル』の知覚機能を全解放する。人間の魂魄には収まりきらない情報量が、どっと流れ込んでくるのを全身で感じながら。

虚空書庫ノーウェア・アーカイブ開錠ログイン

 不可視の扉を、開け放つ。

 どこぞのカルト教団が謳う圧倒的な生の情報――「原書」を満たした、不可視の記録装置にして演算装置、『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』が俺の目の前に開かれる。

 書庫から伸ばされる幾重もの腕が、『エアリエル』が取得する無数の情報と、俺の要求を引き込み、内部の記述とを照らし合わせて応答する。

虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』はまさしくこの世の「全て」を網羅した記録装置だ。この世に存在するもの全ての情報は、閲覧者の要求に対してわけ隔てなく提供される。

 当然、こちらに向けられた針の動きだって。

 はっきり見えなくとも「存在する」以上は、軌道を算出できる。

 応答に従って、減速。『エアリエル』と『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』が投げかけてくる莫大な情報に脳が悲鳴をあげ、視野が徐々に狭まっていくのを感じながらも、『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』を通した演算を続ける。

 一発、二発、三発。立て続けに投げかけられる針を、慣れない操縦でぎりぎり避けたところで、『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』に再度の要求を叩き込む。莫大な情報量に頭が締め付けられ、かき乱された意識で同調を失いつつある『エアリエル』の船体が傾ぐのがわかる。それでも、それでも。

「……頼む」

 今、一度だけは。

 この船を基地に帰す力を、俺に寄こせ。

 一欠け残った理性で、光の矢を、放つ。演算を経て放ったはずの光の矢は、しかし『ロビン・グッドフェロー』がいる空間を貫きながら、その鞘翅の一部を穿っただけであることを、『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』の応答で理解する。

 緊急回避――!

 本来「隠密ステルス」に割り振っている力を「機動」に変換する、『ロビン・グッドフェロー』の、たった一度だけの全力の回避行動だ。

 読まれていた。こちらの動きの変化に瞬間的に反応した。俺の「能力」を知っているトレヴァーだからこその判断に、背筋が冷えると同時に、意識が遠ざかっていく。

 まだだ、まだ早い。せめて、ここを切り抜けて基地までは戻らないと――。

 その時、失意に満ちた声が、意識の片隅を震わせる。

『君……、ゲイルじゃないね?』

 揺らぐ視界に、緊急回避に際して隠密ステルスを解いた『ロビン・グッドフェロー』の姿が見えた。思ったよりもずっと近くに漂っていた、霧と同じ色をした船は。

 

『ねえ、どうして君がそこにいるんだい、オズ?』

 

 あくまで冷ややかに、俺の名を呼んだ。

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