第五章 その4 はんなりミュージアム

「おはよう、京都はどうだった?」


 事務室に入った私を最初に歓迎したのは、朝ごはんの菓子パンにかぶりつきながらパソコンでメールチェックする池田さんと、不足した事務用品の注文内容を文書に打ち込んでいる里美さんだった。


 ほんの3日間のことなのに、なんだか久しぶりに戻ってきた職場に気分だった。


「ええ、最高でしたよ」


「そりゃよかった。博物館は見てきた?」


「はい、それが一番の目的ですから」


 私はバッグといっしょに持っていた大きな紙袋を事務机の上にどさりと置いた。


 池田さん、目的地が京都だけだったと勘違いしているのかな? 琵琶湖博物館は京都じゃなくて滋賀なんだけど……まあ隣同士だしいいか。


 琵琶湖博物館を見学した後の2日間、私と悠里乃ちゃんは初夏の京都を堪能していた。


 平安時代から歴史の中心にあり続けた京の都はやはり見所満載だった。池に映った金閣寺にスマホのカメラを無駄に連写し、三十三間堂では整然と並ぶ1001体の千手観音像に言葉を失い、東寺ではイケメンな仏像にちょっと赤面した。


 歴史好きの悠里乃ちゃんは終始興奮しっぱなしだった。地名を聞くたびに「そこには昔鎌倉幕府が朝廷を監視する基地を置いたの」だの「この文化がわびさびの始まりよ」だのと遠慮も知らずに話し出す。蓄積してきた膨大な知識が、目の前に実物が現れることで一気に活性化しているようだった。


 そしてやはり博物館職員として、京都市内の博物館をルートから外すことはできなかった。


 私たちが行ったのは繁華街の三条通、そのすぐ近くにどーんと現れるレトロな外観の京都文化博物館だ。赤いレンガを積み上げて作られたこの建物は、重厚な外観ながらも不思議な温かみを感じられる。


 しかしなぜだろう。この建物を前にした時、私たちふたりとも妙な既視感に襲われたのだ……なんかのアニメで似たような建物を見た気がするな?


 悠里乃ちゃんといっしょに首を傾げながらも中に入ってみると、すぐさま私たちは展示されている品々の格の違いに打ちひしがれてしまった。


 源氏物語絵巻の現物とか……初めて見たわ。他にも美術や歴史の教科書に載っているレベルの作者の絵画や彫刻が当たり前のように展示されている。船出市中の古い蔵をひっくり返しても、これ以上のお宝は出てこないのではなかろうか?


 何気ない展示も見せ方を工夫してインパクトを与える琵琶湖博物館とは趣も大きく違う。興味をそそるテーマの企画展や、ネームバリューある作家の作品など展示品そのものがいかに客の興味をそそるか、それが大切なのかもしれない。


「それとこれ、お土産です」


 今も京都での出来事がありありと思い出されるが、仕事の前に休日のことを思い出すのは虚しくなるだけなのでもうやめておこう。私は紙袋からふたつ、小さな箱を取り出してそれぞれ池田さんと里美さんに差し出した。


「お、八ッ橋じゃないか!」


 池田さんの目が輝いた。


「ありがとう、これ美味しいのよね」


 里美さんからもにこりと笑みが漏れる。


 京都のお土産と言えばやっぱり八ッ橋だろう。ニッキを混ぜた米粉の生地を蒸し、ふにゃふにゃと柔らかいままやさしい味を楽しめる銘菓だ。


 ちなみに八ッ橋といえば柔らかい生地で餡を包んだ三角形のものを連想する方も多いと思うが、あれらは正しくは生八ッ橋と言って、戦後に考案されたお菓子だ。昔ながらの八ッ橋は硬いお煎餅のようで、保存期限も長い。


 さあ、4日ぶりのお仕事だ。いつもよりやや憂鬱な気分を抱えながらも、受付に立つと「よしっ」とスイッチが自動的に切り替わる。


 休み明けでリフレッシュできたからか、朝から私はいつも以上に効率良く来館者を捌き続けることができた。そして昼前、お客さんが途切れるタイミングができたところで、ふうと息を吐きながらこの3日間に考えてきたことを改めて思い返す。


 今回の旅行で体験したことを、どうすればこの博物館にも還元できるだろう?


 琵琶湖博物館で最も感じた、お客さんを楽しませるようなしかけは絶対に必要だろう。しかし、だからといって水族展示を作ろうなんて言い出しては今回の旅行で何も学ばなかったのと同じだ。何を置くかも大切だが、どう見せるかも重要な要素。


 見る以外にも触る、聞く、におう、味わう、そして考える。そういった誘導を工夫するだけでも、博物館の印象は大きく変わるだろう。


 あとは……食堂、本当にどうにかならないかな?


 うちの博物館には過去食堂のあったスペースがほぼそのまま残されている。お客さんにも職員にとっても、最寄りのコンビニが徒歩圏の外にあるのでは不便で仕方ない。琵琶湖博物館のように地元ならではの食材やメニューを置けると観光客も喜ぶだろうが、では船出なら何が良いものか……。


「あらあずさちゃん、お帰りなさい」


 上の空だったところに突然話しかけられ、心臓が一瞬大きく跳び跳ねた。声をかけてくれたのはいつもの掃除のおばちゃんだった。


「いつもありがとうございます、良かったらこれどうぞ」


「あら、ありがとうね」


 私は受付の引き出しに隠していた菓子折を素早く取り出し、そっと手渡した。職員の皆さんにも配ったのと同じ、京都の八ツ橋だ。


「あら八ツ橋! 京都なんて懐かしいわね」


「え、住んでいらっしゃったのですか?」


 意外や意外、そういえばおばちゃんの過去ってほとんど聞いたことなかったな。


「ええ、結婚して船出市から出て、しばらくは京都に住んでたわよ。その後は横浜とか札幌とか広島とか、夫は転勤の多い人だったから。船出に戻ってきたのは夫が定年を迎えてからだわ」


「へえ、全国色々飛び回ったのに、最後は故郷に戻ってくるのですね」


「やっぱり慣れ親しんだ土地が一番よ。でも昔とは大分変わったわ。あの本の虫の才蔵が市長にまでなっちゃってるんだから、そりゃ驚いたわよ」


「でえっ!?」


 何気ないおばちゃんの一言に驚き過ぎて、自分のイメージを根底から崩しかねない変な叫び声をあげてしまった。


「し、市長とお知り合いなのですか!?」


 なんとか平静を保ちながら尋ね返す。あの市長の名前がこんなところで出てくるなんて、驚くなと言う方が無理だ。


「知り合いも何も、幼馴染よ。幼稚園から中学までいっしょの。身体は小さかったけど、勉強はそりゃあよくできたわねえ。あんな小さいのにラグビーなんか始めて、中学3年間で見違えるほど逞しくなったわ。それから本土の大学に行って、それっきりだったけど、私が結婚してあちこち動いている間に、地元の信用金庫のトップに上り詰めるんだからたいしたものだわよ」


 おばちゃんが話すと何十年前のこともまるで昨日のことのようだった。それにしても田舎の人間関係の狭さは驚異的だ、知り合いの知り合いとなれば、ほぼ全市民をカバーできるのではなかろうか。


 しかしこれは良いチャンスだ。


「あの」


 本人から直接聞き出すのは気が引ける。もしかしたらこの人なら知っているかもしれない。私は尋ねずにはいられなかった。


「市長って、どんな方だったのですか?」


 博物館とは別に、シュウヤさんと市長とのつながりがわかるかもしれない。あくまで私個人の勘ではあるのだが。

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