戦鬼の群れ

 『はるかなるきざはし』その内部は意外なほどすっきりと広々としていた。

 ルロイとしては複雑怪奇な迷宮を想像していたのだが、中央の柱の周りをこれまた塔全体が螺旋らせん階段式にせりあがって昇るべき方向を指し示している。この大まかな構造としてはルロイの予想した通りであった。シンプルかつ荘重。冒険者であれば美しいと感じるダンジョンであった。

「さて……」

 青い顔にした角を生やした黄色くぎらついた目の戦鬼せんきが、五、六、七……いや上の階から次々と獲物の臭いを目聡めざとく反応して降りてくる。

 既に十から先は数える余裕すらなくなる。

 戦鬼せんきどもは、餓えたように皆一様にギチギチと歯ぎしりをして、各々の斧や剣、槍を握りしめ一歩ずつ迫る。これらは皆このダンジョンで命を落とした命知らずの冒険者の成れの果て。

「こりゃ、ダンジョンの威容いように舌を巻いてる暇はありませんね」

「せりゃ!」

 マティスは、重々しいハルバードを振り回し、戦鬼せんきが手のする得物、それに手や足にハルバードの刃を引っ掛け、難なく相手のバランスを崩し、そのまま刺突や斬撃で次々にとどめを刺してゆく。

 次々と敵と切り結び、本調子になっていったのかマティスはハルバードを振り回す速度を徐々に早めて行き、両腕で得物えものを旋回させ青白い戦鬼せんきたちを次々に蹴散けちらし肉塊へ戻してゆき、そのまま階段を上へ上へと駆け上って行く。

 ルロイもまた、マティスが蹴散けちらした戦鬼せんきの死骸の一部に転びそうになりながら、息を切らしてマティスに遅れずに付いてゆく。ルロイは内心自ら護身用の剣を振るわずに済むことに安堵しつつも、まるで暴風さながらのマティスの戦いぶりに気後れしつつもあった。

「凄い槍さばきですね。速すぎて人間技に見えない」

「なに、年がら年中空を駆け回ってりゃあ、この程度の速度でものが見えるのが当たり前になってくる」

 階段を駆け上って行くにつれ、明らかに戦鬼せんきたちの戦い方も、最初に出くわした者たちよりも手ごわく洗練された戦い方になっていった。

 塔を駆け上がるごとに敵の質も上がっているのは明白だった。

 無敵のように思えたマティスの進撃も次第に鈍り始めていった。それでもマティスが戦闘で押されるというほどの事はなく、問題はやはり次々に階段から襲い来る戦鬼せんきたちの数であった。

 マティスの額に汗の玉が浮かびようやく少しばかりの疲労の色が見え隠れする。

「マティスさん、大丈夫ですか?」

「へっ、お前は自分の心配だけしてろ」

 多少声の調子を乱しながらもマティスは余裕を見せつける。

 当のマティスはと言うと、自分と同じ得物えものであるハルバードを持ったプレート式のフルアーマーを着込んだ戦鬼と相対している。

 お互いに、得物の斧刃おのばをバインドさせにらみ合っている最中であった。

「ま、流石にそういつまでも簡単に通してはくれねぇよな……」

 膠着こうちゃく状態を打破するため、マティスは素早く得物を巻き斧刃おのば戦鬼せんきのハルバードに引っ掛ける。

 戦鬼せんきはそうはさせまいとマティスの斧刃おのばを押し上げる。そして、素早く得物えものをマティスのハルバードから外しそのまま引き下げ、マティスの胸を突こうとする。

 すかさずマティスが柄で防ぐと今度は得物えものの刃をマティスの顔の前に持って行き隙のある箇所を狙う。

 マティスはハルバードの前部で突きを払い、右足を踏み込みつつハルバードの前後を入れ替え、更に石突いしずきの部分で戦鬼せんき得物えものを横へ払う。

 それにつられて戦鬼せんきが体勢を崩した隙に、ハルバードを横に回転させ斧刃おのば戦鬼せんきの首をそのままねる。

 ルロイは思わず息をのむ。ほれぼれするような技術と力のせめぎ合いである。これなら自分などが心配したことなど杞憂きゆうであったかと胸をなでおろす。

 が、ようやく一体倒したと思ったら、今度は槍を下段に構えた戦鬼せんきが奇声と共にマティスに突進してくる。すんでのところでマティスは、ハルバードで槍の穂先を上から押さえつけ突進を防ぐ。

「ギアァァァ」

「ちっ、キリがねぇ!」

 幸い、戦鬼せんきたちはマティスの存在にくぎ付けになっており、柱や階段の陰に隠れているルロイには今のところ目もくれない。とは言え、流石にマティス一人に任せきるのは限界であることに気づかない訳にはいかなかった。

「悪いな、雑魚とは言えもう俺一人じゃ対応しきれん」

「で、ですよねぇ」

「前言撤回。自分の身は自分で守ってくれ」

 マティスが的確な判断を下した結果をルロイに告げる。

 それとほぼ同時に、ロングソードと円盾を装備した戦鬼の一体がルロイを睨みつけ獰猛どうもうな笑みでにじり寄ってくる。

「ははは、ふぅ……やっぱり」

 悪い予感はすぐに当たり、ぬか喜びはすぐに終わるものである。

 もっとも、こんなありきたりな不幸などルロイ・フェヘールにはもう慣れっこなのである。マティスが先ほどの戦鬼せんきと戦っている隙に、すでにルロイは戦闘態勢に入っていた。

「それが、お前さんの得物えものか?」

 槍で武装した戦鬼せんきを突きのフェイントで釣り、マティスは戦鬼の喉をハルバードで刺突する。また一体戦鬼せんきを倒したマティスが、ルロイを一瞥いちべつして興味深げに声を掛ける。

「ええ、チンクエデアと言うんですが、護身用としてなかなか使い勝手が良い短剣です」

 ルロイが右腕に握った剣は、丁度、握り柄の重心の刃が五本の指の分もある幅広の両刃の短剣である。それだけなら何のことはない、マティスの好奇の視線はルロイの左腕に注がれていた。

「ほぉ、で……左手はどうしたい、着ていたケープを腕に巻き付けただと?」

「おかしいですか?僕は公証人で武器の扱いには長けてないですからね。身の回りで使えるものを武器にするんですよ」

 ルロイの左腕にはそれまでルロイが羽織っていた黒いケープがグルグルと巻きつかせ、さらに半ばケープをマントのように垂らしている。

 ルロイは、チンクエデアとケープをそれぞれの手に持ち、戦鬼せんきを静かに見据える。

 先に動いたのは戦鬼せんきだった。

 構えたまま全く動じないルロイにしびれを切らし、ストレートにルロイの首筋に向かって剣の一撃を振るってきた。

 ルロイはすかさずケープを巻き付けた左腕で斬撃を弾く。

 続けての斬撃も、同じように左腕であしらうように弾いてゆく。

 次第に剣を振るう戦鬼せんきが苛立ち、攻撃が荒く大振りになってゆくにつれ隙が大きくなってゆく。

 ルロイはその隙を突き、まずはチンクエデアで戦鬼の剣を持った右手首を切り落とす。

 続けて、思わぬ反撃に戸惑う戦鬼の喉をその幅広の刃で貫く。

 一体倒した喜びに浸る間もなく、今度はルロイの右側面から重そうな戦斧を振りかざした肥満体の戦鬼せんきが奇声を上げ突進してくる。

「ゴアァァァ」

「っわ!」

 ルロイは慌てて飛びのき、斧の想い一撃を避ける。戦鬼せんきは、階段の一部を砕き突き刺さった戦斧を強引に抜き取り、再びうなり声を上げ突進の姿勢を取り始める。

 ルロイは先ほどの一撃を避け戦鬼せんきが戦斧を階段から引き抜くまでの間に、左手に巻き付けてあったケープを完全にほどいていた。

「そら!」

 先ほどと同じく斧を振り上げて突進する巨躯きょく戦鬼せんきの足を狙い、ルロイはケープを投げ込んだ。

 戦鬼せんきの両足はケープに絡まり、巨躯きょく戦鬼せんきは勢いよく顔面から石床へ倒れこむ。

 後は倒れこんだ戦鬼せんきの背中を踏みつけ、ルロイはチンクエデアを真上から振りかざし、戦鬼せんき頸椎けいつい躊躇ためらいなく両断する。

「ほぉ、やるじゃねぇか」

 感嘆かんたんしたようにマティスが口笛を吹く。

「いえ、それほどでも」

 ケープ術と言う護身術がある。

 その名の通り生地の厚いケープや外套がいとうで敵の攻撃を弾いたり、かく乱する一種の戦闘技術である。こんな時のために、ルロイは厚みのある重い毛織物のケープを普段から身に着けている。それゆえに、腕に巻き付ければ剣による斬撃への盾代わりにもなり、こうして敵の足に引っ掛け転倒させることもできる。

 慣れない戦闘で精一杯でルロイは気が付かなかったが、あたりを見回せば、大方の戦鬼せんきはマティスが片づけてくれたらしい。

 つまり、死屍累々ししるいるいである。

 いや、すでにダンジョンで命を落とした冒険者の末路が先ほど襲ってきた戦鬼せんきたちであるから、それは元からなのだ。が、ルロイとしてはやはり生きた人間からするとやってしまった嫌なザラついた感覚はある。

 自分もそれなりに頑張ってみせたがやはり竜騎士は格が違うらしい。ルロイは若干傷と血で傷んだケープを手に取り再び腕を通そうとしたその時。

「――――っ!」

「シャアァァァ」

 柱か何か、それまで死角になる場所に隠れていたのだろう。

 鎌を持った小柄な戦鬼せんきがルロイに飛び掛かってくる。

 ルロイは、咄嗟とっさにチンクエデアを投げ捨て、手にしたケープを戦鬼せんきの頭部を包み込むようにして巻き付ける。

 小柄な戦鬼せんきは顔をケープで覆われてもがいている。

 ルロイは、その両端に渾身こんしんの力を込める。

 しばらくして、何かが砕きへし折れる不快な音が響き、戦鬼せんきは糸が切れた人形のように石床へ力なく倒れこんだ。

「ケープで、首をへし折っただと!」

 しばらくの沈黙の後、マティスが半ば呆れたように口を開く。

「まったく、ヒヤヒヤものですよ……」

 ようやくケープを着直し、ルロイは安堵あんどの息を吐く。

 ケープ術にはケープを相手の頭部に巻き付けて首をへし折る格闘術もあると言う。

 もっとも、高度な技であると同時に特殊な技であるため咄嗟とっさにできるものではない。長らく戦いから身を引いていたルロイとしても、成功したことが内心信じられないくらいであった。

 そんなルロイにマティスは興味深げに口元を笑わせ問うのだった。

「おい、お前も昔は冒険者だったのか?」

「あ、バレちゃいました」

「お前のような素人がいるか!」

「ま、昔の話ですよ。人生色々。だから、詳しくは聞かないで下さい」

「違ぇねぇ」

 自嘲するようにマティスはほろ苦く笑って見せると、もう精悍せいかんな戦士の顔に戻っていた。ルロイはそんなマティスと一時でも共に戦えたことで、かつての追憶ついおくが蘇る。だが、立ち止まって思い出にふける訳にはいかない。ルロイもまた緩んだ面持ちを引き締めた。

「進みましょう」

「ああ」

 はるかなるきざはしは高みを目指す上へと更に続いてゆく。

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