第六章 その2 売り込みミュージアム

 雨の少ない瀬戸内海沿岸も梅雨入りを迎える今日この頃、船出市郷土博物館は燻蒸の準備のため、ボランティアの皆さんと一緒に作業中だ。


「蓋をずらして開けてください。これで中まで薬剤が行き渡りますので」


 シュウヤさんの指示の下、ボランティアのお爺さんたちが収蔵庫の木箱や段ボールを慎重に運び出して蓋を外す。地道ながらなかなかに体力と根気の要る作業だ。なにせ収蔵庫も展示室も、全部ひっくり返しての大仕事だ。自分の部屋ひとつ掃除するだけでも大変なのに、それが博物館まるまると思うと気が遠くなる。


 シュウヤさん以外にも文化財の扱いについても薬剤についても専門的な知識を持った業者さんが参加し、本当に大切な作業はそちらに任せている。市民ボランティアにやってもらうのはごく単純な作業だが、それでも博物館の運営に関わっていると思うと俄然やる気が出るのか、みんな張り切って文句のひとつもこぼさず打ち込んでいた。


 博物館は今日から1週間休館する。と言っても職員も休むわけではなく、燻蒸の準備で普段以上に体力を消費する。


 明後日には専用の機材を用いて、収蔵庫を何十時間もかけてガスで充満、殺虫と殺カビを行う。その間は普段も安全のために全館の立ち入りが禁じられ、ようやく職員も羽を伸ばすことができるのだ。


 ちなみに大きな博物館ではガスを充満させるための「燻蒸庫」と呼ばれる部屋を備えた施設もあるのだが、生憎こんな地方の零細ミュージアムにはそこまで立派な物は存在しない。


「あ、これ壊れてる!」


 高校生の頃からずっと使っているジャージ姿の私が床に置いて開けた段ボールに入っていた物は、竹で作られた漁具だった。川の底に沈めて魚やカニを捕まえる物だろうが、肝心の骨格が壊れているのか既にばらばらにほどけていた。


「ああ、よくあるんだよね、こういうこと」


 後ろから覗き込んだシュウヤさんが顎をさすりながらちょっと残念そうに言った。反応から資料としての価値自体はそこまで高くないようだが、やはり収蔵品が壊れるのは辛いものがあるのだろう。


「よくあるんですか?」


「ああ、経年劣化は避けられないから、知らない間に収蔵庫の奥でダメになっていく物も多いんだ。何万点も収蔵されているような所じゃ、現役の職員が一度も触ったことの無い品があってもおかしくはない」


 そう言えばヨーロッパの古い博物館や図書館では、すごく貴重な資料が「発見」されたと報じられることもある。奇妙な話だが、人工物である博物館の奥底には、まだまだ未知の世界が広がっているのだ。


「そう考えると展示物と人って、一期一会だね」


 近くで作業していた池田さんがでドヤ顔で割り込む。池田さんが言うと今ひとつしまりがないが、たしかに妙にしっくりくる。


「あの、お客さんが」


 そこに速足で知らせに来たのは悠里乃ちゃんだった。予想もしていない来客に、池田さんは「今日は休館日だよ?」と首を傾げる。


「違うの、ふなで食品の営業って人が」




「まあまあ、博物館も最近お客さんが増えて色々と大変でしょう? 弊社は市役所にも食堂を開いていますし、ここはどうかお願いしますよ」


 収蔵庫から駆けつけた私と池田さんが見たのは、開けっ放しにされた正面玄関ち、そこに立つ営業マン風の男性。よく日に焼けた40歳くらいのワイルドな雰囲気で、スーツの上からでもわかるようながっしりした体格の持ち主だった。


 そんな見るからに強引そうな男をピンとまっすぐに見据えて対応するのは我らが里美さんだった。いつものスーツではなく作業用のジャージ姿ではあるが、それでも普段と同じくできる女のオーラを如何なく漂わせていた。


「申し訳ありませんが、そのような事項をお話しすることはできません。入札の機会には公表いたしますので、入札情報をご覧下さい」


「堅苦しいねえ、せっかくの美人なのに」


 なれなれしい男性の態度にも、里美さんはまぶたひとつ動かさなかった。きっと昔から同じようなこと言われ続けて、慣れっこなのだろう。


 同様のひとつも見せない里美さんの態度に、男性は攻め手を変える。ビジネスバッグから大きな封筒を取り出すと、それをぐいっと里美さんに押し付けてきたのだ。


「じゃあこれならどうです? レストランの資料です、受け取ってくださいますか?」


「審査も始まっていない案件に関しての資料を受け取ることはできません」


 それでも里美さんは目の前に突き出された資料に手を伸ばすことは無く、ただ視線だけで男を威圧する。


 これ以上は無駄だと悟ったのか、男はおおげさにため息を吐くと、しぶしぶ封筒を鞄に戻す。


「だろうね、言うと思った。じゃあ今日は仕方ない、入札情報を楽しみに待ってますよ」


 そう言い残して男は回れ右すると、ずかずかと外に退散する。男が車に乗り込むのを見届け、私と池田さんは里美さんに駆け寄った。


「何ですか、今の方は?」


「博物館の食堂に店を出したいからって、押し掛けてきたの。前にも何度か電話はかかってきたんだけど、ついに痺れを切らしたみたい」


 一戦終えた後にもかかわらず、淡々と話す里美さん。疲れのひとつも浮かべない彼女に私は感心しながらも「強引ですね」と返した。


「昔はあれで通ってたとこもあったから。今じゃ考えられないかもしれないけど」


「さあ、作業を再開するわよ。まだまだ収蔵品はたくさんあるんだから」




「ああ、しんどかった」


 その日の作業は全て終わり、くたくたになった私は事務室の椅子に深く座ってペットボトルのカフェオレを飲む。こういう疲れた時は甘いカフェオレが一番だ。


 ああ、やっぱり仕事終わりの一杯は確実だ。


 そんなのほほんとした心持で、ふと何気なく壁にはめ込まれた郵便受けに目を移す。


「あれ?」


 思わず私は目を細めた。今日の郵便物は回収したはずなのに、何かが入っている。


 椅子から離れた私は郵便受けを開けた。入っていたのはA4サイズの分厚い封筒、冊子や本も簡単に入ってしまう大きさだった。


「あ!」


私は声を上げて驚いてしまった。その封筒には、『ふなで食品』の文字がでかでかと印刷されていたのだ。

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