第四章 その1 逃げ込みミュージアム

「まあふたりとも、お茶でも飲んで」


 パイプ椅子と折り畳みテーブルが並ぶ会議室、そこに座って黙ったまま向き合うのはてっちゃんと、妹の悠里乃ちゃんだ。


 ふたりの前にそっとお茶を置いた館長が会議室から一旦出てくると、私はすぐに駆け寄って何度も何度も頭を下げた。


「館長、うちの従兄妹がすみません」


 もう恥ずかしくて死にたい気分だ。なんで私の職場にまで家の問題を持ち込むかなぁ。


 私の背後からはシュウヤさんも心配そうに私たちのやり取りを見つめている。


「いいんだよ、気にしないでくれ」


 そう言って館長は私を宥めると、じっと会議室に聞き耳を立てる。随分と手慣れたようすなのは、元教師という経歴柄、毎日毎日何が起こるか予想できない学校現場で培われた落ち着きのおかげだろうか。


「悠里乃、そんなに学校は嫌か?」


「学校行っても……何もできないから」


「何もできないってなんだ!? 父さんと母さんがどれだけ苦労してるか分かってるのか!?」


 詰まるような悠里乃ちゃんに、てっちゃんが声を荒げる。椅子がガタッと揺れ、ただならぬ予兆を感じた館長はすぐに会議室に飛び込み、ふたりの間に割って入った。


「哲哉くん、そういう言い方はよくない!」


 温和な館長の鋭い一喝に、てっちゃんも言葉を詰まらせる。しかし怒り冷めやまぬてっちゃんに館長は「ちょっとこっちこっち」と手招きすると、部屋から連れ出したのだった。


 そして悠里乃ちゃんから見えないところで私とてっちゃん、シュウヤさんの3人は横に並ばされると、館長は小声で話し始めた。


「あの感じを見ると、悠里乃ちゃんは社交不安なのかもしれないね」


「社交不安?」


 初めて耳にする言葉に私とシュウヤさんは首を傾ける。ただひとり、てっちゃんはすっと目を逸らしていた。


「人と付き合うこと、大勢の前に出ることが苦手なことをそう言うんだ」


「でも悠里乃ちゃん、シュウヤさんとはすごく話していましたよ」


 人付き合いが苦手というなら、ついさっき展示を解説するシュウヤさんに自らすすんで質問を投げかけていたのは何だったのだ?


「社交不安の症例のひとつにね、一回限りの付き合いしかない人間は大丈夫なのに、同級生や同僚と付き合うのにすごく抵抗を感じる、というのがあるんだ」


 館長は神妙な面持ちで説明を続けた。


「家族や親しい友達ほど近いわけでもなく、その場限りのお客さんほど遠くない。そういう中間的な関係の人とうまくやっていけるか不安になって、身体が思うように動かなくなる。そういう子がね、一定数いるんだよ」


 館長の声はまるで命が通っているように生々しく聞こえた。館長は長年、中学校で子どもたちを見てきたのだ。その中にはやんちゃな問題児もいれば、ひきこもりや不登校も大勢いただろう。


 結局このままでは話が進みそうにないので、てっちゃんと館長は別の部屋で話し合い、悠里乃ちゃんの対応は私とシュウヤさんとで務めることになったのだった。無理矢理学校に行かそうとはせず、悠里乃ちゃんの言葉を引き出せるよう心掛けながら。


「ねえ悠里乃ちゃん」


 小さくなる悠里乃ちゃんの隣に座り、私は精一杯優しく問いかける。その声に反応して、悠里乃ちゃんは視線だけをこちらに向けた。


「どうして博物館に来たの?」


「……おもしろい展示があるって……聞いたから」


 ぼそぼそと、蚊の羽音のように小さな声だった。だがたしかに、彼女はそう言った。


「本当に!? 嬉しいなあ、誰から聞いたの?」


 これには私も本心から驚かされた。思い入れはなくとも、自分の職場を褒められて嬉しくないわけが無い。


「流れてた、掲示板で」


 悠里乃ちゃんが手に取ったスマートフォンを弄ると、私に見せつける。


 映し出されていたのはインターネット上の地域の情報掲示板だった。そこの『歴史好き集まれ!』というスレッドを開くと、郷土博物館に文箱が展示されていたと書き込まれていた。


「悠里乃ちゃん、こんなページ見てるんだ! すごいね」


 またしても驚かされ、飾ることもなく私は感嘆の声を漏らしてしまったが、悠里乃ちゃんは依然うつむいたままだった。


「知らなかったなぁ、悠里乃ちゃんが歴史好きだったなんて」


「誰にも……話してないから」


「何で? かっこいいじゃん」


「だって、何の役にも……立たないから」


 悠里乃ちゃんはうなだれた頭をさらに落とす。一方の私は痛いところを突かれ、何と返してよいのやら相応しい言葉が思い浮かばなかった。


 医学や工学などの見るからに有用な学問分野と異なり、歴史学が直接何の役に立つのか、うまく説明できる人はなかなかいないだろう。


 私が博物館に務めているのも地域の歴史に思い入れがあるからではなく、単に負担の軽そうな仕事だからというのが一番の理由だ。博物館に務めるまで、船出市が高松藩の統治下に置かれていたことすら知らなかったほどだ。


 引きつった顔で言葉を途切れさせる私に、落とした視線でスマホをいじる悠里乃ちゃん。そんな気まずい沈黙を破ったのは、「悠里乃ちゃん、それは違うよ」と力のこもったシュウヤさんの声だった。


「歴史が役に立たないなんて誰が言ったんだ? 役に立たないなら、なぜ歴史学なんて学問がある?」


 熱弁するシュウヤさんの目には、燃え盛る炎が宿っていた。歴史を研究する者として、悠里乃ちゃんの思い込みには我慢ならなかったのだろう。


「じゃあ、歴史は何の役に立てるの?」


 少し悪態をつくように悠里乃ちゃんは尋ねる。だがシュウヤさんの答えは意外なものだった。


「それをここで言うのはやめておく」


 私と悠里乃ちゃんは、並んでぽかんと口を開けた。おいおい、そこまで言い切っといてそんな突き放した答え、ありかよ?


「得られた知識ってのは道具といっしょだ。使い方を知らない人にとっては無用の長物だけれど、知っている人は新しい物を作りだしたり、より生活を豊かにできる。君は道具に興味はあってもまだ使いこなす方法を知らない、ただそれだけのことなんだよ」


 悠里乃ちゃんは口を閉ざし、またしてもじっと黙り込んでいた。やがて熱のこもっていたシュウヤさんの話しぶりが一気に軟化する。


「それにね悠里乃ちゃん、君は何の役に立ってないなんて思ってるけど、俺はそうとは思わない。歴史がおもしろいと感じる人がいて、その面白さを悠里乃ちゃんが伝えることができたなら、それだけで役に立ったとは思わないかい?」


「……」


 宥めるようなシュウヤさんの声。悠里乃ちゃんはうんともすんとも言わず、ただただ黙り込んでいた。

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