キャシーの、問いかけ

 “ねぇ、マーヤ。クリスマスって知ってる?”


 それは、少女ダリアが死ぬ直前にした質問だった。摩耶は〈私の祖国では家族や恋人と祝うものだ〉と伝えた。


 “サンタクロースという人がプレゼントを持って、おうちにやって来るのでしょう?”


 ダリアは弱りはてても言葉を繋いだ。摩耶は〈ああ〉とひとこと、返事をした。


 “闇市に置いてあった西洋の絵本で知ったの。そこに描かれていたサンタクロースが死んだひげづらのパパにとってもよく似ていたわ”


 それに摩耶は答えなかった。この革命戦争に身を投じたダリアの父は、最期を看取った摩耶に〈娘を頼む〉と遺し、死んだ。


 “この国にもクリスマスがあって、パパにそっくりなサンタクロースが来てくれればよいのに”


 普段、ダリアは父のことを語らず明るくふるまっていた。だが、死の直前、はじめて父への思慕を見せた。それまでが無理をしていたのだろう。無口な摩耶によくなついたが、本当は年長者に頼りたかったのかもしれない。


 “ねぇ、マーヤ。ひとつ、お願いがあるの”


 ダリアは摩耶の手を握り……


 “この国に、クリスマスを、とりもどして”


 消耗し、話すのも辛かったろう。だが、この少女は残る気力すべてを言動力に変換し、摩耶に語ったのだった。


 “夢を運ぶサンタクロースは誰の心にもいるのかもしれないわ。でもクリスマスがなければ来てくれない。たくさんの人が死んじゃったこの国に必要なの。ねぇ、マーヤ、クリスマスを、とりもどして”






 ────マーヤ、起きて!


 オペレーターのキャシーの悲鳴が摩耶を目覚めさせたとき、ヤグド大統領は機械の左腕に装着された二十ミリガトリング砲を構えているさなかだった。


「死ね、叛乱軍」


 ヤグドが撃とうとしたとき、ヤツの足元に黒い“なにか”が転がった。結ばれていた摩耶の髪が、いつの間にかほどかれている。


 炸裂音がした。それとともにヤグドの体が水蒸気のようなものに包まれる。攻勢の立場だったはずのヤツの動きが止まった。いや、それどころか機械化されたヤツの体がみるみる溶けていく。


 溶解性手榴弾ソリューション・グレネード。摩耶が髪の中に仕込んでいたものは、それだった。金属の表面電子を強制的に剥離させ、急速に腐食、溶解させる特殊薬剤シュプリームリムーバを含んだもので、対ヤグド戦のために用意した秘密兵器である。爆発により気化した薬剤は対象物の金属部分に付着し、化学反応を起こす。


 ヤグドの巨体が燃え上がった。腐食し、溶解したところに火を付け、とどめをさす手榴弾の二次効果だ。たちのぼる地獄の業火にも似た炎に焼きつくされるヤツの姿は因果の象徴であり、罪刑の正当な比例を示すものか。もしくは剛腕をもって西洋文化と資本を排除した結果、民衆を貧困の底に叩き込んだこの男にふさわしい罰、といえようか。


『女……』


 だが、鋼の肉体と鉄の精神で改革を断行してきたヤグドは、炎の中でもまだ生きていた。


『品性下劣な西洋の者たちがもたらした我が国の低迷は、かつて民衆の知性と常識を大きく衰退させたのだ。夜になると若者たちは野蛮な音楽にのって踊り、快楽を得るため麻薬に手を出した』


 ヤグドの巨体は、その機械部分の過半が溶け、そして一部残されていた生身が焼けただれている。


『麻薬ほしさから犯罪に手を染める者、身体を売る者が巷に溢れていた。私はそれを憂い、革命に参加し、やがて指導者となった。西洋のしきたりを排除するために』


 ヤグドの両腕が地面に溶け落ち、顔は判別できぬほどに崩れてゆく。


『女、我が政権を転覆させたのち、貴様はなにを願う?』


 その問いに、摩耶はカーゴパンツのポケットから、ちいさなサンタクロースの人形を取り出して見せ、答えを示した。


『そんなものか、そんな、つまらぬものがほしいのか』


 ヤグドは、そう言い残し倒れた。そして摩耶もまた再度血を吐き、倒れた。両者とも、もう動けない。


 ────マーヤ、しっかりして!


 ただ、キャシーの声のみが岩山の壁に、こだまして響いた……






 あれから二ヶ月がたった。ヤグド大統領が討たれ、革命軍が勝利したワコフ共和国は、いまだ戦争の爪跡が残っている。荒れ果てた街は復旧作業の最中であっても、いまだ瓦礫の山である。もともと脆弱だったインフラは、ここ数年の内乱でさらに機能を低下させ、国民の用に供する状態ではなくなっている。死者、行方不明者は数しれず。まだ回収されていない死体は数千にものぼると言われている。


 それでも民衆には、以前に見られなかった笑顔があった。争いが終わったのだから当然だろう。貧しく、不衛生なことは変わらずとも、ヤグドの圧政や兵たちの銃火に怯える日々はなくなった。差し引きすればマシな環境になったのである。彼らは今日も食と職をさがし求め、たくましく生きてゆく。






 十二月二十四日。この日、この国に久しぶりのクリスマスがやって来た。数日前から子供も大人も楽しみにしていたらしく、ところどころに飾り付けが見られる。今は昼だが、夜になると申し訳程度のイルミネーションに火が灯ることだろう。国民から西洋文化を奪ったヤグドは、もういない。


 車椅子に乗った摩耶は、すこし小高い丘からクリスマスムードに包まれた街を眺めていた。アフリカにあるワコフ共和国は今日も汗ばむほどに暑く、陽射しも強い。南半球のクリスマスは北国のものと違い、雪国の白い情緒に欠けるが、それでも皆の心が弾むことに変わりはない。


「ある意味、あなたがこの国にクリスマスを取り戻したのよね」


 そばかすの残る顔と長い金髪をしたオペレーターのキャシーは、ここまで押してきた車椅子のストッパーをおろした。歩けなくなった摩耶を連れて来たのは彼女である。


 ヤグドを倒した摩耶だが、とどめに使った溶解性手榴弾に含まれていた強アルチミン酸の気化物を大量に吸ってしまったため、体内の各器官に化学熱傷を起こしてしまったのである。後続の部隊が彼女を回収したとき、すでに虫の息だったが、そこからなんとか持ち直し今日に至っている。だが今後身体が回復し、歩けるようになるか否かは本人次第ということになる。


「ちょっとぉ、“私の人生やり尽くしました”なんて顔しないでよね」


 キャシーは不安げな顔をした。戦いを終えてからの摩耶には、どこか覇気が感じられないからだろう。最近は、ここから平和に染まる街を眺め、ぼんやりとしていることが多くなった。ダリアという少女が願ったクリスマスの到来は、摩耶がヤグドを倒し叶えたものだが、それで燃え尽きてしまったのなら問題である。強い意志がなければ体は治らない。


「そういえば最近知ったのだけど」

 

 話を変えるキャシー。


「あなたの“摩耶”って名前、ブッキョーが由来なのね」


 そうである。願いごとがあれば神社へ行き、観光で寺をめぐり、そして冬の一大イベントとしてクリスマスを祝う。そんな不思議な国からやって来た摩耶……


「思えば、あなたって“クリスマスともっとも縁遠い”名前してたのね。それが、今日この日のために命をかけていたなんて、ちょっとおかしいわ」


 キャシーは笑った。摩耶はクリスマスを迎えた街を遠い目で見つめるだけで、何も言わない。ダリアが生きていれば、楽しむ人たちの輪に入ることができたのに、とでも思っているのだろうか? いや、返答するのが億劫なだけかもしれない。


「マーヤ。あなた、これからもこの国に残るって本当?」


 その、キャシーの質問に摩耶は頷いた。


「この国の子供たちにクリスマスを広めるために残るそうね」


 摩耶は、また頷いた。


「広めるって、どうやって? サンタクロースの仮装でもしてまわるつもり?」


 摩耶は首を振った。


「そうよねぇ、無口で愛想なしのあなたには似合わないわ」


 それに対する摩耶の反応はなかった。


「もう……マーヤったら、眠ってしまったの?」


 キャシーの言葉が、そよぐクリスマスの風にのって熱帯の空に消えたとき、目を閉じている摩耶は金色の後光に似た陽射しを全身に浴びながら、口もとに微笑を浮かべていた。




(完)




 

 

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【短編】クリスマスを、とりもどせ! さよなら本塁打 @sayohon

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