第六章 その3 空想ミュージアム

「はあ、まさかこんなの残していくなんて」


 里美さんが艶っぽいため息を吐く。彼女の見つめる机の上には、例の『ふなで食品』の封筒が置かれていた。


「あの営業だね。受け取ってくれないなら無理矢理でもって突っ込んでいったんだろう」


 池田さんも頭を抱えて呆れたように言う。


 封筒は糊付けされており、中の物は見えない。だが手触りから、分厚い冊子のようなものが入っていることはわかっていた。


「これ、どうするんですか?」


「9割方話していたレストランの資料だと思うけど……万が一他の文書も混じっているかもしれないから、受け取ってしまった以上そのまま返すことはできないわね」


 そう言って里美さんは封筒を手に持つと、ペン立てからカッターナイフを取り上げ、流れるような手つきで封を開いた。


 出てきたのはA4サイズの紙束。20ページほどはあろうカラー印刷された冊子が、ガチャ玉でまとめられている。


「やっぱり、レストランの資料だけだわ」


「これは返送だな」


 わかっていましたよと言いたげな様子で目を合わせる里美さんと池田さん。こういう客も初めてではないらしい。


「あの、すみません」


 返送用の封筒を取りに行こうとする里美さん。それを呼び止めたのは私だった。


「それ、返送する前に読んでもいいですか?」


 振り向く里美さんに、私は遠慮がちに尋ねる。


 あの営業マンはたしかに強引ではあるが、この博物館にレストランができるのは個人的に大歓迎だ。もし入札が行われてふなで食品の案が採用された場合、その資料のアイデアが実現するかもしれないと思うと内容が気になって仕方が無かった。


「ええ、いいわよ」


 案外すんなりと、里美さんは私に書類を渡す。


 とはいえこれはすぐに返送する資料、汚さないよう、私は慎重に紙をめくる。


「うわあ!」


 そして店舗イメージのページを開くや否や、たちまち私は目を奪われた。


 元から取りつけられている大きなガラス張りの壁をふんだんに活かした明るい食堂。そこを彩るのはアンティーク調で重厚感ある机や椅子。昔はうどんやそばを茹でていた厨房にも大きな鉄板を置き、お客さんの見ている前でステーキを焼くこともできる。


 この町では珍しい、お洒落な洋風のレストランの雰囲気だ。


 メニューの例もなかなかに凝っている。地元の讃岐牛を使ったステーキランチや、瀬戸内海産のイカナゴの釜揚げなども提供されるようだ。季節に合わせておすすめの逸品を、和洋問わず楽しめるらしい。


「地元の食材をふんだんに使うみたいですね」


 女子は総じてグルメ情報に弱い。私とて例外ではない。


 私は涎を垂らしそうな勢いで紙面を食い入るように見つめていたので、いつの間にかシュウヤさんが後ろから書類を覗き込んでいることに気付いていなかった。


「博物館では結構多いな、地元の食材や伝統料理を出すところは。自治体としても地元の産業を盛り上げていきたい思惑もあるんだろう」


 突如解説が始まったので、「うわ!」と声を上げてしまった。慌てて口の端から滴る寸前にあった涎をふき取り、またしても資料に目を戻す。


 そういえば先月訪ねた琵琶湖博物館でも、川魚を使った料理が出されていた。セットメニューにはブラックバスやナマズ、ビワマスも使われていたし、単品では鮒ずしも注文できるみたいだ。


「私も前に大阪の国立民族学博物館に行ったんだけど、そこも変わったメニュー用意していたわ」


 里美さんも話題に加わる。昔から旅行好きのようで、連休には家族連れで遠出することが多いらしい。


「世界の民族料理が食べられて、フォーやガパオライスが出されるの」


 へえ、博物館のテーマとレストランをうまい具合にミックスしているんだな。


「横浜にはラーメン博物館てのもあるみたいだね」


 池田さんも自信満々に話題に乗っかる。が、途端シュウヤさんは苦笑した。


「……それはちょっと違います。博物館と言うよりフードテーマパークなので」


「え、そうなの?」


 きょとんとする池田さん。なんだかちょっとかわいい。


「はあー、こんなのできたらいいなぁ」


 資料の最後のページをめくり、私は深く息を吐きながら言った。だが里美さんはすぐに私の手から資料を取り上げ、それを返送用の封筒にすっと放り込んだのだった。


「できるなら私も嬉しいけど、ルール違反はだめだからね。これはちゃんと返さなくちゃ」


 私は頬をむっと膨らませるが、里美さんの言う通りだ。そもそもこれはあくまでひとつの案であって、実現の保証は無い。


 それにしても地元ならではのラインナップをそろえてくるとは、さすが『ふなで食品』といったところか。ここは船出駅前に本社を置く昔ながらの会社で、市内を中心に食堂や和菓子店などを手広く経営している。元は江戸時代から続く餅屋だったのだが、昭和初期に一族のひとりが独立して総合食品会社として設立されたらしい。


 以前、てっちゃんといっしょに入ったケーキ屋もここの系列店舗だ。


「入札情報の公表はいつになりそうですか?」


「起案文書はもう市役所に送ったし、そろそろじゃないかしら」


 公務員の世界では重要な文書は作成した職員から徐々に上の管理職へと回され、何重にもチェックを植える。最終的に市長が確認をしましたという印を押し、晴れて正式な文書として認められるのだ。これを決裁と呼び、何度もチェックを重ねて誤りを防止できる反面、どうしても時間がかかる。


「それなら私たちの希望も伝えましょうよ!」


「情報保護のために業者化担当者じゃないと使えないわ。それに審査するのは教育委員会と会計課だからね、私たち現場の職員には何の権限も無いわ」


 ああ悲しきかな縦割り社会。他部署の仕事を門外漢がどうこう言うことはできないと、私はがっくり肩を落とした。


「レストランもですけど、ミュージアムショップもお客さんにとっては嬉しい要素ですよ」


 シュウヤさんが思い出したように話題を変える。たしかに、大きな博物館には大抵ミュージアムショップが併設されているし、琵琶湖博物館のショップは展示品の文房具から子供用のおもちゃ、本物の化石や水晶まで幅広く商品を取り扱っていた。


「意外と来るんじゃないかな? 水族館だとぬいぐるみは人気だし」


 池田さんがうんうんと頷くと、里美さんも口に手を当てて考え込む。


「そう言えば、うちは無料パンフレットだけで図録も販売してないわね。レストランが好評なら、本格的に取り入れてもいいかもしれないわね」


 明るい話題に職員たちの頬もついつい緩む。


 だが現実は厳しい。夢の広がる話ではあるが、こんな閉鎖も噂される博物館にレストランを出したいという話があるだけでも奇跡のようなものだろう。ミュージアムショップなど夢のまた夢、まだまだ先のお話しなのだ。

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