第5話 油断大敵

 翌朝。いよいよ七月三十一日になる。明日からは八月だ。

 といっても強い日差しは変わることなく、俺の頭へガンガンと降り注いでいるんだけどな……。暑い事には変わりない。

 

 自転車に釣り竿を取り付けて……と思ったが難しかったのでリュックにさすことにした。

 さあて、行くとするか。

 

 ん? まだ午前中だって?

 うん。その通り。昼までにまだ数時間はある。

 というのはだな。

 朝起きて、農作業を手伝おうと畑に行き留蔵に挨拶をした。

 まあここまではいつも通りなんだけど、「今日は何をするつもりなんだ?」と留蔵に聞かれて「釣り」と答える。

 すると彼は釣りなら朝から行った方がいいと言ってくれて、今日のお手伝いは無しになったんだ。

 

 途中コンビニによって飲み物とかおにぎりなどを買おうと思ったけど、コンビニは反対側で遠い……。ならと思って港前の古ぼけたお店に立ち寄ることにした。

 お店の横に自転車をとめ、店内に入る。

 

 お、おお。昭和の駄菓子屋みたいな感じになっているんだな。

 木枠でできた格子状の平置きの棚があって、そこにはいろんなお菓子……ではなく干物とか豆類が入っていた。

 右手は洗剤とか日用品で、左手はお弁当やタオルなど行楽用のグッズかなあ。

 レジ横には港前らしく釣り餌も置いてある。

 

 だが問題が一つ。

 お店が開いていたのはいいんだけど、店内には俺しかいない。店員さんはどこに?

 

「すいませーん」


 奥にむかって声をかけると、レジ奥の引き戸が開き七十歳くらいの真っ白な髪をしたおばあさんが顔を出す。

 

「はいはい。何かお買い上げですか?」


 おばあさんはコロコロした笑顔を見せ、レジ奥の座布団の上へよっこらしょっと正座する。

 

「釣り餌とお弁当、それとお水、コーラを」


 俺は自分で飲み物とお弁当を手に取り、レジに置く。

 釣り餌はどれを選んでいいのか分からないので、おばあさんに聞いてみるか。

 

「おばあさん、釣り餌のオススメはありますか?」

「そうだねえ。ゴカイでいいんじゃないかねえ」

「それって海用じゃあ」

「おきゃくさん、川釣りかい。それは珍しい。なら、これを持っていきな」

「ありがとうございます」


 袋に入った赤色の小さなミミズみたいな餌をオススメしてくれた。

 えっと、見たまんまな名前がついているな「赤虫」だってさ。

 

 お金を払って、商品を受け取るとおばあさんへ会釈をして踵を返す。

 

「おきゃくさん、川は流れが速いところもあるからきいつけなされ。おきゃくさんはこの島の人じゃあないだろう?」


 出口まで来たところで声をかけられ、振り返り「はい」と応じた。

 

「神社の横辺りで釣ろうと思っているんですよ。そこまで深くないですし、気持ちよく釣れるかなあと」

「それはそれは、また変わったところで。私の娘も昔神社に通っていたことがありましてねえ」


 おばあさんは懐かしむように首を縦に振る。


「へえ、釣れるんですか?」

「分かりませんなあ。娘は釣りをしなかったもので」

「じゃあ、俺が釣れるかどうか報告しに来ますよ」

「そらご丁寧に。待っとります。その時は縁側でお茶でもしましょうや」

「はい!」

 

 おばあさんと会話するとなんだかほっこりとした気分になった。

 いいなあ。こういうのって。

 

 ◆◆◆

 

 山道を進み神社に向かう。

 し、しまった。この道は狭くて歩き辛いから、遠回りしてでも歩きやすい道があるか聞こうと思ってたのに。

 翠じゃなくて、お店のおばあさんにでもよかった。これだけチャンスがありながら、聞いていなかったとは……。

 

 汗を拭きそんなことを考えていたら、野イチゴの群生地までたどり着く。

 あと少しだ。

 ごくごくとスポーツドリンクを飲んで一息つき、脇道へと入っていく。

 

 ふう。着いた着いた。

 鳥居をくぐり、境内へと入る。

 翠はきっと俺がいつも通り午後から来ると思っているだろうから、先に川へ行こうかな。

 こんな時、スマホがあれば便利なんだけど彼女は持っていないし。いや、持っているかもしれないけど、幽霊が利用料金を支払っているとは思えない。

 

 水桶の後ろにある蛇口を捻り、空になったペットボトルに注ぐ。

 冷え冷えでいい感じだ。

 

 じゃあ、川へ行くとしますか。

 境内から左手に進み、下ったところでどこがいいかなあと左右を見渡す。

 

「やっぱ、あそこだよな」


 翠と並んで座った出っ張った岩のところへ腰かけ、竿を準備する。

 ここは二人で並ぶと少し狭いんだけど、ぼーっと竿を持ったまま川へ糸を垂らすことができるしゆっくりやるには最適だ。

 それに……。

 狭いから、肩を寄せ合って座ったり……。

 そうそう、こんな風に二の腕辺りへ翠の体温が感じ取れるような。

 

 え?

 

「今日は、おはよでいいよね? おはよ。九十九くん」


 肩に体重が乗り、翠がこちらへ顔を向ける。


「お、おはよう。急に出てきたらドキドキしちゃうよ」

「えへへ。ドキドキさせたかったの」


 そんなことを言われると、違う意味でドキドキしてきたよ。

 頬の火照りを誤魔化すように、リュックから先ほど買った赤虫が入った箱を取り出す。

 

「それは?」

「これは、釣りの餌だよ」


 中を開くと赤い小さなミミズのようなものがギッシリと。

 翠は興味深そうに俺の手元を覗き込んできたけど、パッと身を引き両手で俺のTシャツの袖をぎゅううっと握りしめる。

 

「ビ、ビックリ。ちょっと気持ち悪いね……それ」

「そ、そうかな。ははは」


 ちょうど顎の下から翠が俺を覗き込むような体勢だったから、また心臓が高鳴ってしまう。

 ん、んん、ちょ、ちょっと。

 

「七海さん、くすぐったい」


 翠の指が俺の首元に触れてきているではないか。

 ひんやりとしてなんて心地がいいんだ。

 

「九十九くん、これ?」


 翠は俺が首から下げたチョーカーに取り付けられた古銭に触れる。

 な、なるほど。古銭が見えたから手を伸ばしたのね。まさか俺を押し倒すとかは無いと思ってたけど納得だ。


「あ、それは爺ちゃんから受け継いだんだ。爺ちゃんの爺ちゃん? かお父さん? から続くお守りみたいなもんで」

「そうなんだ! わたしと同じだね」


 翠は髪の毛をまとめているかんざしを撫でる。

 彼女のかんざしもかなり年季が入ったものに見えたもんなあ。

 

「そのかんざしは俺みたいに受け継いだものなの?」

「うん。おばあちゃんのおばあちゃんの時代に作られたかんざしで、江戸時代のなんだって」

「へえ。そりゃすごいね」

「えへへ」


 あれだけ綺麗に磨かれていたんだもの。これまでずっと大事にされてきたんだろうなあ。

 俺もこの古銭をずっと大切にしていきたい。

 自然と首元に手が伸び、古銭の四角く開いた穴の辺りを触れる。


「よっし、とりあえず糸を垂らしてみようかな」

「釣りをしている人を目の前で見るのって初めて!」

「そ、そうなの? じゃあ、釣りをやったこともないのかな?」

「うん!」

「じゃ、じゃあ。七海さんが釣り竿を持って」

「で、できるかなあ……」

「大丈夫。簡単だって」


 翠に釣り竿を持たせて、軽く振るように言ってみるが彼女は困ったように俺を見上げる。

 

「一緒じゃ、ダメ?」

「ん?」

「手を添えて欲しいな……」

「わ、分かった」


 翠の後ろから腕を回し、釣り竿を握る彼女の手に自分の手を重ねる。

 密着しないよう注意しつつ、手を動かし釣り竿を振るう。

 

「すごい、糸がちゃんと川の中に落ちたね」

「あ、うん」


 はしゃぐ翠だったけど、俺は君の方が気になって仕方がないんだが……。

 

 ◆◆◆ 


 しばらく川の中に浮くウキを見ていたけど、釣りってのは基本「待つ」だけなんだ。

 なので、じーっと見つめていても何ら進展はないわけで……。すぐに引きが来る入れ食い状態なら話は別だけど。

 

 残念ながら、今回は入れ食いではないようで……翠は初めての釣りだというから釣り上げるのを体験してもらいたいなあ。


「どうしたの? 九十九くん。何か失敗しちゃったかな?」


 考え込む俺へ翠が不安そうに眉をひそめる。


「いや、せっかくだから魚がかからないかなあって」

「わたしはこうしているだけで、嬉しいよ?」

「そっか。それならいいんだけど」


 本当に嬉しそうな顔をするんだなあ。

 川べりで釣りをしているだけだというのに。

 さっきも思ったんだけど、離島に住んでいてこれだけ海と川が身近にあるのに釣りをするどころか、隣で見ていることもしたことがないってのはちょっと考えられない。

 彼女は魚が嫌いだった? いや、そんなわけないだろう。こんなに楽しそうなんだもの。

 なら……やはり。

 

 俺はキラキラした目で川を見つめる翠の横顔をチラリと見やる。

 聞いてしまおうかと思い口を開くが、また閉じてしまった。

 前を向き、ウキを見るが相変わらず動きはない。

 

 手持無沙汰になって、またしても彼女の横顔をチラリと。

 あ、目が合った。

 

「九十九くん、さっきからソワソワしてる?」

「あ、いや」

「何かやらないとなことあった? 餌かな?」

「餌はまだ大丈夫だと思う」

「んー。じゃあ……トイレ?」

「それも大丈夫!」


 察しが悪いといか、天然なのか翠は自分のことを俺が考えているって発想がないのかな。

 声に出して言えないけど、俺は君と出会ってから君のことばかり考えていると思う。

 

「んー。だったら」

「ん、いや。釣りをしているのが本当に楽しそうだなあと思って」


 まだ続けようとする翠に声を重ねる。

 すると、彼女は目を細め川を眺めた。

 

「うん、楽しいよ」


 その声は、なんだかとても儚くて寂しそうで……。

 鈍いな俺って……。

 やっと分かったよ。

 どうして彼女がこんなに楽しそうなのかって。

 彼女は俺と同じ歳の時、亡くなったんだ。釣りさえもできずに……。

 そこから推測するに、彼女はきっと幼い時からずっと体の調子が悪かったんだと思う。病気なのか生まれつきなのかは分からないけど、外で遊ぶこともほとんどなかったんじゃないかなって。

 

「七海さん、楽しいことなんてもっとあるぞ」

「本当に? 九十九くん……ひょっとして」

「ん?」

「遊び人なんじゃあ。きゃー」

「ちょ。俺は彼女なんてできたことねえし」

「ふうん。そうなのお? 意外」


 どうせモテねえよ。

 「意外」とか、そうやって気を使ってもらわなくたっていいんだい。

 不貞腐れる俺へ、翠は口元に微笑みを浮かべ、

 

「わたしみたいな幽霊に、こんなに親しくお話してくれるもん。だからモテるんだと思ってたの」

「『わたしみたいな』じゃないって。七海さんだからだよ」


 ついポロっとなんてことを言うんだ。俺の口。

 毎日一度は口を滑らさないと気が済まんのか。ち、ちくしょう。

 気障過ぎるセリフに対する気恥ずかしさから頭に手をやりボリボリとかきむしる。

 

「そんなこと言われたの初めてだよ」

「え?」


 翠はぐすぐすと目に涙をためて、俺の手を握る。


「お、おおお」

「ご、ごめんね」


 釣り竿を握る手を離したら、もちろん釣り竿は落下するわけで。

 しかし、とっさに身を乗り出して釣り竿をキャッチする俺。我ながらよく間に合ったよ。自分ながらカッコいいかも。

 

「九十九くん、いきなり泣いちゃってビックリしたよね」

「あ、いや」


 どこか痛いの? とか体調がとか聞きそうになったけど、お化けにそういうものは無いだろうと思って口をつぐむ。

 まさか俺の気障なセリフが痛すぎて、ショックで泣いたとかじゃねえよな。


「わたしね。生まれつき心臓が悪くて、それで……」

「うん」


 俺の予想した通りだったみたいだ。

 こんな時、どういう言葉をかけていいのか。俺がもう少し気が利くやつならどんだけよかったことかと悔しい。


「元々都心部に住んでいたんだ。でも、家族が空気のいいところで療養しようって言ってくれて」


 翠はポツポツと自分の過去を語っていく。

 彼女は産まれながらに心臓に欠陥を抱えていて、幼い時から入退院を繰り返す。

 心肺機能に問題があるから、走ることができず、外ではしゃぎまわることももちろんできなかった。

 それどころか、外に出る時でさえ付き添いが必要で五分ほど歩いただけでも息があがるほど。

 

 小学校になり、学校へ通うようになっても余り授業に出ることもできずお友達と一緒に遊ぶこともできなかった。

 彼女の友達は病院のベッドというありさまだ。

 中学、高校と進学していくも体は良くならず、薬が手放せないままだった。

 高校三年生になった翠は、体の成長と共に心臓への負担が大きくなっていて学校も休むようになっていたそうだ。

 そんな折、両親から離島に行かないかと提案される。

 離島は空気が良く、都会にいるより翠の体にいいんじゃないかって理由だった。

 しかし、俺はそれだけの理由じゃないと思う。

 彼女の両親は翠がこれまで余り自然に触れることができなかったから、少しでも自然と触れ合える機会を作りたいと考えたんじゃないかなと。

 きっと両親も分かっていたんだろうなあ……彼女の命の灯はもうそれほど残されていないってことを。

 

 突然の提案に戸惑う翠へ両親は言葉を続ける。

 離島に行くにあたって、病院とも相談して、薬と緊急時の対処法を万全にしてきているから安心しろと。

 そんなこんなで父親は仕事があるから、単身赴任して母と妹と一緒に彼女は離島に渡ることになった。


「それでね。私は離島で体調を回復させて、高校に戻るんだって思ってたの」


 結局、翠は離島に渡るものの調子は戻ることなく、そのまま他界した。

 だから、だから制服を着ているのか。

 未練。

 幽霊は未練があるから幽霊になると聞く。彼女にとってセーラー服とはそれほど意味のある衣装だったのだ。

 

 なんて、なんて悲しい過去なんだ……。

 俺と同じ歳の少女が、こんな過酷な運命を背負っていたなんて。

 自分のこれまでを振り返ると、彼女に比べ俺はなんてのほほんと何となしに生きていただけなんだって痛感する。

 

「お、重いよね。こんなお話」


 翠は健気にもそんなことをのたまう。

 これが俺の限界だった。

 その言葉に俺の決壊は崩壊し、目から熱いものがこみあげてきて……。

 

「う、ううん。聞かせてくれてありがとう」

「九十九くん」

「ご、ごめん……う、うぐ……」


 翠は後ろから俺に抱き着いてくる。彼女は俺の背中に顔を当てたままギュッと腕に力を込めた。

 背中に熱いものが感じられ……泣いているのか彼女は。

 

「ありがとう。九十九くん。そんなに真剣にわたしのお話を聞いてくれて」

「う、うん……」


 そんなこと言うなよ。また涙が止まらなくなってしまうじゃないかよ。

 

「でも、私ね。この島に来てよかったんだ。最後にお友達もできたんだよ」

「そ、そっかよかった。うん、よかった」

「男の子じゃないよ? 安心した?」

「また変なことを」


 笑顔で返す俺に笑いながら彼女も応じる。

 彼女から体を離し、正面に向き合って彼女の目と目を合わす。

 

「いっぱい、遊ぼう。やれなかったことをいっぱい」

「うん!」

 

 彼女の頭を撫で、微笑みかけた。

 来年になれば、彼女と話すことはおろか姿さえ見ることができなくなる。

 でも、それまでは俺と思いっきり。うん!

 

「あ、九十九くん。釣り竿!」

「ああああ」

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