第二章 その1 おはなしミュージアム
「ううー、変なことに巻き込まれた……」
市長や市職員が帰り一気に寂しくなった館内。その事務室で私は頭を抱えていた。
どうして波風立たないことが売りのこの職場がこんな事態に巻き込まれるのか。一昨日お父さんに仕事を紹介された時、さっさと乗っておくべきだった。
それに市長が5万って言ったのも絶対に私が5000って返したからだ。ああ、こんなことならせめて2000とか3000とか、もっと少ない数字言うんだった。
色んな後悔と悩みがいっぺんにのしかかる。
「いいじゃないのあずさちゃん。博物館が存続できるきっかけをつかめただけ」
ずんと沈む私の背中を里美さんが突っつく。気のせいかいつもより楽しそうだ。
「里美さん、ここ好きなんですか?」
「ええ、好きよ」
そして即答する里美さん。こんな税金の無駄と槍玉に挙げられるようなハコモノが? ミステリアスな人だなあ。
「では渡辺さん、計画に当たってどういった点に留意すべきでしょうか?」
不思議に思う私をよそに、事務室の一角に座って質問を投げかけるのはあの市民団体の男性だった。
職員でないのになぜここにいる?
そんな疑問を抱かせる間も与えず、里美さんは「それはね……」と対応する。
市民団体の他のメンバーは帰宅したものの、この人は今後の市民団体の活動に関して計画書を作成するため、自分のノートパソコンを持ち込んで里美さんからアドバイスを受けていたのだった。
「まずは教育委員会を味方につけるべきね。ここを運営してるのは教育委員会だけど、あそこは市長と敵対関係にある委員も多いから、きっと話に乗ってくれるわよ」
答える里美さんはいつも以上にいきいきとしていた。
「里美さん、なんだか楽しそう」
私がぼそっと漏らすと、ちょうど客が途切れて受付から戻ってきた池田さんが口を挟んだ。
「あの市長は職員からも嫌われているからね」
なるほどね事業が減らされると職員が困るのは民間も官庁も変わらないようだ。
男性から次々と繰り出される質問のひとつひとつに、里美さんは的確に答えていた。
翌日水曜、私が出勤してロッカールームに向かおうとしたその時、事務所に一本の電話が入った。
「え、お休みですか!?」
「ごめんね、子供の熱が39度あるの。これから病院に行くから、『子の看護休暇』ということで休みにしてておいてくれない?」
子供の泣き声をバックに電話口の里美さんが申し訳なさそうに話す。
子どもが大変なら仕方ない。職員である前に里美さんも一人の母親だ。私にだってそれはわかる。
だが話はそこで終わらなかった。
「それと今日、『郷土博物館を守る会』の人と一緒に教育委員会に嘆願書を提出しに行くことになってるの。予定のメモが私の机の上に置いてあるから、その通りに動いてくれない?」
「ええ、教育委員会にですか!?」
思わず変な声を出してしまった。まさか里美さんの代わりを任されるなんて。
教育委員会といえば市役所に事務所があったよな。本庁に仕事で行くのは初めてのこと、不安で仕方ない。
「館長もいっしょだから平気よ」
グッドラックとでも言いいたげな里美さん。そのバックから聞こえるのは泣き止まぬ子供の声。
くそう、泣きたいのはこっちだよ。
「じゃあ行こうか」
午前10時前、『郷土博物館を守る会』の例の男性が来館して全員がそろったところで、館長は車を準備した。
いわゆる庁用車、業務以外で乗ることのできない博物館所有の車だ。高校3年で免許を取って就職してからというもの、何かあれば私はこの車の運転手を任されることが多い。
本来、役所には庁用車の利用についてもかなり厳密なルールが定められているのだが、距離的にも業務的にも少し離れた立ち位置の我らが博物館に関してはそこら辺はゆるゆるだった。
「じゃあ、レッツらゴー」
助手席の館長の掛け声と共に私はアクセルペダルを踏む。こんな状況でもミラーに映り込む後部座席の男性の顔は、まるで緊張している様子はなかった。
田畑に囲まれた田舎道を突っ走って市役所へと向かう。発進からしばらく、車内は皆黙り込んでいたがやがて痺れを切らしたように館長が切り出した。
「シュウヤくん、研究は進んだかい?」
後ろを振り向いて尋ねる館長。訊かれた男性は少し照れ臭そうに笑った。
「はい、昨日も資料室をお借りできましたので、だいぶ捗りました」
「研究?」
はて、何のことやら。ハンドルを握りながら呟いた私に、館長は付け加えた。
「シュウヤくんは歴史学の博士研究員、いわゆるポスドクなんだ。東京の大学に在籍しながら、今は地元の歴史を調べるため戻ってきているんだよ」
ポスドク?
名前は聞いたことはあっても今一意味はわからない。とはいえ研究者なのだろう、私は「へえ、どんな研究されているのですか?」と訊き返す。
「応仁の乱以降の四国の勢力図と大名の関係についてですね。そういうローカルな資料は地元の思わぬ所に眠っていたりするので」
シュウヤと呼ばれた男性はすらすらと答えた。
なんだかよくわからないが、とりあえずは学者の卵というわけか。大学進学なんて最初から選択肢に思い浮かばなかった私にとっては、すごいけれどそのすごさが今一理解できない。
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