第二章 白玉洞(4)

 ケリシュガンが石を掘り出し終えると、一行はアイシュの家へ戻った。洞窟に長くいたせいか、薄暗い家のはずがひどく眩しい。皆水で濡れていたため、家の床はすっかり足跡と歪な水玉模様で汚れてしまった。

 一行の帰還を待っていた村長はアイシュの家の椅子から腰を上げると予め用意してあった大判の布をケリシュガンに渡した。アイシュも棚から別の布を出してシャマルとアルマに配る。

「どうぞ」

 自身はびしょ濡れのローブを脱いで壁に架けた。

 ローブの下は腰のくびれた質素な麻のワンピースで、胸元に同じ糸で慎ましく花柄が刺繍されている。ふくらはぎまである長めの丈が水で太腿やふくらはぎに引っ付いて皺になっている。

 ローブ姿もそうだが、ワンピース姿も清貧を絵に描いたようであるのに、彼女自身は全く貧相からは程遠い。

 指通りの良さそうな薄い金糸の髪が物陰でも輝いて見えるし、ローブを取った姿は体の凹凸がはっきりしてたおやかだ。本人のにじみ出るような色香を衣装が封じ込めて慎ましさを演出しているようだった。

(うーん、綺麗だな。この人。男の人はこういう人が好みってよく言うよね)

 手渡された布で脚や腕を包みながら水を吸わせる。アルマは濡れ髪を耳に掛けるアイシュの姿をこっそり観察しながら、自分の姿と照らし合わせようとしてやめた。

「アルマ様はここで衣服を乾かしてください。寝台は濡れてもかまいませんのでどうぞ腰を掛けて」

「ありがとう」

 しかも気が利くのだ。

「ケリシュガン様とシャマル様は隣の小屋で乾かしてください。隣は旅のお方の休憩施設になっていますから、十分におくつろぎいただけますわ」

「そうですか。では有難く」

 シャマルはいい加減床に足跡が残るのを気にしているようで、革靴を交互に布で包んで乾かしていた。

 だが、ケリシュガンは採掘した石塊ばかりに心を奪われて、いてもたっても居られぬようすだった。己が採掘した白玉を早く磨きたいのだろう。それに、ここへ来る前から研磨は時間がかかるといっていた。

「ケリシュガンさんは玉の研磨に行きますか?」

「ああ。見てくれよこの断面。ちょっとしか見えないがとろりとテリがあって俺は今わくわくしているんだ」

 ケリシュガンは大きな西瓜ほどの大きさの石塊のほんの小さな亀裂を指さした。灰色の石の間から僅かに乳白色にも白緑色にも見える層が顔を出している。つるはしでえぐり出したためにまだ表面は無骨だが、磨けば美しくなるのは誰の目からしても明白であった。研磨を待ちきれない気持ちもよく分かる。

 かくいうアルマたちも自分たちが水中から拾ってきた何の変哲もない石がどう変貌を遂げるのか、或いは遂げないのか興味があった。全てケリシュガンに託してあるので、研磨が始まればじきに結果を教えてもらえるであろう。

「なら、研磨場の場所をお教えいただけますか? 僕も服を乾かしたら向かいます」

「あたしは研磨を待っている間、村を散策してもいいかな」

「もちろんですとも」

 村長が破顔した。

「アルマ、暗くなる前に研磨工房に来てくれよ。くれぐれも村の方にご迷惑をおかけしないように」

「分かってるよもう」

 唇を尖らせる。

 村長が仲が良いですね、と笑う。

「そうだ、アイシュ。アルマさんに服を貸して差し上げなさい。このままだと風邪をひくし、この村を散策するのに何の観光資源もないが、いかばかりか気分だけは味わえるだろう。特に今日は風が穏やかで気持ちがいいから散策にはうってつけですよ、アルマさん」

「それは良い考えでございますね」

 アイシュは微笑んで、両手を合わせた。アルマの頭や肩、腰や太腿を撫でるように検分すると、自分の衣装棚から彼女が着ているものと同様のワンピースを取り出した。

「良いんですか!? 嬉しい!」

 アルマは目を輝かせて喜ぶ。世間一般の女性と同様、アルマにも着飾りたい気持ちはあったが、用心棒かつ放浪の身では着飾るにも支障があって容易にできない。

 近年ではシャマルの掴んできた仕事をやっと手助けできるようになってきたが、それまではずっとシャマルのすねをかじって生き長らえてきた。望むままの飲食と雨をしのげる温かい定宿、それに必要最低限の衣服と馬を与えられているだけでも感謝せねばならない。

 だが、年頃の乙女が袍と袴を二枚ずつしか所持していないのを物悲しく思うのも事実だ。一時の借り物でも良いので女性らしく美しい衣装をまとえるのなら幸せだ。

「私より少しだけ背が低いようですが体型はさほど変わらないので着られると思います」

 広げてみると、アイシュが着ているものよりも少し丈が短いが作りはほとんど同じだった。彼女の服とは違い、藍染めしてあり、胸元の刺繍は白い。少し印象は異なるが、落ち着いた色合いがしとやかに感じる。

「有難う、アイシュさん」

 広げたワンピースを寝台の上に置いたのを見て、「さあ、お嬢さんがお着替えなさるので我々は出ていきましょう」と村長が皆を外に促した。

「そういえば、アイシュは手技療法もうまいのですよ。アイシュ、シャマルさんの休憩ついでにお体をほぐして差し上げなさい」

「いえ、僕は結構です」

「そういわずに一度体験してみてください。想像よりもずっと良いと評判なのですよ」

 シャマルが困ったように何度も固辞するのが聞こえて、扉が閉まった。

 アルマはこの服を着たらいの一番にシャマルに見せに行こうと思った。総髪も解いて。もしかすると少しは女らしく見えるかもしれない。いつもと違う姿に胸を昂ぶらせてもらえるかもしれない。

 一縷の望みにかける。

 ただ、彼はひどく鈍感で自分のことを妹としか認識していないので恋心に揺さぶりをかけるのは無理かもしれない。それでも――。

(それでも、もしかしたら動きやすくて可愛い女の子の服を一着くらいなら買って良いっていうかもしれないし……)

 そういう類の服があったら、の話だけど。と心の中で画策するのだった。



 アク・タシュ村のウシュケ族の衣装は少し面映ゆかった。

 腰のくびれた膝丈のワンピースというのもそわそわするのに、胸元の花の刺繍が藍染めのワンピースの上で白く輝いて主張しているのもこそばゆい。更に自ら総髪を解いて――五本ある編みこみはそのままなのだが――背中に髪を下ろすのも気恥ずかしかった。この家には鏡がなくて、己の様相がいかばかりかと確認できないのも緊張する。

 シャマルはこの姿を見てもきっとおかしいなどとはいわないだろう。彼がそういわないのが分かっているからこそより胸の鼓動が高まる。

 真っ先に彼に見せに行こう。

 そう決めていたが、緊張のあまり決意が揺らいで、アルマは今、村の民家にお世話になっている。意識しているのは自分一人だけだというのに。

「もう一杯飲むかい?」

「じゃあお言葉に甘えて」

 紺色で森と小鳥が絵付けされた茶杯に薄い緑色の湯が注がれた。湯気を上げてふくいくたる柑橘類の香りが鼻を突き抜けていく。この地方の薬草茶らしい。まろやかな水の舌触りで香りの割に味は淡泊で癖がない。殆ど湯を飲んでいるようなものだったが、指先から温まって心地いい。

 村に到着した時、人出のなさに村人たちは畑仕事に出ているのだと思ったが、家でのんびり過ごしていたらしい。アルマは民家のご婦人に窓から声をかけられて家に招いてもらったのだ。

「お茶を入れたのにこの人ったら寝ちゃったから丁度良かったわ」

 婦人は自分の杯にも薬草茶を注ぎ足すと食卓に座り、今は使っていない暖炉の前で眠る主人を見やった。顔の上に読みかけの本が乗せられている。顔は見えないが、白髪交じりの濃い金髪に口髭が覗いていた。

「あなたここいらの子じゃないでしょ。何してたの?」

「仕事です。今は一緒に来た兄を探してたんです」

 この姿を見せようとして、とはいわなかった。

「そう。でも今日はあまりうろうろしないほうがいいわ」

「どうしてですか?」

「聞いてないの? 今日は村に“王の使者”が来るから、粗相しないように家に閉じこもっておいてくれって村長からのお達しなのよ」

 使者というのは自分たちのことではないだろうか。アルマはそう思ったが折角教えてもらったことを無下にするのも申し訳ないので敢えて口には出さなかった。

 というのも、白玉洞は通常は白玉洞の番人――アイシュのことだ――が守っていて、必要な時はわざわざ瑛国に開門の許可をもらわなければならないそうだ。ここが曄時代に朝貢用の鉱物産出地だったのを引き継いだかららしい。

「きっとそれなら大丈夫だと思います」

「本当かい? ならいいんだけど」

「ええ、あたしちゃんと旅券も持ってますし」

 と腰や懐に手をやって、アルマは重大な事実に気付いた。

――旅券を馬の荷に乗せたままだ。

 きっと村長宅の使用人が荷を預かってくれてはいるだろうが、旅券だけは肌身離さずとシャマルに口酸っぱくいわれている。

 着替えや諸々の品は仮に汚したり盗まれたとしても替えがきくが、旅券だけは簡単に替えを用意できない。ボティルがエイク族のアルマ名義でわざわざ作るよう役人に頼んでくれた旅券だ。再取得だって難しいだろう。

 盗まれたり、馬を移動させる間になくしたりしてはいないだろうか。

 ないことに気づいてしまうとたまらなく不安だ。

 そろそろ長居になるので、お暇する丁度良いきっかけかも知れぬとアルマは杯を机に置いた。

 丁度、村のいずこからか鐘の音が聞こえた。物見台などで定刻に鳴らす鐘かもしれない。

「すみません。そろそろお暇します。兄を待たせてしまっているので」

「そう? もっとゆっくりしてってくれて構わないのに」

「有難う。おばさま。お茶とっても美味しかったです」

 アルマは席を立って家を辞し、山裾の煉瓦の家に向かう。

(シャマルにばれないうちに早く旅券を受け取らないと)

 今度は衣装を見せるのとは別の意味でどきどきしてきた。

 足早に井戸のある広場を通ると、先ほどまで見かけなかった男性が二人、騎乗したまま何やら話し込んでいる。

(珍しいな)

 一人は黒い短髪に褐色肌の青年で乳白色の月毛に乗っている。もう一人は柔らかそうなはしばみ色に色白の肌をした青年で茶色と白のぶち毛に乗っていた。黒髪褐色肌の部族は限られている。ほとんどが西方のブグラ族か東方のヨルワス族のどちらかだ。珍しい。エイクやアルトゥン・コイの集落ではあまり目にかからない。

「もし」

 はしばみ色の青年がアルマを手招きした。

「何ですか?」

 明らかに旅行者のていの二人だ。困りごとだといけないと、アルマは恐る恐る返事する。

「君、今いくつ?」

「十八ですけど」

 一体何の質問だろうと思いながら、傍らで旅券のことを考えた。一刻も早く確かめねばと気持ちは焦るばかりだ。

「結婚は?」

「してません」

「そうなの!? 勿体ないなぁ」

 不躾に気にしていることを聞く。アルマは眦の垂れたはしばみ色の青年を睨み付ける。人懐っこい表情をしていて悪気はないようだ。よく見ると耳にじゃらじゃらと飾りをつけている。

「じゃあさ」

 青年たちは馬を歩かせてアルマの両側についた。

「君に決めた! アク・タシュの乙女は君に決まり! うちの主の花嫁さんになってもらっちゃうよぉ」

「召集に応じたこと、感謝する」

 二人が何の話をしているのか分からなくて、アルマは耳を疑った。

 乙女? 花嫁? 夢の話なのか昔話なのか分からずに疑問符を浮かべていると褐色の青年が騎乗したまま身体を横に倒す。至近距離で目があった――かと思ったら、ふいに大きく腕を広げてアルマの腰を掬い上げた。

 青年、空、草、馬の尻と瞬く間に目の前の光景が入れ替わる。気付いた時には褐色の青年の肩に抱えられていた。

「ちょ、ちょっと、何するの!?」

 愕然としていると、はしばみの青年が片目を瞑るのが見えた。

「この地方にはさ、誘拐婚とか略奪婚ってやつがあるらしいんだよね。召集とはいえちょっとそれっぽくてドキドキしちゃうでしょ」

 茶目っ気のある笑顔の口の端に八重歯が覗いたと思った途端、馬は全速力で疾走し始めた。

 再び、村の端の物見台の鐘が鳴った。

 アルマは己の身の上に一体何が起こっているのか理解できない頭で、アク・タシュ村がやがて粟のように小さく遠のいていくのを眺めていた。

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