第13話 おっとり癒し系お姉さんの怒り

 いさごは視線をそらす男子たちの顔をそれぞれ眺めながら、スカートの裾を直してみせる。

 なぜ女子部員としての立ち居振る舞いを忘れてしまったのかというと、頭の中で、シェイクスピアとしてのアイデアが刹那の閃光を放ったからである。

「面白いんじゃないかな、それ」

 舞台装置なし、照明も使えない。

 この一座を困らせている現在の状況は、かえって沙の好奇心をかきたてた。

「すると、明かりは何もないの?」

 不機嫌そうな顔をしたヒカリが、きっぱりと言い切った。

「ありません」

 だが、沙もなかなか名前が思い出せない舞台監督ステージ・マネージャーが横から口を挟んだ。

「いや、ある」

「どこに?」

 目を輝かせたイスズと、顔は笑っているのに眦を怒らせたヒカリが、同時に舞台監督へと詰め寄った。女子2人に迫られて背の高い男が後ずさるところに、座長のナミキが追い打ちをかけた。

「どこだ、サガミ!」

 舞台監督はサガミとかいうのだと思い出したところで、怯えるその口からは、聞き慣れない言葉が漏れた。

「ボーダーライト」

 沙はすぐさま聞き返す。

「何の境目ボーダー?」

 そこで「ああ」と手を叩いたイスズが、手を水平に振った。

横一直線ボーダーの照明だから」

 だが、ヒカリは舞台監督のアイデアを許さなかった。やんわりと告げる。

「でも、それ、サギョウトウですよ?」

「でもさ、調光室ダメだったら、袖で操作するしかない」

 サガミは舞台監督らしく、あくまでも合理性にこだわっていた。それはつまり、「どうやったら実際に上演できるか」という点である。

 だが、ヒカリがこだわっているのは、そこではない。 

「基本的に、ステージの上で作業するための明かりなんです、ボーダーライトは。ステージの隅から隅まで照らすための、何の面白みもない、ベターっとした平たい光なんですよ、分かりますか?」

 声は穏やかだが、その裏には蓋をされた怒りが感じられた。

 他の座員も同様であったのだろう。ナミキも、部長として手を叩いた。

「はい、そこまで!」

 議論の邪魔をされたサガミとヒカリにキッと睨まれて、さすがのナミキもうろたえた。

「だから、さ、ね、舞台監督は、さ、絶対に作業灯で芝居したいって言ってるんじゃなくてさ……」

 ヒカリはきっぱりと言った。

「手短にお願いします」

「だったら、調光室に、上がってください」

 努めて控えめに告げられた座長の一言に、ヒカリは呻いたものの、渋々と頷いた。それでも、黙ったままではいない。

「装置なしで……照明使うメリットは何ですか?」

 沙にも、その理屈は分かった。ヒカリは、照明をその場の雰囲気作りだけに使われたくないのだ。

 500年前には灯体もレンズもなかったが、舞台に携わる職人魂は変わらなかった。そんな時代に、この『ハムレット』を書いたシェイクスピアとしては、この気持ちに応えないではいられない。

「昔は、大変だったの。あんな機械、なかったから」

「どうしてたの?」

 サガミが身を乗り出したのは、舞台監督として当然の反応だったろう。イスズも、豊かな胸の前で腕を組んで、じっと見つめてくる。

 沙は、かつての稽古を思い出しながら語った。

「たとえば、月夜の場面になったら舞台の後ろで、長い棒の先に付けた大きな月を思いっきり持ち上げたりしてたの。それでも、観客はその場面が月夜だって信じたのよ」

 だが、ヒカリは納得しなかった。

「それは、そういう方法しかなかったからです。今は、照明があって当たり前ってことになってます」

「そうかな」

 口を挟んだのは、ナミキだった。

「逆に言えば、書き割りの月が出る劇なんだってことを観客が納得してれば、それでいいんじゃないか?」

 沙から見ても、これには一理あると思えた。

 うーん、とヒカリは考え込む。自分が言ったことだけに、反論の余地がないらしい。それでも唸るしかないのは、自分の扱う照明機材の出番がないのが納得できないからだろう。

 そこで現実的なことを口にしたのが、舞台監督のサガミだった。

「でも、部室が使えないから、書き割りも作れない」

 結局、問題はそこに戻ってくる。そこでヒカリは、根本的なことを口にした。

「だから、装置が舞台にないってことのメリットは何ですか?」

 そう言うなり、立ち上がってステージを出ていこうとする。

「今日は帰ります。キャストも来ないみたいですし」

 沙は一言もなかった。確かに、キャストが来ないでは、この先の稽古ができるかどうかも覚束ない。

 稽古をするしないを取り仕切るのが座長であるが、ナミキも無言だった。稽古の段取りをする舞台監督も、何も言えない。

 演出も黙っている。これではもう、今日は解散するしかないと沙も思った。

 だが、イスズは何も考えていないわけではなかったようだった。

「人が最初に仮面をつけたとき、そこには舞台装置があったかな?」

 ヒカリの足が止まった。冷ややかな言葉が漏れる。

「何ですか? じゃあ、お面付けて大会やろうっていうんですか?」

「それが舞台装置の代わりになるんならね」

 イスズの言葉にはナミキもサガミもぽかんとしていたが、沙には何となく分かってきた。

 それを確かめてみる。

「仮面ひとつでも、観客は納得するってこと?」

 イスズは頷いたが、ヒカリは首を横に振った。

「そんなの、ごまかしじゃないですか?」

 ごまかしじゃない、とイスズは静かにたしなめた。 

「仮面ひとつで、そこにいない人がいることになる。舞台装置も同じ。本当は、そこにはないものなの。だったら、それをあることにすること自体が、ごまかしってことにならない?」

 舞台監督のサガミが考え込んだのは、自分の仕事の意義に思いを巡らせているからだろう。

 沙の身体を、ゾクっとするものが駆け抜けた。ひとつの答えに向かって、その場にいる者全てが考えを巡らせている、この感覚。

 それを引き取ったかのように、座長のナミキが重い口を開いた。

「ないものはないって、正直に見せようよ」

 ヒカリは納得しなかった。

「でも、劇にならなくちゃ意味がないんじゃありませんか?」

 イスズは開き直るかのような堂々とした態度で切り返した。

「それを劇にするのが演出なのよ、任せて」

 振り向きもしないで、ヒカリは尋ねる。

「どうやって?」

 イスズは一瞬、言葉に詰まった。無理もなかった。それは、これから考えることだ。だが、ここは一言でも答えてみせないと、ヒカリに言い負かされたことになる。

 沙には、その答えがあった。ゾクゾクしながら、立ち上がる。

「まず、楽しもうよ。舞台装置なしで、何ができるか」

 作者としても、それは大いに興味のあることだった。台詞とト書きだけで、どれだけのことを描き得るか、500年前に書いたものが、どれだけの力を持っているのか、身をもって知ることができる。

 考え込んでいたサガミが、顔を上げた。

「早い話、イチから段取り直しってことだな」 

 それが自分の仕事だと悟ったかのように、晴れやかな顔をしている。

 こだわりの中に取り残されたヒカリは、そこに立ち尽くしたまま考え込んでいたが、急にあぐらをかいて座り込んだ。

「それ、照明も楽しんでいいってことですか?」

 イスズが複雑な笑いを浮かべて言った。

「そうなんだけど……」

 男子2名も、そっぽを向いている。最大限に譲歩したつもりらしいヒカリが、おおろおろしながら座員たちを見渡した。

「何か……文句あるんですか?」

 目が合ったところで、沙も慌てて目をそらした。女の身だから通っているが、男としてはまずいことを、ついやってしまっていたのだ。

 口ごもりながら、つぶやく。

「スカート……」

 さっき沙がやったように、ヒカリも慌てて裾を押さえた。

 間一髪で、クローディアスとポローニアスが舞台へ駆け込んできた。

「すみませ~ん、いきなりまさかの居残り食らっちゃって……」

 ヒカリはいつものように、それを迎えた。

「もう、いけませんよ、みんな待ってたんですから……」

 すると、優しいお姉さんの一言を待っていたかのように、キャストたちが「ごめんなさ~い」と口々に言いながらやってきた。

 あとは、音響効果のナナエを待つばかりであった。 

 イスズは、その姿が現れるべき舞台袖をじっと見つめている。

 

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