第四章 その5 決断ミュージアム
「あはははは、お肉がもう真っ黒ですよー!」
翌日、シュウヤさんは金網の上で肉汁を滴らせる赤身の肉を指差しながら、狂ったように笑い飛ばしていた。
ゴールデンウィーク明けの大人の打ち上げとあって、お酒が出てくるのは当然。案の定、シュウヤさんは一杯目からテンションが振り切れ、昼間だと言うのに既にへべれけになっていた。
「シュウヤさん、飲み過ぎですよ」
タレを染み込ませたよく焼けた肉にかぶりついていた私は小さく咎めるが、周りも同じように盛り上がっているので誰の耳にも届いていなかった。これはまたタクシーを呼ぶことになるな。
市民団体代表の石塚さんの自宅で開催されたバーベキューは大盛況だった。石塚さんの家は昔からの農家で、市役所に務めていた頃も休日には田畑を耕していたらしい。
大きく開けた田んぼを前に、縁側に座ったりビールケースを椅子にしたりと15人ほどが集まっていた。博物館職員でこの場にいたのは非正規雇用の私とシュウヤさんだけだが、今日はなんと悠里乃ちゃんも加わっている。
悠里乃ちゃんは意外とこういうアウトドアも嫌いではないようで、今では炭火の前を定位置に手際よく肉や野菜を網に並べては焼けた肉や野菜を皆さんによそっている。
「悠里乃ちゃん、よーく見ておきなさいよ。男の人ってお酒があればあそこまで変わるもんよ」
顔を真っ赤にしたシュウヤさんを見て、串で刺したアユを焼いていたお婆ちゃんが呆れたように話すと、つられて悠里乃ちゃんも頷く。
「くそ、あの市長め……」
何本目だろう、ビールの缶を空にしたシュウヤさんはげっぷ混じりに垂れる。これは何か言いそうだと周囲の人々の視線が彼に注がれる。
「金が第一!? 世の中金がなけりゃ生きていけない!? 正論過ぎて何も言い返せねえ!」
シュウヤさんの声色が一変し、激しく腕を振り回す。金切り声にも似た絶叫は、まるでキレ芸で売っているお笑いタレントのようだ。
「そうだそうだ!」
「金がなさすぎるぞ、船出市!」
本当に怒っているのか単なる便乗か、すっかりアルコールの回ったお爺ちゃんたちも囃し立てる。
「それでも俺は……歴史学が好きなんですよー……」
だがシュウヤさんはそれ以上続くことはなかった。さらに盛り上がるかと思ったところで、しょぼしょぼと座り込んでしまったのだ。
「やっぱ金かよぉ……もう終わりだぁ」
そして消え入りそうな声でブツブツと弱音を垂れ流す。今まで押し殺してきた不安や焦燥が、お酒をきっかけに決壊してとめどなく溢れているようだった。
そんなシュウヤさんの情けない姿に私と悠里乃ちゃんは呆れかえりながらも、否定することはできなかった。むしろ彼の感情にい寄り添っていたいとさえ思っていた。
どういう因縁かはわからないが、シュウヤさんと市長は何らかの確執を抱えている。このことは口外にはしていないが、おそらくいくらかの人は既に気付いているだろう。彼らは博物館閉鎖という問題を通して、実際は互いの意地と意地のぶつかり合いを演じていたのだ。
「シュウヤさん、まだ終わったわけではありませんよ」
すっかりしょげ込んでいたシュウヤさんに声をかけたのは悠里乃ちゃんだった。この子が自分から他者を慰めに行くとは思ってもいなかった。
「夏休みに向けて準備すれば、きっとお客さんは来てくれます」
そう言ってぎこちないながらも笑顔を向ける悠里乃ちゃんに、シュウヤさんはポカンと不意を突かれたような視線を返した。だがやがて気が楽になったのか、表情が先ほどのお酒をたらふく飲んでいた時の顔に戻ると急に立ち上がった。
「なーつやすみー! みんな博物館に遊びに来てねー!」
さっきのハイテンションに揺れ戻り、男たちも「遊びに来てねー!」と声をそろえる。
ただの酔っ払いの騒ぎにしか見えないだろう。だがシュウヤさんの言葉を聞いた瞬間、私は大切なことに気付いてはっと顔を上げた。
博物館に遊びにきてって、博物館の本来の目的は勉強することだろと思う人もいるかもしれない。だが実際のところ、来館者の多くはそう思って博物館に足を運んでいるわけではない。レジャー感覚、娯楽で来る人が大半ではないだろうか。
新しい知識を得ることももちろん重要だが、それ以上に博物館という場そのものを楽しめることも大切だ。今までうちの博物館に来ていた人々は、本当に博物館を楽しめていたのだろうか?
「あの、シュウヤさん」
私は思い切って尋ねた。新しく開けたばかりの缶ビールをぐいっと傾けていたシュウヤさんは「ん?」と怪訝そうに返す。
「博物館に遊びに来てって、どういう意味ですか?」
「そりゃもちろん、博物館は子供から大人までみーんなみんなが楽しめる場所だから。子ども向けの展示もあれば、大人でもうなる展示を置く」
酔っぱらっているのに随分と饒舌な様子だった。テンションは上がっても博物館に関しては頭が回るらしい。
「つまりあらゆる年齢のお客さんが楽しめるよう展示を工夫するということですか?」
私が尋ね返すと、シュウヤさんは「うん」と頷いて返した。
「でもそれって、難しくないかな?」
会話を聞いていたお爺さんも割り込む。70過ぎてのバーベキューはやはり応えるのか、肉もほどほどにスルメをかじっていた。
「そんなことはないですよ!」
不安げなお爺さんを力強く一蹴したのはシュウヤさんだった。
「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子どもにも効果的に教えることができる!」
そして得意げに、もっともらしく言い切る。今日一番のテンションだった。
だがその場にいた人は全員、シュウヤさんの異常な盛り上がりに気圧されて苦笑いを浮かべざるを得ず、バーベキュー会場は火の炊けるパチパチと言う音以外しんと静まり返ってしまった。
「有名なブルーナー仮説ですよ。つまりまあ、教え方をちゃんと工夫すれば大人でも子供でも同等の知識と理解を得られるわけです」
場を黙らせてしまったことを気まずく思ったのか、シュウヤさんが慌てて付け加える。これ、絶対に説明端折ってるな。自分の得意分野になると無限に語る、オタクスイッチがシュウヤさんにもあったようだ。
「うーん、頭が……痛い」
バーベキュー大会が始まってからどれほど経っただろう、和室の布団で寝かされていたシュウヤさんがようやく目を覚ます。
同じ部屋のちゃぶ台で、お饅頭をご馳走になっていた私と悠里乃ちゃんはシュウヤさんが起きたことに気付き、余っていた湯呑にとくとくと冷たいお茶を注いだ。
「シュウヤさん、お水です」
「あ、ありがとう」
そして私の差し出したお茶を寝ころんだまま受け取ったシュウヤさんは、そのままがぶがぶと一気に喉に流し込んだのだった。
「すまないね、ふたりには迷惑かけてばかりだ」
「いいえ、気にしていませんよ」
結局あの後も野外の宴会は続き、ついにシュウヤさんは縁側で眠り込んでしまった。
こういう時のために石塚さんは布団も準備してくれていたそうで、奥の部屋までシュウヤさんを運び込むと、さすがにテンションに疲れた私と悠里乃ちゃんも室内で休んでいたのだった。
さて、ようやく訊けるタイミングが訪れた。実を言うと私と悠里乃ちゃんは、シュウヤさんが目覚める今の今まであることについて話し合っていたのだった。
そしてそれにはシュウヤさんの知恵がどうしても必要だった。
「シュウヤさん、博物館はこれからどういった方向にアピールしたいとか考えていますか?」
一息入れて、私は思い切って尋ねる。
「方向?」
「どんなお客さんをどういう展示で呼ぶのかってことです」
博物館について専門的な勉強をしてきたわけでもないが、職員として思うところあはある。弟に言われたありきたりという言葉、それがどうしても引っかかっていた私は、シュウヤさんの博物館に遊びに行くという言葉が実は関連しているのではないかと、直感的に感じ取っていた。
「……まだ考えてないなぁ」
シュウヤさんはとぼけたように返す。だがそれが嘘だと言うことくらい、もう見抜いている。シュウヤさんは暇さえあればノートにアイデアを書きため、ボランティアの皆さんと共有していた。
しかしゴールデンウィークで大敗を喫したショックは大きかった。今まで考えてきたことを一旦見直さなくてはならず、何も考えていないふりをしたくなったのだろう。
「シュウヤさんがさっき言ってた博物館に遊びにきてねって、私どうもそれがしっくりきたんですよ」
「言ったかな、そんなこと?」
「言ったんですよ! そこで思ったんです、郷土博物館はお客さんが本当に遊べているのかなって。そこでしかできない体験があって、楽しみながら新しいことを知れないかって」
話すうちに、気が付けば私は胸の奥にただならぬ熱を感じていた。それこそ自分でもどうかと思うくらいに。
シュウヤさんもじっと私の顔を見つめながら、話に耳を傾けている。すっかりアルコールは抜けきったようで、いつもの聡明な顔が戻りつつあった。
「ですが私、そういう博物館に行ったこと無いんです。だかどうしても実感が持てないんです、楽しめる博物館、遊びに行ける博物館がどういう場所なのかって。年休使いますから2泊くらいなら大丈夫です、シュウヤさんの思う遊びに行ける博物館、教えてください!」
ここぞとばかりに私は頼み込んだ。ほとんど睨みつけるような感じだったかもしれない。
船出市郷土博物館をより楽しいものにするには、自分がまず楽しい博物館を知らなくてはならない。幸いにも年次休暇(有給休暇)にもお金にも余裕はある。夏休みまでに自分の出来ることをしたいと、私は躍起になっていた。
なぜこんな心理状態になったのか、自分でも理由は分からない。ただそうしたいと、なぜか思った末の行動だった。
シュウヤさんはしばらくうーんと考え込んでいた。数ある候補からひとつを選ぶのに迷っているのか、それともお堅い博物館は詳しくともそういう場はあまり馴染みが無いのか、なかなか答えは出てこない。
しばしの時間が経過する。そしてついにシュウヤさんは「あ!」と手を打つと、はやる気持ちを堪えるようににっと笑った。
「ちょっと遠いけど、いいかな?」
シュウヤさんの選んだ場所なら、きっと最適な答えた。そう思って私はこくりと頷いた。
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