エピローグ 竜の夢

 夕暮れ時のマイラーノ大橋を、ルロイ・フェヘールは事務所のある南の住宅街へ向かって肩を落として歩いている。

 あれから気絶していたギャリックを起こして引き返す道中、マティスの死を伝えるとギャリックは再戦できない悔しさから愚痴をこぼし、ルロイにしきりと酒場までいってヤケ酒に付き合うようせがんできた。

 その時になって、おめでたいルロイはマティスから仕事の報酬をまだもらっていないことに気が付いたのだった。

 依頼主が死亡してしまった以上骨折り損のくたびれ儲けという事で、ギャリックがその内情を知るや、大爆笑でなおさら飲みに誘おうとするものだから、しゃくに障るやらうんざりするやらでとにかく、ルロイは一人になりたいのだった。

 そして、今ようやくルロイはギャリックのしつこい誘いを何度も断わり一人になれたのだった。

 そもそも、仕事を終えてみて無報酬の上に頭のネジが外れまくった戦闘馬鹿と一緒に酒場でヤケ酒して散財など、考えただけでもゾッとする。これ以上、恥に上塗りするほどルロイは馬鹿ではない。というより、なれないのだった。

 そう言えば、戦闘に使ったおかげで愛用のケープもボロボロで修繕するか新調しなければならない。

「はあぁぁ……もう、せめて事務所で一人ちびちび飲みますか」

 とにかく、まったくもって、割に合わない仕事だったとルロイはため息交じりに思うのだった。

 そんなこんなで、事務所の前まで戻ってきたルロイに思わぬ来客が、ドアの前に佇んでいたのだった。

「済みませんでした!」

「あなたは……」

 特徴的な亜麻色の長い髪にヘイゼルの瞳。あの時の、マティス・ランベールの娘だ。彼女はおずおずと一歩前に踏み出す。

「怒らないんですか?」

「それはまたどうして?」

「私は父を、あなたの依頼人を殺そうとしたから」

 彼女は目を伏せていた。この言葉の後、彼女自身にもどうしたいのか分からない様子であった。

「サシャ・ランベール」

「え?」

「あなたのお名前ですよ。違いますか?」

「ええ、でも何故?」

「マティスさんが、最期さいごに口にした言葉でしたからね」

 夕日のあけの光にサシャの双眸そうぼうが輝いた。

 ルロイは、サシャの明るいヘイゼルの瞳を覗いてみた。

 優しいすっきりした色合いは、青みの勝ちすぎたマティスの双眸そうぼうと比べて穏やかな優しさが秘められていたが、鼻っ柱の強さが時折目の輝きから垣間かいま見えるのだった。それだけではない、かつてルロイが冒険者であった頃に、そういった眼をした人間を、自分は確かに見ていたのではなかったか。

「あなたも、永遠の自由を見つけたいと?」

「え!」

「いや、そもそもあなたがマティスさんにギャリックをけしかけたのは、誰よりも自由でありたい父親を、本当の意味で自由にしてあげたかった。とか?」

「初めから、父がフレッチから墜落死した時から、全部知ってました。私……」

 やはり、正直な娘だとルロイは何もかも腑に落ちたのだった。

「それだけじゃ、ありません。私も自由になりたかった。父の亡霊から、もうこんなことを続けるべきじゃないんだって。お互い不幸なだけですもの。父と娘のきずなが悪しき因縁になってしまう前にそれを断ち切ってしまいたかったの。人間としての美しい思い出が美しいままでいられる前に……」

 サシャが涙にくれ感情を吐露しきった。

 彼女にとってもようやく一つの旅路が終わったのだ。

 そして、最後に残ったのは希望か絶望か――――

「サシャさんはこれから、どうするつもりですか?」

「母も既に病死していますし、故郷に戻っても家族も親類も居ません。ここで生きていこうかと思います。かつて父さんがここで名をはせたこの街でなら、父さんがなぜこの道を選んだか分かる気がするから。もちろん、行く当てがないからっていうのもあるんだけど……」

 予想外の言葉にルロイは、目を丸くして二の句が継げなかった。

「あ、いやサシャさん。ここ荒くれ冒険者がたくさんいて危ないですし考え直した方が……」

「父が他界してしまって……結局今回の報酬がまだ未払いですよね?」

「ああ、それは……ええまぁ」

「下働きの仕事でも見つけて、私が働いて払いますから」

「え!」

「それに、外套がひどく汚れて傷んでる。父を解放してくれたお礼とお詫びと言ってはなんですが、洗濯と裁縫くらいできます」

「え、あ……はい」

 ルロイの目の前にはすでに、過去を振り切り未来を切り開かんとする目の輝きがあった。その意志の強さは、マティス譲りなのであった。

「では、マティスさんのことは完全に吹っ切れたんですね」

「いいえ……それでも、憎んでいても愛することはできるでしょうから」

「なっ――――」

 サシャの泣きはらしたその顔は、確かに笑って見えた。

 ルロイは、その言葉に全てが集約された気がした。

 それでも、サシャは逃げずに歩んでゆく道を今選んだという事だ。

 中央広場の尖塔から鐘の音が鳴っている。

 レッジョの夕刻を告げる晩課ばんかである。

 ルロイもまた、このレッジョで新たな人生を歩み始めたとき、こんな顔をしていたのかもしれない。サシャの中にルロイはかつての自分を見出していた。

「ハハハ、大したお嬢さんだ……」

「ルロイさん。もし迷惑でなければ、この事務所に何度か訪ねてもいいですか?」

「構いませんよ」

「ホントに?」

「貴女が新たな出発を決意したなら、私もそれを応援したい。今はそんな気分です」

 かつてあらん限りの夢を抱いて冒険者としてこの街を訪ねた時のことを、ルロイは思い出して苦笑いした。

 まったく散々な一日の終わりに、神もまた粋な計らいをしてくれる。




 その日、夕暮れ時のレッジョの日没するところの方角へ、『はるかなるきざはし』から青い飛竜が飛び去って行った。

 飛竜はすさまじい速さで、すぐにレッジョ港から臨む西の水平線へ、消えていった。

 その雄姿ゆうしを見た者は揃ってこう言ったという。


 夢の中で何かと無邪気に戯れる子供のようであった。と――――

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