23:霧を纏うもの

 俺の指示に応えて、セレスは勢いよく翅翼を羽ばたかせる。こちらの動きに気づいた戦闘艇が、『オベロン』から『エアリエル』に照準を移すが、セレスは俺の指示に忠実に従って、ばらばらに飛び交う弾の間を、荒々しい動きで縫ってゆく。

「派手に飛べよ、奴らの目を奪うんだ!」

 俺たちが奴らの気を引いていうるちに、敵陣に向けて鱗粉を撒いた『オベロン』の、広範囲対空爆撃が炸裂する。いくら装甲を積んでいるとはいえ、『エアリエル』に警戒して接近をためらう連中は、『オベロン』の圧倒的火力に晒され、やがては霧の海を照らす花火になる。

 そして、果敢にも近づいてきた奴らは、俺たちが確実に落とす。

 セレスは『エアリエル』の速度を上げ、時には急激に落とし、敵の群れの中を自在に飛んでゆく。恐れを振り払うかのごとく、力強く、伸びやかに。周りの連中が静止して見えるほどに。

 この海の全てが、セレスのためにあると錯覚するほどに。

 ――だが。

「セレス、少し抑えろ、汚染警告が出てる」

 船体との同調率が上がれば上がるほど、船の性能を引き出せると同時に船体から受ける影響も上がる。要は、人体の許容量を超える魄霧はくむを取り込むことになる。

 いくらセレスの体が魄霧はくむ汚染への抵抗力を持っていたとしても、限界はある。『エアリエル』が伝える数値は、セレスの肉体がついに魄霧はくむ許容量をオーバーし、侵蝕が始まったことを示していた。

 しかし、セレスの答えは。

「問題ありません」

 俺の魂魄の内側に、青い軌跡を描く。

「肉体は替えが利きますから。まずは、戦いを終わらせるべく、全力で飛びます」

 反論しかけた俺の口を塞ぐように。セレスは少しだけ、笑うような気配を見せる。

「ゲイルと、基地に帰るために」

 ――ここで消える気はない、と。

 セレスは言外に宣言する。

 俺はその言葉に何も言えなくなる。つい最近までの俺は、いつ『エアリエル』の内側で蒸発してもいいと思っていた。今だって、それが変わったわけじゃない。セレスを任されたからここにいるだけで、セレスが俺の「目」すら必要としなくなれば、俺の役目は終わる。

 だから、いつどこで消えたって、仕方がないと思っていた。

 なのに、セレスは、俺との「帰還」を無邪気に信じている。

 俺がここにいることを、当然と信じている。

 やめよう。理性を総動員させて頭に浮かびかかったイメージをかき消し、目の前の船を落としにかかる。それと同時に、もう一つ、最大の懸念を探り続けるのも忘れない。

 俺の勘が正しければそろそろのはずだが、未だ、動きはない。

 どこから湧いて出たかもわからない、亡霊のような船たちは、それでも着実に数を減らしていく。その数を減らした奴らも、『オベロン』の金色の鱗粉に巻かれ、次の瞬間には火の玉に変わった、と思った途端。

『……くっ!』

 突然、散布されていた『オベロン』の鱗粉が霧散する。ジェムの集中が途切れた? いや、違う――!

『退け、ジェム!』

 警告があまりに遅すぎた、と気づいた次の瞬間、『オベロン』の腹が弾けた。

『が……、あっ!?』

 船体と限界ぎりぎりで同調していたはずのジェムの悲鳴が魂魄に響く。俺たち霧航士ミストノートは、船体の痛みを己の痛みと同等に感じるのだ、相当の苦痛に違いない。

 とはいえ、あの冗談みたいな訓練を潜り抜けただけはある。痛覚を一旦意識の外に追いやったらしいジェムの、存外明朗な声が響く。

『損害は軽微、です! 一体何が……!?』

 翅翼から散布される黄金の鱗粉は、敵を殲滅する武器であると同時に、船体への照準をあやふやにする「防壁」でもある。それが、何とか急所への攻撃を逸らしたのだろう。

 だが、絶対に、次は無い。

 混乱をきたすジェムに、せめて、言葉だけでも届けなければならない。

『新手だ! 観測隊を連れて逃げろ、お前の手には負えない』

『何故ですか! 自分はまだ戦えます!』

『頼むから退いてくれ、追撃、来るぞ!』

 ジェムは俺の切羽詰った声に何かを察したのだろう、今まで兵装制御に割り振っていた同調領域を飛行能力に突っ込み、黄金の翅を羽ばたかせる。が、それでも遅かった。不可視の二撃目が『オベロン』の頭部を掠めて、弾ける。

 頭部は「目」を司る。つまり、翅翼艇エリトラの霧を見通す目が失われた以上、戦闘継続は絶望的だ。ジェムも己の置かれた状況を理解したのか、苦痛の滲む声で『すみません』とだけ告げ、観測隊と共に基地へと飛び去っていくのを意識の片隅で捉える。

 それでも、嫌な予感は、消えない。

 予感だけじゃ、意味がないってのに。

「何が起こっているのです? 周囲に敵船の気配はありませんが」

「すぐわかる。とにかく加速だ!」

 俺の命令の意味は、セレスには伝わらなかったと思う。それでも、セレスは俺の言葉に忠実に従い、一気に『エアリエル』を加速させる。

 刹那、背後で、霧を裂く気配。それは俺の目には全く見えていなかったが、一瞬でも判断が遅れていたら『エアリエル』の船体に突き刺さった「針」であることは明らかだった。

 今回はぎりぎりのところで読み勝ったが、次は――。

『やあ、ゲイル。久しぶりだね』

 魂魄に飛び込んでくる声。肌をざらりと舐めるようないやらしい響きの、遺憾ながら「よく知っている」声。

『誰、ですか?』

『おや、君はゲイルじゃないのかい? よく似た飛び方をしているから、ゲイルだとばかり思ってたよ』

 わたしは、と言いかけたセレスの口を塞ぐ。それから、つい先ほどまでジェムとの会話に使っていた、翅翼艇エリトラ同士のために用意された帯域に捻じ込まれる、懐かしい声に応える。

『よう、トレヴァー。悪ぃが俺様は療養中でな、今は「翼」じゃねーんだ』

 トレヴァー・トラヴァース。

 俺の同期、第二世代霧航士ミストノート。三年前のフォーサイス戦から翅翼艇エリトラ艇、霧航士ミストノートともども行方知れずで、記録上は死亡とされた第六番翅翼艇エリトラ『ロビン・グッドフェロー』の主。

 そして、俺の独断と偏見によるろくでなし霧航士ミストノートランキング、堂々一位の変態だ。

 その理由はいたって簡単。

『そんな! 今度こそ君の大事なとこに、熱く滾るものを突き刺して』

『やめろ変態サブイボが立つ』

 とにかく、言うこと全て気色が悪いのだ。残念ながら、数年という時間はトレヴァーの語彙を変えるには至らなかったらしい。含み笑いの気配と共に、トレヴァーのねっとりとした声が知覚を蝕む。

『だって、こうでも言わなきゃ、君への思いは伝わらないじゃないか。ああ、ボクのスーツの下を見せてあげたいよ。限界にまで張り詰めたこの』

『セクハラで訴えんぞ』

 まあ、訴えるよりも先に俺たちかトレヴァー、どちらかが海に沈むわけだが。魄霧はくむの海で邂逅するというのは、そういうこと――と言っても、トレヴァーとその愛機の姿はどこにも見えない。影も形も。

 だが、トレヴァーとはそもそも「そういうもの」だ。

 俺の知覚を通して相手の姿が確認できないことを察したセレスが、「なるほど」と声を上げる。

「これが『ロビン・グッドフェロー』。翅翼艇エリトラ唯一の隠密ステルス艇ですね」

「わかってるなら話は早い」

 そう、こいつは隠密ステルス艇をも捉える『エアリエル』の目を逃れる唯一の例外。

 翅翼艇エリトラのずば抜けたスペックを九割九分「隠密ステルス」に割り振った、「完全不可視」の船だ。

「気張れよセレス。こいつは――」

 俺の知っているトレヴァー・トラヴァースは、ろくでなしで、変態だが。

「強い」

 

 俺が知る中で、最も翅翼艇エリトラの扱いが「上手い」男だ。

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