第二章 白玉洞(3)
ケリシュガンの言った通り、陽が三十度動く手前で麓の村アク・タシュに到着した。
草原と山の間に忽然と家の群れが現れる。一言で表現するならのどかな田舎の村だ。
村の入口の両端には、アルマの背丈ほどの石積みに羊の頭蓋骨が置かれてあり、それぞれの角に赤と白の布の房がこんもりと飾り付けられている。村の祭りの時に屠られた羊だそうで、一年間魔よけとして役目を果たすことになるとケリシュガンが教えてくれた。
規律なく建てられた三十近くの建物はそのすべてが居住用かは分からない。中央に白い石で組んだ円形の井戸があり、井戸の床周りは石畳敷きで化粧されている。広場として扱われているようだったが、村人は皆畑仕事に出かけているのかこの時間の人出はない。
一行は山裾を少し登ると、村の建物の中で数少ない煉瓦造りの家に足を運んだ。木造の厩があり、使用人が馬を預かりに来た。村長の家だ。
村長は小太りの壮年で、革の袖なし胴衣を白い服の上に羽織り、白金の髪を後ろになでつけている。ウシュケ族は髪が白に近い金色をしているので人によっては金髪なのか白髪であるのか判別がしにくい。
ケリシュガンは馴染みらしく大げさに握手を交わし、抱きしめあって挨拶をした。腰の鞄から小さく折りたたまれた依頼書を出して広げると、村長は心得たといわんばかりに外へ誘う。
「白玉洞に案内してもらえる」
ケリシュガンが戸口の前に立って親指で外を示す。山に入るために彼は馬に積んでいた背嚢のみを使用人から受け取った。
岩山だ、とケリシュガンがいったとおり、地面のそこらじゅうに石ころが転がり、ごつごつと凹凸に富んでいて歩きにくい。
山壁には多くの穴が穿たれている。古くは信仰のために山を削って洞穴に隠れ住んでいたのが残っているのだ。高いところの穴は墓穴の役割もあったそうだが、今は専ら蝙蝠の宿と化していて、子供たちの肝試しに使われるのみだという。近付くと蝙蝠の糞の独特の臭さが鼻を突く。
青葉の隙間からアク・タシュ村の全貌が窺い知れたところで、二棟の家が現れた。
「あそこが白玉洞の案内人――巫女様の家だ」
村はずれの巫女の家は村の多くの家と同じ木造で、外壁は下半分だけ漆喰で白く塗られている。屋根は木の板が葺かれ、上に重石をしている。隣の家も同じ姿をしていた。
だが、異質なのは家の背後に連なる大岩である。屋根を超す高さのそれは家の壁にぴったりとくっついて、外から一見しただけで、誰もがこの家と岩に何か関連があるのだろうと予測できえた。
「さ、どうぞ」
村長が扉を開けた。外壁が陽の光を真っ白に反射するのに対して、屋内は窓がなく薄暗い。経年の劣化でひび割れた壁板や屋根の隙間から光が木漏れ日のように床に落ちる。
左手には小さな炉があり、炎こそ上がっていないが炭の表面がまだ淡く橙をしている。棚があり、寝床があり、女性が座っている。奥にはもう一枚扉があって、部屋が続いているのだろうか。
日陰の家は見た目の印象からか、炉の炭を見た今でも薄ら寒い気がして、アルマは思わず両腕を摩った。
「アイシュ!」
「はい、ここに」
村長が強い語気で呼びつけると薄暗い部屋の奥に座っていた女性が鞭で打たれたかのように立ち上がった。寝台の脚が軋んで不気味な音を立てる。
「白玉洞のお客様だ。ご案内して差し上げろ」
「かしこまりました」
巫女・アイシュは絹のように美しい金髪を肩に垂らしている。
アルマは似た色の絹を交易品の護送時に一度だけ見たことがあるが、紺の別珍で四隅に真鍮の花柄の化粧板をつけた箱に恭しく収まっていた。想像もつかない大金持ちの元へ流れていったのだろう。
巫女は稀少な美しさを放つ絹の髪だけでなく、瞳も雪解け水のように透き通っている。白い乳色の肌に杏色の小さな唇。可憐な容姿は同性でも思わず見惚れてしまう。
「アイシュ、と申します。白玉洞の番人を仰せ司っております」
アイシュは腰に手を当て、膝を軽く曲げた。ウシュケの敬礼である。
「俺はケリシュガン。以前にも会ったことがあるが一度きりだから覚えてないだろう。改めてよろしく頼む」
ケリシュガンは腰に当てられたアイシュの右手を強引に握って挨拶する。
「僕はケリシュガンさんの護衛のシャマルで、こっちが――」
「シャマルと一緒にケリーさんの用心棒をしているアルマです。よろしくね」
アルマがシャマルに続いて挨拶をする。アイシュは遠くを見つめるような目で返事を寄越した。ケリシュガンが強制的にアイシュの手を引いてシャマルが差し出した手を握らせた。
「アイシュは身寄りがなく白玉洞の鉱物の神に仕える巫女です。見た目では分かりにくいのですが病を得てめしいております。ですから目線があいませんのはどうかご容赦ください」
アルマの不思議そうな表情を読み取ってか、村長が一行に説明した。
「ですが、視力と引き換えに神の眼を手に入れました。どうぞ皆様白玉洞でのことはご安心ください。さあ、こちらへ」
アイシュは気にした風もなく、寝台に立て掛けた杖を取ると、腰の鍵の束から一本を選んで家の奥の扉を開ける。自宅だからか、まるで見えているような振る舞いだ。
「こうなってたんだ……」
奥に空間が続いていると思っていた扉の奥には無骨な洞が穿たれている。家屋に密着していた大岩の中央は
ひんやりしていたものの正体はこれか。アルマは再び両腕を摩った。
「暗いですからお足もとにご注意くださいね」
階段はぬめっている上に、岩の凹凸が残っていて気をつけねば滑ってしまいそうだった。滑り落ちたからといって命の危険はなかろうが、捻挫の危険性は大いにあった。
アイシュが慣れたようすで杖をカツカツと鳴らして早々と階段を下って行く。白玉洞の番人なのだから勝手知ったる洞窟なのだろう。
「この白玉洞は二年前まで曄国が直轄地として治めていたんだ。皇室用の上等な玉を産する。羊の脂肪みたいに半透明でとろっと滑らかでな。奥に地底に繋がる神がいると信じられているから、洞窟自体が信仰されてる」
ケリシュガンは階段を降りながら暗い穴の奥を見つめる。ウシュケ族は勿論、金工品や宝石の細工を担うアルトゥン・コイ族も聖地として巡礼することがあるらしい。
階段が終わると、階段と垂直に地下水路が流れていた。山から引いた水は生活用の井戸へ向かう前にこの洞窟の水路を通って行くらしい。
アイシュが左手に折れて地下水路を遡る。
暫く一列になって進んだが、次第に空間は広くなり、やがて地下水路を形作っていた石組みがなくなる。すると、水路は“水路”という文明を捨てて、洞窟を走る小川となった。さっきの水路と明らかに違うのは丸く磨かれた石が進むたび、水中に数を増やしていく点だ。丁度鍾乳洞の中を走る小川に様相は似ている。それにしては洞窟の石壁に愛想がないのだが。
この頃なると闇に目が慣れてきてはいたが、松明が欲しくなっていた。
アイシュが立ち止った。
辺りを一望すると大きな洞穴に出たようだ。空間は広くなって天井も高い。アイシュの家がゆうに四棟は入りそうだ。
ここで小川はいくつかの支流に分かれた。正面にはいくつかの洞穴が掘られていて、数えてみると十二ある。それぞれの穴には鉄格子の扉がついていて、小川の支流はそれぞれ洞穴の中へ流れ込んでいく。
「到着しました。さて、ケリシュガン様、何号穴にいたしましょうか」
「うーむ」
二人の声が反響する。
ここが目的の場所らしい。
ケリシュガンは足元を水にぬらしながら無精髭を撫でた。小さな目を見開いて洞穴の周りの壁を凝視する。暫く岩壁を見たり触ったり、或いは裏拳で小突いてみたりしたが、ふうと息を吐くと、「六号穴にする」と告げた。
「かしこまりました」
アイシュは示された洞穴の前で祈りの章句を唱えた。ウシュケ族の祈りだろう。
何度かお辞儀をすると地面にひれ伏して口づけをした。そして腰にぶらさげたたくさんの鍵の中から一つを選び、鉄格子を開ける。
中に入るとまた扉の外と同様に祈りの章句を唱えて地面に口づけする。だが、今度は土の地面ではない。地面は小川の中だったので、彼女の顔も髪も自然と濡れたが、一向に介することはなかった。
「どうぞこちらへ」
洞穴の中はアルマが想像していた輝く宝石に埋め尽くされたようなものではなかった。岩壁がただそのまま続いているだけで、小さな穴ぐらに入ったものだから、暗がりに戻ったように感じる。奥行きもなく、四人が入れば互いに五六歩動けるか否かの隙間しかない。おまけにさっき足首までだった小川の水位は突然深みを増してアルマの膝の上にまで達した。
「あのー、そろそろ火を焚いてもいいかな?」
アルマが手を上げて尋ねた。
「駄目だ。洞窟の神が怒っちまう」
ケリシュガンが即座に否定した。
「でもケリーさん、採掘しにくくないですか」
「その点は安心しろ。白玉洞の巫女様の霊力で必ず白玉は採れるから」
彼には確信があるらしい。
しばらくしてぼんやりと洞穴の中央から周囲を見渡していたアイシュがケリシュガンを呼んだ。
「こちらを掘ってください」
「あいよ」
アイシュは入って右手の壁の中腹を撫でた。西瓜玉ほどの範囲を示すと、ケリシュガンは了解と言ってツルハシで目印を付けた。
「お二人はこちらへ」
ケリシュガンが右壁を掘り出す作業に入ると、アルマとシャマルは洞穴のとっつきに案内される。
「こちらの川底から手に持てる分だけお持ちください」
「えっと、あたしこういうの初めてなんだけど、どれが白玉か見極めるコツはありますか?」
不躾な質問に隣のシャマルがぎょっとするが、アイシュはにこやかな表情を変えない。
「ありません。あなた様に見出してほしいと思った石が自ずと手中に参ります。白玉洞は見つけようとして見つける場所ではないのです。石があなた方を呼ぶのです。それが玉であるかの結果は外に出てからです」
シャマルはこの説明で真に納得したのか、すぐに分かった、と返事して、水中に両手を突出した。
ふぅん、石が呼ぶか、とアルマは呟いたが、内心困惑していた。しかし、来る途中、ケリシュガンにウシュケ族はかなり深く神々を信仰しているから、あまり迂闊に茶化すなといわれたことを思い出して、ままよと諦めて小川の中に手を突っ込む。
川底の石を掴むには身を屈まねばならず、肘の上までぐっしょりと濡れてしまった。洞窟の暗闇の冷気は想像以上に冷たくて、指の先端から凍えが全身に広まり、初夏であるのに風邪を引きそうだった。温泉にでも入りたい。
「僕は終わったよ。アルマは?」
「うーん、まだ」
シャマルが片手に山積みの石を持っていた。何の変哲も輝きもない灰色の石だが、川で転がされたのだろう、角が取れて丸っこい。両手があるのに片手で採れるだけしか採らないというのが彼らしい。
対して、アルマは何となく掌に石が納まらない。これが呼ばれていないということだろうか。ならば呼んでくれる石を探すまで、と半信半疑に川底の石をかき混ぜる。
「あら、とてもはしゃいでいらっしゃるのですね」
ケリシュガンの横についていたアイシュがアルマとシャマルを眺めて微笑ましそうにころころ笑う。
「アルマ……」
呆れた顔のシャマルとアイシュを交互に見て、
「ちょ、違うのよ。別にはしゃいでなんてないし選んでもないし……」
取り繕うと余計にはしゃいでいるとみなされそうでアルマは墓穴を掘った気がした。
ばしゃばしゃと水中で手を振ると、強い流れもないのに子供の拳ほどの大きさの石が流れてきてぴったりと手のひらに収まった。
「あれ?」
次々と吸い寄せられるようにいくつかの石が手のひらに収まり、アルマはそれらを水中から引き揚げた。
「見つかった!」
両手に山盛りの石を見て、シャマルはため息を吐いた。
「やっぱりはしゃいでたんじゃないか」
アルマは納得いかなくて唇を尖らせた。
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