第一章 その4 にぎわうミュージアム

 土曜日、大方の予想通り博物館には大勢のお客さんが押し掛けていた。


 就学前の小さな子供から杖を突いて歩くお爺ちゃんまで、朝早くから多くの市民が次々と入館する。駐車場の車も香川ナンバーはもちろん、徳島や愛媛など県外ナンバーもちらほら止まっていた。ここまで博物館に人が入っているのは私が就職してから初めてだ。


「本当に閉鎖するの? こんな立派な建物なのに、もったいない」


「あの糸車、博物館ができた時からずっとあそこに置かれてたぞ。ここはずっと変わらねえな」


「わし、昔ここの工事をやっとったんだよ。ほれあの天井のタイル、全部わしが貼り付けたんだ」


 ロビーで休憩所で展示場で、どこもかしこも客、客、客。普段は一人で対応している受付をふたりに増やしても、チケットを買いに並ぶお客さんは一向に途切れなかった。


「もう2時前だ、あずさちゃん先にご飯食べてなよ」


 朝からノンストップで受付けの対応をしていた池田さんが、へろへろになりながらも私の方を向いてにこりと笑う。


「あ、ありがとうございますー」


 もうチケットを切り過ぎて腕の筋肉がパンパンだ。私は事務所に引っ込み、自分の席にどさりと座り込んだ。


 事務室もひっきりなしに電話がかかってくるのでおちおち休んでもいられない。その大半が「閉鎖するのは本当ですか?」といった内容だが、「私たちからお答えはできませんが、市民の皆様にご満足いただけるよう精一杯頑張ります」としか現状は答えられない。


 そんな猫の手も借りたい状況の中、ぞろぞろと10人ほどを引き連れてひとりの男が受付に現れる。


「失礼します『郷土博物館を守る会』です」


 いつも資料室に向かうあの男性だった。後ろには定年を迎えたようなお爺ちゃんやお婆ちゃんが控え、まるで指導者に先導されるかのように追従している。


「昨日お話ししました通り資料を持って参りました」


 そして手にしたビジネスバッグをすっと差し出すと、事務室から様子を見ていた里美さんが飛び出してきたのだった。


「お待ちしておりました、どうぞこちらへ」


 里美さんは男とお爺ちゃん事務室に招き入れ、そこからつながる館長室へと案内する。


 ここには古いながらも大きなソファや立派な机が並べられており、来客の対応やちょっとした会議はこの部屋で行われている。30年以上前、市が裕福だった時代の名残を今なお感じさせる。


 あの人たちの対応は館長と里美さんに任せよう。それにしても里美さん、なんだかイキイキしていたな。


「あずさちゃーん、昼ご飯終わったらすぐに手伝ってくれー。ひとりじゃ間に合わないよ」


 にわかに増えたお客さんに池田さんが弱音を漏らす。私は「はーい」と言ってコンビニで買ってきたサンドイッチを急いで掻き込んだ。




 池田さんとふたりでお客さんを捌き、ようやく人の流れも途切れ始める。池田さんがだいぶ遅い昼食のために事務所に引っ込み、私がひとりで受付に立っていたその時のことだった。


「ちょっと失礼」


 いつの間にやら足音も無く、受付の近くに立っていた男性の声に私はびくっと跳び上がった。


 分厚い眼鏡をかけ、ごにょごにょと不明瞭な声で話すいかにもな風貌の男。もう30を過ぎていそうだが、異様に色白で顔を弾力性のある脂肪が覆っているので正確な年齢はよくわからない。


「私は全国の博物館を巡ってる博物館マニアでね、4年前にもここに来たことがあるんだけど、閉鎖の噂を聞いてまた来てみたんだ」


「ありがとうございます」


 ぼそぼそと喋る男に、私は深々とお辞儀した。だが頭を上げた時、男は私を睨みつけていた。


「で、気になったんだけどね。あんたたち、本当にやる気あるの?」


 私は思わず「はい?」と固まってしまった。


 この人、何を言ってるんだ? そんな考えさえも浮かばせる猶予も与えず、男は早口でまくし立てる。


「4年前に来た時と内装はおろか展示物もまるで変わっていない、古いままだ。展示品もよくある古い民具ばかりで他の博物館との差別化もできていない。掃除は行き届いているけれどただそれだけ、何かしら特徴があるわけでもない古い博物館というだけ。これじゃ飽きられても無理はない、人が来なくなるのは必然だよ」


 ぶつぶつと、しかし包み隠すことなくこの博物館を酷評する。そんな男の姿に私はぽかーんと口を開けたまま、思考をストップさせていた。


 やがて男はふっと憐れむような目を向けると、「あんたにこんなこと言っても無駄だってのは分かってる。でもこれじゃ潰れても文句は言えないね」と言い残してすたすたと歩き去ってしまったのだった。


 何だったんだ、今の人は?


 しばらくの間、状況が理解できなかった。いや、正しくはショックで本能が理解を拒んでいたのかもしれない。少し間尾を置いてから冷静に考え直してみると、徐々に徐々に目の奥がじわっと熱くなっていく。


 私自身今まで何度も、この博物館はダメだと思ったことはある。けれどああもストレートに他人から批判されるとなると、ざっくりと胸をナイフで貫かれたように痛々しく感じるのはどうしてだろう。


「ダメなのは……わかってるんですけど……」


「あずさちゃん、大丈夫?」


 妙な空気を感じたのか、事務室から池田さんが飛び出してきた。まだ昼ご飯を食べ終えていないのだろう、手には米粒の付いた割り箸が握られている。


「受付は俺がやっとくから、ちょっとそこで休んでなよ」


「ありがとうございます」


 池田さんにそっと背中を押され、私は事務室の席に座り込んだ。


 この職場にそんなに思い入れがあったわけでもないのに、次の転職先探そうって思ってもいたのに。それなのにどうして、胸がこれほど苦しいのだろう。寒くもないのに体もぶるぶると震えている。もうどうにかなってしまいそうだった。


「はい、ではありがとうございました」


 ちょうど支援団体との話し合いも終わったのか、館長室の扉が開き中から里美さんと市民団体の皆さんが出てきた。


 まずい、こんな姿を見せられないとばかりに私は慌てて俯く。幸い私のことを誰も気に留めなかったのか、例の男率いる市民団体の皆さんはすぐ脇を何事も無く通り過ぎた。


 事務室から彼らも去って、ほっと一息ついたものの、気付く人は気付くものだ。


「あずさちゃんどうしたの? 具合悪そうよ」


 心配そうに里美さんが声をかけてくれる。


「ええ、大丈夫です」


 私は首を振って答えるが、同時に自分の頬を熱い何かがつつーっと伝っているのを感じて、急いでそれを手で拭ったのだった。

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