聖オルファノ兄弟団

 窓から差し込む日の光が、鉢に植えたオリーブの葉に照り返り、ルロイは思わず眩しくなり目をこする。窓の外を覗けば、太陽が天頂に白く輝いている。

 もう昼飯時と言ってよい時分で、ルロイは書類の束を机上で整え背筋を伸ばすと短くため息をつき、ゆっくり椅子の背もたれに倒れこむのだ。

 季節は夏、おびただしい書類の束が乾燥しきった熱気を吸収し事務所の暑さもまた尋常じんじょうではなかった。

「さて、そろそろ一休みしましょうかサシャさん」

「サシャでいいですよ。いつものお茶でいいですか?」

「ええ、茶葉を濃い目に煮だして、砂糖はなしでお願いします」

 サシャが微笑みうなずく。亜麻色の髪を髪留めで整え、短めのブラウスとカートルを着込みかいがいしく働いてくれている。

 あれから、サシャは各方々で家事手伝いの仕事をこなしているらしい。

 今日は今日とてルロイの事務所の家事手伝いに来てくれている。もの覚えがよいサシャはルロイ好みの紅茶をれる塩梅あんばいまで手早く覚えてしまった。

 サシャが茶を沸かして入れると、今度はおもむろに彼女が持ってきたバスケットの中身を、執務机の上に油紙を敷いてそれを取り出したのだった。

「おお、これは」

 ルロイの目の前には、トランショワールと呼ばれる大型のパン皿の中をくり抜きその中に、程よく焼かれた卵と生クリーム、ベーコン、そしてほうれん草がふんだんに入った料理の切れ端が机上に鎮座ちんざして、こうばしい匂いを放っているのだった。

「今朝がた、リーゼさんの工房で作ったキッシュです。大量に作って余っちゃったんで持ってきました」

「今朝はリーゼさんのところでしたか」

「工房の朝は、前日の実験とかの大掃除で忙しいらしいんで……その手伝いです」

 サシャが苦々しく笑ってみせる。あのリーゼが故ヘルマンの工房の総責任者になったことを考えれば、その実験の片づけやらは混沌猖獗こんとんしょうけつを極めるであろう。リーゼに付き合わされる工房の職人たちの苦労が察せられる。

「私はもう沢山頂いたんで、ルロイさんもどうぞ」

「では、御言葉に甘えて……」

 それほど大きな塊ではないが、具材が凝縮されているのかルロイがキッシュを手に取ってみるとずっしりとした存在感が伝わる。口に含んでみて、ふんわりとした甘く柔らかい卵の触感にほうれん草の香ばしい苦味が絶妙のコントラストが冷めてもなお舌の上で調和を保っている。しかし、なによりこの味わいある存在感、恐らくはねっとりとした塩味の強いチェダー系のチーズを混ぜてある。外側が小麦粉で練り上げたパイ生地でなく、外皮の硬いパリッとしたトランショワールであることも、触感をより重厚に引き立てていて最高だ。

「美味い!それにしても、錬金術師の工房で料理とは意外ですね」

「実験用の大竈おおがまがありますから、それをいつも料理にも使ってます。作り方もモリーさんに教わりましたから今度は自分で挑戦します」

「至福のひと時!」

 そう言って、ルロイは一切れを食べ終わり紅茶を一気に流し込む。

「まだ残ってますから」

 サシャが微笑んで残りをバスケットから取り出す。それからはもう、ひたすらルロイは満腹になるまでキッシュと紅茶を胃に流し込み腹ごしらえは完了する。

「うーん……うららか」

 昼食も終わり、ルロイは窓から差す日光とその光に照り返すオリーブの葉の煌めきに目がまどろんでいた。しばらく机に伏して昼寝するのも悪くない。

 そんな折り、事務所の扉が開く。

「ここが、フェヘールさんの……事務所でよろしいですかい?」

 野太くしわがれた声が室内に遠慮がちに響く。サシャが質素な木の椅子を手に持ち声の主に応対する。

「ええ、どうぞこちらにお掛けください」

 痩せているががっしりした肩に、日焼けした堀の深い四角い顔。灰色の暗いが静謐せいひつな意思を感じさせる瞳。口元は弓状にきつく結ばれている。薄汚れた灰色の外套がいとうに作業着らしきチュニックを崩して着込んだ様は、素朴そうな漁師か農夫を思わせる。ありていに言って、謙虚そうで腰が低いが、冴えない風体ではない。

「あっしは、ファン・セラーノ・サンチェスと申します」

「サンチェスさん。本日はどういったご用件で?」

「へい、許認可なんで……兄弟団の設立の……」

 どこか気後れしている上の空の声色で、サンチェスはまだ本題を語りきれないもどかしさに舌が固まっていた。

「その……例の、あのマーノネッロでさ……」

 何度か唇を痙攣けいれんさせ、ようやくその言葉がサンチェスの口から出てきた。サンチェスは考え込むように額に脂汗をにじませ、その刻み込まれた苦悩が作り出したしわの一つから汗が流れ落ちた。

 ルロイとサシャの顔から和やかな表情が一気に消え去る。

「――――それは、お悔やみ申し上げます」

 マーノネッロ。黒い手――――

 最近レッジョ界隈を騒がせている黒い手の殺人鬼である。

 被害者は文字通り背後から腹部や胸を黒い腕で刺し貫かれて殺される。

 狙われるのは大抵冒険者で、ダンジョンで見つかったレアアイテムを市場で換金したところを狙われる。

 事の始まりは数か月前、奇妙な冒険者の死体が発見された事にさかのぼる。

 被害者はレッジョに来た新参者の冒険者で、その死体は背後から鋭い肉厚な刃物のような凶器で肉体をえぐられ、無残にも腹や胸まで傷口が貫通していた。しかし、異様なのはそれだけではない。死体の発見された現場には、ただ一つの例外もなく血痕が一滴たりとも残っていないのだ。

 レッジョ界隈は、残虐かつ猟奇的な殺人に恐れおののきこれは人の仕業ではなく吸血鬼か、ダンジョンから漏れ出した未知の上位モンスターであると噂した。

 だが、ある日遂に目撃者が現れた。その目撃者の証言によると突然犠牲者の胸に血まみれの手が生えたかと思うや、噴き出た血がその手に集まりどす黒く固まっていったそうである。

 それ以来黒い手の殺人鬼「マーノネッロ」が誕生したという経緯である。

 つい一週間前も、マーノネッロにより貧しい冒険者やレッジョの孤児たちを扶助する兄弟団が襲われ、居合わせた兄弟団の者たちが尽く殺され、兄弟団の館は焼き払われる凄惨な事件があったばかりである。その兄弟団の名前というのが――――

「聖オルファノ兄弟団。元冒険者が中心となってレッジョの貧民や孤児を扶助する役目も負い、孤児院としても機能している」

「ご存知でしたか……」

「僕も、それなりに近くに住んでますから」

 聖オルファノ兄弟団本部の館はルロイの住んでいるメリノ河南岸の地区から更に南の大通りをすこし南に下ったところにある。不具になった冒険者や老人もいるが、孤児たちが多いため、地元住民は兄弟団の館を「孤児院」の通名で呼んでいる。

「館は焼き討ちに会い、孤児たちも……多くが殺されてしまいました」

 聖オルファノ兄弟団は、多くの人員を失い館も半焼。兄弟団としての機能を失い、同団体は廃止されたものと市参事会は判断したのであった。サンチェスとしては、生き残った者たちで再び兄弟団を設立したい悲願があった。

「あの、どうぞ……」

 サシャがカップに注がれた茶をサンチェスに差し出し、サンチェスは震えた手でカップに口をつける。

 サンチェスが差し出した手の甲が火傷のように赤黒くただれていた。おそらく、子供たちを火事から助けようとしたために、火傷を負ったものだろう。ルロイもまた公示鳥による事件の報告でこのことは知ってはいた。しかし、実際にサンチェスの手の皮膚に刻まれた生々しい事件の痕跡こんせきを目にすると、犠牲になった孤児たちの凄惨な最期がルロイの脳裏に迫ってくるのであった。

「随分酷い事件でしたね……」

「いや、酷ぇ事件だ!」

 ルロイが過去形で話したことが、気に障ったのかサンチェスは灰色の瞳に怒りをたたえ机上のただれた拳をきつく握りしめた。その甲の火傷跡がまるで死した兄弟の無念と怒りを訴える亡者の顔のように見えて、ルロイはバツの悪そうに咳をして目を伏せた。

「そうですね、申し訳ありません」

「いや、あっしの方こそ……」

 サンチェスは感情的になったことを詫びて慌てて手を引っ込めた。

「とにかく、兄弟団を再建するためお願いします」

「ええ、もちろん」

 ルロイは、切実なサンチェスの願いに応えるべく、力強く念を込め申請書類に印を押した。それからルロイは、改めてサンチェスに設立に向けての必要な書類手続きと行政側の審査基準について説明をしてサンチェスに一先ず納得して帰ってもらった。

「どっと、疲れた」

 サンチェスが帰って、自分の責任を噛みしめる様にルロイは机に上半身を横たえた。

「あのー、兄弟団って?」

「知りませんか」

「ええ、ずっと田舎にいたものですから……」

 サシャがはにかんで視線を逸らす。

「一言で言うのは難しんですが、あえて言うなら『死によって結ばれた組織』ですかね」

「死?ですか」

 困惑し面食らったように、サシャはそう言い切ったルロイの顔を覗き込む。

 兄弟団は、職業によって基づくものと、そうでないものがあるが、サンチェスが設立しようとしているものは、後者に当たる。会員の階層、出自、職業などは様々であるが会員はお互いを兄弟姉妹と呼び合い、生活の諸々の総合扶助を行う。会員が死亡すれば全員が葬儀に参列し、埋葬に立ち会う。会員は亡くなった兄弟姉妹の死後の冥福と共に己の魂の救いを祈るのだ。

 それだけでなく、遺族の面倒をみること、事故や病気で働けなくなった会員の看護なども規定されている。そのために、兄弟団は病院と契約して会員の人数分のベッドを確保している位である。

 つまるところ、都市と言う有象無象の人間が雑居する中で生まれてから死ぬまでの保険という意味合いを担う組織と言えるのであった。

「それなりに大きな都市。それもレッジョならではの総合扶助組織。とまぁ、更に言えばこんな感じでしょうか」

「色々なところから色々な人が集まるって、凄いですね」

「ええ、それに冒険者ギルドやそのほかの職能ギルドだって兄弟団の一種といえます。血縁地縁を超えて助け合わねばなりませんから。それでも、『聖オルファノ兄弟団』はより兄弟団らしいですね」

「そうなんですか?」

「寄る辺のない貧しい人々の結束は固いものですよ」

 ルロイは窓からサンチェスが消えていったレッジョの南街区へ目をやった。粗末な掘立ほったて小屋が並ぶ貧しさの中でも子供たちの笑い声がときたまここまで聞こえる。サンチェスもまた子供たちの笑顔を背負う男の一人なのだろう。

 そんな市井の人々を手助けするためにルロイもまたここにいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る