第一章 その5 不屈のミュージアム
「博物館閉鎖の議案を取り下げろー!」
「博物館は市民の物、市長の横暴は許さない!」
多忙極まった週末が過ぎ去り、休館の月曜日が訪れる。土日に出勤しなくてはならないのは辛いところだが、みんな働いている平日にのんびりできるのはこの仕事の良いところだろう。
そんな平日朝の市役所前には、すでに100人以上の人々が集まって庁舎に向かって博物館の存続を訴えていた。
道行く人々に呼びかけて署名も募っている。わずか数日の間でここまで運動の規模が大きくなってしまったとは、船出市始まって以来の出来事だろう。
「うわぁ、やっぱり」
そんな市役所近くの歩道でカシミアのコートを着込んで立っていた私は、白い息を吐きながら声に出す。
就職以来の超多忙な土日を終えたばかり。もっと遅くまで寝床でゴロゴロしていたかったものだが、妙な胸騒ぎを覚えて市役所まで様子を見に来てみればドンピシャだった。
「ほらほら、道には出ないでくださいね。大きすぎる声もダメですよ」
そんな集団を見守り時に注意を入れる若い警察官。その顔を見た途端、私はほっと安心感を覚えた。
「てっちゃん!」
そして思わず呼んで駆け寄る。私の声に警察官も振り返った。
「よう、あずさか。どうしたんだこんな所で?」
制服の上からでもわかるほどがっしりとした体格に長身の警察官は、少し疲れた面持ちだった。
てっちゃんこと佐々木哲也は私の4つ年上の従兄だ。家も近く、小さい頃からよくいっしょに遊んでいたので私にとっては兄も同然だった。
「うん、昨日博物館にも閉鎖反対の皆さんが来てたから。今日は休みだし、もしかしたらと思って」
「だよなあ、まさかあの博物館の閉鎖でここまで騒ぎ……と、デモが大きくなるなんてな」
お、ギリギリで失言回避したな。
母の姉の長男として付き合いの長いてっちゃんだが、いつも余計なことを言って貧乏くじを引いてしまうのは変わらないようだ。
「博物館もすごかったんだよ、お客さん大勢来て」
「本当に、閉鎖が決まる前から利用しておけばよかったのにな」
あ、またしても失言の予感。
そう話す私たちの脇を通り抜け、一台の車が駐車場に到着する。地元テレビ局のロゴが入ったワゴン車だった。
「見てください、この市民たちの大熱狂を」
マイクを持つ女性リポーターの叫ぶような声も、博物館存続を訴える市民の声に掻き消されていた。市役所前に集まった市民は時間が経つにつれ徐々に増加し、昼前には倍近くにまで膨れ上がっていた。
「早速取り上げられてる……」
そんな喧騒を眺めながら、私は立ち寄ったうどん屋で麺をすすりながらテレビを眺めていた。お昼の地元ニュースの生中継だ。
素うどん1杯180円、天ぷらや卵のトッピングを加えても300円以下という超リーズナブルなうどん屋さんだが、香川では何も珍しいものではない。讃岐うどんの本場であるここは個人経営の零細のうどん屋さんが強く、それぞれでお得意先を抱えていたりするのだ。
「船出市では市長の緊縮財政に対し、以前から不満の声が挙がっていました。その不満が市のシンボルである博物館の閉鎖を契機に、一気に噴出したのかもしれません」
よほど盛り上がっているのか、リポーターも自分の耳を押さえながら説明している。
あ、てっちゃんも映った。これでテレビデビューだね、やったね。
「なあこれ、あの博物館だろ?」
その時背後から男の声が聞こえ、私は思わず振り返った。
近くの建設現場で働いているのだろうか、作業着を着たふたりの男性が、うどんをすすりながらニュースを見ていた。見た目からふたりとも40歳手前くらいだろうか。
「ああ、客もいないし税金の無駄だったよな、潰れて当然だよ」
ひとりがかき揚げをサクサクと頬張りながら答える。
そこで働いている人がいるが今同じ店にいるなんて、あの人たち思いもしてないだろうな。
「でもあそこ、俺小学生の頃に連れて行かされてさ。もうずっと行ってなかったけど、潰れるのは寂しいよな」
「まあ建物もでかいし頑丈だしな。だけど今の市の財政じゃ維持するだけで精一杯だろ、せめて潰れる前に一回くらい子供を連れて行こうとは思うよ」
「バブルの弾ける前はすごかったよなぁ、どんどん公共工事が進んでさ。今の市役所の庁舎だってその頃できただろ?」
「ああ、その時調子に乗り過ぎたツケが今回ってきてるのはひでえ皮肉だよな」
そう話しながらも男たちはあっという間に丼ぶりを空っぽにしてしまうと、カウンターに食器を返して足早に店を出て行ったのだった。今日の仕事はまだまだ終わらないのだろう。
「税金の無駄……かあ」
その言葉が頭の中で反芻される。土曜日に真っ向から非難されたあの博物館マニアの男性の顔が嫌でも思い出される。
市役所前で活動している市民は5万人中のほんの200人足らず。一見多く思えても、比率で言えばほんのわずかに過ぎない。大多数の市民は、ほとんどがさっきの作業着の男性のように思っているのだろう。
やっぱりあの博物館、閉鎖は仕方ないんじゃないかな。
でもなんだかなぁ。踏ん切りが着かず、心の中で納得しきれない。
実は昨日、父がパートの仕事を紹介してくれたのだ。父の働く市内の化学工場で、事務員のひとりが産休に入るので代わりの人を探しているそうだ。
全盛期は過ぎ去ったとはいえ全国にも名の知れた企業の工場だ、断る理由がどこにあろう。
だがそれを聞いたとき、私は返事を渋ってしまった。工場は魅力的に思えるのに、なぜか博物館を辞めようという決心には至らなかったのだ。
まだまだ麺は残っているのに食が進まない。麺を打った店主には申し訳ないが、どんぶりの上に箸を揃えて置いたまさにその時、バッグに入れていたスマホが激しく振動した。池田さんから電話がかかってきたのだ。
池田さんとは仕事場で会う以外、プライベートの繋がりは無い。どういう用件だろうと疑問に思いながら、「はい、もしもし」と電話を受ける。
「あずさちゃん、ビッグニュースだよ!」
仕事が休みだからか、池田さんの声はやたらと嬉しそうだった。
「ビッグニュース?」
「市が反対派の市民と話し合いをすることになったんだ! 明日、博物館で!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます