第二章 その2 再会ミュージアム
市役所に到着すると、館長とシュウヤさん、そして私の3人はまっすぐ教育委員会の事務室に向かった。
好景気の頃に建て替えられ、そろそろ古さが目立ってきたロビーや廊下などあちらこちらの掲示板で船出市のマスコットキャラクターである「えんでんおじさん」の描かれたポスターが私たちを出迎えてくれる。
この「えんでんおじさん」だが、ゆるキャラと呼ぶには全然ゆるくない。なにせこのキャラのデザインが笑顔のおじさんがお祭りで着るようなはっぴをまとい、頭に鉢巻を巻いているというファンシーとは縁遠いものなのだから。
数ある候補からなぜよりにもよってこれを市のマスコットに選出したのか、当時どのような話し合いが行われたのか想像もできない。だがコンセプトだけは理解できる。というのもここ船出市は江戸時代から昭和の中頃まで、全国有数の塩田、つまり塩づくりの盛んな町だったのだ。
今は工場が建ち並ぶ沿岸部にも、かつて砂浜を利用した塩田が広がっていたらしい。香川県の名物である砂糖、塩、綿を讃岐三白と呼ぶが、その一角を支えていたのだ。
しかしより安価で純度の高い製塩法が普及すると、昔ながらの塩田は消えてしまった。今も使われているのは開発されず奇跡的に残ったごくわずかな塩田だけ……と、こんな話はまた今度でいいか、今はそれどころではない。
学校教育課や文化振興課といった教育関係の部署の前を通り過ぎ、最も奥の教育委員会の事務室へと入った私たちは、入り口近くに座っていた男性に迎えられる。
「失礼します、郷土博物館です」
「お待ちしておりました、どうぞこちらへ」
教育委員会と大層に言っても市役所のよくある事務所の一室のようなものだ。そこかしこの机の上に、未決の書類が高く積まれ、職員は電話やらメールやらでそれぞれの業務に打ち込んでいる。
男性は私たちをパーテーションで区切られた応接用のスペースへと案内した。ここにはソファも置かれ、快適にくつろげるようになっていた。
「教育長を呼んで参ります」
そして私たちをソファに座らせると、男性は小走りで部屋の奥へと消える。
「まさか教育長が対応してくれるなんてなぁ」
どっこいしょと座り込んだ館長が小さく呟いた。
教育長というのは市の教育行政のトップだ。市内の教育関連施設を束ねる長であり、分野における権限は市長をも超える。要するにかなり偉いのだ。
ちなみに教育委員会というのは一般的な市職員と違い、議員と同じように特別職公務員という身分になる。教育関係の職業に就いていたり、またはPTAの会長を務めるなど実績のある人だけが任期付きで選ばれるのだ。
人数はトップである教育長も含めわずか5人。この5人の決定に市の教育行政は左右されると言ってよい。
そう言えば教育長って私、顔も知らないや。たしか市長選直前の4月に就任したって聞いているけど、結局この1年私は会うことは無かった。本来ならここには私でなくて里美さんが来ているはずだし。
「お待たせ」
いよいよ教育長の登場だ。どうやら優しく柔和な声の女性らしい。
パーテーションの向こうから現れたのは小柄でぽっちゃり健康的に歳をとった、60手前くらいのおばちゃん。この女性が市の教育のトップのようだ。
だがその女性は私と目が合った瞬間、「あら?」と固まってしまったのだ。
それは私も同じだった。どこかで見たとかそんなレベルじゃない。自分の人生で最も楽しかった時期、そんな思い出がパラパラとアルバムをめくったように思い出される。
「先生!? 宮本先生!?」
「まさかあずさちゃん!? あらまあすっかり大きくなっちゃって」
私は立ち上がった。そして教育長こと宮本先生も、頬に手を当てながら駆け寄り、私たちはそのまま手を握り合ってしまった。
宮本先生は10年前、私が小学校4年生だった時の担任教師だ。お母さんのように寛容ながらダメなものはダメときっぱり言える先生で、クラスの皆から慕われていた。
当時既に宮本先生は学年主任を務めていて、次の赴任校で教頭先生になったことまでは聞いたことがあった。だがまさか教育長にまで昇り詰めていたなんて、同じ市内とはいえ世間は狭すぎる。
「お久しぶりです先生。教育長になられていたのですね」
「そういうあずさちゃんも、博物館で働いてるの?」
「はい、非正規ですけど」
「偶然ね。でも久しぶりに会えて嬉しいわ」
再会を喜びたいのは山々だが、ここに来た目的は別だ。そもそも私は主役ではない。
ソファに座り、私たちと宮本先生こと教育長は向かい合う。シュウヤさんが『郷土博物館を守る会』の活動計画書を提示しながら説明を加えると、教育長はふんふんと頷いていた。
「話は聞いてるわ、教育委員会も市長の博物館閉鎖案には猛反対よ」
教育委員会の管轄は子供に向けた学校だけではない。公民館、講堂、市営体育館、運動公園に市営キャンプ場と、利用者の年齢を問わず文化やスポーツに関する施設も多く運営している。
郷土博物館も同様だ。市の教育施設として、予算は少ないながらも存続させたいのだろう。
「すごくよくまとまってるわね、これなら今の予算でも実現できそう。是非とも来館者5万人達成して、市長をギャフンと言わせてあげましょう」
教育長も松岡市長のことはあまり好いていないらしい。言われてみれば極端な合理主義者とまだ見ぬ子供の未来のために尽くしてきた人、ものの考え方が180度別だもんな。
教育長の心強い言葉にシュウヤさんはたちまち色めき立つ。
「ありがとうございます。私はあの博物館を市民がより広汎な目的で利用し、人の集う場となるよう市民ボランティアの募集に務めます」
シュウヤさんが提案したのは市民ボランティアが博物館運営に積極的に参加する体制だった。
博物館職員は市の職員である以上、なかなか思ったように個人で博物館の運営に手を加えることができない。
だが市民が活用したいというのなら別だ。形式上私たちは施設を貸し出すだけで、主役はあくまで市民になる。職員はその活動をサポートする位置になる。
「それは私も賛成するわ、市民主導の生涯教育が活発化するなんて素敵じゃない。是非子どもから大人まで幅広い年代が集まる団体を目指してね」
シュウヤさんと教育長は随分と盛り上がっていた。シュウヤさんは博物館の制度について非正規とはいえ職員である私以上に精通しているようだ。
それにしても生涯教育ってたまに聞くけど、どういう意味だったかな?
館長もシュウヤさんの提案書を読みながら感嘆の声を漏らしていた。
「これなら決裁を上げるのも早そうだ。では帰ったら早速、下準備に取りかかろう」
館長も元教員だ、考え方は教育長と近いようだ。
さてさて、そのような話がずんずんと深まる一方で、カタワラノ私は内心「おいおいおいおい」と身構えてしまっていた。
職員が市民の活動を支援するというのはわかる。だがそれはつまり業務の負担が今までにないほど激増するというわけでは?
業務量が増えても私のような非正規雇用の給料が増えるとは思えない。下手すりゃサビ残地獄かもしれないのだ。
今のだらけきった職場に順応してしまった私が、そんな博物館初めての取り組みに携わってよいものか?
やっぱここで父の話していた工場事務に転職するのが……。
「あずさちゃんも協力してくれるのよね」
物思いに耽っていたところで、突如先生が私に振った。まったく予想もしていなかったので不意に「え?」と漏らした瞬間、先生の眉がハの字を描く。
してくれないの? とでも言いたげな瞳に、私は慌てて返してしまった。
「も、もちろん! 利用者の皆様をサポートするのも我々の業務ですから」
「良かったぁ。あずさちゃん、これからもよろしくね!」
すぐさまぱあっと明るい顔を向ける教育長。
あーあ、言い切っちゃった。それも先生の前で。
これで転職は少なくともあと1年は無くなったな。どうやら私は博物館最期の1年を見届けることになりそうだ。
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