第三章 その3 金欠ミュージアム

 リニューアルの効果は絶大だった。


 展示品入れ替えを終えた翌日、博物館には開館前から入り口前に並ぶ人の姿が見られ、職員も市民ボランティアも驚かせた。


 開館後も普段の休日に劣らない人の入りを見せ、受付はチケット切りや案内に休む暇も与えられなかった。


「平日でこれは結構すごいわね」


 人の途切れたわずかな間、受付で隣に立つ里美さんがぼそりと呟く。


「ええ、週末はもっと増えるでしょうね」


 そんな時、ちょうど館内の掃除を終えた清掃会社のおばちゃんが、珍しく疲れたようすで展示室から帰ってくる。


「ふう、今日は掃除が大変だったよ」


 バケツを持つ手がふらふらと危なっかしい。私は「何かありましたか?」と尋ねた。


「物の配置が何もかも変わってるからねえ。それにあの座敷、子供が全然どいてくれないんだよ」


 市民団体の皆さんがこしらえた座敷、あれは思った以上に好評のようだ。自宅に畳の部屋の少なくなった子供にとって、古い民具は物珍しく映ったのかもしれない。その分掃除には苦労するようだが。


「掃除の時間、変更してもらった方がいいかもしれないわね」


 事務室に戻るおばちゃんの背中を眺めながら、里美さんがまたしても呟く。


 たしかに今のままだとお客さんにも清掃スタッフにも、不便をかけてしまう。


 でもそうすると委託の費用がなぁ。清掃会社も人を派遣する以上、深夜や早朝よりも昼間頼んだ方がはるかに安い。このボンビラス博物館にとって清掃スタッフ1人委託するのも自由にはいかないのだ。




 閉館後、パソコンに向かって集計を取っていた池田さんは「おお!」と唸った。


「今日の入館者は100人か。平日にしては大健闘だな」


 池田さんの言葉に私たちもそれぞれの業務を中断し、画面を覗き込む。そこには日中ずっと展示室にいたシュウヤさんも混じっていた。


 やはりリニューアル効果は大きかった。宣伝しておいたのも功を奏したのだろう。


「あの座敷も就学前の小さな子から人気よ。子どもがなかなか離れなくて困ってるお母さんもいたわ」


「それに何といってもあの文箱。この博物館にこんな立派なものがあったのかってみんな驚いてたよ」


 収蔵庫で見つけたあの文箱は、シュウヤさんイチオシの目玉展示その2だ。


 そこまで高価なものを扱っていないため、展示品は基本的に頑張れば手に届くような位置に置いてあるのが当博物館だが、この文箱だけは通路の真ん中に陣取ったアクリルケースの中で厳重に保管されている。


 明らかにひとつだけ格式が違う。今までここに無かった無い厳かな雰囲気に、自然と人も集まる。


 その人垣を越えた先に鎮座するは見事な漆塗りと螺鈿細工。それを360度舐め回すように眺めることができるとあって、特に大人の女性から好評をいただいた。


 これは週末も期待できる。事務室はそんな安心感に包まれていた。


「こうしちゃいられません、ゴールデンウィークに向けてもっと攻めていきましょう」


 シュウヤさんが俄然意気込む。


「攻めるって、何するんですか?」


「1階でこれだけ効果があるのなら、2階も早速開放しましょう。収蔵庫の展示品を運び出して、博物館が変わったことをより大々的にアピールしていくのです」


 力強く言い放つシュウヤさんだが、他の職員は皆口を閉ざしていた。


「うーん、それはちょっと難しいなぁ」


 いつもは楽天的な池田さんが顔を歪め、シュウヤさんが面食らったように「どうしてです?」と訊き返した。


「床面積が広くなると展示品は多くなる。けれどその分、維持費もかかる。清掃会社もそうだし光熱費もバカにはならない」


 そもそもが館長含め職員4人の小さな博物館だ、できることは限られている。人的にも予算でも限られたリソース、自分たちの手の届く範囲でやらなくてはならない。


 悲しいかなうちの博物館は市議会により予算が厳格に割り振られている。それも職員の給与と現状維持でやっとの予算、徒に使用できる余裕はない。


 おまけに元が市民の税金である以上、思い付きでぱっとお金を使えるほど、市職員のフットワークは軽くないのだ。


「ないない尽くし、か」


 シュウヤさんががくっと肩を落とす。


「これ以上はお金をかけない方法、ねえ」


 私もうーんと頭をフルに回転させる。だが不思議なもので、考え込めば考え込むほど良い案というのは浮かんでこない。




「ただいま」


 帰宅した私は玄関で足を止めた。


 父のでも弟のでもない、男物のスニーカー。誰か来ているようだ。


「よう、あずさ」


 居間から顔を出したのは従兄のてっちゃんだった。


「てっちゃんどうしたの? ついに停職?」


 見慣れた顔に私は靴を脱ぎながら訊いた。


「人を素行不良みたいに言うな、今日は非番なんだよ」


 警察官であるてっちゃんは、平日が休みになったり夜勤が入ったりと勤務時間が不規則だ。おかげでクラス会にもなかなか参加できないと嘆いている。


 スプリングコートを脱いで、私は居間に入る。だがその時、私は思わず「わあっ!」と歓声をあげた。食卓の上にはお頭付きの、立派なクロダイが居座っていたのだ。


「すごい、何これ!?」


「てっちゃんが今朝釣ってきて、おすそ分けに来てくれたのよ」


 台所で味噌汁を作っていた母の声が返ってくる。座っていたてっちゃんはえへんと胸を張っているようだった。


 てっちゃんは休日、暇があると朝からよく海釣りに行く。穏やかで地形の入組んだ瀬戸内海は、魚にとっても絶好の棲み家らしい。


「てっちゃん、ありがとう! 置いてあるポテトチップス食べていいよ」


「現金なやつだなぁ」


 そして父も帰宅し、一家4人にてっちゃんを加えての夕食が開かれる。豪勢なお造りを肴に、父とてっちゃんは日本酒を飲み交わしていた。


「それじゃ叔父さん、あの工場はまだ大丈夫なわけですね?」


 仕事の話になり、てっちゃんは質問を投げ掛ける。


「ああ、でも安心はできない。会社も早期退職を勧めているし、人員を減らしたいと思っているのが本心だよ」


「年金貰える年齢が上がっているのに退職は早まっているなんて、嫌な話ね」


 父も母も、言葉にはため息が混じっていた。定年まで工場が存続できるか、我が家にとっては死活問題だ。


 しかしこういう話題になるとアンダー20の出る幕はない。私と弟は黙々と刺身を口に運んでいた。


「ところで哲哉くん、悠里乃ちゃんは元気にしてるか?」


 父が訊き、てっちゃんの伸ばした箸がピタリと止まる。そして刺身をつまみ上げると自嘲気味に答える。


「妹は……まあ前よりはましですかね。知り合いのいない時間なら外に出歩けるようになりました」


「もう2年生になったんじゃないの?」


 母が口を挟むと、てっちゃんは「ええ」と頷く。


「通信制で最初は通えていたのですが……2学期からろくに行けていませんね」


 てっちゃんの妹ーー私の従妹ーーの悠里乃ちゃんは、いわゆる不登校だ。


 小さい頃から内向的な性格だったが中学に入った直後から登校を渋るようになり、3年生の時には1日も学校に行かなかった。高校は通学の少ない通信制に進学したものの、状況はあまり芳しくない。


 両親から伯母夫婦に直接尋ねるのはやはり躊躇われるのだろう、最近はてっちゃんを通して姪の近況を聞き出すようになっている。


「悠里乃ちゃん、どうすれば元気になれるかなぁ」


 私が箸を置きながらため息を吐くと、伝搬したようにてっちゃんも同じしぐさを返した。


「学校に通わなくても、何か一生懸命になれるものがあればいいんだけどな」

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