第一章 その3 おしかけミュージアム

「あずさちゃん、このニュース見たか?」


 翌朝、出勤するなり神妙な面持ちの池田さんがこちらにスマホを向けてずんずんと歩み寄る。画面に映し出されていたのは動画、昨夜地元局で放送されたテレビニュースだった。


「はい、見ました」


 そのニュースは私もリアルタイムで見ていた。曰く市長の市立郷土博物館閉鎖案に反対する市民が市役所前で抗議集会を行ったと。


 誰かがスマホで撮影したのだろう、集まって「博物館を閉鎖するな!」と声を揃える10人ほどの市民たち。定年を迎えたようなお爺ちゃんお婆ちゃんがほとんどだが、その中心に立つのはいつも博物館に来る例の男性だ。


「本当に何者かしらね、その人」


 朝から子供を保育園に預け、そのまま出勤してきた里美さんもスマホの画面を覗き込む。


「何だろうね。でもあの市長に反対するなんて度胸あるなぁ」


 池田さんは感心したように頷いていた。当選から1年も経っていない市長だが、既に市の職員からは相当恐れられているようだ。


 というのもこの市長、商工会からの支持が非常に強く、民意を前に一職員の提言など軽くはねのけてしまうというのだ。


 地元信用金庫の理事長を務め、定年退職を迎えた直後に出馬、当選するという華々しすぎるセカンドキャリア。信金時代の繋がりから懇ろな関係にある有力者も多く、カリスマ的な人気を誇っている。


 そして公約に掲げた緊縮財政の実現のため、現在次々と市の事業を縮小しているのだ。コミュニティバスの減便や職員採用人数の削減、さらに市有地の民間への売却を凄まじい勢いで立案し、可決させている。


 たしかに税金の無駄使いは減るだろうが、仕事やポストを奪われた者からしてみれば憎悪の対象にしかならない。特に市職員からの評判は最悪だった。


 そう言えばあの市長も見た目からして厳格で几帳面な感じだ。


「なんとなくこの人に似てるかも……」


 スマホの画面に映し出された若い男性の顔を見ながらふと声に漏らした時、電話が鳴り響いて余計な考えが振り払われる。


「はい、船出市立博物館です」


「企画課です、昨日の博物館のニュースは見ました?」


 受話器から聞こえてきたのは昨日電話をかけてきたのと同じ声の人だった。


「市役所に集まっていたあれですよね、びっくりしました」


「今日はもっとびっくりですよ。朝早くから庁舎の前に30人くらい集まってるんです」


「ええ!?」


 思わず仰天してしまい、池田さんと里美さんも「何だ?」「どうしたの?」とこちらを向く。


 変な声上げちゃったと恥ずかしく感じた私は、声を潜め尋ねた。


「あの、そこに若い男の人っていませんか?」


「ええ、真ん中にいます。テレビにも映ってましたね」


 少し間を置いて返ってきた。やっぱり、あの人は今日も来てるんだ。


 そんな時、「やあおはよう」と陽気なしわがれた声が事務室に響く。館長が出勤してきたのだ。


「館長、昨日のニュース見ましたか?」


 35歳の池田さんが年甲斐も無く駆け寄って尋ねた。


「昨日? 何かあったのかい?」


 首を傾げる館長は本当に何も知らない様子だった。きっとこのお爺ちゃんは夜9時には布団に入ってしまうタイプだろう。


「実はですね、昨日こんなニュースが……」


 勿体ぶった調子で池田さんがスマホの映像を再生する。それを覗き込んでいた館長は「へえー」と感心したように声を漏らしていた。


 そして動画が終わるなり館長は納得した様子で「なるほど、だからか」と手を叩いたのだった。


 私たち3人は「だから?」と声をそろえた。


「ちょっと外見てみなよ」


 そう言って館長が窓の外を指差し、私たちは釣られるように窓まで駆け寄った。


 そして全員がはっと声を漏らす。なんと、いつもはガラガラの駐車場に、次々と車が入っていくではないか!




「博物館、閉鎖しないですよね?」


「私、ここ好きなんです。これからは毎週来るようにしますから、どうか閉鎖はやめてください」


 開館時間になるなり、わっとなだれ込んだ人々は受付でチケットを買うと口々に尋ねた。


「あ、はい、なんとか頑張ります」


 もう何人も何十人も同じような質問を投げかけてくるので言葉遣いも滅茶苦茶だ。正直私のような一介の非正規雇用になんとかできる権限もクソもないのだが、ここは当たり障り無いよう答えておくべきだろう。


 それにしても今まで知らなかった。展示品なんて古い民具くらいしかないこの博物館に、思い入れある人がこんなにもいたなんてなぁ。


 30年以上前、好景気の時代に建てられた造りだけなら立派な建物だ。利便性も最近の建築と比べても見劣りはしない。きっと完成した当時も、今のように人が集まっていたのだろう。




「今日はお客さん多くて疲れました」


 閉館業務を終え、慣れない忙しさにへとへとになった私は自販機で買った甘いカフェオレを一気の飲み干した。


 結局今日だけで300人ほどが来館した。ほとんどが退職した高齢者や主婦など平日仕事をしていない人ばかりだが、こんなに多くの人を捌いたのは初めてだ。


 昼前にやって来た掃除のおばちゃんも、「こりゃおったまげた!」と言って目玉を飛び出させていた。


「平日でこれだったら、土日はどうなるだろうね」


 池田さんもぐったりした様子でチョコを口に放り込みながら呟く。明日は土曜日、博物館閉鎖が市議会で話題に上ってから最初の休日だ。いつも休日ならそれなりに人は来るが、それでも日に100人いくかどうかといったところ。今日以上の来館者数になるのはほぼ確実だ。


「まあ、誰も来ないまま閉鎖するよりはいいんじゃない? 」


 ただ一人いつもと変わらずピンピンしている里美さんは今日のチケット売り上げ枚数などをノートパソコンに打ち込んで印刷している。こうやって事あるごとに記録を書面に残すのは公務員の鉄則だ。


 そう言えばこの人、子供が生まれる前までは激務部署の人事課でバリバリ働いていたんだっけ。この程度は忙しいの内に入らないと言うことか。まったく、新卒でぬるーい職場に入れてしまった自分は幸か不幸か。


 美人な外見に似合わず恐ろしい人だと里美さんを眺めていたその時、机の上の電話がまたしても鳴った。里美さんはパソコンを打ちながらも、細く白い指で受話器を掴む。


「はい、船出市立郷土博物館でございます……え?」


 途端、キーボードを叩いていた里美さんの手が止まった。今まで見たことの無いケースに、私も池田さんも身を乗り出す。


「はい、わかりました。館長に相談の上、折り返し電話いたします」


 しばし話した後、里美さんは受話器を置いた。すかさず「どこからですか?」と私が尋ねると、里美さんは立ち上がりながら答えた。


「市民のひとり。博物館支援のボランティア団体を立ち上げたいので、是非認定してくれって」


 博物館を守る会みたいなものだろうか。ともかく博物館としても公的にそういった市民の活動を認めてもらいたいという思惑だろう。


 博物館ボランティアという形で博物館の運営に市民が関わるのは全国的にもよく見られる。展示やイベントの補助から、資料の収集や展示会の企画までその活動内容は多岐にわたる。


 うちの博物館でもかつてはそういったボランティア募集の話が挙がったそうだが、そもそものスタッフも予算も少ないので立ち消えになったと聞いたことがある。


 だが閉鎖という危機が目前に迫っている今、博物館を守りたい人々は存続のためならあらゆる手を尽くすだろう。ボランティア活動という実績があれば、市長も考え直すかもしれないという算段だろうか。


「ちょっと館長に相談に行ってくるわ。あずさちゃん、電話見てて」


「はい、わかりました」


 すたすたとその場を離れ、館長室へと消えていく里美さん。


「なんだか大事おおごとになりそうだね」


 しんと静まり返った事務室に池田さんと残された私は「ですね」と返した。


 その時、またしても電話が鳴る。私は条件反射的に手を伸ばし、「はい船出市立郷土博物館です」と疲れを感じさせないにこやかな声で電話に出る。


「すみません『郷土博物館を守る会』です。さっきの話しでお伝えし忘れたことがあるのですが」


 聞き覚えのある男の声だった。そう、いつも博物館に来るあの男性だ。


 やっぱりあなたでしたか、まあなんとなく想像はついていましたけどね。


「担当の者は今席を外しておりますが、言伝がありましたらお伝えしておきますよ」


「そうですか、ではお伝えください。ボランティア団体活動の指針を記した資料が完成しましたので、明日の昼過ぎに持参していきます。是非精読いただけるよう、よろしくお願いします」


 静かだが、男の声には力がこもっていた。


「はい、伝えておきますね」


 この男性の本気加減に少々辟易しながらも、私はメモを取りながらはきはきと応答していた。

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