ルロイ・フェヘールの過去1


 ルロイは、レッジョから遥か東北のヴァロッシュという名の寒村で生まれ育った。

 ヴァロッシュは、山麓で細々と自給自足の農業と山麓を越えて大都市に商品を売り捌きに行く行商人相手の宿場を営むことで村人は生計を立てる小さな村。他にこれといった特産品もなく、有り体に言えば退屈なその他大勢の田舎であった。

 それでも、朝もやの立ち込める村の中から仰ぎ見る山々の絶景だけは素晴らしく、村人はもちろんたまに旅の途中で村を訪ねてくる行商人や冒険者も口を揃えてその絶景を「雄大な美しさ」と讃えたものだった。

 それでもと、よせば良いのに俺たちが訪ねたあの大都市ほどの華麗さはない、あるいは俺たちが攻略したあのダンジョンの威容はもっと凄かったぞ。と、得意げに村の子供らに外の世界と自らの武勇伝をましましと語って見せるお調子者の冒険者が居るものだから、退屈な寒村に縮こまっている若者が感化されない訳がない。

 ルロイ・フェヘールとその親友エルヴィン・カウフマンもまた、ヴァロッシュ村の他の子供ら同様、幼いころからそんな外の世界のおとぎ話を聞いて共に育った。


「俺とお前で冒険に出よう」


 二人が十五を迎える頃になって最初に切り出したのはエルヴィンだった。親友のこの言葉を聞いた時、ルロイの胸中は「遂に来たか!」いや「遂に言っちゃったか……」そんな相反する感情が互いにせめぎ合っていた。

 だが、そんな予感は十分すぎるほどしていたのだ。むしろ、ルロイには村一番の餓鬼大将で血気盛んなエルヴィンがよく今までその言葉を飲み込み我慢していたものだという感嘆さえあった。

 ちなみに二人とも幼くして両親を亡くしている。

 雄大な美しい自然に育まれたヴァロッシュ村は、同時に耐え難い飢えと寒さをもたらす大寒波に幾度となく襲われている。二人の両親と残った他の兄弟たちも皆それでやられた。それは、冬になれば極寒のルロイの故郷では珍しいことではない。似た境遇の家族は村中探せばザラにいる。だからこそ、村人同士は村そのものが一つの家族の様にお互いに助け合い、大寒波のせいで寡婦かふとなった者、とりわけ孤児となった二人への村人たちの扶助はとても手厚かったと今でもルロイは記憶している。

 村人たちは二人に対して身寄りのなくなったことで率先して食料を分け与えてくれた位で、むしろ家族がいた時よりも食べるものに困らなくなったほどである。高望みなどしなければ少なくとも、飢え死にする生活はもうしなくても済みそうだった。

 それはそれで家族を失った二人にとって幾分慰めにはなったことであり、現にルロイは村の中で一生懸命働いてこの故郷の人たち恩に報いようと思っていた。

 エルヴィンがその一言を言うまでは――――

 エルヴィン・カウフマンという男は弱者として素直に恩恵に浴するにはあまりにも自尊心が強すぎた。そして、良くも悪くも受け身でいられない性格であり、たぎるような情熱を、幼少期からの夢と憧れをいつまでも変わらず持ち続ける心の持ち主だったのだ。


「冒険だ!冒険だよ!俺とお前ならきっと行ける気がする!」


 だが、ルロイはそういう人間ではない。村を訪ねる冒険者の血沸き肉躍にくおどる英雄的冒険譚に強く惹かれ憧れを抱き得たとしても、生来の慎重さと思慮深さが「自分にはそんなことはあり得ない」と純真な夢に酔いしれる自分を強く冷ややかに否定してしまう。


 自分は冒険者のような、ましては英雄の器ではない。


 百回くらいは「無茶だ、やめよう」とルロイは泣きながら止めに掛かった記憶が今でもあるが、なんだかんだでルロイはエルヴィンの賭けに乗ることに決めたのだ。

 村長や世話を焼いてくれた大人たちとエルヴィンが大喧嘩した末に、二人が故郷を旅ったことは言うまでもない。

 最寄りの都市の冒険者ギルドで登録を済ませ、まずはエルヴィンと二人でパーティを組み最寄りのダンジョンでいきなりドラゴンに出くわして命からがら逃げおおせた初めてのクエストは今でも眩しいくらいに思い起こせる。


「馬鹿やろこの野郎!もーちょいで倒せたのに」

「馬鹿は君の方だ。このへっぽこ猪冒険者!」

 無事ドラゴンから逃げ遂せた時、悔し紛れに地団太踏みながらエルヴィン吐いたセリフに対して、必死こいて逃げながら本能的に最速で最短の逃げ道を導き出してエルヴィンを誘導したルロイも初めて本気で怒り喧嘩になったのは言うまでもない。

 冒険者になったばかりの初回の冒険でドラゴンスレイヤー気取りとは……

 エルヴィンという男は最初この男馬鹿ではないか、と大抵周囲の人間に思われるのが常だったが、良くも悪くも何も考えていないが故の強靭な純真さと異常なまでの好奇心をみてとるや、冒険者であるとあらざると多くの人々に好かれ、尊敬の念さえ勝ち取ったのだった。

 それから僅か三年で、他に頼もしい仲間が何人か加わったこともあってだが、最初は逃げ回るしかできなかったドラゴン相手にエルヴィンの決死の覚悟とルロイの計略をもってでどうにか仕留めたことは冒険者ギルドでも快挙として一時期もてはやされた。

 通常は駆け出しから初めて十年は死線と修羅場くぐって冒険者として生き残れた者がようやく倒せるかどうか。ドラゴンとはそういう存在であり今も昔もモンスターの中で最も畏怖すべき存在である。それをたった三年で成し遂げたということで、ルロイもまたそれなりに脚光を浴びた。

 ドラゴン退治のその日は討伐依頼を受けた街で朝までバカ騒ぎに興じたものだ。二人の友情を通してみた時、おそらくもっともこの瞬間こそルロイとエルヴィンは幸せのはずだった。

 親友と共に到底かなわないと思い込んでいた存在を叩きのめす痛快な恍惚こうこつ。だが、同時にこの時をもってルロイの中であるしこりのようなものが芽生える。

 その正体をルロイは知っている。あの時、自分の小賢しい計略などなくともエルヴィンはドラゴンを倒せただろうと、エルヴィンだからこそドラゴンと渡り合えるほどの仲間も集められた。翻って自分はどうだろうか?

「まったく、土壇場で機転の利く奴だよ!オメェは……」

 エルヴィンはルロイ自身をこう評してくれた。

「そうせざるを得ないの!君の無茶に引っかき回される僕らが生き残るためにはね」

「オメーらの生存訓練になっているようで、大いに結構だコノヤロー!俺はこれまで通り突っ走るまでだ」

「しょーがない。これからも、僕が君を支えるしかないな」

「もちろんだこのヤロー!これからも、よろしく頼むぜ!」

 自分はエルヴィンのようにはなれない。

 むしろそんなアホ勇者になんだかんだ付いてきただけでも、ルロイのその忍耐は称賛されてしかるべきである。他の冒険者仲間はエルヴィンの破天荒な性格と反りが合わずパーティから抜けてゆくか、あるいは過酷な冒険の最中志半ばで倒れてゆくかで、エルヴィンのパーティは頻繁に入れ替わっていった。ただ一人、エルヴィンの幼馴染であるルロイ・フェヘールを除いて――――

 それならせめて、とルロイは羨望と屈折した憧れを抱き彼を支えることで自分今は自分の道を行けばいいのではないか。そう自分に言い聞かせた。そう、自分は自分なりに別の方法で成りあがってやろうと思う。

 それから更に二年が経ち、エルヴィンは数多の冒険の末、あらかた故郷の周辺のダンジョンは攻略し尽くし、挙句に「竜退治はもう飽きた」などとエルヴィンがのたまい、エルヴィンのパーティは、悠久の歴史と数多の古のダンジョンを抱え込む大都市レッジョを目指すことになった。かれこれ二人が冒険者になって五年の歳月が流れていた。

 ちょうどレッジョが見えるや、一行は少しばかり観光でも楽しむつもりでいたが、ちょうど今現在のような殺伐とした混沌ぶりであった。『はるかなるきざはそ』の頂上辺りが暗雲に包まれ赤紫の稲妻が迸る。レッジョの周辺ではモンスターもやたら強いものがうようよ湧いていた。もっともエルヴィンに言わせれば「肩慣らしにもならんレベル」らしい。

 レッジョの市門に着くや、一行は市参事会の市長を筆頭に熱烈な歓迎を受けた。どうやら、エルヴィンの冒険者としての名声はここレッジョにまでしっかり及んでいた。到着早々、「アレをどうにかして欲しい」とのことであった。

はるかなるきざはし』の頂点、そこは幾つもの異界に繋がる禁域であると共に、十年に一度開くという、封印されし扉があると言う。その名は幾つかあるが、レッジョの冒険者ギルドは分かりやすく『異界の扉』という通名で呼称している。扉そのものから異形のモンスターが、またそこから放たれる磁場のようなものがレッジョ近辺のモンスターの活動を活発化させているらしい。

 街の中に入り更に詳しく話を聞くにつけて、異界の扉を攻略すべきか、あくまで扉が閉じるまで市街地の守りに徹するべきかでレッジョの市参事会の意見が真っ二つに分かれていることが分かった。あの時の市長の言動からして、ルロイは多大なリスクを冒してまで異界の扉攻略を望む何かがあると悟った。

 実のところ、何十年か前にも幾度か異界の扉が広がった時期に扉の内部を探索に出た冒険者たちが何人もいた。が、その多くは生きて戻らず、命からがら戻ってこれた数少ない冒険者も心身ともに深く傷つき、冒険者として復帰できたものは一人も居ない有り様だった。それでも、数少ない生還者たちはある興味深い貴重な情報をもたらした。

 それこそが、『心願の壺』と呼ばれる謎の異物であった。

 なんでも、それを手にした者は真に己が欲するものをなんでも手にすることができるという。現にそれで願いを叶えた者はいるのだった。しかし、心願の壺を持ち帰った者はいない。異界の扉から生還した者たちは一様にその壺のことをある種病的な熱っぽさをもって口にした。がそれ以上のことは他のものが問い詰めても決して口にしなかった。彼らが何を壷に望み、何を叶え、なぜパーティが全滅したのか?

 分からずじまいなもので、心願の壺など異空間の瘴気しょうきに当てられた者が見た幻覚だの、精神を病んだ冒険者崩れの戯言だのと決めてかかる者も多かった。しかし、生還者が皆一様に壺の存在を認知し同じ体験をしていることから、異界の扉が開かれ徐々にその内部が探索されるにつれ、心願の壺の存在への信ぴょう性は高まっていった。なにより、なんでも望みが叶うものという、人間の中でも最も貪欲で無謀な冒険者たちの欲望を際限なく掻き立てていった。

 ルロイ・フェヘールもまたその業を背負う一人には違いのないことであった。

 それから先は、随分早く事が進んだ。その心願の壺を持ち帰ることができれば、レッジョの参事会でのし上がることさえ可能だろう。ここまで、エルヴィンの無茶ぶりに付き合い、こうして生き残ってきたのだ。それなりに自らが冒険者として優秀であるとルロイは自負している。が、それとてエルヴィンの手助けによるところが大きい。元より冒険者として自分など二流どころも良いところであると、ルロイは冷徹に自らの能力を見定めるくらいには、過信を戒めていた。それに、いつまでも冒険者で居続ける訳にも行くまい。いつかはやめる日がくる。

 だからこそなのか、心願の壺の話を聞きエルヴィンが異界の扉の攻略に乗り出しを決定した時、それまでの自らへの諦観を装っていたルロイの中に野心の火が急速にしかし静かに猛り始めていた。エルヴィンから見て二番手の人間ではなく、別の形で成り上がることができる。

 その結果は、言うまでもない。

 心願の壺に魅入られたルロイは他の仲間同様、自らの邪な野心を吐露し、壺に潜んでいた何者かに取り込まれそうになる。その状況で身を挺して止めようとしたエルヴィンをあまつさえ、不俱戴天ふぐたいてんの仇のように殺意をもってダンジョン内の谷底へと突き落とした。

 全てを失ったルロイは帰還後、異界の扉の騒ぎが収束した後、魂が抜けたようにレッジョに留まり、失意の中酒浸りになっていた。

「あのエルヴィン・カウフマンでさえ攻略は無理だったとは……」

「あの兄ちゃん。もう二度と、冒険者稼業はできねぇだろうなぁ……」

「あ~あ……このザマじゃあ、次の十年『異界の扉攻略』はねぇかもな……」

 そんな失望と哀れみが混じった声が時折ルロイの耳に入ってきたが、もはやどうでもいいことだった。

 やがて、異界の扉に恐れをなしていた商人や冒険者たちもレッジョに戻りいつもの活気あるレッジョの姿が戻るとレッジョの人々は、早くもエルヴィンのこともルロイのことも忘れ始めていった。

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