第10話:告白

10-1

──────────屋上は、光であふれていた。


幻視で視た巨大な石柱群を中心部として、夜闇を否定するような、煌々とした空間が拡がっていた。


そして、光と共に、鈴の音のような澄んだ音が、この空間を満たしている。

それは、音というより、歌声のようだった。


用心深く石柱群のほうへ近づくにつれ、その音は、石柱から発せられていることに気づく。


石柱たちが、唱和しょうわしている。


歌う石柱それぞれの根元には、石柱自身を囲うように、青白い光が浮かび上がっていた。


それら光がかたどっているのは、円と、幾何学きかがく的な紋様もんよう

魔法は専門外の僕だが、石柱群がなんのためにこの場に打ち立てられているのか、もはや推察するまでもなかった。


大儀式魔法を完成させるための、魔法陣。


その形成に必要な呪文を、石柱群が詠唱えいしょうしているのだ。


…………石には、外界の情報を記憶する〈力〉があるという。

この場に並ぶ石柱群に、元々そうした〈力〉が特に大きく備わっていたのか、それとも〈無名ノウネイム〉がなんらかの魔法をほどこしたのか………。


まあ、それはどっちでもいい案件だ。


はっきりさせておくべきことは、別にある。


無名ノウネイム〉自身を奇襲すべきか、石柱群の破壊を優先すべきか。


石柱はどれも同じ大きさで、横幅はおよそ1メートル、高さは15メートル程度。

〈気弾〉ならば、呪文詠唱を中断させるくらいには、石柱を砕くことができるだろう。


無名ノウネイム〉の目論見が大儀式魔法なら、呪文を詠唱している石柱をいくつか破壊すれば、魔法の完成を阻止できる可能性が上がるはず。

仮に阻止できなくても、大儀式完成までの時間稼ぎくらいにはなる。


一方、奇襲の案だが、肝心の〈無名ノウネイム〉の姿が見えない。


向かい側の石柱の影に隠れているのか、それともまた別の場所に潜んで、儀式遂行のためのなにがしかを行っているのか。

周囲の〈気〉を探るが、石柱群と、魔法陣の〈場〉にあふれる高濃度の魔力以外、感じ取ることができなかった。


なんにせよ、もっと近づかなければなにもわからない。


星霊界アストラル・プレーン〉にて幻視した光景では、石柱群の内側に、何本もの十字架が石柱群と同じく円状に立てかけられていた。


その十字架には、さらわれた有力〈人外アーク〉たち……姫様たちが、はりつけにされているのだ。


無名ノウネイム〉も、〈気〉の技に長じているはず。

こちらの侵入を察知されぬよう、極力〈気〉を押し殺しているとはいえ、ぼやぼやしていたら感づかれてしまうだろう。


そもそも、ここは遮蔽物しゃへいぶつがない屋上。


石柱群以外に、身を隠せるような場所はない。

─────そして、今や、時間もないときている。


こうなれば、即座に実行可能な手段を選ぶほかない。


……呼吸を整え、抑えていた〈気〉を一気に解放し、強力な〈気弾〉へと転化させる。

瞬時に、〈気弾〉を石柱のひとつへと射出した。


命の光まとう破壊力の塊が、高速で石柱に着弾、炸裂さくれつ

──────────したかに見えた。


ギュィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!


耳障みみざわりな音と大きな火花を立てて、僕の放った〈気弾〉は石柱に


いや、石柱自体に弾かれたわけではない。


〈気弾〉が命中した箇所だけに一瞬、緑光の格子こうしめいたものが浮かび上がったのが見えた。


………魔力障壁か!

自分のうかつさと浅はかさに、首をくくって死にたくなる。


用意周到よういしゅうとうな〈無名ノウネイム〉のこと、大儀式のかなめを守ろうとするのは当然だろうが、そこまで徹底しているとは考えが及ばなかった。


「─────ここまで来る者がいるならば、君だろうと思っていたよ」


内心で自分を罵倒ばとうしているところに、〈無名ノウネイム〉の声が響き渡ってきた。


空からだった。

声のもとを見上げた瞬間、上空で鮮烈な光がひらめいた。


咄嗟とっさに右腕をあげ、目をかばう。

視力は、かろうじて奪われずに済んだ。


目を打つ強力な閃光は収まったようだが、なおも頭上から白光が降り注いでいる。


光源の元は、まともに視認するまでもない。

四枚の光翼を背にした、〈無名ノウネイム〉だった。


……くそっ、上から来るとは。


空を飛ぶ〈魔渉力ミストフィール〉まで保有しているとは、どこまで規格外なんだ。

それとも─────〈顕現天使エヴァンジェル〉ならば、空を飛べて当然なのだろうか。


自力で空中飛行をしようなどとは、僕でも考えたことがない。

空を飛べれば、この屋上にたどり着くのも、もっと楽だったろうけど。


「………君がここまで登ってくるのも、空から見ていたよ」


光と共に〈無名ノウネイム〉が、ゆっくりと屋上に降りてくる。


「器用な真似だったね。感心したよ。まさか、あのような手があるとは」


その口ぶりは、教師が教え子を評価するような調子だった。

それが、かんさわった。


屋上へと踏破とうはした、その方法。

それは、言葉にすれば単純なこと。

ビルの壁面に足場を打ち立て、そこを使って登ってきたのだ。


登山家が、絶壁を登る方法と同じだ。

ただ、使ったのは、喫茶店にあったテーブルの、金属製の脚。

そして、僕の〈廻地法かいちほう〉だ。


通常、横移動に使われる〈廻地法かいちほう〉を、縦に……純然たる上方向への跳躍に使った。

だがその超跳躍でも、屋上へは当然ながら届かない。


そこで拝借はいしゃくしてきたテーブルの脚に〈気〉を通し、硬化させ、ビル壁面に突き立てる。

突き立てた脚に、ぶらさがり掴まり、〈軽気功けいきこう〉で楽々と登り上がり、今度はその脚を足場にして、立つ。


そこから再び、〈廻地法かいちほう〉で跳躍。

三度の〈廻地法かいちほう〉で、僕は悠々と屋上にたどり着くことができた。


どうということはない。


僕じゃなくても、〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉のメンバーなら、同じような手段で屋上にたどり着いていただろう。


だが、その一部始終を、〈無名ノウネイム〉に眺められていた。

あげく、石柱を破壊しようとするまでの一連の行動を、見過ごされていたのだ。


どこまでも、他人は幼児扱いか。

どんな存在も、邪魔にもならない、ということらしい。


「あの結界を越えて来る者に備えて、この建物には様々な罠を仕掛けておいたが、それも無駄になってしまったな。万が一、空を飛んでくる者に対しては、私がじかに排除するつもりだったのだが……」


無名ノウネイム〉はいったん言葉を句切くぎり、笑った。


「君のような奇策で登ってこられてはね。いっそ気持ちよかったよ」


ああ、そうかい。


無名ノウネイム〉の笑いに、ますます不快さが増した。


余興よきょうで見逃された、ときたもんだ。

その余裕が命取りだった、と後悔させてやる。


とはいえ、状況的に分が悪いのは、どう見ても僕のほうだ。


改めて、〈無名ノウネイム〉を見やる。


ホテルで見たときの、みすぼらしい枯草色のコート姿ではなかった。

白い礼服に、宗教的な礼装。

四枚の光翼を背に負うその姿は、天使のよう。


もっともそれは、人を救うために到来したのではなく、黙示録で災禍さいかを告げるために飛来してきたもの。

いや──────災いそのものだ。


「ようこそ」


天使のカタチをした災いが、そう言った。


「〈救済〉の瞬間に、誰も立ち会う者がいないのでは、少し寂しいと思っていたのだよ」


その声音は、迷える子羊でも迎え入れるような温かさだった。


吐き気を覚えた。


自分の行いこそが絶対の救いである、という確信に酔っている。


加えて、その酔いを、他者にも共有させようとしている。

…………これはもう、僕とは、完全に相容あいいれない存在だ。


「─────さあ、奥へ。中心に来たまえ。すべての救済の、その眼前へ」


芝居じみたことを歌うように口にして、〈無名ノウネイム〉は宙から魔法陣の中央へと、降りていった。


こちらとしても、否やはない。


これからなにが起ころうと、姫様を助ける。

ただそれだけだ。


それに、こと、ここにおよんで、もはや罠もなにもなかろう。


僕は、魔法陣の内側へ足を進めた。

無論、警戒は解くことはない。


呪文を詠唱し続ける石柱群の間を、〈気〉を探りながら通り抜ける。

そこには、〈七剣灯局カンデラブラ〉の建物で幻視したとおりの光景が広がっていた。


魔法陣を囲むようにして並ぶ、巨大な十字架の数々。


十字架には、人が─────おそらく行方不明になっていた有力〈人外アーク〉の方々が、はりつけにされている。

みな一様いちように、体中を鎖で巻かれ、完全に拘束される形で十字架にはりつけにされていた。


その中に、白髪の老人の姿を見つける。


さらわれた有力〈人外アーク〉で、僕の唯一の知り合いである、ボーア老公だ。

一見、目立った外傷もなく、眠っているだけかのように見える。

あの屈強なボーア老公を、本当に捕縛していたとは………。


こうして現実にその光景を目にしても、信じられない、の一言が胸の内に湧く。

そしてその隣の十字架には──────────。


「姫様!」


知らず、叫んでいた。

僕の叫びに、まったく反応しない。


服装は、ホテルで最後に会った時の、蒼いワンピース姿のまま。

その顔からは、生気が抜け落ちているように見えた。


あの姫様が、こうも力なく、はりつけにされているとは。

無名ノウネイム〉の〈輝源力吸収ジェネシス・ドレイン〉で無力化された結果だろう。


銀星車輪団アリアン・ロッド〉最強の姫様が、他の方法で屈するわけがない。


それと、身体を拘束している鎖も、ただの鎖ではあるまい。

でなければ、他の有力〈人外アーク〉の方々が、黙ってはりつけにされているはずがないのだ。


……心の中で、警鐘が鳴る。

罠はない、と踏んだけれど、果たしてそれは正しかったのか。


─────淡い光の立ちのぼる巨大な魔法陣の中央に、〈無名ノウネイム〉が立っていた。


背中に生じていた光翼は、消えていた。

悠然とこちらを見て、微笑をたたえている。


もう〈顕現天使エヴァンジェル〉の〈力〉すら、必要ないということか。


確かにまともな体術では、〈無名ノウネイム〉に歯が立たなかった。

僕の〈輝源力吸収ジェネシス・ドレイン〉も、相手のものと同格なら、互いに打ち消しあうと見ていい。


ただの真っ向勝負なら、ホテルで対峙たいじしたときと、なんら変わらぬ結果を迎えるだろう。


そう、ただの真っ向勝負なら。


それに、こちらの勝利条件─────というより、僕の最優先事項は、姫様の救出だ。


極力、ボーア老公も助ける。

他の有力〈人外アーク〉の方々は、申し訳ないが、計算の外である。


全員を助けられるほど、状況は甘くない。


「君と私は─────同じだね」


僕が冷徹に判断していると、〈無名ノウネイム〉はそんなことを言った。


………同じ?

僕も〈顕現天使エヴァンジェル〉であることを言っているのか?








「誰も傷つかない世界……そんな理想ねがいを、胸に秘めている」








その言葉に、ほんの数瞬だけ、息を止める。


まれるな─────ニフシェ。

精神の未熟さを痛感しながら、そう自分に言い聞かせた。


ここで心理的にも優位に立たれては、詰む気配がする。


「すいません」


強引に、ぴしゃりと言い放った。


「あなたの言うことにも、やることにも、まるで興味ないんで。とりあえず、うちの姫様と、ボーア様。ついでにその他九名、返してもらえます?」


無理矢理、会話の矛先を変える。


無名ノウネイム〉と、まともに会話をすべきではない。

その判断から、反射的に切り出した言葉だった。


それを言ったあとで、気づいた。


十一人。


〈静かなる紳士〉シスレー・ボーア。

〈激動の獅子〉バハン・バハモラン。

歌姫セイレーン〉ニネ=ヴィア・マッハー。

〈一撃必殺〉ギャリル・スパンシ。

〈酔いどれ詩人〉フィッツ・ヘンド。

〈黒曜騎士〉カル・ステア。

〈月の子〉クアン・ジナフ。

〈ホラ吹きジャック〉ピエーネ・コーハッド。

〈魔法賢帝〉ヨルドナ・カンドナ。

悪竜ダハーカ上月光太郎かみづきこうたろう


そして、姫様を含めて、さらわれた有力〈人外アーク〉の数は、十一人のはずだ。

─────────……!


「……気づいたかな?」


無名ノウネイム〉が、あいかわらずの笑みで、言った。


ぐらぐらと、世界が揺れたような気がした。


十字架に掛けられている、その一人から、目が離せなくなる。

無惨むざんな姿だった。


男性だ。


身にまとっている……体に巻き付いているのは、汚らしいぼろ布。

髪なぞは、伸びるに任せて放置されたまま、ぞろびいている。


もっと近づけば、悪臭おしゅうがするに違いなかった。


姫様含む、他の有力〈人外アーク〉とは違い、明らかに長い年月をかけて拘束されているのが、一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


頬は痩せこけ、髭も髪と同じく伸び放題。

その顔は、生きているのか、死んでいるのかさえも、判別がおぼつかないほど、暗陰あんいんとしていた。


この状態で、男性の顔の輪郭など、はっきりと見てとれようはずもない。


だが、それでも。


まさか。

いや。

しかし。


いくつもの思考と感情が折り重なった。


根拠も理由も推測も、なにひとつない。

けれど、浮かんだ結論は正しいと、僕の直感が告げていた。


僕は、男性の名を、静かに口にする。


「──────────〈不死王〉ルッカンブール・ハイン」



……………世界を変貌へんぼうさせたとされる、〈吸血鬼ヴァンパイア〉の名を。

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