第4話 鹿のはく製

「七海さん、高校の話をした時にさ」

「うん」


 ああああ。肝心なところじゃなくて、無難な方を聞いてしまう俺に内心頭を抱えた。

 しかし、めげずに言葉を続ける。

 

「俺のこと高校三年生って知ってたの?」


 あの時確か……

『俺は隣の県にある呉島高校ってところなんだ』

『へえ、最後の夏休みなのに受験とか大丈夫なのかな?』


 そう、俺は一言も自分の学年のことを言っていないのに彼女は「最後の夏休み」って返してきたんだ。

 

「な、なんとなくそうかなあって。違ってたら九十九くんがすぐに『違うよ』って言うかと思って」

「そ、そうなんだ」

「う、うん。同じ学年だったら嬉しいなあと思って聞いたんだ」

「お、俺は七海さんが年下でも年上でもどっちでも……」


 かああと頬が熱くなる。

 何言ってんだよ。俺ぇえ。

 

「年下の方がよかった?」


 翠が上目遣いで聞いてくるもんだから、ますます動揺してしまう。

 

「あ、だから、どっちでも……七海さんなら」


 あちゃあ。ますますドツボにハマってしまった。

 何て恥ずかしいことを平然と言ってしまったんだ。

 頭の中がグルグルと大混乱中の俺に対し、翠はいたって平然とした様子。

 

 そう、平静で普通な態度だったから――。

 

「うん、わたしもだよ。君に会えてよかった」


 なんて木漏れ日のように微笑むものだから、不意を打たれた俺は頭がクラクラしてきたんだよ。

 

 その後、何か喋っていた気がするけど正直余りよく覚えていない。

 彼女と一緒に戻きた道を戻り、自転車のところでバイバイした。

 

 ◆◆◆

 

 留蔵の家に戻り、先にシャワーを浴びようと自室の扉を開けたら……。

 

「うお」


 またしても鹿のはく製が正面を向いているじゃねえか。

 これは気のせいとかじゃない。なんか仕掛けでもあるのかと思って、鹿のはく製と取り付け口を見てみるけど変わったところは見当たらなかった。

 

 とてとてとダイニングまで行き、食事の前から一杯やろうとしていた留蔵へ声をかける。

 

「留蔵さん、鹿のはく製を触りました?」

「ん? いや。どうかしたのか?」

「あ、いや。うーん」

「浮かねえ顔してるな。部屋になんかあったのか?」

「鹿のはく製が正面をいつも向いているんですよね」

「ん? 正面になるように飾ってるが、いじったのか?」

「はい。入って目が合うのでギョッとしちゃうんですよ。それで」

「なるほどおなあ。そいつが知らず知らずのうちに正面を向いていたと」

「そうなんです」

「立てつけかもしれねえな。明日、様子を見て置くわ」

「はい」


 正面を向く鹿のはく製は留蔵に見てもらった後、また検討しようかな。

 単に設置の問題だけだったのなら、気に病む必要もないし。

 

 シャワーを浴びて、夕ご飯をいただいているうちに鹿のはく製のことをすっかり忘れて自室に戻る俺なのであった。

 

 ふう。布団を敷いて充電コードを差し込んだままのスマホを手に持ち、寝転がる。

 今日もいろいろあったなあ。

 いやあ、翠は黙っていると凛とした感じなんだけど、話すと可愛い感じになってそこがまた……いや違う。

 そうじゃなくってだな。

 彼女のことで調べたいことがいくつもあるんだ。

 昨日は高校名だけを調べて満足していたけど、制服が違うって明らかにおかしい。

 彼女が違う高校名を伝えていたんだったら別なんだけど……彼女と別れる時にしっかりと襟の裾辺りに描かれていた校章の形を覚えて来たのだ。

 

 スマホで昨日調べたように、相楽塚高校で検索し学校のHPを出す。

 HPの左上には校章と高校名が記載されていた。

 うん、確かにこの高校で間違いないよなあ。でも、制服が違う。

 

 あ、ひょっとして。

 俺はハッとしたように顔をあげ、再びスマホへ目を移す。

 学校の歴史が記載してあるページに行き、調べてみると……あったあった。

 なんと十五年前に制服がセーラー服からブレザーに変わっているじゃあないか。

 

 どうしてこんな古い制服を着ているんだろう?

 入学時にセーラー服で途中からブレザーに変わったのならまだ理解できるけど……。

 

「うーん」


 こんがらがってきたので、一旦スマホを見るのをやめて大きく伸びをした。

 

 ――カタリ。

 ん、何か音がした気が。

 気になって仰向けに寝転んだまま首を回す。

 しかし、何も変わったところは見受けられなかった。

 

「気のせいかなあ。しっかし、なんでセーラー服をやめちゃったんだろう」


 ――カタリ。

 また音。

 何かが擦れる感じだ。この部屋でそんな置き方をしている物っていえば、鹿のはく製くらいなんだよなあ。

 

 不審に思って鹿のはく製に少し触れてみるが、動いた様子はない。

 

「ま、いいか。それにしても七海さんのセーラー服姿は可愛かったなあ……」


 ――ガタン

 大きな音がして、鹿のはく製が突然落ちて来た!

 鹿のはく製の真下にいた俺は慌てて首を傾けようとするが、視界が急に暗くなる。

 と共に、肩に重みがかかりそのまま後ろに倒れ込んでしまった。

 

 しっかし、むにゅんとしたこの感触……。

 それが誰かのお尻だと気が付いた瞬間、声をあげてしまう。

 

「え、ええええ」

「ご、ごめんね」


 まだ視界は塞がったままで確認することはできないけれど、この澄んだ声は翠のものだ。

 視界が開けると共に、彼女のスカートと純白のパンツが目に入る。

 どうやら俺は、翠のお尻の下敷きになっていたようだった。ち、ちきしょう。そうと分かっていたらもう少しじっくりと味わったのに。

 ってそうじゃなくってだな。


「七海さん!」

「九十九くんが変なこと言うから……」


 いや、待て待て。

 落ち着け、落ち着け。

 深呼吸だ。深呼吸。

 すうはあしていると、翠がてへへと頭をかきペロッと可愛い舌を出す。


「驚いちゃった?」

「そ、そら……」


 驚かないわけないだろお!

 しかし、あまりに自然体な彼女の様子を見ていると落ち着いて来た。


「わ、わたしね……」

「うん」


 翠はそう言ってペタン座りした体勢から少し腰を浮かす。

 すると、スカートが少し浮き上がり艶かしい太ももといけない感じのコントラストが生まれ……。

 お、おお、見えそう。

 ……我ながら心変わりが早いと思う。

 さっきまで驚いていたのに、今ではすっかり彼女の聖域に釘付けになっているのだから。

 でも仕方ないだろ。目と鼻の先で彼女のスカートがだな。


「ずっと見てたんじゃあないよ? たまたま、おやすみの前に九十九くんを見に来ただけなんだよ」

「えっと……」

「うん?」


 見ていた? ってことは鹿のはく製が動いていたのって翠がこそーっと俺を?

 再び元の体勢に戻り、膝の上に両手を置き首を傾ける翠。

 彼女は突然何もないところから降って来た。

 人間にはできない所業であるが、少ない俺の知識から導き出される答えは……非現実的なものだ。

 たがしかし、実際目の前で荒唐無稽なことが起こっている。


 彼女は――。


「七海さんはエスパーか何かなの?」

「ううん、幽霊?」

「え、えええ!」


 ちょ、ちょっと。さすがにそれは……。


「ほ、本当にお化けさん?」

「うん!」


 そんなあっけらかんと肯定されると逆に清々しいな。

 

「で、でも七海さんはほら、俺が触れることができるし、麦わら帽子だって普通に被ってたじゃない?」

 

 彼女が俺をからかっているんだと、一縷の望みをかけて聞いてみるが……。

 

「うん。九十九くんなら私とお喋りできるんだ。着替えだってできるよ?」


 翠は自分の首元に手を当て襟首を引っ張る仕草をする。

 さっきから、ワザとなのか? それとも無防備なだけなのか……。

 激しく気になるけど、それを聞いたら余計にからかわれるから聞いちゃあいけねえ。

 

 まごついていると、俺の視線に気が付いた翠がポンと手を叩き黄色のリボンへ指先を伸ばした。

 

「いつも着ている服はね。出し入れ自由なんだよ? それにこの服は汚れないんだ」


 細く繊細な指がリボンに触れると、忽然とそれは姿を消す。


「う、お」


 俺が翠の襟首を見ていたから、服が気になっていると勘違いしたのか。

 それにしてもビックリした。


「着替える時は、一旦服を消して着れば大丈夫!」

「服を消す……」


 消す……。

 心の中でも同じ言葉を反芻する。

 セーラー服を消すと、さっきの純白が表に。上も純白なのだろうか?

 

「どうしたの? 九十九くん」

「あ、いや、白?」


 しまった。翠から顔を逸らし口を塞ぐ。

 彼女といる時、うっかりして口を滑らせることが多くて困る。

 

「あ、幽霊なのに白装束じゃないんだとか考えてた?」

「う、うん?」

「よくわからないんだけど、気がついたらセーラー服だったの」

「へえ、そうなんだ」


 いい具合に勘違いをしてくれて感謝。

 ほっとしていたら、急に彼女の顔がお互いの息がかかる距離に。

 い、いきなりどうしたんだ?

 彼女は片目をつぶり、人差し指を口に当てる。

 

「九十九くんが今考えていることを当ててみせようー」

「え?」


 このまま唇を奪いたい。

 

「それはあ。わたしが『お喋りできて』『着替えができる』ってさっき言ったから」

 

 そんなことは今考えてないって。

 それよりなにより、口を動かすたびに髪の毛が少し揺れてあまーい香りが。マジで。このまま……どうにかしたい。

 

「そ、そうだな……うん」


 理性で堪えろ。俺。ここで襲い掛かったら全てが台無しだって。

 

「着替えは分かったから、次は『お喋り』のことだね! じゃあ、質問です」

「は、はい」

「わたしは九十九くんと会話できます。姿も見えます。何ででしょうか!」

「ちょ、待って……」


 ええとだな。

 翠は幽霊で誰しもが姿を見ることができるわけではない。

 通常見ることができない幽霊の姿がを見るには……俺の霊感がズバ抜けていた?

 いや、ないない。俺はこれまで霊の姿なんて見たことが無い。

 となると、彼女が俺に何かした? 口付け……その思考からもう離れたほうがいいな、うん。

 でも、仕方ないだろ。彼女は息をしていないから吐息こそかからないけど、少し顎を動かすだけであの唇に……いかん、また思考がズレた。

 

 ともかく……彼女と出会った時から振り返ってみよう。

 最初に俺は……そうだ。彼女のかんざしを拾った。


「分かった! 七海さんのかんざしだ。俺が拾って君に渡すことで契約みたいなのが成立した?」

「んー。半分正解! でも誰でもいいってわけではないの」

「ふうむ」

「もし正解したら、いいことしてあげてもいいよ?」

「いいこと……」


 翠は少し顔を引いて、目を瞑る。

 ほう、ほうほう。

 これはがんばらねばならないな。今こそ目覚めよ、俺の脳細胞。

 

 そうだ。俺が高校三年生だと彼女が分かったことを不思議に思ったんだった。

 それに、思わせぶりな言葉もあったじゃないか。「九十九くんだからだよ」とかドキっとするアレだよ。

 

 もう少しで思いつきそうで、喉元に小骨が刺さったように出てきそうで出てこない。

 考えろ。ここは気合で答えを導き出さねばならぬのだ。ご褒美が待っている。

 いいか、俺。彼女はかんざしを俺の前に置いた。

 俺なら彼女の姿を見ることができるかもしれないと思ってだ。

 きっと俺ならばと彼女は思ったに違いない。なら何故?

 

 あの時点で彼女が知りえる俺の情報なんて、容姿ぐらいだろう。

 平凡で眠たげな目をした特徴の無い男……言っててへこむな……。それはいい。

 俺の見た目でカッコいいから興味を持ったってのは、誠に残念ながら想像し難い。

 

 あ、そうか。彼女は俺を見て「高校三年生」じゃないかって推測したんだ。

 つまり――。

 

「分かったよ。七海さん」

「行ってみたまえ。九十九くん」

「正解は年齢だ!」

「おお。正解。すごいね。九十九くん」


 翠は両手を胸の前で組み頬を上気させた。


「やったぜ!」

「うんうん。じゃあ、九十九くん。目をつぶって」

「ん?」


 目を閉じる……せっかくの体験に目を閉じるのか。

 あ、いや。俺の想像している通りだと、目を閉じるんだけど。


「わたしじゃ、嫌かな……?」

「いやいや!」


 そんなわけないじゃないですかあ。

 大歓迎ですよ。

 さっきから自分で抑えるのに必死だったんだもの。

 

 鼻息荒くならないように細心の注意を払いながら、目を閉じる。

 すると、彼女の髪の毛が頬に触れる感触がして……唇にちょんと何かが触れた。


「どうだった?」

「よくわからなかったよ。同い年の女の子とキスをするなんて初めてでさ」

「……そ、そうだったんだあ」


 明らかに目が泳ぐ翠。

 ま、まさか。俺をだましたなあ。

 

「翠、ひょっとして、今のはキスじゃなくて……」

「そういうことにしよう。ね? 九十九くん」

「『ね?』じゃ……。七海さんはキスしたことあるの?」

「無いよ?」

「待てええ!」


 何だったんだ。今のは。

 俺のこのときめきを返してくれ。


「で、でも、指で男の子の唇に触れたのは初めてだよ?」

「……」


 翠は、恥ずかしそうに頬を僅かに染める。

 ま、まあいいか。赤らめた顔を見たし……。いずれ、ちゃんと。うん。

 

「怒っちゃった?」


 翠は、不安そうに上目遣いで見つめて来る。

 手を床につき見上げてくるものだから彼女の髪の毛が首筋にかかり、ドキリとしてしまう。


「怒ってないよ」

 

 頬に熱を感じ、横に顔を向け腕を組む。

 

「ほんとー? その態度……」

「怒ってないってば」

「うん!」

「そうそう!」


 顔を見合わせ笑いあう。

 

 と、その時――。

 

「おおーい、九十九。電話か? 俺はもう寝るから、冷蔵庫に入ってる物は何でも取っていいからな」


 扉の外から留蔵の声が響く。

 よ、よかった。留蔵が扉を開けてなくて。

 確かに外から聞くと電話をしているようにも思える。まさか幽霊と一緒に部屋でキャッキャしているとは留蔵も考えまい。

 

「ありがとうございます」

「おう。アイスもあるぞ」


 留蔵の足音が遠のいていく。

 

 完全に留蔵の気配が消えたところで、翠が口を開く。


「遅くまでありがとう。九十九くん」

「ううん。また明日会えるかな?」

「うん! 神社のところでもいいかな?」

「了解! 明日は釣り道具を持っていこうかな」

「楽しみ」


 翠は立ち上がり、右手を左右に振る。

 

「じゃあ、ばいばい」

「うん」


 踵を返すと翠は忽然と姿を消す。

 

 目の前で消えられると、彼女が幽霊だってのにも納得がいく。

 ひょっとしたらエスパーのテレポーテーションなり透明の術なりかと思ったけど、お化けの方がしっくりくるよなあ。

 それにしても……俺は自分の唇に触れ頬が緩む。

 

 あ、やべ。さっきのことを思い出すとニヤニヤが止まらねえ。

 そんな幸せな気持ちのまま、歯を磨き布団に入る俺なのであった。

 

 明日は川で翠と一緒に釣りをして……海にも行きたいなあ。彼女の水着姿を見てみたい。

 なんて考えているとすぐに寝てしまう。

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