第3話 神社にて

 留蔵の家に戻り、先にシャワーを浴びてから夕食をいただく。

 今日は海の幸が中心の料理だった。地元で食べるより獲れたてなのか新鮮で味がよい。

 こういうものが味わえるもの離島ならではだよなあ。海は目の前だしな。

 あ、そうだ。近く釣りに行ってみよう。ふふ。

 あれ? 留蔵がもう手を合わせているじゃないか。まだ食べ始めたばかりなんだけど?


「ご馳走様」

「え、留蔵さん、あまり食べてないじゃないですか?」

「今日はな、スルメをいただいたんだ」


 クイッとコップの飲むような仕草をして上機嫌に留蔵が冷蔵庫を開ける。

 なるほど。

 留蔵は冷えた瓶ビールを出すと、スルメをあぶりながら待ちきれない様子で立ったまま瓶のまま瓶ビールに口をつけた。

 ビールってそんなおいしいもんなのかなあ。


「今日はどんなことをしてたんだ? 一人じゃ暇を持て余してないかと思ってな」


 留蔵は焼けたスルメに触れ、熱すぎたらしく手にふーふーと息を吹きかけている。

 

「いえ、地元の高校生と仲良くなれそうなんで、楽しくなりそうですよ」

「ほう。そいつはよかった! ん?」


 留蔵はニヤリと何か察したようにこちらに目を向ける。


「な、何でしょう?」

「女か? お前も隅におけないなあ」

「女の子なんて一言も言ってないじゃないですか」

「ガハハハ。お前の顔を見てりゃあ分かる」


 留蔵は愉快そうに大きな声で笑い、焼けたスルメを皿に乗せ俺の向かいに腰かけた。


「あ、そうだ。留蔵さん。神社ってどの辺にあるんです?」


 これ以上からかわれてなるものかと話題転換を図ってみる。

 しかし、留蔵は眉をひそめグビリと瓶ビールを口に含む。

 

「『神社』なのか? 『寺』じゃなくて?」

「はい。神社ですが……」

「あるにはあるが、山の中でなあ。神主さんが亡くなってから手入れもされてねえはずだぞ。あ、そうかそうか」


 留蔵は何か察したようにうんうんと頷く。

 

「何でしょう?」

「突然神社っていうから何のことかと思ったけど、川釣りをしたいのか? よくあんな穴場を知ってるな。お前の彼女」

「……彼女じゃないです……」


 全くもう。いじれるネタを見つけたからといってガンガン来られても困る。

 ぶすっと留蔵を見やると、彼は俺の態度が面白いのかげらげらと腹を抱えて笑う。


「俺も数十年神社には行ってねえが、あそこは川釣りするにいい場所があるんだ。釣りがしたいのかと思ってな」

「へええ」

「道具は倉庫にあるから、使っていいぞ」

「ありがとうございます!」


 海でも川でも釣りができるなんて、なんていい場所なんだ。


「お、そうそう。寺なら学校から少し山の方に入ったところにある。あそこで毎年夏祭りがあるんだ」

「いつですか?」

「八月四日の夜だぞ。暇だったら行ってみるといい」


 今日は七月二十八日だから、七日後か。

 スマホを出して、スケジュールアプリに「祭り!」と打ち込んでおいた。

 

 ◆◆◆

 

 自室の扉を開けると鹿のはく製と目が合う。

 これ、毎回ドキッとするから横向けとこうかな……。

 

 踏み台を持ってきて、鹿のはく製を右に傾けた。

 よっし、これで……扉から鹿のはく製を見やると今度は目と目が合わないで済んだ。

 

 いくらはく製とはいえ、見つめられていると余りいい気分にならないからな。

 一仕事終えた俺は、座椅子に腰かけスマホをポケットから出す。

 

 いろいろ調べたいことがあるんだ。

 さっき留蔵から聞いた神社の場所をチェックするのが先だな。

 神社までのルートを改めて確認……問題無し。山道がどんなもんか分からないけど、方向はバッチリだ。

 

 さてと、立ち上がり左右を見る。

 もちろん誰もいない。

 分かってはいるんだけど、ついついな。

 次に調べたいことは翠の高校のことなのだよ。きっと俺はニヤニヤと人には見せたくない表情をするはずだ。

 港で翠に恥ずかしいところを見られてしまったから、部屋の中でも何となく不安になって誰もいないことを確認してしまったってわけ。

 

 まあ、それはいい。

 調べよっと。

 

 え、ええと。確か「相楽塚高校」だったよな。

 この島にあるのかなあと思って、先に離島にある高校を見てみる。残念ながら、離島には高校が無かった。

 てことは島の人たちは高校になると、寮とかに入って高校生活を送るのかな。なかなか大変だ。

 

 「相楽原高校」と入力してグーグル先生に質問すると、なんと場所は関東地方じゃないか。

 随分遠いところに進学したんだな。翠のやつ。

 

 あれ?

 学校紹介のページを見ていると、男女の制服が載っているんだけど……男女共にブレザーじゃないか。

 あの黄色いリボンのセーラー服じゃあない。

 学校名を間違えたのかなあ。

 もう一回、翠に聞きたいところだが、何度も聞くと変に思われちゃうかな?

 ううむ。


 ジタバタ足を動かして悶々と悩んでいても仕方ねえ。

 こんな時は……寝るに限る。

 

 歯磨きをして就寝するとしよう。

 早寝早起き。うん、健康にもいいだろ?

 

 寝る前になってまたしても港の写真を撮り忘れたことに気が付き頭を抱えたのは秘密にしておいてくれ。

 

 ◆◆◆

 

 午前中のお手伝いを終えて、シャワーを浴び自室へ続く扉を開く。


「うお」


 部屋の中に飾っている鹿のはく製と目が合った。

 昨日、目が合わないように動かしたはずなんだけどなあ。

 少しドキリとしてしまったじゃないかよお。

 着替えを済ましてから、今度は左向きにセットして鹿のはく製へ指をさす。


「動かし方がよくなかったのかもな。今度はちゃんと固定されてろよ……」


 鹿のはく製に言っても仕方ないことだけど、そこはご愛嬌ってやつで。

 さてと、今日は飲み物と首に巻くタオルをちゃんと準備した。これで山道もどんとこいだぜ。

 釣り竿も持っていこうと思ったけど、山道がどんなもんか分からないから今日のところはやめておくことにした。

 結構かさばるからな……釣り道具って。


 ◆◆◆


 自転車を山の麓に停車させ、舗装されていない道を進んでいく。

 時折、角だけ木で枠が作られた階段があって傾斜のきついところを登る感じになっていた。道幅は人とすれ違うと横向きにならなきゃならないほどだ。

 しかし、人っ子一人いやしねえ。山に入ってから三十分近く経つが、誰ともすれ違っていない。

 こ、こんなところに住居なんてあんのかよ。調べてないだけで、遠回りになるけど道路があったりするのか?

 家はともかく少なくとも神社を作ったんだから物を運ぶ通路はあるはず。

 

 これは道を間違えたかなあと思っていたら、野イチゴを発見!

 やったぜ。

 現金な俺は、野イチゴにすっかり気をよくして野イチゴの前でしゃがみ込む。

 おいしいかなあと目を細め、野イチゴを摘まんで一つ口に運んでみる。


「酸っぱい!」


 思った以上の刺激に口を窄めてしまったぜ。

 翠と一緒に食べようかなと思ったけど、これはダメだ。

 勿体ないから吐き出しこそしなかったけど、水をごくごくと飲んで口をリセットした。

 

 何てやっていたら、真っ直ぐ続く階段と右手にそれる脇道がある分かれ道まで到着する。

 えっと、ここは……スマホによると右だな。神社まであと少しだ。

 

 蛇行した細い道を抜けると、下の方が苔むした鳥居が目に入る。

 鳥居は石でできていて、色が灰色で地味だ。俺のイメージだと鳥居と言えば鮮やかな赤なんだけど、これは石鳥居ってやつで日本全国に多数ある。

 

 鳥居をくぐると開けた土地になっていて、真っ直ぐに石畳の道が伸びていた。

 右手には小さな水桶、奥にはプレハブくらいのサイズの本堂がある。

 

「九十九くん! おはよ」


 鳥居の影からすべらかで雪のような色をした手が伸び、翠の鈴を鳴らしたような声が俺の鼓膜を心地よく震わせた。


 しっかし、毎度のことながら後ろから不意に声をかけて来るよなあ。

 今回は待ち合わせしていたから、それほど驚かなかったけど誰もいないと思っていたところで肩をちょんちょんされると結構ドキドキする。


 翠は今日も昨日と同じ長袖セーラー服姿で俺へ微笑みかけてきた。

 

「も、もう、おはよって時間じゃないぞ」


 いきなり微笑むもんだから、動揺して変なことを呟いてしまった。


「えへへ、そうだね。うん。こんにちは。九十九くん」

「あ、う、うん。あ、な、なんだ。そうだ。川ってどこにあるんだろ?」

「すぐ奥にあるよ」


 翠は俺から見て左側に腕を振る。

 

「お、あ、そうだ。川に行く前にお参りしていかない? せっかくだし」

「うん。いいよー」


 翠は速足で水桶の方へ向かっていく。

 少し遅れて俺も慌ててついていくが、彼女は途中で立ち止まると顔だけ後ろに向けて、

 

「先にお水で清めるんだよ」


 何て真剣な顔で言うものだから、微笑ましい気持ちになる。

 にやけていたら、翠は目ざとく俺の表情を見ていたようでアヒル口になって人差し指を口に当てた。

 

「ちゃんとやんないとダメなんだからね」

「分かってるって」


 二人並んで水桶の前に立つと、狭い……。

 水桶はこじんまりとしていて、両手を広げたら掴めるほどの横幅しかないんだ。

 

 なので、少し身を引いたんだけど翠に肩を掴まれた。

 

「ダメだよ」


 ぐいっと体を引かれ、俺の肩が彼女の肩に触れる。

 思わぬ近さと動いた反動で彼女の髪が揺れ……俺の心を揺さぶるいい香りが漂ってきて……。

 

 戸惑っていたら、翠は水桶の淵に置かれていた木桶を手に取り水をすくい、俺の手を掴んで木桶の水を流す。

 彼女の細い指にも水がかかって、俺の指と一緒に冷たい水の感触が伝わってくる。しかし、俺の手のひらは冷たい水で冷やされるどころか熱を持った感じになってしまっていた。

 

「九十九くん、暑さで熱がこもってそうだよ? ここの水は飲めるの」


 俺から手を離し、翠は水桶の後ろ側にある蛇口を捻る。


「あ、いや……」


 口ごもる俺の心情を勘違いしたのか、翠は木桶に蛇口から出た水を注ぎ自分の口へ当てた。

 ゴクリと彼女の喉が動く。それと共に木桶から水がこぼれ彼女の顎を伝う。その様子が妙に艶めかしくて、俺も彼女と同じようにゴクリと喉を鳴らす。

 

「ね、大丈夫でしょ?」

「う、うん」


 翠は水の量が半分に減った木桶を俺に向けながら笑顔を見せる。

 そのまま木桶を受け取って、俺も水を飲んだ。

 お、冷たくておいしいじゃないか。今日もカンカン照りで暑いから、冷えた水は嬉しい。ここまで歩いてきたから余計に。

 

「どう?」

「おいしい……」

「でしょー」


 にへえと翠は俺へ笑いかける。

 言葉に詰まる俺であったが、誤魔化すように手をパンパンとはたくと本堂へ顔を向けた。

 

「いざお参りに」

「うん。行こう」


 顔を見合わせお互いに頷きあう。

 

 本堂はプレハブサイズながらも、お参りができるよう正面にチリンチリンと鳴らす金色の鈴から垂れ下がる麻縄があった。

 二人で両側を掴み、鈴を鳴らす。

 

 二人揃って、手を合わせ目を瞑る。

 何を祈ろうかななんて考える前に、俺はお参りする翠の顔が見たくて薄目を開けて隣をチラリと。

 え?

 彼女の表情にドキリとする。

 見るべきではなかった。なんだか彼女の心に土足で踏み込んだような気がして……。

 だって、彼女は――

 酷く寂し気な顔をしていたのだから。

 

 すぐに前を向き目を瞑る。

 次に目を開けた時は翠のお祈りは既に終わっていて、彼女はいつもの顔に戻っていた。

 

「九十九くんは何をお願いしたの?」


 無邪気に聞いてくるが、翠のことをチラ見してから何も考えることができていない。


「あ、ん、健康?」


 適当に答えたつもりだったけど、翠は興奮気味に両手を俺の肩におき大げさに「うんうん」と頷く。

 あっけに取られた俺は曖昧に彼女へ頷きを返した。


「あー、その顔、若いからって本気で願ってないなあ。健康は大事だよ! 健康を願う九十九くん、偉い!」

「そ、そうかな。ははは」


 頭の後ろに手をやり乾いた笑い声をあげる。

 確かに健康は大事だけどさあ。そこまで反応することか?

 今更適当に答えたとか言えん。


「あ、七海さんは何を願ったの?」


 誤魔化すようにそう言うと、翠は瞬き一つのほんの僅かな間だけ悲哀のこもった顔を見せた。

 すぐにいつものにへえとした顔に戻った彼女は、人差し指をぷるんとした色素の薄い唇に当てる。


「んー、どうしよっかなあ」

「え、何だよお」

「えへへー、教えて欲しいー?」

「べ、別に」

「あー、拗ねたなあ! んとね」

「うん?」

「『君とまた会いたいな』って願ったんだよ」


 そう言って目を伏せる翠を思わず凝視してしまった。

 長い睫毛が目に入り、言って恥ずかしいのか少し肩を震わせる彼女へ心臓が高鳴る。


「ら、来年も来るからさ」

「……うん……」


 翠は少し間を置いた後、頷きを返す。

 うまく言えないけど、彼女の態度に対し妙に心が毛羽立つと言えばいいのか……直感的に不安を感じた。

 

 気のせいだ。

 と自分の心の中にある淀みを振り払うように首を振り翠へ笑顔を向ける。

 

「川を見に行かない?」

「うん」


 川は神社がある広場を少し左に降りたところを流れていた。

 思ったより川幅が広く、向こう岸に渡るには泳がないといけないくらいだ。

 

 川べりにちょうどいい出っ張った岩があったので、そこに並んで腰かけ一息つく俺たち。

 しばらくお互い無言でぼーっと二人で川を眺めていた。

 川の流れだけが耳に届き、時折蝉の鳴き声が響く。

 俺は沈黙が苦手な方だったんだけど、彼女となら不思議と落ち着く。

 

 前を見る振りをして彼女の横顔をチラリと見る。

 本当にきめ細くて、日焼けしたことがないのかと思えるくらい雪のように真っ白な肌。

 元々色白ってこともあるんだろうけど、日光自体にあまり当たったことが無かったんじゃないかとか思えてくる。

 彼女の白さはそんな白さだったんだ。

 

 これまで可愛い女の子とお話できるってことでずっと舞い上がっていたけど、改めて冷静な気持ちで彼女の容姿を見ているといろいろ疑問点が出てくる。

 思えば、灯台で初めてあった時から何だかおかしかった。

 灯台の裏手に回ってみたけど、裏手にいたら灯台に張り付いてでもいない限り灯台から少し離れると体のどこかは見えちゃうんだよな。

 もっと不可解なのは二度目に会った時。

 明らかにいなかったよな。それが後ろから俺の肩をちょんちょんと……。

 

 考え始めると、どんどん不自然な点が出てくる。

 長袖にしてもそうだし、汗一つかいていないことだって。

 

 再度彼女を横目で見る。

 え?

 いつから俺の方を見ていたんだろう?

 微笑を浮かべて俺をじーっと見つめる彼女と目が合う。

 

「び、びっくりした」

「さっき、九十九くんも見てたでしょー?」

「い、いや?」

「ふーん」


 ダ、ダメだ。また彼女へドギマギしてきた。

 え、ええと何だっけ。

 そうだ。不可解な点がいくつも出てくるってことだ。

 彼女の言葉を思い返してみるだけでも、確かめたいことがいくつもある……。

 

「どうしたの? 難しい顔をして」


 首を傾げる翠。


「あ、いや。一つ聞きたいことがあって」

「うん?」


 あまり根掘り葉掘り聞くのもどうかと思ったから一つだけにしておこう。

 いざ聞くとなると少し緊張してきた。俺は大きく深呼吸して翠の方へ体ごと向き直る。

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