プロバティオ(証明)対プログレッシオ(成長)
『仄暗き鉱床』。その最奥にようやくルロイは息を切らせながら到達する。
カンテラを壁面に近づけるとそこには、朱色の塗料で太古の人々が種から植物を栽培する様を描いた壁画が描かれていた。この奥まった場所にある通路は下水や廃坑といった薄汚れ下卑た雰囲気がなくむしろ古代の聖域の面影を
「随分回り道をしてしまいましたが、ようやく追い詰めましたよ」
「よう来たなぁ。魔法法証人の兄ちゃん」
男は祭壇のような石造の台で、煌々と光る燭台の光に照らされながら堂々と直立しルロイを迎えていた。
ふんどしに
あの時の不敵な笑みを見せつけた顔のまま、男は芝居がかかったように右腕を高らかに掲げルロイを迎い入れる。もう片方の左手には、気を失ったサシャが縄で体を拘束され力なくだらりと首を垂れたまま腕の中で静かに抱かれていた。
ついに追い詰められ、人質を取って保身に走る卑劣な犯罪者。には見えず、当の種付けおじさんの顔には悪事を暴かれた焦りなど
そこに在る種付けおじさんとサシャの存在とは、太古の
「彼女を解放しろ」
「ああ、勘違いしてもらいたくないんやが、わしはこの娘に何もしてへんで。種付けするならやっぱダンジョンやで」
「では何故!」
「まぁまぁ、積もる話もあるやろ、わしの事色々調べ取ったようやないけ。まずは兄ちゃんの話を聞こうやないか」
種付けおじさんは
「僕があなたをここまで追ってきた理由は、『
「『
「ええ通常であれば……しかし、ここ『
「ほうほう……」
種付けおじさんは未だたじろがない。ルロイは言葉を継ぐ。
「フンゴジャッロの大量発生の要件。それは寄生主たるシルキースライムの発生要件が前提となり、それは豪雨や洪水のような大量の水が流し込まれることで生じます。そのことをあなたが知ったのは半年前ここレッジョに戻ってきたとき。それも、アシュリーさんとの『種付け契約』締結後です。おそらくあなたにとって旧知の仲であるゾシモフから、フンゴジャッロの大量発生の要件を聞きだしたのでは?元々知っていればアシュリーさんとの契約自体がなかったはず。それで、違約金を払うことで慌ててこちらの『種付け契約』へ移行した。違いますか?」
「なるほどのう、なかなか大した推理やで」
否定も肯定もしないような
ルロイはカギの付いた指輪で指の腹を切る。鮮血がインク壺の中に滴り落ち、ルロイは懐から出した証書にペンで必要な文言を高速で
「真実を司りしウェルスの御名のもとに汝、マーシャル・フリードマンに問う。アシュリー・レイドとの契約を
もはや、ウェルス証書の前において逃げることはできない。種付けおじさんは無言のまま無表情に口をつぐんでいた。ようやく観念した様にも思えた刹那――――
「はっ、言わぬが華やで!」
嘲笑うという言葉以外の何物でもない歪んだ表情。
「なっ、沈黙は肯定と見な……」
否、もっと早くに気付いていなければならないのだ。
「プロバティオが……発動しない!」
ここまで、自分たちの動きを察知されていたのだ。加えて事実を突きつけられても
「コボルトの兄ちゃん。本当ご苦労様やで」
種付けおじさんが地下足袋の中から臭そうなフンゴジャッロを取り出すや祭壇の後ろへそれをぞんざいに放り投げる。今まで燭台の明かりの陰影に隠れ見えなかったが、どうやら共にサシャを拉致したもう一人の黒づくめの男らしい。
「びゃーマツタケ!マツタケ!うんめぇ~!!」
悪い予感というものは往々にして当たるが、それを上回ることもある。言ってみれば悪夢であるが、その元凶は夢見心地でキノコを貪っているのだった。
「ディエゴ!あなたって奴は!」
「すまんだニャ……ルロイ。サシャの姉ちゃんにもホント悪いことしただニャ……でも、オイラの体がそのマツタケを欲しちゃうワンワンオ!!」
少しばかり後ろめたい声色が次の瞬間に、
サシャを拉致されたこと同様、ルロイの頭が怒りで沸騰しかかる。しかし、これで何もかも合点が行く。フィオーレが種付けおじさんを危険視する理由も、ゾシモフと種付けおじさんらがルロイたちの動向にやけに詳しいこと。そして、極めつけは示し合わせたように目の前でサシャを拉致してみせた。レッジョでも屈指の情報屋であるディエゴが内通しており、そのディエゴを陥落せしめたフンゴジャッロがもしあれならば、全て
「まさか、フンゴジャッロは中毒性が強い麻薬!」
「その通ぉおりぃいい!!」
絶頂に達したかのような汚い魂の絶叫。
「だからこそ、ここへ案内したんや。兄ちゃんもきっとわしのマツタケの素晴らしさを
種付けおじさんは、舌なめずりしながら祭壇からゆっくりと段差を降りルロイへにじり寄る。それまでの余裕とは別のすべてが計算通りに獲物を追い込みようやく最後の狩り取る瞬間を迎えた狩人の表情。
「わしの種から出でしマツタケがこのレッジョを支配する日が来たんや!」
ルロイは
眼前の種付けおじさんは大きく
あり得ない光景に思えたが、頭が瞬時に状況を理解する。これは――――
「瞬間移動!」
反射的にルロイは後ろを振り返る。
「膝カックン」
悪魔の
「このっ!」
体勢を崩され、危うく
種付けおじさんは素早くバク転しながら、今度は石壁を蜘蛛の様に駆け上がり、壁と天井の隅へと張り付き奇怪な笑みを浮かべていた。
「生命と種付けを司りし神『スペルマ』の御名のもとに命ずる。汝ら種子よ、速やかに成長し我の命に従え!」
厳かな詠唱とともにダンジョンの地面、水路の水底から
「これは……」
「そっちがプロバティオ(証明)ならわしはプログレッシオ(成長)や」
「まずは、逃げ道を塞がせてもろたで」
「しまった……」
緑のカーテンに覆われた壁を伝って、種付けおじさんは再び祭壇中央へ
ルロイが来た道は、すっかり太く生えた
「つまり、この聖域に足を踏み入れた時点で、兄ちゃんは詰んでまったんや」
種付けおじさんが、両手を何かを持ち上げる動作をする。幾つかの土くれの中から人と同じ大きさの塊が
「そして、これぞプログレッシオの奇跡が一つ。わしの種子から生まれし戦士スパルトイや。スパルトイまずはあの兄ちゃんを殺さず拘束するんや!」
冒険者の慣れ果てと思われる白骨死体に植物が寄生した緑色の戦士が武器を構え、ルロイに襲い来る。スパルトイは自身の緑の手を剣や鎌に変形させる。
「遅い!」
いっぱしの戦士の姿をしてはいるが、剣や鎌の攻撃が何よりスパルトイ自身の動きはルロイよりも鈍くルロイはスパルトイの得物を持った手や首をチンクエデアの斬撃で容赦なく斬り落してゆく。
後はスパルトイを操る種付けおじさんを仕留めるのみ。
ルロイが種付けおじさんへ突貫しようとしたとき、仕留めたはずのスパルトイ二体に後ろから腕をつかまれ、わき腹を刺された。
直後、燃えるような激痛が襲う。
「うごぉ!」
「あー言い忘れとったけど、この空間は既にスペルマの加護のもとわしが種付けしまくった聖域なんやで。つまり、成長を司る聖域なわけでそいつらスパルトイもここの植物も何度でも再生可能なんや」
種付けおじさんの言葉通り、切り落としたはずのスパルトイの手首や首が既に再生しつつある。力任せに組み伏されそうになる前に、ルロイの目に先ほど切り落とした鎌状に変化したスパルトイの手首が目に入る。それを
「ほぅ……」
種付けおじさんはスパルトイの手をさける素振りさえ見せず、不敵に口元で笑っていた。
狙いは、種付けおじさんの後ろで揺らめく燭台。そして――――
「あーっ火いいぃ!」
スパルトイの手が火を灯していた燭台の一つに当たり、ガチャリと盛大な音を立てる。燭台は倒れ中の油ごと隅で戦いを傍観していたディエゴに降りかかる。
油を伝って燃え広がる火は瞬く間に毛むくじゃらの裏切り者を包み込み、ディエゴはルロイがいる向かい側の水路へ向かって脱兎のごとく飛び出していった。
ルロイは自身を拘束している二体のスパルトイの足首を蹴り上げ、
賭けに近い行為だったが、ディエゴが体をよじって必死にもがいてくれたおかげで引っ掛かった油ごと火をスパルトイの体に擦り付けることができた。
「ルロイ!おみゃーなんちゅーことすんニャ!!」
「裏切った対価ですよ。これでチャラにしてあげますから」
死ぬほど焦っている表情のディエゴに、ルロイは満面の笑みで微笑むとそのまま勢いよくディエゴを水路の中へ突き飛ばしてあげた。
延焼したスパルトイは我を失ったように手足をばたつかせて、壁に張り付いた蔓や茨のカーテンに絡まりそこから更に火が広まってゆく。
この場所が種付けおじさんの聖域ならば、それゆえルロイに勝ち目がないならば、もはやその聖域を徹底的に破壊するのみ。
足元にあった手ごろな石を他の燭台にも投げつけ燭台を転倒させ、自らが持ってきたカンテラの中のランプまで中身をぶちまける。
紅蓮の炎がダンジョンの最奥に広がり、植物の聖域を焦がし始める。
「おい、何してくれるぅ!」
初めて種付けおじさんの表情から余裕が消え、顔が憤怒の色に染まる。
何度でも再生するとはいえ、やはり植物。火に弱いことは種付けおじさんの反応を見るまでもなく動かしがたい弱点だった。もっとも、これで種付けおじさんの能力を無効化できるほど甘くはないだろう。それでも一時的な弱体化と時間稼ぎにはなるはずだ。
祭壇からは横にそれた幾つもの細い通路が目に入る。最奥の間とは言え、ここはそれなりの広さがあるようだ。
ルロイは、火の点いた枝をチンクエデアで切り取り他の場所にも放火するため、脇にそれた小さな通路に飛び込む。
「逃がさんで!」
種付けおじさんも未だ炎の中でのたうつスパルトイをどうにかするためもはやコントロールの効かないこの二体を再びただの骸と植物の塊に戻し、祭壇から飛び降りルロイを追撃する。
「まだ、終わりじゃない……」
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