第二章 その5 驚愕ミュージアム

「博物館じゃないって、どういう意味ですか!?」


 まるで後ろから頭を叩かれたように驚くシュウヤさん。一方その理由を察していた私は、妙な気まずさに視線を逸らしていた。


 館長もばつが悪そうに「実は……」と続ける。


「博物館の職員、市の行政職員2人と非正規の事務職、そして館長の4人だけなんだ」


 聞くなりシュウヤさんははっと息を呑んだ。どういうことか、理解できたらしい。


「うちには学芸員がいないんですよ」


 館長に追従するかたちで私も申し訳なさそうに言う。


「ということは、ここは博物館ではなくてむしろ大きな資料館と呼んだ方が?」


「まあそうなるね。昔は学芸員もいて研究活動もしていたそうだけど、今は資料の正しい扱いを知っている人がいないから下手に入れ替えられないんだ」


 ため息交じりに話す館長の声には無力感が込められていた。


 時々「○○歴史資料館」と名乗る博物館があることを読者の皆様はお気付きだろうか。なぜ世の中には「博物館」と「資料館」が混在しているのか、気になった方もいるかもしれない。


 私たちは日常的に博物館と言う言葉を使っているが、法律上その言葉の定義は厳密に定められている。日本国内の博物館は昭和26年に規定された「博物館法」に則り運営されているのだ。


 この博物館法では、博物館とは「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」と記載されている。


 そしてさらに細かい規定として「専門職員として学芸員を置く」といった文言も盛り込まれている。そう、船出市立郷土博物館には学芸員がいないため、博物館の定義に当てはまらないのだ。


 専門家がいないので博物館の大目的である「調査研究」もできない。この場合は博物館と同種の事業を行っているという意味で「博物館類似施設」として扱われる。ちなみに学芸員に準ずる職員がいるものの、他の条件を満たさない場合は「博物館相当施設」に分類される。


 そういった様々な条件をすべてクリアした博物館が届出を行うことで、ようやく法律上の博物館に認められる。ゆえに文書の中では一般的な意味の博物館と分類するため、「登録博物館」と記すことが多い。この「登録博物館」に認められれば助成金や税制、着手可能な事業などでよりメリットが得られるのだ。


 だが「登録博物館」に認定されていないにもかかわらず、博物館という名称を使うこと自体は何ら規定されていない。そのため国内には「登録博物館」ではないのに博物館と名付けられた施設が大量に存在している。


 ちなみに美術館や動物園、水族館も展示や資料の保管、研究を行っているという点で広い意味での博物館に含まれる。条件を満たせば登録博物館になることも可能だ。


 船出市立郷土博物館も以前は学芸員が常駐し研究を行っていた。だが5年前に最後の学芸員が退職して研究者が不在となったと同時に「登録博物館」としての認定を取り消されたらしい。今では学芸員に相当する職員もいないので「博物館類似施設」に落ち着いている。


 私がこのことを知ったのは就職した後、その時はえらい驚いたものだが……それにしてもなぜシュウヤさんは私たちが話す前に、このことに気付いたのだろう?


「臨時の学芸員も……いなさそうですね」


 シュウヤさんがぽりぽりと頭を掻き、館長はゆっくりと頷いた。


 館長も地域の歴史に詳しいとはいえ元は中学社会科の教師、博物館の運営に関しては素人も同然だ。小さな博物館でも公営である以上は館長が必須、その場合は博物館運営の専門家ではなく大学教授や元教員が任命されることが多い。ほとんどは実態の伴わない名誉職で、毎日来てくれるだけうちの館長は熱心な方だと言える。


「それじゃあこの資料を保管していたのは? その間に燻蒸だってしたでしょう?」


「僕たちだけじゃよくわからないから、別の博物館の職員を呼んでアドバイスをもらっていたんだ」


 シュウヤさんの質問に館長が返す。


 燻蒸というのは虫やカビから資料を守るため、館内全体を閉鎖して薬剤で充満させる作業のことだ。うちは予算が乏しいので今年度は行わなかったものの、それでも2年に1回は実施しているという。


「そうでしたか……」


 シュウヤさんは残念そうな視線を文箱に向けた。


 この文箱をどうにかしたい、だがどうしようもできない。そんな惜しみと迷いの感情が照らされた瞳の中で渦巻いている。


 だがやがて何かを決めたようにぎゅっと口を噤むと、改めて館長に向き直ったのだった。


「では館長、お願いがあります。よろしければどうか私に、この文箱を任せていただけませんか?」


 突然の提案に館長も私も思わず「え!?」と声を裏返らせてしまった。


「シュウヤ君、これの扱い方わかるの?」


「私は東京の大学に行っている間、東京国立博物館でのインターンシップに参加しました。そこで文化財の扱いを学びましたので多少の心得はあります。それに大学院で史学を研究している関係上、古文書に触れることも多いので」


 そうだった。この人は若いとはいえ研究者だ、私たち以上に本物の文化財に触れている。茫然と驚く私の隣で、たちまち館長は頬を紅潮させた。


「それに大学1回生の時からずっと、博物館ボランティアとして運営にも携わっていました。手伝いですが、企画展の開催に携わったこともあります」


「ということは学芸員資格も?」


 すかさず館長が訊くと、シュウヤさんは「はい、取得しています」と頷いて返した。


 なるほど、だから博物館法も知っていたのか。あのお化けを怖がっていたシュウヤさんなのに、この時の私には彼が随分と頼もしく見えた。


 館長も顎に指を当て「ううむ」と唸っていた。いつも以上に真剣に、深く深く考えている。


「予算、まだ余っていたかな……これならなんとかできるかもしれない」

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