第四章 その2 反省ミュージアム

 結局この日、悠里乃ちゃんは学校に行けず、迎えに来た叔母さんが家に連れ帰ったのだった。


「すまなかったな、お前の職場にまでうちの問題を持ち込んでしまって」


 仕事帰り、途中で合流したてっちゃんがお詫びにとケーキをおごってくれた。


 駅前に本店を構える地元のお菓子屋さん。和菓子屋から始まり、今では洋菓子も広く手掛けるこの店は、店舗内にカフェも併設している。


 夕方の買い物帰りでくつろぐマダムたち。その中で私は抹茶ロールケーキ、てっちゃんはモンブランをつつきながら対面していた。


「そうだよ、これはショートケーキ20個くらいの対価が必要」


「全部食うんか? デブるぞ」


 周囲からは初々しいカップルにも見えるだろうが、会話の内容を聞けば互いに遠慮を知らない幼なじみか兄妹にしか思えないだろう。


「ところで、悠里乃ちゃんがそんなだったなんて知らなかったなぁ」


 フォークでケーキの生地をクリームごと切りながら、私はぼそっと呟く。何が、とは言わない。いくら従兄相手でも周りに他のお客さんもいるこの場では口にしづらいことだった。


 切り取ったケーキをつまみ上げながら、ちらりとてっちゃんを見る。てっちゃんはというとわざと聞こえないようにしているのか、じっとモンブランに目を落としてマロンクリームを突っついていた。


「てっちゃん、知ってたの?」


 口に広がる抹茶クリームのほのかな甘味を味わいながら、私はじっとてっちゃんを睨み付けた。


 観念したのか、てっちゃんはため息を吐くと「すまん、前に医者に言われたことがある」と話しながらようやく一口目のモンブランを口に運んだ。


「ダメだよ、お医者さんの言うことはちゃんと聞かなきゃ」


「でもあずさ、普通ならみんな小さい頃から友達と遊んで、学校に行って、仕事して、集団での生活をうまくやっていけてるんだ。でも妹はどうだ? みんなみたいに話し合ったり、いっしょに勉強したりできない。そんな妹を見てると、兄として無理矢理にでもどうにかしてやらないとって思うもんだよ」


「そりゃあ気持ちもわからなくはないけど」


 あの子だって好きで家にこもっているわけではない。身体は動けても、精神的にはベッドで寝たまま立ち上がれない状態なのだ。そこを無理矢理立り上がらされても、支えがなければすぐに崩れてしまう。


 そんな決して明るくない内容だが、不思議とケーキを食べながらだと落ち着いて互いの言い分も聞ける。これもお菓子の魔力だろうか?


「それにしても意外だったなあ、悠里乃ちゃんが歴史好きだったなんて」


「ああ、大河ドラマも欠かさず見てるからな。そういえば最近はよくネットで歴史小説呼んでるって前に聞いたな」


 最近よく聞くネット小説には歴史ものもあるのか?


「博物館に来てくれたのも、気になる展示があったからなんだって。そう思ってきてくれたんだから、私も嬉しいよ」


「俺も驚いたよ。自分から外に出ることの無い悠里乃が、逃げるためとはいえ自分から博物館に行ったなんて。あんなに楽しそうにしてるあいつ、久しぶりに見た気がする」


 てっちゃんの顔がようやくほころんだ。今日一日、ずっと機嫌の悪そうなようすだったが、妹の意外な一面を知ることができて多少なりとも嬉しかったのだろう。


 いつの間にやら私もてっちゃんもケーキを半分以上食べ終えていた。特に私は最後の一口、ここはゆっくり噛みしめて堪能したいところだ。


 名残惜しさに駆られながらもフォークを突き刺し、口に運んでいたまさにその時だった。既にモンブランを食べ終えコーヒーをすすっていたてっちゃんが、不意に思い出したように訊いてきたのだった。


「あずさ、たしか市民ボランティアって年齢制限無かったよな?」


「ふえ? そうだけど、どうしたの?」


 直前で最後の一口を邪魔され、私はぶっきらぼうに答えた。てっちゃんは天からのお告げでもあったかのように、目を輝かせていた。


「悠里乃、博物館ボランティアに加わったら良さそうじゃないか?」


「うんうん」


あー、そりゃあいいアイデアだー。私は最後の抹茶ロールを口に放り込む。


「うん!?」


 だがよくよく思い返し変なところで息をしてしまったせいで、のみ込んだケーキが喉の変なところで引っかかってしまった。慌てて私は水のグラスをぐびぐびと傾け、ケーキを胃に流し込んっだのだった。


「も、もう1回!」


 せっかくのケーキを味わうことすらできなかったじゃないか!


 だがそれよりもてっちゃんの発言が気にかかり、私は咳き込みながらも尋ね返したのだった。


「そのまんまだ。悠里乃を博物館ボランティアに参加させたら、少なくとも今よりは良くなると思うんだ」


 てっちゃんは至って真面目に答えた。


 まあたしかに、ああいうタイプの子は自分の好きな物事には寝食も忘れてどっぷりのめり込むことが多い。悠里乃ちゃんの場合は大好きな歴史をきっかけに、人とのコミュニケーションを鍛えられるかもしれない。


 それにボランティアの他のメンバーは総じてお爺ちゃんお婆ちゃんばかりで、同世代の子はいない。自分とは世代も離れているだけ、悠里乃ちゃんにとったら気が楽だろうか。


 とはいえ本当に大丈夫かな?


 家族と親戚以外ろくに話せない悠里乃ちゃんだ、見ず知らずのお爺ちゃんたちとうまくやっていけるか、従姉として心配の種は尽きない。


「でもてっちゃん、それはちゃんと悠里乃ちゃんがイエスって言ってからだよ」


 兄であるてっちゃんは「わかってるよ」と自信たっぷりに返す。この余裕綽綽っぷりが、私には逆に不安だった。

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