22:警戒と恐怖

『油断すんな、相手が戦闘艇のみとは限らねーんだ、制御だけに気を取られんなよ』

『何をおっしゃいますか、大尉! 油断などしておりませんよ!』

 まあ、ジェムの反応はおおむね予想通りではある。それでも、ジェム一人ではこの場を切り抜けることはできない。絶対にだ。

『おっと、次の波が来ましたね』

 ジェムの言うとおり、『エアリエル』の広域視野にも、どこから現れたのかもわからん教団の戦闘艇が映り込んでいる。ジェムが『オベロン』の翅を羽ばたかせ、ゆらりと動いたのを横目に、指示を飛ばす。

「セレス、『オベロン』の懐まで飛べ」

 了解、という声とほぼ同時に、セレスは息つく間もなく『オベロン』のすぐ側、ほとんどお互いの翅翼が触れ合うくらいの位置に飛び込んでいた。きっと、あいつなら「かわいげのない飛び方」と言うに違いない、無駄も遊びもない動きで。

『危険です、大尉!?』

 少しばかり『オベロン』の手前に出ていたからだろう、ジェムの警告が飛ぶ。いくら爆撃の方向や範囲を制御できても、対象そのものを指定できるわけではない。自ら『オベロン』の放つ鱗粉の只中に飛び込めば、間違いなく巻き込まれる。

 だが、俺にだってこの位置を取らなければならない理由がある。

 視野は三百六十度、だが意識は七時の方向に。

 見逃すことのできない違和感に向かって、引き金を引く。

 青白い光弾はゆるい曲線を描き、そこに存在する、霧に紛れて接近していた敵の隠密ステルス艇を穿っていた。それと同時に接近をはじめていた戦闘艇の隊列が乱れ、敵陣の広域通信が意識の中に滑り込んでくる。

『……隠密ステルス艇、一隻撃墜を確認!』

『作戦と違うぞ、どうなっている!』

 にわかに焦りを帯びる、名前も知らない誰かの声に、俺は笑い声と共に返してやる。

『悪いな、どこぞの教主様じゃなくても、このくらいは見えんだよ!』

 俺たちの船『エアリエル』には『オベロン』のような翅翼艇エリトラに固有の兵装は存在しないし、汎用兵装は貧弱、装甲も紙っぺら同然だ。だが、その分「飛ぶこと」に特化している。そして「飛ぶこと」を補助する知覚にも。わざわざ「目」のために二人目の操縦士を必要とする程度には、『エアリエル』の知覚能力は他の翅翅翼艇エリトラを遥かに上回っているのだ。

 故に、『エアリエル』に隠密ステルスは通用しない。他の翅翼艇エリトラは誤魔化せても、『エアリエル』の目は欺けない。

 ――ただ、一隻を除いては。

『も、申し訳ありません、大尉!』

 ジェムの慌てた声に、俺は意識して口の端を歪めて返す。

『だから、油断するなって言っただろ? 広域攻撃って性質上、懐に入られると弱いのは、お前も知らないわけじゃないでしょ』

『うう……、すみません……』

『ま、俺らは広域殲滅には向かないからな。お互い様ってこった。お前は目に見える船の殲滅に専念しろ、俺たちが守るから』

 ジェムは一瞬、呆気にとられる気配を醸し出した。が、すぐに嬉々とした声が返ってくる。

『はいっ! お任せください!』

 ジェムの返事を聞くと同時に、『エアリエル』の船体が大きく傾ぎ、霧を蹴って一気に浮上する。回避行動。セレスがもう一隻いた隠密ステルス艇の一撃を回避したのだ。

「ありがとな、セレス」

「はい。砲撃よろしくお願いします」

 青い声に応えて、視界の端に引っかかっていた、ぼやけた輪郭として映る隠密ステルス艇に狙いを定める。周囲の魄霧に溶け込もうとしても、『エアリエル』の前では裸も同然。足元から追いすがろうとするそいつに、光の矢を叩き込む。

 一射目、二射目は掠めただけだったが、三射目が操縦席を穿ったらしい。がくん、と減速したそいつは、そのまま声もなく霧の海に沈んでいく。

 ……とはいえ。

『恐れるな』

『我らが教主を奪い、空言を語る英雄ゲイル・ウインドワードを、それに与する者全てを許すな』

『教主の予言に従い「人形」を滅ぼせ』

『もうすぐ奴も到着する、女王国の狗どもに、我らの正義を見せる時だ』

 通信装備が貧弱なのか、対象を限定することもなく絶えず海に垂れ流されるノイズ交じりの通信が、『エアリエル』を通して俺の魂魄を震わせる。

 振りまかれる『オベロン』の圧倒的火力を、誰一人として逃さない『エアリエル』の機動力を前にしながら、連中は全く退こうとはしない。勝ち目がないってことを決して認めようとはしない。

「……馬鹿だな。命ってのは、そうやって使うもんじゃねーだろ」

 だが、それこそが『原書教団』という連中だ。原書――世界で唯一「正しい」女神の啓示を与えた教主オズ某が、今もなお連中を縛っている。まるで亡霊だ。いもしない亡霊に囚われ、もう一度現れるのだと疑わないそいつらに、哀れみすら覚える。

 とはいえ、哀れだからといって手加減してやる道理もない。そんなことを考える余裕があれば、背中の辺りから離れない、二つの「嫌な予感」について思考を巡らせるべきだ。

 一つ目は、予期される脅威が、未だ気配すら掴めないこと。

 そして、

『意外と、粘りますね』

 ジェムの呟きが意識の片隅を掠める。

 そう、『オベロン』の爆撃に晒されながらも、連中はなお前進を続ける。これこそが、もう一つの嫌な感覚の正体だ。

『あの型の船にしては妙に遅いと思ったが、どうも速度を殺して装甲を厚くしてんな。あの様子だと、霧避けも入ってんぞ』

『……つまり「オベロン」と「エアリエル」への対策ということですね』

 物理装甲に、記術スクリプトの媒介――つまり『オベロン』にとっての起爆剤となる周囲の魄霧そのものを薄める装備。ジェムの言うとおり、火力こそあるが一点に攻撃を集中できない『オベロン』と、そもそもの火力が低い『エアリエル』に対しては、単純ではあるが有効だ。通常の戦闘艇じゃ速度で『エアリエル』に勝てるわけがないのだから、潔く速度を切り捨てて防御を固めるのは賢いと言っていい。

 だが、それこそが、おかしいのだ。

 俺の疑問をよそに、戦闘艇に守られながら、対地兵装を積んだ一回り大きな攻撃艇二隻が徐々に迫ってくる。あいつらが基地に到達した時点でこちらの負けだ。

 今までの高揚から一転、通信越しに不安げな気配を滲ませるジェム。まあ、初めての実戦なんだ、当然の反応だろう。

『そのまま攻撃を続けろ、迷わなくていい』

『しかし』

『少しくらいのイレギュラーはあって当然、それすらも圧倒的な実力差でねじ伏せるのが翅翼艇エリトラ霧航士ミストノートってもんだ。油断は禁物だが、自信を持て。言っただろ、お前は飛べるんだから』

 ジェムは、一瞬の沈黙の後、『はい』としっかりした声で応えた。なら、俺はその言葉を信じるだけだ。

 愚直に金色の鱗粉を散布するジェムを意識の片隅に残しながら、周囲の探査を並行させる。新たに迫る二隻一組の隠密ステルス艇が投げかけてきた機銃掃射をセレスが大きな弧を描くことで回避、正面に向き直ったところで、『ゼファー』を一気に撃ち込む。

 そんな、ほとんど「作業」ともいえる動きをこなしながら、そっと『エアリエル』の内側に語りかける。

「セレス、お前は平気か」

「大丈夫、です」

 大丈夫。まあ、大丈夫ではあるだろう。『エアリエル』がよこしてくる情報を参照する限り、セレスの肉体、魂魄共に異常なし。徐々に船内の汚染度は上がりつつあるが、戦闘継続は十分可能な範囲だ。

 ただ『エアリエル』を介してセレスと繋がってる俺からは、青い水面の上に凛と立つセレスの薄い肩が、微かに震えているように見えたのだ。

「怖いのか?」

 こわい。セレスが俺の言葉を復唱する。その間にも、もう一隻残された隠密ステルス艇から放たれる銃弾が『エアリエル』を掠める。当たったわけではないが、きっと、船体と同調するセレスには「痛み」として感じられたはずだ。

 俺が、確認できる最後の隠密ステルス艇を撃ち落としたその時、セレスは声を落として呟いた。

「……少しだけ」

 ぽつり、落とされた端的な言葉に含まれる動揺が、波紋となって広がる。

 恐怖。そんな感情がセレスにあるとは、当初は思いもしなかった。セレスと出会ったあの日、翅翼艇エリトラを自在に操るその姿に、勝手にそう思い込んでいた。羨みすらした。

 だが、そうではない。そうではないのだ。

 あの時は、別の船に乗っていたから伝わらなかっただけで。今と同じ、もしくはそれ以上の恐怖を抱えて必死に飛んでいたに過ぎないのだと、初めて理解した気がした。

 飛ぶのは楽しい。海は自由だ。ただ、戦場はそれだけでできてはいない。剥き出しの熱狂、背筋が冷えるほどの殺意。それらを肌で受け止めながら飛ぶというのは、ただ飛ぶのとは別の緊張を強いられる。

 俺は経験上、そんなものは「当たり前」と認識しているけれど、セレスはそうではない。それでも、セレスはあくまで凛として。

「でも、ゲイルが『見て』いてくれるから、大丈夫です」

 そう、言ってのけるのだ。

「……そう、か」

 セレスに信頼してもらえるのは素直に嬉しい。だが、同時に鈍い痛みを覚えずにはいられない。体の内側の、もしくは魂魄の柔らかい部分がじくじくと膿んでいるような錯覚。

 セレスの声を聞くたびに、あの日からずっと癒えない見えない傷が、ここぞとばかりに存在を主張するのだ。忘れるなと。己の手で、全てを台無しにしたあの日を忘れるなと。

 もし次にそうなるとすれば、失われるのはきっと――。

 脳裏に閃く嫌な想像を瞬き一つで追い払い、己を奮い立たせるべく、意識して声を出す。

「行くぞ!」

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