遥かなる階
『これより、幻獣の集落。冒険者ギルドの許可なき者の断ち切りを禁ずる』
どうやらここからが幻獣が住まう上層の入り口らしかった。
許可については、既に助っ人を頼もうと冒険者ギルドに立ち寄った時に事情を説明して取っている。本来であれば数日の審査期間が入り、その上不許可となるケースが多いものだが、魔法公証人のルロイが付いているということで、それほど時間を置かずギルドも許可してくれた。
「さて、今度は幻獣様とやり合わねばならんか」
「お……穏便に頼みますよ。マティスさん」
「それは向こうの出方次第だ」
ギャリックを相手に瞬間移動まで会得したマティスは、もはや怖いもの知らずであったが、本来戦士ではないルロイにとっては、切実な願いだった。何年かぶりの戦闘でただでさえ息が上がっている。今度ばかりはこれまで以上に穏便に済むことをルロイは祈っていた。
それほど長くもない真っ直ぐな階段を駆け上がるとそこは確かに異界であった。
石造りの建物に混じって、巨大な貝殻のようなものが
周囲を見渡せば、集落全体が謎の黒い霧に包まれており、その黒い霧の間隙を縫うように無数の小さな星々のような明りが集落全体を照らし出している。
そんな
「ここが幻獣たちの集落?」
「こっちだ」
マティスは現実離れした集落の様子に好奇の念を刺激される風もなく、ただ自分の愛竜を一刻も探そうと
「その、分かるんですか?フレッチャーの居場所が」
「無論だ」
不安より期待に弾んだ声で言い切られると、ルロイも反論する気になれない。どうやら階を
やがて、大きな巻貝のような住居の前まで来ると、二人の前に見間違いようがない蒼い巨体が目に入ったのだった。
「フレッチ!」
マティスが歓喜の叫び声を上げ、空色の飛竜の呼びかける。
「キュイィィ――――」
マティスの声に、フレッチャーもまた甲高い鳴き声で答える。
優し気な空色のドラゴンは、円らな黒い瞳を輝かせながら、マティスに走り寄る。
やはり、長年の相棒マティスの事を忘れてはいないようだった。
「よかった、やっぱり死んじゃいなかったな」
フレッチャーの長い首と
「ようやく来たのね『
気だるげな声が再開の感動に水を差す。
「あーあたし、ミラベルってんだけど」
巻貝の入り口から、桃色の波がかった巻き毛を
「詳しい話さ、もうその子から聞いてんだ。この子なら、数日前ここに来た有翼人の商人から買ったのよ」
改まってルロイとマティスは自己紹介をした上で、ミラベルと名乗るニンフの説明を聞くこととなった。
ことの経緯は、レッジョより北方を商圏とする有翼人の商人が訪ねてきたことだった。その商人とは普段からミラベルが
「ワイバーン種の飛竜で、空色の鱗が綺麗で目つきが可愛いんだもので、買っちゃった」
ミラベルは声を弾ませたあと、多少声のトーンを下げて続けた。
「でも、この子買ってしばらくしてから、よくよく話を聞いてみるとマティスって竜騎士に飼われていたみたいなんだよね」
ミラベルはメランコリックにため息をつく。方法は分からないが、妖精族には言語を介せず他種族と意思疎通することができるらしい。
「それなら」
希望をもってマティスがルロイに視線を向ける。
「マティスさん。あくまで、売買取引時に善意であるか否かが争点です。残念ですが、占有を開始した後に、占有者であるミラベルさんが事実に気が付き悪意となった場合でも関係はありませんよ」
「ぬぅ……」
悔しがるマティスを横目に、今度はルロイがミラベルにここまで来た経緯と自分が魔法公証人であることを説明した。
ミラベルはさして驚くでもなくそういう事ならと、ルロイに証書に筆記するための机まで貸して手短に協力すると答えた。
「真実の神ウェルスの名のもとに問う。汝ミラベルはその売買取引時、飛竜フレッチャーが竜騎士マティスの所有であることを知らず、かつ商人から買い付けた事実に偽りはないか?」
「もちろんだわよ」
あっさり証書が白く光ってしまった。
「これで
「なんだと!」
一瞬にして、マティスの顔が憤怒の表情に染まる。ミラベルは、特にその様子に気圧されるでもなく、敵意や警戒感なども
「あー心配しなくても、あんたの竜なら返してあげるわよ」
「本当か?」
「このフレッチャーに免じてね。まったく、本当に律義な竜だわよ。かつてのご主人にここまで尽くしてるんだから」
「どういう意味だ?」
「え、もしかしてあんた。本当に気づいてないの?」
すっとぼけたしかし、明確に非難の色を
「ここは、『
語尾の終わるころには、まるでミラベルの口調は厳格そうな聖者のようにマティスとルロイを戒めていた。
「少し待ってください、試してみたいことが」
ルロイは再び机に向かい手早く質問文を書いた。書き終わるや、一呼吸置きミラベルに向かい口火を切った。
「真実の神ウェルスの名のもとに問う。汝ミラベルは飛竜フレッチャーが生者であることを証明するか?」
「そのとおりです」
証書は白く輝いた。
「こういうことですよ、マティスさん」
厳かに、その言葉をルロイが告げる。ミラベルが真剣なそれでいてどこか憐れむ眼差しでマティスを見つめる。
「そうか、本当に死んじまったのは俺の方だったか」
「これまで、飛竜の加護の元死んだ肉体と
「瞬間移動できたのも、俺が死んでたおかげだってか……笑えるぜ。真の自由と強さを得たつもりが、その真逆で……俺はあの時ヘマして死んだ挙句、未練がましく苦痛と執着でのたうち回っていただけだったと」
「マティスさん」
「すまねぇ、フレッチ。結局死んでからもお前に迷惑かけちまったな」
マティスは再びフレッチャーの首を抱き寄せると、深々と青き
「もういい。お前は自由になれ――――」
瞬間、長かった旅路が一人の戦士のために終焉を迎えたのだった。
無限の自由を悟り、
肉体の鎖も、思考の鎖も解き放ち、
やがて生死の境さえ超越する者なり――――
マティスの体が光ったかと思うと、その体が蒼い結晶となって光り始めた。
マティスの体そのものが、この
「ああ、それとルロイ。今更で、悪いんだが……俺の娘にも伝えてやってくれ、こんな父で済まなかったと。そしてお前も自由になってくれと……娘の名前は――――」
マティスは結晶になって天へと召された。ルロイが最後に見たその表情に温かな父親の愛を見たのは気のせいだと思いたくはなかった。
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