第五章 その1 出張ミュージアム

 心地よい暑さに汗ばむようになった5月の半ば。平日早朝から家を出た私は、急行列車に乗って瀬戸大橋を渡っていた。


 思えば四国の外に出たのは去年家族で鳥取まで旅行して以来のことだ。あの時はお父さんの運転する自家用車だったからか、久々の本州に車窓の瀬戸内海の景色さえも新鮮に映る。


 そして岡山駅から新幹線に乗り換え、一気に新神戸、新大阪と通過する。


「あ、きれいな塔!」


 あまりの静かさに200キロ以上という高速で走っていることすら忘れかけていたとき、私は思わず窓の外を指差した。


 空を突き破るような摩天楼が林立する大阪とは違い、屋根の高さが均一にそろった京都の風景。その中で一際高く他を突き抜けるのは、日本古来より伝統の五重塔だった。


「東寺の五重塔、国宝であり世界遺産のひとつ。東寺真言宗の総本山で、弘法大師が桓武天皇より下賜されたという……」


 そんな私の隣に座り、同じく窓に釘付けになっているのは従妹の悠里乃ちゃんだ。誰に話しかけているのか、百科事典のように語っているが、1000年の都に足を踏み入れたその顔は普段見られないほどに高揚していた。


 そして私たちは京都駅に降り立つ。さすが日本の誇る観光都市、アジアからヨーロッパから、世界中各地からやって来た人たちが大きなトランクを押して自分の乗る列車を待っている。


「悠里乃ちゃんは京都初めて?」


「うん、修学旅行、行ってないから」


 歴史好きの彼女にとっては京都は町全体が聖地のようなものだろう。紅潮した頬が興奮を物語っている。


「明日と明後日は京都観光しよ!」


 このまま悠里乃ちゃんを放っておいたら、勝手に近くのお寺にでもふらふらと誘われてしまいそうだ。そうなってしまっては困る、何せ私たちの目指す場所はここではないのだから。


 新幹線から在来線に乗り換え、上りの新快速に揺られること30分。到着したのはお隣滋賀県の草津駅だった。駅前は栄えているが市街地を抜ければ広大なる田園風景が広がっている、我らが船出市にもよく似た地方都市だ。


「温泉あるかな?」


「それは群馬、ここにはない」


 期待に胸を高鳴らせていた私のわくわく感を、悠里乃ちゃんが無情にも打ち砕く。


 草津駅からさらに路線バスに乗り換えた私たちは、田んぼが一面に広がるのどかな田舎道を突っ切る。


「わあ!」


 やがて目の前の光景に悠里乃ちゃんが色めき立った。


 開けた田畑の彼方から見えてきたのは、対岸の山々を映し出す巨大な鏡のような湖面。そう、これこそが日本最大の面積を誇る湖、琵琶湖だ。


 近畿地方の水瓶として古くから利用され、織田信長もその畔に安土城を建造させるなど歴史の表舞台にも度々登場する由緒正しき湖だ。若者にもキャンプやヨット、ジェットスキーなどでレジャーの場として親しまれている。


 だが、私たちの目的地はここでもない。目指すは琵琶湖の湖岸、半島状に突き出た一角に鎮座する広大な施設だ。


「ここが琵琶湖博物館か!」


 バスを降りてたどり着いたのは滋賀県立琵琶湖博物館、その名の通り琵琶湖をテーマに据えた総合博物館だ。自然科学、歴史文化とジャンルを問わず『琵琶湖』と関連付けられれば何でも展示するという施設らしい。


 そんな琵琶湖博物館の年間来館者数は50万人。うちの郷土博物館とは桁違いの規模だ。そしてこここそがシュウヤさんの言う『遊びに行ける博物館』だった。


 1996年開館と公営の大規模な博物館としては比較的新しいこともあってか、「日本でも有数の先進的な取り組みをしている博物館」とシュウヤさんは話していた。博物館に詳しい彼から全国各地の博物館から選出されたのだから、否が応でも期待は高まる。どのような点をもって、シュウヤさんはここをオススメしたのだろう。


「まずはディスカバリールームを見てみるといいって」


 入館料を支払い明るいロビーに立つと、悠里乃ちゃんがスマホでSNSを開いてシュウヤさんからのメッセージを読み上げる。


「ディスカバリールーム?」


 直訳すると発見の部屋か。聞き慣れない言葉に私は大きく首をかしげた。


「あそこみたい」


 ロビーから直接つながる展示室を悠里乃ちゃんは指差した。規模はさほど大きくないが、中からはきゃっきゃと楽しそうな声が漏れ出ていた。


 校外学習だろう、ディスカバリールームの中は小学校低学年くらいの子供たちで賑わっていた。


 大きなザリガニのハリボテのようなものに潜って、これまた巨大なメダカを捕まえるような遊具。タヌキの剥製の隣には、信楽焼のタヌキの置物が飾られ実物と作り物を比較できるようになっている。さらに古民家の一角を再現したような場所には、昔の道具を使っておままごとができるように工夫されていた。


「子供向けの展示室ってことね」


 なるほど、展示と遊具をいっしょくたにした施設がここというわけか。これなら小さな子供も遊びながら学習を進めることができる。


 だが感心する私の隣で、悠里乃ちゃんはスマホの画面を見つめながら大きく首を振った。


「それだけじゃない、ここには博物館のエッセンスが凝縮され、体験と驚きを通して学習ができるって」


「博物館のエッセンス?」


「将来、琵琶湖博物館で展示を楽しむための方法を身に着けるのが本当の目的なんだって。博物館の展示につながる、基本的な知識を体験を通して得られるみたい」


 悠里乃ちゃんの話を聞きながら部屋の中をぐるりと見回す。そしてい私はふと目についた小さな舞台に目を奪われ、「お?」と声に漏らした。


 どうやら人形劇の舞台のようだ。ここで遊びに使うためだろう、人間の子供、クマ、うさぎ、カエルと様々な人形が置かれていた。だが驚いたのはここではない、普通の人形劇ならば絶対に使われるはずのない人形が、可愛らしい動物たちとともに堂々と肩を並べていたのだ。


「ねえ、これ何?」


「ええと……ゲンゴロウ?」


 そう、水棲昆虫のゲンゴロウ、その人形だ。始め見た時はカブトムシかカナブンかと思ったが、それら想像を上回る微妙なキャスティングに私たちは言葉を失った。


 他にもナマズ、オオサンショウウオ、二枚貝、アメリカザリガニ、そしてミジンコ。キャストとしてファンシーさの欠片もない水辺の生き物がチョイスされている。そんなチョイキモな生き物たちの人形を子供たちは嬉しそうに持ち出し、その生き物になり切って即興劇に興じている。


 どうやらこの生き物たちは琵琶湖の周りでは普通に見られる生物のようだ。小さい内から身の回りに棲む生物のことを子供たちが知るきっかけになるようにと考えられた結果、このような人形が用意されたのだろう。


 他にも子供たちは備え付けのけん玉やすごろくを手に取り、職員から遊び方を教わっている。物心ついた頃からテレビやスマホなどデジタルの道具に囲まれた子供たちにとってはこれら昔ながらのおもちゃも珍しく映るだろう。


「開館から20年くらい、ここは展示の内容がほとんど変わらなかったみたい。まだ博物館の楽しみ方を知らない子供たちを、博物館に誘うように工夫がしてあるからだって。ここで体験を通して博物館の見方を覚えた子は一般の展示場に流れ、次の世代の子供を迎え入れるんだって」


 シュウヤさんからのメッセージを読み上げる悠里乃ちゃんに、私は「へえ」とため息交じりに返すことしかできなかった。


 今まで展示といえば展示物に関する解説を一方的に提示する、ただそのことに一生懸命になっていたことを痛感したのだ。展示物について正しい知識を伝えることは大切だが、興味の無い人にとってはつまらない講義を一方的に聞かされるのと同じだ。特に小さな子供にとっては、その一方的な展示がどれほど退屈なものだったか。


「で、私たちはこっち」


 つんつんと悠里乃ちゃんが手を引っ張り、私は慌てて正気に戻った。子どもたちで溢れるディスカバリールームを抜けた隣、シュウヤさんは次の順路にここを指定したようだ。


「大人のディスカバリールーム?」


 先ほどの子供向けの部屋とは異なり、ここには顕微鏡や動物の剥製が並べられ、まるでどこかの研究室のような雰囲気を醸し出していた。


「最近の改装で新設されたみたい」


 奥の本棚には難しそうな専門書がずらっと並んでいる。先ほどの部屋の目的が子供が博物館に興味をもってもらうということなら、こっちは大人が自分の気になる疑問や分野を心おきなく好きなように探求できるような設備が整えられていた。


「ぎゃ、ヘビ!」


 意味深に設けられていた引き出しを開けたら、そこにヘビの標本が待ち構えている。単にガラスケースの中に並べるだけではなく、こういったワンアクションを挟むことでより強く印象に残るのだろう。それに隠されていたらついつい全部開けて覗いてみたくなるのが人情というものだ。


「展示を見て回るという単一のアプローチではなく、順路も自由に見たり触れたり、自身の知的好奇心の赴くままに楽しめるよう工夫されている、だって」


 悠里乃ちゃんが流れるようにシュウヤさんの解説文を読み上げる。


「そうか、色んなアプローチを用意するのが大切なのか……」


 なんとなくわかった気がした。シュウヤさんがなぜここを遊びに行ける博物館に選んだのかを。


 子どもは遊びながら、大人は自分の知的好奇心に従って、自由に様々な楽しみ方ができる。私たち船出市郷土博物館は展示物に何を置くかばかりに気を取られ、お客さんがどう思うかという点を軽視していた。


 博物館は一方的に知識を与える場所ではない。来館者が自分から学習を進める場であるべきなのだ。


 打ちひしがれる思いだった。展示室の真ん中で茫然と立ち尽くしていた私の心中を察したのか、悠里乃ちゃんはすぐさま届いたばかりのシュウヤさんのメッセージを声に出して読み上げる。


「まだまだ、博物館の1割にも満たないよってさ」

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