種付けおじさんの名は……
今は時間稼ぎに逃げるのが上策だった。わき腹の傷口を抑えながら歯を食いしばって通路を逃げる。点火した枝を松明代わりにしつつ植物のカーテンに火をつけながら時間稼ぎをする。
考えろ、何か見落としていることがあるはずだ。
種付けおじさんの名前。プログレッシオの能力。あの時のディエゴの証言。
ウェルスの使徒たるルロイのプロバティオにせよ発動させるには幾つかクリアせねばならない条件やタブーがある。プロバティオの例で言えば、公証する相手方の本名を知った上で、問いかけたい内容を何かに筆記しその文言をウェルスの御名において詠唱することでようやく発動できる。相手の本名と実際の過去に行った相手の行為が一致することでプロバティオは発動するとも言え、うっかり同姓同名の別人などにプロバティオを掛けてしまっても発動はしない。ちなみにタブーは質問したい相手に自分が嘘を答えるとその人物へはプロバティオを掛けられなくなる。
では、種付けおじさんのプログレッシオの能力はどうか?
あらかじめ種付けおじさんのテリトリーに誘き寄せられたとは言え、あれだけの能力を駆使するためにはまだクリアしなければならない条件か、あるいは守らなければならないタブーがあるとみて良い。修行をする行者が肉食や酒を断ったりするのと同じである。あるいは、部族社会のシャーマンなり戦士が神と崇める動物の一部、それと似せた仮装をすることで守護霊なりトーテムなりの力を得るというシャーマニズムの例を持ち出して考えるのも何かヒントがあるかもしれない。
ディエゴの証言から種付けおじさんの本来の名前をマーシャルだとルロイは誤解していた。いや、少なくともマーシャルは種付けおじさんの昔ながらの名前であったはずだ。現に種付けおじさんはゾシモフにはその名で呼ぶように言っていた。名前……名前の改名ということもある。もしスペルマの使徒としてプログレッシオの能力を発動するにあたり自らの名前を変えなければならないとしたら……
そこまでルロイが考え至った刹那。ある推論が
つまり、名は体を表す。そのことわざの逆もまた然りなのではないか?
瞬間、首筋に鋭く重い手刀の一撃が――――
「うぁ……」
背後に回られていた上、まったく気配も動きも見えなかった。
危うく気を失いそうになる。
「種付けおじさんたるわしの本気を舐めて貰ってはこまるで。本気にさせた兄ちゃんが悪いんや……拘束せい」
ルロイは力なく地面に突っ伏し、同時に地面から新しく
「まーったく、手こずらせてくれよるのう。しかしもう鬼ごっこは終わりや」
種付けおじさんがしゃがみ込みルロイに残忍な笑みを浮かべる。そして、またしても臭そうな
「さあ、公証人の兄ちゃんの口の中にもわしのマツタケをドバーっと突うずう込んだる!そして、わしのマツタケなしでは生きれん体になるんや」
「下種め!」
スパルトイに、組み敷かれ床に突っ伏していながらもルロイは闘志をむき出しにして吠える。
「おうおう、今のうちに喚いておけや。で、他に何か言っておきたいことはあるんか?」
今になって、何か決定的なものにルロイは気が付く。スパルトイにより地面に組み敷かれたことで、種付けおじさんの足袋がルロイの眼前間近に入る。泥に汚れているが、壁画の赤い塗料で描かれた植物の文様と同じ、それもこの文様はふんどしには描かれていない。
ルロイは気が付かれないよう、ゆっくりとペンと証書に手を伸ばす。
「もはや、ぐうの音も出ぇへんようやな」
種付けおじさんは勝利の笑顔を浮かべる。ルロイは最後の力を振り絞って声を震わせる。同時に最後の力を振り絞ってスパルトイの拘束を
「あ……あなたの、種付けおじさんの名は!」
永遠とも思える刹那、種付けおじさんから初めて口元から笑みを消した。
「タビ・フリードマン」
ルロイは既に先ほど書いた証書の名前の部分だけを訂正して書き直していた。
「真実を司りしウェルスの御名のもとに汝、タビ・フリードマンに問う。アシュリー・レイドとの契約を
種付けおじさんの顔が蒼白になる。
部族社会の中には特定の動植物を部族の象徴として崇め、その力を得るためその動植物の仮面を付けたり、毛皮を
結果は――――
「どうしました、こんどこそ黙っていれば肯定とみなしますよ」
「うぐぬ!わ……わしの名わあぁぁ!!」
遂に、種付けおじさんが膝を地面に屈する。同時に、ウェルス証書が白く輝いた。
「そんな。わしの計画が……わ、わしは認めんで、こんなもん!!」
「やめろ!」
よりにもよって錯乱した種付けおじさんことタビ・フリードマンは、ルロイからウェルス証書をひったくると証書を引き裂こうと
「ぐぉらばぁ!」
が、代わりに引き裂かれたのはタビの体だった。
絶望的な絶叫とともにタビは鮮血を散らせ、白目をむきながら
真実の神の御名のもと
同時に、ルロイに覆いかぶさっていたスパルトイは枯れ果て土に還っていった。タビが気絶したことで、プログレッシオの能力自体が解除されたのだ。
「敗因を教えてあげますよ。土壇場で、勝利を確信し過ぎましたね……」
自身の勝利を確かにこの目で見届け、ようやくこの場に駆け付けた仲間達の足音を聞きながらルロイは気を失った。
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