第二章 その4 探検ミュージアム
「え、収蔵庫の中を見てみたい?」
翌朝、開館直後の事務室で館長はシュウヤさんの願い出に目を丸くした。
「はい、人を呼ぶ上で展示品の入れ替えは必須です。資料の多い博物館は定期的に展示品を入れ替えています。ですがここは5年以上、展示品に変わり映えがありません」
「そうよねえ。昔、高村光雲の『老猿』が楽しみで上野の博物館に行ったんだけど、その時は展示されてなくて悲しかったわ」
里美さんも加わってちょっと寂しそうに息を漏らす。受付のカウンターに立っていた私は高村光雲って誰だったかな、と頭をフルに回転させていた。
博物館は思った以上にリピーターが多い。企画展やワークショップごとに尋ねてくれる人の数はその博物館が如何に愛されているかの指標だ。大きな博物館は常設展の入れ替えも頻繁に行い、その度にお得意様を招き入れる。
郷土博物館も新年度の4月から市民主導の活動を本格的にスタートさせる。その下準備として今の内に収蔵される品々を見ておきたいのだろう。
「そうだねえ、僕も最近入ってなかったし。いいよ、ついてきなよ」
館長がにこりと微笑むと里美さんは回れ右し、壁に備え付けられたキーボックスから収蔵庫の鍵を取り出した。それを受け取った館長は遠足に行く小学生のように足取り軽くシュウヤさんを先導するが、事務室を出たところで私と目が合うと思い出したように口を開いた。
「そういえばあずさちゃんも見たこと無いよね?」
私は「はい、そうです」と即答した。収蔵庫の鍵は厳重に管理されており正規職員同伴でないと入ることはできない。非正規雇用の私はひとりで入ることも許されないのだ。
返事を聞くなり館長はうんと頷くと、ちょいちょいと手招きする。
「せっかくだし一緒に来なよ、受付は池田くんに任せてさ」
「そりゃないですよ、館長」
すぐさま事務室から池田さんの声が聞こえる。
でも収蔵庫って、ちょっと見てみたいかも。私は「じゃあ池田さん、お願いしますー」とぺこりと頭を下げ、「このやろー」と憎まれ口をたたく池田さんを置いて館長について行った。
「あ、そうそう。収蔵庫には気を付けてね」
だがそこで里美さんが呼び止めたので私は「はい?」と振り返った。里美さんはいたずらっぽく笑いながらこう言った。
「何たって、お化けが出るから」
外から見ただけではわからないが、この建物は地下にも大きな部屋がある。その地下一階はまるまる収蔵庫として使われており、ここには4万点もの資料が保管されているのだ。
ちなみに4万点と聞くとなんだかすごく多そうにも聞こえるが、ここでは資料のひとつひとつを「点」と数えていることを留め置いてもらいたい。例えば5枚で一組の茶碗があったとしたら、それは1件5点という数え方になる。同様に20巻でワンセットの絵巻物があったとしたら、これも1件20点として数えるのだ。
そのため意外と小さな博物館でも、収蔵資料はン万点ということは往々にして見られる。むしろそれだけの資料を管理するのにコストがかかっているのが問題になるほどだ。
「お化けって、里美さん人を怖がらせるのが好きなんだから」
里美さんが言うには博物館の建っているこの辺りは戦国時代には激しい戦があったそうで、多くの武士が非業の死を遂げたらしい。大敗した将はその死体をどうすることもできず、放置して逃げ出したという。
それから数百年、博物館を建てようとして地面を掘り返したところ、そこから多くの人骨が出てきたのだそうだ。しかし工事の遅れを危惧した工事業者はその人骨を見なかったことにして、また埋め戻したのだとか。それからというもの博物館の地下室では夜な夜な血まみれの侍が彷徨っているのだという。
「こんなデタラメ信じる人なんていないでしょ」
私がぼそっと呟くと、先を行くシュウヤさんはしきりに「だよなだよな!?」と頷いていた。足から手の先まで、全身がガタガタと震えている。
あ、いた。信じる人、ここにいた。
展示品を運べるよう20人くらいまで耐えられる大型のエレベーターに3人で乗り込み、地下へと降りる。
降り立った先は非常灯のみが照らす闇の空間。物音ひとつしない広大な暗闇には、さすがの私も足を前に出すのが少し怖かった。
「これだったかな?」
最初にエレベーターを降りた館長が壁に手を触れ、何かのスイッチを押す。途端、ブオンと鈍い音が響き渡ると同時に天井の照明がゆっくりと灯った。
「ひえ!?」
予想外の音に悲鳴を上げるシュウヤさん。いくらなんでも怖がり過ぎだ。
だがその恐怖に満ちた顔は、部屋の灯りが点き終える頃には一変し、好奇心できらきらと輝く。目に映るすさまじい数のステンレス棚、そこにぎっしりと収納される段ボール箱に木箱。
すべて貴重な資料だ。中に入っているものも段ボールにラベルが貼られて書き込まれている。見たところ食器や茶器などの日用品がほとんどだ。
研究者であるシュウヤさんにとって、ここは宝の山なのだろう。ひとつひとつラベルの内容を覗き込むので先に行きたくともなかなか前に進まない。
「おもしろいのはこの奥だよ」
そう言って館長がドヤ顔を披露しながら部屋の奥を指差した。その指先に誘われるがまま、シュウヤさんはふらふらと歩み始める。
やがて段ボール積まれた棚を抜け空間が開ける。照明が弱く設定されているのか、薄暗い空間に佇む何かの山を見てシュウヤさんは足を止めた。
「こ、これはすごい!」
それは多くの民具だった。古民家においてありそうな家具や樽や農具、料理道具に行燈まで多種多様な民具が保管されている。そこには船出市らしく、塩づくりに使われる大きな熊手のような道具も置かれていた。
この博物館のメインの展示物はこれら民具だ。実際に使われていたこれら資料の中で、特に状態の良い一部を選んで並べている。
古文書や木簡は歴史研究家にとっては垂涎ものの価値があるだろうが、一般のお客さんや子供たちからしてみれば生活に根差したこういった展示品の方が受けが良い。特に塩田で使われていた道具は地元の産業の歴史を留め伝えており、なかなかに好評だ。
「ああ、こんな物まで!」
特にシュウヤさんが興味を示したのはただひとつガラスケースの中で厳重に保管されていた小さな文箱。精緻な漆塗りの施されたその箱は確かにきれいだった。この品だけは他の資料よりも価値がはるかに上であることが誰でもわかる。
「何ですか、これ?」
だが私はなぜシュウヤさんがここまで興奮しているのか理解できず、無神経にも尋ねてしまう。
「何ですかじゃないですよ、高松藩当主の松平家の家紋じゃないですか!」
振り返るシュウヤさんの目は感激のあまり血走っていた。少々引いてしまったが、そう聞くとああなるほどと納得せざるを得ない。
ここ船出市は江戸時代、高松藩の統治下にあった。この辺りで製塩業が栄えたのも当時の藩主が提案したのがきっかけだという。
松平と言えば松平定信をはじめ徳川家の親戚筋として有名だが、高松藩を治めた高松松平家は江戸時代初期に水戸徳川家から分家している。12万石の親藩大名として家格は非常に高かったそうだ。
「これは塩田開発に尽力した家来の功績をたたえて、お殿様が贈ったものらしいよ」
横から解説を加える館長にシュウヤさんは「なぜそんな貴重品が?」と質問を飛ばした。
「その家来の末裔が寄贈したんだ。昔は博物館のメイン展示のひとつだったんだけど、光に当てると劣化してしまうから暗く空調も利いた収蔵庫で保管してるんだ」
それにしても。私は収蔵庫をぐるっと見回しながらうーんと声を漏らした。
「こんなたにたくさんの資料があるのに、なぜずっと放ったらかしにしていたのですか?」
やはり気になり尋ねてしまう。館長は痛いところを突かれたように苦々しい顔を見せた。
「それはまあ入れ替えにも手間がかかるから、というのもあるんだけれども。もっと根本的な事情があってね」
「根本的な事情?」
ガラスケースに顔を近づけながら、シュウヤさんもこちらに眼を向ける。
言うべきか言わざるべきか、館長は迷ったように眉を歪ませながらもようやく口にした。
「うち、郷土博物館と名乗ってはいるけれども、本当は博物館じゃないんだよ」
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