黒手の殺人鬼

プロローグ マーノネッロ(黒い手)

 自分が殺害される一時間ほど前、ファビオ・ソアレスはすこぶる上機嫌だった。

 最近、金払いの良い『仕事』にありつけた上に、宿への帰路の途中でちょっとした『臨時収入』が懐に入ったからだ。

 すっかり夜も更けている中を、ファビオは自身のテーマソングである鼻歌を歌いながら、酒瓶片手にメリノ河に面した通りを泥酔気味に歩いていった。

 遠くの中央広場に続く大通りまで見渡せば、ファビオのような手合いはたくさんいる。ダンジョンでひと稼ぎできたか否かに関わらず、夜のレッジョで冒険者どもがすることといえば、決まりきっている。

 酒場でしこたま酒を飲んで仲間同士と娼婦を巻き込みバカ騒ぎするか、更にバカなら街中で所かまわず冒険者同士で喧嘩するか。

 つまりレッジョは夜も騒がしいのだった。そんな金遣いの荒い冒険者を相手に、冒険者以上にがめつい商売人が表通りで客引きに躍起やっきになっている。軒を構える酒場、食堂、娼館はもちろんのこと、雑多な小間物を扱う行商人どもが客を引こうと大声だけでなくランタンやら魔法アイテムによる怪しげな光源をもって大通りを色とりどりに飾り立てる。

 そのおかげか、大通りから少し外れたメリノ河に近い川沿いの裏路地には川面に反射した光がかすかながら光源として認められる。

 少しばかり、はしゃぎ過ぎたようだ。

 ファビオは上機嫌に酒瓶を川面に向かって放り投げると川に向かって用を足すため、色とりどりの光を映し出す黒い水面に向かってズボンを下ろした瞬間である。

 何かが折れたような、いやひしゃげた音がした。それをいぶかしがる間もなく熱を持った激痛がファビオの全身を貫く。

「―――っ俺の、腹から手が」

 直後、あの名前が鮮明に脳裏に蘇る。

「マーノ……ネッ――――」

 ファビオの最期の言葉は喉にこみ上げた血の塊に沈んでいった。

 男の腹から生えた節くれだった奇怪な手は、周囲に飛び散るはずの血液を引き寄せその身に集めている。ぬらりと赤黒く光る血液があり得ない速さで凝固し始め、血液はまるで手を覆う黒い手袋のように固まっていった。

 遠くでは、いまだ陽気な喧噪けんそうが続いている。

 黒い手は既に動かなくなった犠牲者のむくろから静かに引き抜かれる。背後でうごめく人影が、音もなく闇に満たされた裏路地へと消えていったのはそれからすぐのことだった。

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