第五章 その2 きらきらミュージアム

 おとなのディスカバリールームを出た私たちはエスカレーターを昇り、順路通りA展示室に向かった。ここは琵琶湖の成り立ちを知るコーナーで、何百万年も昔の地層や鉱石標本が展示されている。


 ガラスケースなどは極力省き、自然のまま、ゴロゴロと巨石転がる海岸のように標本を展示している。それだけでもなかなかの迫力だというのに、恐ろしいことにここの標本の多くは手で触れてもかまわないというのだ。


「化石を触れるように置いてるなんて……」


「たぶんレプリカだけど、すごいね」


 普通、こういう貴重品は厳重にケースの中に入れておくべきでは?


 クジラの化石の埋まった巨大な岩石が通路のど真ん中に置かれ、それを子供たちはべたべたと触り、時にはやんちゃな子が靴のままよじ登っていた。うちの博物館では考えもつかない光景だが、ここではさも当然のごとく大人も子供も振る舞っている。


 そしてこの部屋最大の目玉であるコウガゾウの復元骨格を目にすると、あまりの巨大さに私たちは口を開けたまま見上げて立ち止まった。


 300万年前にはこんな巨獣が歩き回っていたのだろうか。肩高3メートルというアフリカゾウにも匹敵する巨大な標本。なんとこの展示室では、その股の下を神社の鳥居のようにくぐることができるのだ。


「おっきいね……」


 幾重にも連なるゾウの肋骨を真上に見ながらその下を歩くのは不思議な感覚だった。この大きさのゾウですら圧倒されるのが人間だ、もしも映画で出てくるような数十メートルもの大怪獣が現れたら、私たちはなすすべもないだろう。


 ほんの3メートル、されど3メートル。同じ展示でも、見せる方法や角度を変えることで強く心に焼き付けることができる。


 場所を移してB展示室。ここは巨大な丸子舟まるこぶねがそのまま展示され、来館者の注目を集めていた。どうやらこの部屋のテーマは人間と琵琶湖の歴史らしい。古い地図や民具に、悠里乃ちゃんは終始目を輝かせていた。


 うちの郷土博物館とも展示物などで共通点は多い。だが展示場に遺跡の発掘現場を再現したり、貝塚の地層をそのまま剥がして展示するなどのダイナミックな見せ方には、やはり博物館の規模の差をひしひしと感じてしまう。


 何というべきか、財力の差を見せつけられて、ちょっとやさぐれてしまいそうだ。


「ねえ、あれ何?」


 悠里乃ちゃんの声にふと我に返る。落ち込んで、俯いて歩いていたせいで気が付かなかったが、私の目の前に一本の柱が立ち塞がっていた。その柱には物差しのように高さが刻まれ、そして手を伸ばしても届かないほどの高さに、枯れたイネの穂のような浮草が絡みついていたのだ。


「え、ゴミ?」


 私は訝しいげに声を上げる。何のために、あんな所にゴミをくっつけているのだ?


「昔洪水があって、あの高さまで水がきたんだって」


 悠里乃ちゃんが近くのパネルを読みながら淡々と解説してくれた。どうやらあのゴミの高さは3.76メートル。明治時代の水害では、あんな高さにまで水かさが増したらしい。


 先ほどのゾウの骨格標本と同じだ。ただ数字で伝えるだけとはまるで違うインパクトがある。加えてパネルだけですべてを説明せず、いかに来館者に実感を伴った体験を提供できるか。それが琵琶湖博物館の掲げる至上命題のようにさえ感じた。


 そして残すはC展示室。ここは人間の生活と自然、琵琶湖のつながりがテーマだ。


 出迎えてくれたのは戦後から始まる映画のポスター、冷蔵庫やテレビと言った家電にソフビ人形、レトルト食品のパッケージなど生活雑貨の数々。それらが時代ごとに順を追って並べられ、人々の営みの変遷を追って見ることができる。旧式のテレビには1964年の東京五輪や70年代の公害問題の映像が映し出され、当時の世相を反映していた。


 その中にはなんとファミコンまでもが展示されていた。赤と白のボディに、マリオのカセットが挿さっている。まさかこんなものまで展示物にしてしまうとは。家の押し入れ探せば同じもの出てくるんじゃないかな?


 そしてさらに先へと進むと、またしても私たちは驚かされる。なんと館内なのに、茅葺き屋根の古民家がまるまる一軒建っていたのだ。


 いや、それだけではない。その向かいには納屋のような小屋も設けられているが、ここはどうもおかしい。小屋の中に石をくり抜いたような水槽が置かれ、そこからポンプでとくとくと水が溢れ出していたのだ。


「見て、家の中に湧き水が!」


 さらに驚いたことに、溢れた水は足元の池に溜まるのだが、そこにはなんと館内なのにコイまで泳いでいた。よく見るとこの池からも水路がつながっており、小川が館内をぐるりと一周するように水が流れていたのだった。


「これは『かばた』、滋賀県の古い家ではよく見られる構造みたい。食器や野菜を洗って、その汚れをコイが食べてくれるんだって」


 ただ驚嘆する私とは違い、悠里乃ちゃんはすぐに解説文を見つけてはふむふむと頷いて自分のものにしていく。


 さて、この古民家は実際に県内にあった家屋をそのまま移築してきたものらしい。さらに昔ながらの便所まで再現され、現代的な要素を一切排していた。その再現度合いは徹底しており、足踏みのミシンや四つ足のテレビなど現代ではまず見られない家電や道具しか置かれていない。それでいて生活感を出すために物干し竿には布団が干され、ちゃぶ台の上には食品サンプルで当時の夕食が再現されるなど、まるで一家が今この場で生活しているようにも思えた。昭和30年代にタイムスリップしたような、テーマパークにもよく似ている現実から切り離された異空間がここにはあった。


「なんだか落ち着くね」


 畳の上に座り、ちゃぶ台に肘をつきながら私が言う。


「屋内なのに、屋内じゃないみたい」


 悠里乃ちゃんは土間に置かれた桶風呂の中に頭を突っ込んで覗き込みながら答えた。この子は自分の興味ある分野になると、不登校とは思えないくらいにアグレッシブになる。


 それにしても、本当にここがさっきの鉱石標本を展示していたのと同じ館内とは思えない。こういった非日常性を演出するのも、博物館にとっては大切なのかな?




「ああ、楽しんだ!」


 3つの展示室をじっくりと順に見て回り終えた頃にはちょうどお昼ごはん時になっていた。歩き疲れた私たちは流れるように博物館内のレストランへと吸い込まれた。


 壁一面ガラス張りのレストランからは湖岸の景色もよく見える。さっきの子どもたちだろうか、芝生の上にシートを広げて楽しそうにお弁当を食べている。


 やはり施設そのものの規模も関わっているのだろうが、平日でもお客さんはひっ切りなしに出入りしている。うちの博物館にも食堂を入れたいところ、ここの運営についてはよく観察しておきたい。


「本当に広いね、ここ。船出市郷土博物館の何倍くらいあるんだろ?」


「考えると虚しくなるから、やめて」


 聞くなり私は項垂れた。椅子に座った瞬間、爪先から腰から全身へと疲れが回ってきたせいもあるが、うちとこことではかけられている予算が桁違いだ。コストのかかることは真似できない、ここで得た知恵をそのまんま持ち帰っても、有効には利用できないだろう。


 だが、かからないことはジャンジャン真似していい。


 確かにここの展示は質も量もすごい。しかしそれだけではない、ここは何より『見せ方』がうまいのだ。パネル解説だけで終わらせるのではなく、来館者に五感を伴った体験を提供して、理解を深めてもらう。その『見せ方』はコストをかけずとも、工夫次第でより良くすることはいくらでも可能なはずだ。


「お待たせしました」


 しばらくして、注文した料理が運ばれてくる。湖の幸の天ぷらそばとのことで、魚や野菜などの天ぷらが添えられている。


 美味しそうな香りに、早速私はさくっと一口、天ぷらを頬張った。あつあつの衣の中から現れたのは、淡白な味わいの白身魚だった。


「これ、何の天ぷら?」


「ブラックバスだって」


 悠里乃ちゃんの一言に私は「ええ!?」と今しがた半分ほど食べてしまった天ぷらを凝視する。ブラックバスって、あの恨むべき外来魚とかテレビで散々言われているあれのことか?


「で、こっちはたぶんビワマス。琵琶湖の固有漁みたい」


 メニューを開いて箸を口に運びながら、悠里乃ちゃんがぼそぼそと答える。ブラックバス程度では動じないらしい。


「他にも近江牛カレーとか小鮎の南蛮漬けとか……え、ナマズの天ぷら?」


 だがメニューに書かれたその文字を読み上げた途端、さすがの悠里乃ちゃんも表情が引きつった。


「ナマズ? 食べれんの、それ?」


 ブラックバスの残る半身を咀嚼しながら私は尋ねるが、悠里乃ちゃんも沈黙してしまっていた。あんなぬるぬるして掴めそうもない魚、食べようという発想自体がそもそも出てこなかった。


 ちなみに実際のところ、ナマズは淡白な味わいで、フライやかば焼きなどに非常に適しているそうだ。東南アジアでもナマズのなかまは一般的な食材として広く利用されている。つまりはただの食わず嫌いなのだが、私たち瀬戸内海沿岸生まれの人間でわざわざ下処理の大変な川魚を食べようと思うのは稀だろう。


 なんやかんやで食事を済ませ、空っぽのどんぶり鉢を前に私たちはうーんと大きく伸びをした。博物館もがっつり見ると結構疲れるのだ。


 たしか隣にミュージアムショップがあったな。帰る前にお土産も探しておくかな。


 すっかり私はこの博物館を見終わった気になっていたが、悠里乃ちゃんの「じゃあ、最後にもういっちょ行ってみよっか」の言葉に「え?」と目を瞬かせてしまう。


「まだ何か残ってたっけ?」


 不意を突かれた気分だ、結構広いからもう満足した気分でいたのに。


「ほらここ、水族展示室」


 そう言って悠里乃ちゃんは館内のマップを指差し嬉しそうににかっと笑った。

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