第三章 その2 変身ミュージアム

 桜舞う春の通学路。進級して一回り大きくなった子供たちが胸を張って登校する微笑ましい姿に、道行く人は誰しも微笑みを浮かべる。


 そう、春休みは終わった。博物館にとっては来客ががくっと落ち込む時期、今までのように放っておいてもお客が来るということは無い。


 またいつもの閑古鳥か……と思うところだがそうではい。臨時休館の立札をかけられ、自動ドアを固く閉ざしたままでも、平日の博物館は慌ただしさに包まれていた。


「そっち持って!」


 里美さんの声が館内に響き、池田さんは小間使いのように「へい!」と軍手をはめた手で大きな展示品に手をかける。里美さんも池田さんもジャージ姿で、いつもとはまるで違う印象を受ける。


 かくいう私も仕事用のブラウスではなく、パーカーにジーパンという動きやすい服装で段ボールを満載にしたカートを押していた。


 それだけではない、お客さんの入れない日にもかかわらず、市民団体の皆さんも手の空いている人が集まって各々が作業に当たっている。狭い展示室には常に20人ほどが出入りし、今の展示物を運び出しては新しい展示品を並べていた。


 今日は展示品の入れ替えだ。職員も市民ボランティアも、一丸となってこの博物館を模様替えする。


「この皿はどこかいの?」


「それはあっちです。ここに一枚一枚、この糸に引っ掛けるようにして置いてください」


 市民団体の皆さんにてきぱきと指示を出すのはシュウヤさんだ。どこに何を並べるか、そのアイデアのほとんどはシュウヤさんが考案していた。


 4万もの収蔵品を一度に展示するのはこの狭い展示室では不可能。このように展示品を回転させることでリピーターを呼び込むのが私たちの狙いだった。シュウヤさんとしては現在閉鎖されたままになっている2階も使いたいと考えているようだが、それはまたの機会に回すことにした。


「さっさと入れ替えていつもの所で飲もうや」


 70歳だというのに大きな樽を軽々と抱え、豪快に笑うお爺ちゃん。市民団体の皆さんはまるでお祭りの準備のように楽しそうだった。


 そんな彼らを横目に、私は展示室の壁に解説用のパネルを取り付けていた。


 大きな博物館なら音声ガイドなんかも貸し出されるところだが、ここにそんな代物を準備できるような予算は無い。このパネルもプラスチック板に印刷したもので業者に発注しないと作れないものだが、それでも決して安くはない。印刷したのは必要最低限のみで、小さなものに至っては自分たちでワープロソフトに打ち込んで紙に印刷したものをそのまま貼り付けている。ほとんど書店のPOPに近い。


 金が無いなら無いなりに、楽しく工夫してやっていこうというのが私たちのスタンスだ。そんなものでよいのだろうかと訝しげにシュウヤさんをちらりと見るが、当の本人は何も悩みなど無いかのように市民団体の皆さんと楽しそうに話しながら作業に当たっていた。


 その時、エントランスから「おおい」と呼び声が聞こえ、途端シュウヤさんは待ってましたと言わんばかりに立ち上がると部屋からかけ出て行った。


 展示室から顔を出した私が目にしたのは、日に焼けた畳を抱える市民団体のお爺さんだ。


「シュウヤくん、本当にこんなのでいいんかい?」


「はい、バッチリです!」


 ぐっと親指を立てるシュウヤさん。自動ドアの向こうには荷台に畳を載せた軽トラが停まっていた。


 お爺さんが運んできたのは使い古した畳だった。自宅の座敷の畳を取り替えようとしているのをシュウヤさんが知り、是非とも博物館の展示に活用したいので譲ってくれと頼み込んできたそうだ。


 ごみとして処分するにもお金がかかるので、それならばとお爺さんは快諾して持ってきてくれたのだった。


 そこに趣味でDIYに励んでいるお爺さん、元大工という熟練の職人も登場し、簡易なウッドデッキをあっという間にこしらえる。そこに畳を並べればあら不思議、博物館の中に茶室ほどの大きさの小さな座敷が誕生した。


 これが博物館の新しい目玉展示その1である。今現在収蔵されている民具をただ単に並べるだけでなく、実際に手に取って触ってみてもよい空間を演出するために昔の家屋の雰囲気を再現しようとシュウヤさんが切り出したのだ。


 予算がかかりそうだからと聞き流そうとしていたところ、なんとそれを耳にした元大工のお爺さんが無償で作ってあげようと名乗り出てきたのだ。それも家にある古い資材も、タダで譲り受けて。


 そして完成した小さな座敷は大人が乗っても子どもが跳びはねても大丈夫なほどに頑丈な物となった。ここに展示品の座卓や屏風、箪笥を並べれば、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう。もし私が小さな子供だったなら、ここに上がり込んでおままごとにでも励んでいただろう。


「順調そうね」


 そんな市民団体の活動を見てにこやかに笑みを漏らすのは宮本教育長だった。


 今日は教育長も直々に博物館を訪れていた。新年度が始まったばかりで教育委員会も多忙を極めているこの季節だが、どうにかスケジュールに空きをつくってここまで足を運んできてくれたらしい。


「はい、ボランティアの皆さんが本当に一生懸命になってくださっているので」


 よく知る恩師の登場に、作業中の私も明るく返す。


 だがそれにしても。拭えない疑問に私は知らず知らず頭を傾ける。


 どうして彼らはここまで一生懸命に、博物館のことを手伝ってくれるのだろう? 仕事と違ってお金も入らないのに。


「定年を迎えて何もすることが無くって、ぼうっと過ごす人って意外と多いのよ」


 ぽつりぽつりと話し出したのは教育長だった。10年前と変わらず包み込むような優しい声に、私は目を丸めながらも何も返すことはできなかった。


「私の父もそうだったわ。ずっと真面目に働いてきたけど、いざ仕事から解放されたら何をしたらいいのかわからず、新しいことに挑戦するにしても歳を取り過ぎている」


 そして宮本教育長は私の方に顔を向け、にかっと笑った。


「ボランティアっていうのはね、高齢者と社会とをつなぐ手段のひとつなの。自分が今まで培ってきた知識や技術を、社会に還元できる機会。それを通じて社会との新しいつながりを築いて、人生をより豊かにしていけるのよ。あずさちゃんだってそうでしょ、ひとりで閉じこもって黙々と何かを続けるよりも、周りから反応があった方が嬉しいじゃない?」


 教育長の澄んだ瞳に、私はまるで吸い込まれた気分だった。ボランティアの意味なんてろくに考えたことも無かった私にとって、教育長の言葉はやけに重く感じた。


「人間ってね、本質的に学びたい、より上を目指したいって思ってるものなの。より良く生きる、それを実現するための支援を行うのが本当の意味で教育の役割なのよ」


 そして教育長は視線を市民団体の皆さんに戻す。ちょうど座敷に並べる展示品もすべて整ったようで、作業に関わったお爺さん3人が肩を組んで喜び合っていた。




 その夜、作業を終えた私は市民団体の皆様に誘われて飲み会に参加した。駅からほど近い昔ながらの居酒屋だ。若者もお爺さんも、仕事がひと段落したら飲みに行くのは変わらない。


 だが博物館の職員として、ここは本当に大丈夫だろうか?


 私と市民団体は業務上の繋がりがある。いわゆる「利害関係人」に当てはまらないだろうか?


 不安に思って池田さんに聞いてみたら、「あずさちゃんは非正規だから大丈夫だよ」とのご返答をいただき、ほっと胸を撫で下ろした。ただし池田さんと里美さん、それに館長ら正規の職員はやはり立場の問題でここには来ていない。


「あずさちゃん、まだ19なの? じゃあ飲めないね」


「はい、あと2か月ほどお待ちください」


 お酒が回って顔が赤くなった石塚さんが、私の前から徳利を引っ込める。


 別のお爺さんが「そん時は一杯目を俺に注がせてくれよ!」と調子よく言い放ち、「いや俺だ」「わしじゃ」と口々に盛り上がる。私はコーラをついばみながらお爺さんたちの相手をしていた。


 思えばこういう飲み屋での飲みって初めてだ。うちの職場はメンバーも少ないし、さらに35歳独身男性の池田さんに既婚子持ちの渡辺さんとなると飲み会を開こうなんて思いつきもしない。


 ただお正月やお盆に親戚一同で集まると、だいたい大人の男たちは酒の瓶を空けてこんな感じになるのは身をもって知っている。料理を準備する女たちは呆れ果てながらもキッチンでの酒盛りに興じているのだけれども。


 そしてその中にはシュウヤさんも混じっていた。


「シュウヤくん、うちの孫にあんたの爪の垢煎じて飲ませてやりたいくらいだよ」


「歴史の研究者なんだって? よくわからんけど頑張ってくれよ」


 左右から持ち上げられると同時にどんどんと酒を注がれ、困った様子ながら断り切れないシュウヤさん。


 シュウヤさんはここにいるお爺ちゃんお婆ちゃんから随分と慕われていた。博物館閉鎖反対という明確な旗印を掲げ、彼らを団結させている。その行動力はたしかにすごいが、なぜこうも慕われているのだろう。


 ここで宮本教育長の話をふと思い出す。


 この人たちにとって、もしかしたらシュウヤさんは生き甲斐を提供してくれた存在なのではないか?


 定年を迎え、特にやることもなく過ぎていく日々。そこに博物館という居場所、そして博物館存続という明確なゴールを掲げて現れた若者。


 無償で行われるボランティア活動だが、それを通して得られるものは、もしかしたらこれではないのか?


 ようやく教育長が話していたことが理解できた気がする。だがふと我に返った私の目に映ったのは、正気を失って畳に突っ伏すシュウヤさんの姿だった。




「シュウヤさーん、おうちはこっちですよ」


「ういー」


 私がタクシーから引っ張り出したのは足取りはふらふら、顔は真っ赤っか。本当に質の悪い酔っ払いだ。


 ダウンしてしまったシュウヤさんのため、私たちはタクシーを呼んで家に送ってもらうことになった。あ、お代はべろんべろんになりながらもシュウヤさんが財布から出してくれたので問題はない。おまけにシュウヤさんを家に送り届けた後、私のタクシー代も払ってくれるそうだ。


「ここですか?」


 超早口で運転手に住所を言い放つシュウヤさん。彼の言うことが正しいのか間違っているのかはわからないが、タクシーが到着したのは本屋さんだった。駅からもほど近い商店街の、家族で経営しているような小さな書店だ。


 まさかシュウヤさんの実家が本屋さんだったなんて。まあでも、本屋生まれの歴史学者なんてキャラはまってるじゃない。


 この書店は裏側が住居になっているようだ。私はシュウヤさんの手を引っ張りながら裏まで回り、インターフォンを鳴らす。


「シュウヤ!」


 飛び出てきたのはお母さんだろう、エプロン姿の60歳くらいの女性だった。


「本当に馬鹿だね、ろくに飲めもしないのにさ」


 お母さんは情けない姿になった息子の手を引っ張ると放り投げるように家の中に連れ込む。すぐさまシュウヤさんは床に倒れ、ぐうぐうと寝息を立て始めた。


「ごめんなさいね、うちの馬鹿がご迷惑おかけしまして」


「いえ、お気になさらず」


 なんだかあまり見てはいけないものを見てしまった気がする。私はさっさと挨拶を済ませ、再びタクシーに乗り込むと自宅に向かった。

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