プロバティオ(証明)対プログレッシオ(成長)

『仄暗き鉱床』。その最奥にようやくルロイは息を切らせながら到達する。

 カンテラを壁面に近づけるとそこには、朱色の塗料で太古の人々が種から植物を栽培する様を描いた壁画が描かれていた。この奥まった場所にある通路は下水や廃坑といった薄汚れ下卑た雰囲気がなくむしろ古代の聖域の面影をしのばせていた。恐らくは太古の神々を祭る場所の成れの果てであろう。ルロイがダンジョン学でも学んでいれば、悠久の時に思いをせるロマンを感じることもあったろう。あるいは、普段のルロイであればその鱗片ほどの余裕があったはずである。目の前のふざけた男が目に入らなければ。

「随分回り道をしてしまいましたが、ようやく追い詰めましたよ」

「よう来たなぁ。魔法法証人の兄ちゃん」

 男は祭壇のような石造の台で、煌々と光る燭台の光に照らされながら堂々と直立しルロイを迎えていた。

 ふんどしに地下足袋一丁じかたびいっちょうの姿で――――

 あの時の不敵な笑みを見せつけた顔のまま、男は芝居がかかったように右腕を高らかに掲げルロイを迎い入れる。もう片方の左手には、気を失ったサシャが縄で体を拘束され力なくだらりと首を垂れたまま腕の中で静かに抱かれていた。

 ついに追い詰められ、人質を取って保身に走る卑劣な犯罪者。には見えず、当の種付けおじさんの顔には悪事を暴かれた焦りなど微塵みじんも見せない。むしろ、ようやく自分の練ったシナリオが最終段階へきたというある種の満足さえ顔に浮かべていた。不気味に燃え盛る燭台の赤い火、祭壇の石床には果たして塗料か血か判別できない赤いしみが広がりこびり付いていた。

 そこに在る種付けおじさんとサシャの存在とは、太古の人身御供ひとみごくうの儀式に臨むシャーマンとその生贄いけにえを思わせルロイはおぞましさに背筋を震わせた。

「彼女を解放しろ」

「ああ、勘違いしてもらいたくないんやが、わしはこの娘に何もしてへんで。種付けするならやっぱダンジョンやで」

「では何故!」

「まぁまぁ、積もる話もあるやろ、わしの事色々調べ取ったようやないけ。まずは兄ちゃんの話を聞こうやないか」

 種付けおじさんは鷹揚おうようにそう言い切ると、別段元より人質など必要ではないとばかり気絶したサシャを優しくそっと石床へ横たえた。その余裕がどこから来るものなのか、冷静になってルロイは考えこもうとしたがすぐに諦めた。相手は変態にして狂人だ。わざとらしい挑発や思わせぶりの態度に心乱されることがあれば、相手の思う壺である。こちらはいつも通り、粛々と真実を提示し相手を確実に追い詰めればよい。

「僕があなたをここまで追ってきた理由は、『朽木くちきその』のダンジョン主アシュリー・レイドさんとの種付け契約反故ほごの件ですよ」

「『朽木くちきその』……ああ、思い出したわ。なかなかええとこやったで。けど、それについてはわし、あの黒エルフのねーちゃんに違約金を払ろたしプラマイゼロやで」

「ええ通常であれば……しかし、ここ『仄暗ほのぐら鉱床こうしょう』でのあなたの種付け行為によるフンゴジャッロの高騰。このフンゴジャッロ高騰には何か特別な事情があり、あなたはそれを予期したからこそ、アシュリーさんとの契約反故ほごに踏み切った。僕はそう思っています」

「ほうほう……」

 種付けおじさんは未だたじろがない。ルロイは言葉を継ぐ。

「フンゴジャッロの大量発生の要件。それは寄生主たるシルキースライムの発生要件が前提となり、それは豪雨や洪水のような大量の水が流し込まれることで生じます。そのことをあなたが知ったのは半年前ここレッジョに戻ってきたとき。それも、アシュリーさんとの『種付け契約』締結後です。おそらくあなたにとって旧知の仲であるゾシモフから、フンゴジャッロの大量発生の要件を聞きだしたのでは?元々知っていればアシュリーさんとの契約自体がなかったはず。それで、違約金を払うことで慌ててこちらの『種付け契約』へ移行した。違いますか?」

「なるほどのう、なかなか大した推理やで」

 否定も肯定もしないような曖昧あいまいな笑み、それでいて未だ高みからルロイを見下ろすかのような意味深な目線。

 ルロイはカギの付いた指輪で指の腹を切る。鮮血がインク壺の中に滴り落ち、ルロイは懐から出した証書にペンで必要な文言を高速であらわす。

「真実を司りしウェルスの御名のもとに汝、マーシャル・フリードマンに問う。アシュリー・レイドとの契約を反故ほごにした理由はフンゴジャッロ高騰の特別の事情を予期できたからであるか?」

 もはや、ウェルス証書の前において逃げることはできない。種付けおじさんは無言のまま無表情に口をつぐんでいた。ようやく観念した様にも思えた刹那――――

「はっ、言わぬが華やで!」

 嘲笑うという言葉以外の何物でもない歪んだ表情。

「なっ、沈黙は肯定と見な……」

 否、もっと早くに気付いていなければならないのだ。

「プロバティオが……発動しない!」

 ここまで、自分たちの動きを察知されていたのだ。加えて事実を突きつけられても飄々ひょうひょうとしている。もしもルロイのプロバティオの能力もまた知られているなら、そしてその逆手を相手が取っているなら、更にはそれを可能としたルロイが預かり知らぬ要因がまだあるとしたら。

「コボルトの兄ちゃん。本当ご苦労様やで」

 種付けおじさんが地下足袋の中から臭そうなフンゴジャッロを取り出すや祭壇の後ろへそれをぞんざいに放り投げる。今まで燭台の明かりの陰影に隠れ見えなかったが、どうやら共にサシャを拉致したもう一人の黒づくめの男らしい。

「びゃーマツタケ!マツタケ!うんめぇ~!!」

 悪い予感というものは往々にして当たるが、それを上回ることもある。言ってみれば悪夢であるが、その元凶は夢見心地でキノコを貪っているのだった。

「ディエゴ!あなたって奴は!」

「すまんだニャ……ルロイ。サシャの姉ちゃんにもホント悪いことしただニャ……でも、オイラの体がそのマツタケを欲しちゃうワンワンオ!!」

 少しばかり後ろめたい声色が次の瞬間に、恍惚こうこつたる表情でフンゴジャッロを貪り食う快楽に負けた裏切り者。

 サシャを拉致されたこと同様、ルロイの頭が怒りで沸騰しかかる。しかし、これで何もかも合点が行く。フィオーレが種付けおじさんを危険視する理由も、ゾシモフと種付けおじさんらがルロイたちの動向にやけに詳しいこと。そして、極めつけは示し合わせたように目の前でサシャを拉致してみせた。レッジョでも屈指の情報屋であるディエゴが内通しており、そのディエゴを陥落せしめたフンゴジャッロがもしあれならば、全て辻褄つじつまが合う。

「まさか、フンゴジャッロは中毒性が強い麻薬!」

「その通ぉおりぃいい!!」

 絶頂に達したかのような汚い魂の絶叫。

「だからこそ、ここへ案内したんや。兄ちゃんもきっとわしのマツタケの素晴らしさを堪能たんのうしてもらえるはずやで」

 種付けおじさんは、舌なめずりしながら祭壇からゆっくりと段差を降りルロイへにじり寄る。それまでの余裕とは別のすべてが計算通りに獲物を追い込みようやく最後の狩り取る瞬間を迎えた狩人の表情。

「わしの種から出でしマツタケがこのレッジョを支配する日が来たんや!」

 怖気おぞけすら凍てつく殺気。

 ルロイは咄嗟とっさにチンクエデアを構えた。

 眼前の種付けおじさんは大きく跳躍ちょうやくするかと思うや姿を中空で消した。

 あり得ない光景に思えたが、頭が瞬時に状況を理解する。これは――――

「瞬間移動!」

 反射的にルロイは後ろを振り返る。

「膝カックン」

 悪魔のささやきのように、種付けおじさんがルロイを茶化し嘲笑う。

「このっ!」

 体勢を崩され、危うく羽交はがい絞めにされそうになるのをどうにかチンクエデアの一撃で追い払う。

 種付けおじさんは素早くバク転しながら、今度は石壁を蜘蛛の様に駆け上がり、壁と天井の隅へと張り付き奇怪な笑みを浮かべていた。

「生命と種付けを司りし神『スペルマ』の御名のもとに命ずる。汝ら種子よ、速やかに成長し我の命に従え!」

 厳かな詠唱とともにダンジョンの地面、水路の水底からぜるようにつたいばらが恐ろしい早さで伸び壁面を覆ってゆく。

「これは……」

「そっちがプロバティオ(証明)ならわしはプログレッシオ(成長)や」

 つたいばらが壁面と通路を覆い尽くし一面緑のカーテンが萌えいずる。赤い塗料で彩られた遺跡は神秘的な緑に覆われていった。

「まずは、逃げ道を塞がせてもろたで」

「しまった……」

 緑のカーテンに覆われた壁を伝って、種付けおじさんは再び祭壇中央へ颯爽さっそうと舞い戻る。

 ルロイが来た道は、すっかり太く生えたつるいばら、否すでに枝状に太く硬く成長しきっている箇所もあり、緑のバリケードにより塞がれてしまっていた。

「つまり、この聖域に足を踏み入れた時点で、兄ちゃんは詰んでまったんや」

 種付けおじさんが、両手を何かを持ち上げる動作をする。幾つかの土くれの中から人と同じ大きさの塊がぜるように誕生する。

「そして、これぞプログレッシオの奇跡が一つ。わしの種子から生まれし戦士スパルトイや。スパルトイまずはあの兄ちゃんを殺さず拘束するんや!」

 冒険者の慣れ果てと思われる白骨死体に植物が寄生した緑色の戦士が武器を構え、ルロイに襲い来る。スパルトイは自身の緑の手を剣や鎌に変形させる。

「遅い!」

 いっぱしの戦士の姿をしてはいるが、剣や鎌の攻撃が何よりスパルトイ自身の動きはルロイよりも鈍くルロイはスパルトイの得物を持った手や首をチンクエデアの斬撃で容赦なく斬り落してゆく。

 後はスパルトイを操る種付けおじさんを仕留めるのみ。

 ルロイが種付けおじさんへ突貫しようとしたとき、仕留めたはずのスパルトイ二体に後ろから腕をつかまれ、わき腹を刺された。

 直後、燃えるような激痛が襲う。

「うごぉ!」

「あー言い忘れとったけど、この空間は既にスペルマの加護のもとわしが種付けしまくった聖域なんやで。つまり、成長を司る聖域なわけでそいつらスパルトイもここの植物も何度でも再生可能なんや」

 種付けおじさんの言葉通り、切り落としたはずのスパルトイの手首や首が既に再生しつつある。力任せに組み伏されそうになる前に、ルロイの目に先ほど切り落とした鎌状に変化したスパルトイの手首が目に入る。それを躊躇ためらいなく種付けおじさんのいる祭壇へと勢いよく投げつける。

「ほぅ……」

 種付けおじさんはスパルトイの手をさける素振りさえ見せず、不敵に口元で笑っていた。

 狙いは、種付けおじさんの後ろで揺らめく燭台。そして――――

「あーっ火いいぃ!」

 スパルトイの手が火を灯していた燭台の一つに当たり、ガチャリと盛大な音を立てる。燭台は倒れ中の油ごと隅で戦いを傍観していたディエゴに降りかかる。

 油を伝って燃え広がる火は瞬く間に毛むくじゃらの裏切り者を包み込み、ディエゴはルロイがいる向かい側の水路へ向かって脱兎のごとく飛び出していった。

 ルロイは自身を拘束している二体のスパルトイの足首を蹴り上げ、咄嗟とっさに背を向け突っ込んでくるディエゴに二体のスパルトイを押し付ける。

 賭けに近い行為だったが、ディエゴが体をよじって必死にもがいてくれたおかげで引っ掛かった油ごと火をスパルトイの体に擦り付けることができた。

「ルロイ!おみゃーなんちゅーことすんニャ!!」

「裏切った対価ですよ。これでチャラにしてあげますから」

 死ぬほど焦っている表情のディエゴに、ルロイは満面の笑みで微笑むとそのまま勢いよくディエゴを水路の中へ突き飛ばしてあげた。

 延焼したスパルトイは我を失ったように手足をばたつかせて、壁に張り付いた蔓や茨のカーテンに絡まりそこから更に火が広まってゆく。

 この場所が種付けおじさんの聖域ならば、それゆえルロイに勝ち目がないならば、もはやその聖域を徹底的に破壊するのみ。

 足元にあった手ごろな石を他の燭台にも投げつけ燭台を転倒させ、自らが持ってきたカンテラの中のランプまで中身をぶちまける。

 紅蓮の炎がダンジョンの最奥に広がり、植物の聖域を焦がし始める。

「おい、何してくれるぅ!」

 初めて種付けおじさんの表情から余裕が消え、顔が憤怒の色に染まる。

 何度でも再生するとはいえ、やはり植物。火に弱いことは種付けおじさんの反応を見るまでもなく動かしがたい弱点だった。もっとも、これで種付けおじさんの能力を無効化できるほど甘くはないだろう。それでも一時的な弱体化と時間稼ぎにはなるはずだ。

 祭壇からは横にそれた幾つもの細い通路が目に入る。最奥の間とは言え、ここはそれなりの広さがあるようだ。

 ルロイは、火の点いた枝をチンクエデアで切り取り他の場所にも放火するため、脇にそれた小さな通路に飛び込む。

「逃がさんで!」

 種付けおじさんも未だ炎の中でのたうつスパルトイをどうにかするためもはやコントロールの効かないこの二体を再びただの骸と植物の塊に戻し、祭壇から飛び降りルロイを追撃する。

「まだ、終わりじゃない……」

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