ルロイ・フェヘールの過去2

 故郷に戻ることもできたはずだ、しかしそれでもこの場所に留まり続けたのは罪悪感からか、それとも冒険者としての未練ゆえか、そんな感傷がすでに終わった人間になりかけたルロイの胸中を何度か撫で擦った。やがて、それすらも考えるのが億劫になってきたそんなある日。すでに誰も訪ねることがなくなって久しい薄汚れたルロイの仮宿を訪ねる一団の姿があった。


「ルロイ・フェヘールだな」


 誰とも知れない男の声が、長らく人と話すことさえ拒んできたルロイの耳に、やけに重々しく響いた。

 仮宿の床にうずくまっていたルロイが見上げれば、数人の従僕を付き従えた厳しい顔つきの刑吏がいた。

 ルロイが弱弱しく虚ろに頷くと、男の両脇に控えていた無表情で屈強そうな従者二人が、罪人でも引っ立てるようにルロイを起き上がらせた。

「信託が下ったのでな……真実を司りし我らが神ウェルスの御名において。神殿までご足労願う」

 刑吏の声には有無を言わせぬものがあった。従者はそのまま衰弱しきったルロイを連行した。

 もしや自分を裁くつもりだろうか?それならそれでそれも良い気がした。それで、エルヴィンへの償いになるとは思えなかったが、自分にはふさわしい末路だ。ルロイは、自分を連行する抵抗する気力はなかった。

 しばらくしてルロイは、中央広場の一角に位置する壮麗なウェルス神殿へ通された。

 神殿の祭壇の前に引き出されるや、跪くルロイの前に行為の聖職者らしい純白のローブを着た厳かな老人が何かを定める目つきで見下ろしているのだった。

「いきなりのことに、驚いておろう。紹介が遅れていたな、ワシはエンツォ・ディ・フィオーレ、我がレッジョにおいて市参事会の司法長官とこの神殿の長を務めておる」

 厳しい声色かと思いきや、どこか慈しみさえ感じさせる同情のこもった言葉が返ってルロイを混乱させた。

「僕を裁くおつもりですか?」

 すでに覚悟は決めている。処刑するならしろだ!自棄になってみたものの、ルロイはどこか静かな面持ちでいた。ようやくこの責め苦から解放されるかもしれない期待と安堵が、死への恐怖に勝ったためである。フィオーレはというと、少し困り顔になってルロイの今や淀んだ双眸そうぼういさめるように見据えると、短く咳をすると事務的に言葉を継いだ。

「我らがレッジョでは、信仰の種類もあり方も様々だが、レッジョの都市法の法源は真実を司るウェルス神を本尊ほんぞんとしておる」

 フィオーレは自らの背後に屹立するウェルス神の神像を見上げる。本尊ほんぞんは男性的とも女性的ともいえる顔立ちで、体躯は中性的に彫られていた。右手に聖典、左手に天秤をもった大理石の像。どこか物言わぬ神像は、こわばった表情のままルロイを今まで心待ちにしていたようにも見えた。

「このレッジョの行政上の法制度には『魔法公証人』というものがおる。詳しいことは後でゆっくり説明するが、まぁ一般的な公証人の仕事に加えて守護神たるウェルスのご加護と奇跡を一手に引き受ける専門職であると言っておく。ここ最近は、それにふさわしい器の者がおらんものでしばらく空位であったが、例の異界の扉の騒動が終わってから恐れ多くもウェルス神からあるお告げが下っての……」

 フィオーレの何かを期待するような目つきが、何故かルロイをことさらに傷つけた。

「貴方は僕に何をお望みですか?」

 ルロイは次第に苛立ちを覚え始めた。いっそ罪人として有無を言わせず切り捨ててくれた方がどんなに楽か知れなかった。まさか、こんな神聖そのものの空間でこの老司祭は自分を担いでいる訳でもあるまい。

「正直、信託を授かったワシ自身も驚いとるよ。しかし、この大都市レッジョで『魔法公証人』としての資格を有する最も真実に近しい相応しい人間は君だというのでな……」

「僕が真実に近しいですって?」

 驚きと共に、乾いた笑い声が掠れがちに喉を痙攣けいれんさせる。ここの神様とやらはよほど質の悪い冗談が好きらしい。

「ああ、間違いあるまい」

 フィオーレは勿体つけず真剣そのものに短く答えた。

 馬鹿げている。ここにきてようやくルロイは分かったのだ、これまでのルロイは自分を偽り続けてきた。決して敵わないエルヴィンへの憎しみ、嫉妬。遂にはエルヴィンと張り合うために、本当は権力など欲しはしないのにレッジョでの権勢への欲望に取り憑かれてしまった。挙句、あの時のエルヴィンの目には親友に裏切られた怒りも絶望もなく。この自分を憐れんでくれたのだ。自分は全面的な敗北をこれ以上ないほどに認めるしかなかった。敵として憎んでさえもらえない自分と、自分を最後まで哀れな存在としてみなしたエルヴィンを今度こそルロイは自分もエルヴィンも許すことができなかった。ずっと逃げ続けてきたのだ。自分は。そんな自分に何か一つでも真実がありえようか。

「ウェルス神に仕える『魔法公証人』になるつもりはあるか?」

 未だ発作的な笑いが収まらないルロイを、とがめるでもなくフィオーレは丁寧に問いかけた。

「それは、あなたから僕への命令ですか?」

「お主が、今真に望むことはなんだ!それが嫌だというのであれば強要せん。もっとも、強要したところで、己が本心と向き合う勇気がない者には、到底務まるものではないがの……」

 フィオーレが、初めて断罪するかのような厳しい口調になった。

「僕にどうしろと……」

 もはや、後悔にまみれた苦渋の味しかなかった。エルヴィンもこのフィオーレという老司祭も自分を裁いてはくれないのだった。

「お主が一番分かっておる。お主がここにきてそうなったのも自らの中の真実に飢えているからではないのかね?だが、言っておくがその答えとやらはお主がこれまでの人生から楽になるための安易な方法ではないぞ……」

 初めからすべて見透かされていた。真実からこれ以上逃げることなどできない。今の心からの真とは――――

 ルロイは、火の点いたように泣いた。ルロイは、洗いざらい異界の扉でのことをすべて話しフィオーレに自らの罪を懺悔した。一通り心のおりを出し切り、ルロイが黙り込んでしまうと、フィオーレもまた深くため息をついて、「ようやく合点がいった」と意味深に呟くのだった。

「罪滅ぼしは『魔法公証人』となりて、人々を助けよ。それがお主にとっての新たな人生ぞ」

 ルロイは冒険者を辞め魔法公証人として第二の人生を歩み始める。本当の自分自身の心を見つめ、罪をそそぐためのもの。

 フィオーレの指導の下ウェルス神殿で六年間、『魔法公証人』となるための苦行のごとき修行を積む日々が続いた。そして、魔法公証人として事務所を構えてからかれこれ四年。ルロイがレッジョに来てから、実に十年目の歳月が経っているのだった。




「それから先は、貴女も知っての通りですよ……」

 少年時代からのことを語り終えると、少しばかり楽になったのか、それともここまで来た因果のためにため息を一つ吐き出した。ルロイはすっかり冷めきった紅茶を一気に喉へ流し込んだ。

「じゃあ、あなたはそのエルヴィンて人を救いに?」

「初めは、もし彼が生きているならせめてもの罪滅ぼしにと思っていました。しかし、今となってはどうなんでしょう……」

 照れくさく後頭部をきむしりながら、ルロイは十年ぶりに冒険者としての支度を始める。この時のために、鎧と幾つか武器も新調した。

 本当は分かっている。エルヴィンの最後の言葉、それに応えうるためのこの十年だったと疑いなく信じている。戦支度をしながら不意にサシャと目が合う。

「戻って来るって、約束してくれますか?私に……」

 サシャなりに、もはやルロイを止めることができないと納得しかねるが理解はできている。そんな感情を抑制した声色だった。

「死ぬつもりはありません。ましてや、思い出と心中するつもりなど……うん。良い具合だ……」

 皮鎧に愛用のチンクエデアに予備のダガーを数本。腰のベルトには幾つか小道具を詰め込み、最後にケープを羽織りルロイの戦支度は完了した。

 これまでも、ルロイは魔法公証人として依頼人や仕事の一環としてダンジョンに潜ることは何度かあった。冒険者の装備に身を包むのは十年ぶりだ。エルヴィンと共に過ごした記憶が脳裏に鮮明に蘇る。

 ダンジョンに挑むのは実に十年ぶりである。懐かしさを通り越した熱い感情がゾクリと背筋を撫でつける。どうやら、まだまだ冒険者だったころ血もこの体にたぎっているらしい。いまは、その血が健在であることをルロイは素直に喜んでいた。

「大丈夫です。戻ってきますよ。その前に、貴女と同じ約束をした友の元へ今一度戻らなければなりませんがね」

 サシャのヘイゼルの瞳が涙で濡れる前に、ルロイはいつも通りの笑みを手向けた。

 今度は、自分の帰りを待ってくれる人と場所まで手に入れることができたのだ。その細やかながら確かな幸せのために、少しばかり、ルロイも決心が鈍りそうになった。が、だからこそ死ぬ気で挑まねば己に勝てない。今は前を進むためには必要なことなのだった。

「ヒャハ、ロイてめぇ元気かオラァ!」

 荒々しいノックと共に事務所の玄関先から、聞き間違えようがない馴染みの奇声がルロイの鼓膜を叩いた。




 事務所の玄関に出るや落ち着きのないギャリックがルロイを待っていた。

「リックですか、相変わらず物々しい」

「遅ぇぞったく!」

 もともとこの時のために、ギャリックには自分の護衛として共に『異界の扉』へ行くよう事前に頼んである。レッジョにおいて命知らずで腕が経つ冒険者は数多くあれども、こんなことを頼める者はそう多くはいない。ギャリックはルロイの言葉を最後まで聞かずに二つ返事で快諾してくれた。

「俺ぁ元より、異次元の猛者どもとやり合ってみたかったのよ。つかオメェが嫌だっつても付いてくからな!」

 ギャリックらしいと苦笑いしたが、同時に今のルロイには頼もしい限りでもあった。

 既に街に侵入してきたモンスターとの激戦を繰り広げてきたのであろう。ギャリックの得物のロングソードの白い鋼と額当てから両手のガントレットにかけてモンスターのものであろう返り血で汚れきっていた。

「こちとら、雑魚相手の準備体操はもう飽きたとこだぜぇ」

「まったく、そっちこそいつも以上に落ち着きがないんですから」

「そりゃ、だってアレだぜ!アレ!」

 まるで年に一度のお祭り騒ぎを楽しみにしている子供の様にギャリックはにやけて見せる。獰猛どうもうな笑みのまま嬉々としてギャリックは暗雲立ち込める『はるかなるきざはし』を指さした。

「ええ、嫌というほど知ってますよ」

 ルロイはこれから自らが向かうべき死地を見上げた。

「まさか、今更怖気づいてねぇよな?」

「分かってますって。あなたを呼んだのも正にアレですからね」

「おうよ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る