第二章 その6 歓迎ミュージアム

「というわけで4月からここの仲間になるシュウヤ君だよ」


 収蔵庫に潜った翌日、館長は朝一番からやってきた市民団体を事務所に通し、改めて私たちにシュウヤさんを紹介した。


「よろしくお願いします」


 深々と頭を下げるシュウヤさんに、私たちも「よろしくお願いします」とお辞儀で返す。今さらだが。


 シュウヤさんは新年度の4月から学芸員として博物館で働くことになった。正職員ではなく館長裁量で採用できる非正規職員だが、これでシュウヤさんには市民団体の代表である以上の権限を与えられる。郷土博物館としても資料の扱いに長けた学芸員が設けられたことで、できることが増えたのはプラスだ。


「でも学芸員なのに市民団体の代表って大丈夫なの?」


 すぐさま里美さんが不思議そうに尋ねると、シュウヤさんは「ご安心ください、引継ぎはもうしています」と10人ほどの市民団体の人垣からひとりの小柄なお爺さんを手招きした。 


「どうも、『郷土博物館を守る会』の次の代表になります石塚です」


 石塚と名乗る70くらいの小柄で痩せ型のお爺さんはシュウヤさんの隣に立つと、すっかり禿げ上がった頭をぺこぺこと下げながら私たちに挨拶した。つまりこれからはシュウヤさんに代わってこのお爺さんが市民団代を率いていくことになるらしい。


 だがその石塚さんに頭を下げながらも、池田さんは首を傾げていた。


「あれ、石塚さんってどっかで……?」


「石塚さんは10年前まで市役所に務めていて、この博物館が設立される際には一番奔走したひとりだそうです」


 池田さんの漏らした声に、シュウヤさんがすかさず説明を加える。それ聞くや否や池田さんは「ああ!」と驚きに目を剥いた。


「まさか石塚課長ですか!? 建設課の!?」


「もう10年以上前の話です、今はただのリタイア組ですよ。この博物館は私にとって子供のようなもの、閉鎖は忍ぶに堪えられません」


 石塚さんは照れくさそうに笑いながらも、強い意志を言葉の端々から滲ませていた。


「市民団体の新たなメンバーの募集も常時行っています。SNSでも常に情報を発信していますので、4月にはメンバーも増えると思います」


 さらにシュウヤさんが高らかに話すと市民団体の皆さんは一層色めき立った。


 官公庁がSNSの公式アカウントを持つことは最近では何ら珍しい話ではない。特に自治体の防災情報などは緊急時の連絡手段として大いに効果が期待できる。博物館としても何か作った方がいいのかしら?




「もうすぐ閉めますよー」


 閉館間際、展示室にまだ人がいないか見回っていた私は、熱心な眼差しで大きな木製樽と手にしたバインダーを何度も何度も見比べていたシュウヤさんに声をかける。


「あ、すみません」


 今の今まで私が近付いていたことに気付かなかったのか、シュウヤさんは少し慌てた様子でこちらを向いた。


 朝来てからというもの、シュウヤさんはずっと展示室を見回っていた。普通の客なら1時間もかけず見て回れる規模の当館だが、シュウヤさんは丸一日この展示室を行ったり来たりしながらあれこれと考え込んでいた。


 掃除のおばちゃんからも「あの人、怪しいわよ!」と何か勘違いして報告してくれたが、4月から学芸員になることを伝えると納得して作業に戻っていった。


 就任に当たり、シュウヤさんはまず展示の入れ替えに着手するつもりらしい。予算ギリギリの中、今の内からどのような配置にしようか悩んでいるのだろう。


 私はここで1年間働いてきたが、ここまで博物館のことを熱心に考えてくれる人は職員にも客にもいなかった。いそいそと歩くシュウヤさんの細い背中を見ていると、私はたまらず「あの」と呼び止めていた。


「はい?」


 立ち止まり、振り返るシュウヤさん。


 今になって無性に気まずさが押し寄せてきたが、ここまできたらもう訊くしかない。


「ひとつお聞きしてもよいですか? シュウヤさんはなぜ、この博物館の閉鎖にそこまで反対されるのですか?」


 2、3秒。シュウヤさんは固まっていた。


 聞くべきではなかったのか? そんな想いもぶわっとこみ上げる。館内の静寂がひと際気まずさを促す。


 だがすぐさまシュウヤさんの顔は微笑みを浮かべ、穏やかな声で話し始めたのだった。


「それは私が歴史学を志したのはすべてこの博物館が始まりだからです」


 シュウヤさんの反応にほっと安心しながらも、私は「始まりですか?」と返した。


「館長はもう覚えていないかもしれませんが、私は中学生の時、館長が主宰されたフィールドワークに参加しました」


 館長が学校や年代を越えて、地元の歴史を教えて回る活動に参加しているのは有名な話だ。そしてシュウヤさんが中学生の頃と言えば15年ほど前だろうか、当時は館長もまだ現役の教員だった。


「そこで近くの山城の跡地を訪ねたり古い民家を見学して、もっと船出市の歴史を詳しく知りたいと思うようになりました。そこで私は博物館を訪れたのですが、するとどうでしょう、実際に城跡を見て館長から聞いた話を踏まえて展示物を見ると、今までとはまた違ったところに注目してしまうのです。見る角度が変わったと言いますか、それまでなら見落としていたことまで気付くようになったのです」


 私は言葉を失っていた。嬉しそうに話すシュウヤさんに圧倒されていたのも大きいが、それ以上にこんな小さな博物館にここまでの価値を見出していた人がいたという事実に。


「博物館の展示に大きな変化はありません。ですが新たに勉強して次に訪れる度、毎回毎回違った発見と気付きを得られるのです。そこからです、本格的に歴史研究を始めようと思ったのは。税金の無駄だと言われているのは承知しています。ですがこの博物館は私の人生にとって、かけがえのない存在なのです。だから……」


 シュウヤさんの作った握り拳に力がこもり、ぶるぶると震える。


「だからこそ閉鎖を何としても阻止したいのです。あの市長のやり方は間違っている」


 そしてぷいっと向きを変えると、出口に向かってつかつかと歩き出す。博物館を守りたいという強い想いとともに、恨みにも似た感情をも放っていた。


 それにしても毎回毎回違った発見と気付きを得られる、か。今までそんなこと考えたことも無かった。博物館にリピーターが多い理由がなんとなくわかった気がして、私は周囲の展示物をぐるりと見回した。

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