第5章 リ・チャレンジ ⑪スキャンダル

 空を返却する1週間前になった。

 流は何回も「パパ」と言い聞かせているが、相変わらず、「マンマ」としかしゃべらないので、ガッカリしている。

 その日の朝、つかまり立ちをしようとして転んで泣き出したので、美羽はあやしながら、「もう少しだね、頑張ったね」と頭を撫でた。

 ――後一週間しか一緒にいられないなんて。一緒に過ごせる時間を大事にしよう。

 朝ご飯の支度をするために空をベビーチェアに座らせ、パソコンをつける。時事ネタを仕入れるためにニュースをつけると、「有名ファッションブランド 贈収賄の疑い」という字幕が出て、どこかの建物が映し出される。

「こちら、ブラック・アンド・ホワイトの本社前です。ブラック・アンド・ホワイトの社長の秋津朱音容疑者が、昨晩、贈収賄容疑で逮捕されました」

 冷蔵庫から卵を取り出していた美羽は、聞き慣れた単語を聞いて、振り返った。パソコンの画面には、朱音が映っている。いつものように胸元が開いた黒いワンピースを着て、うなだれながらまわりを捜査官に取り囲まれて建物から出てきてワゴン車に乗り込む。その表情がアップになると、目には力がなく、憔悴しきっている感じだ。

「だからね、これぐらいの金額を渡すのは、どってことないのよ。みんなやってることなんだから。これで受注を勝ち取れたらうちの会社は立ち直れるんだから、安いもんよ」

 誰かが録音したのだろう。朱音の声が流れる。美羽は卵を床に落としてしまった。

「流っ、流っ」

 寝室に駆け込み、まだ眠っている流を揺さぶった。

「流っ、大変だよ、お義母さんが逮捕されたって!」

 何回か呼びかけると、「うーん、何?」と流は薄目を開けた。

「流のお母さんが逮捕されたって。今、ネットニュースでやってるの! 贈収賄容疑だって」

 流は事情が呑み込めないらしく、寝ぼけ眼のまま起き上がり、ボーッとしている。

「起きてってば。早く早く」

 背中を押して立たせて、引っ張るようにリビングに連れて行く。

 朱音が捜査官に連れられて車に乗り込んでいる映像が、繰り返し流れている。フラッシュがものすごい勢いでたかれている。車に乗り込むと、朱音は顔を伏せて、カメラに映らないようにしていた。

「なんだこれ……」

 流は呆然と立ち尽くす。

 画面が切り替わり、「ブラホワ関係者が語る 賄賂の生々しいやりとり」という字幕が出た。インタビューに応じている関係者は顔を隠しているが、スーツの肩の部分にフケがついているのが映し出された。

「あっ、この人!」

 美羽は思わず大声を出す。

「この間、うちに来た人だ……」

 音声は変えてあるが、体型やヨレヨレのスーツから高柳だと確信した。

「ブラホワは3年前から経営が危なくて、それで、レンタルベイビーの案件はどうしても勝ち取りたかったんですよ。補助金が何億円ももらえるって話だから。それで、どうしても勝ち取るために、その企画を管轄している厚労省の担当者に接触して、接待したり、お金を渡したりしてたんです」

「何回ぐらい会ってたんですか?」とのアナウンサーの問いに、「この一年で7回ぐらい会ってたんじゃないですかね」と、男性はさらりと答える。

「接待というのは、具体的にどのような」

「ゴルフに連れて行ったり、銀座の高級レストランで奢って、その後で高級クラブに連れて行ったりとか……」

「お金のやり取りは何回あったんですか」

「それは1回だけです。最後に会ったときに、『これからもよろしくお願いします』って手土産を渡して、その中にお金も入っていたって感じです」

「お金はどれぐらい……」

「300万円でした。それぐらいの金額で会社をやっていけるなら安いもんだって、帰りのタクシーの中で言ってました。後、その人がうちに移籍するって話もありました」

「移籍とは」

「昔で言うところの天下りってやつですね。その人が移籍して副社長におさまることになったから、社長の息子さんともめてたんです」

「息子さんが副社長をやってらっしゃるんですよね」

「そうです。自分の立場を奪われるって、必死になって抵抗してましたね」

「今回、通報したのはその息子さんだっていう話も……」

「そこまでは、僕には分かりませんね」

 画像が切り替わり、厚労省の男性職員が足早に歩きながら、「面会はしておりません」「記憶にございません」と繰り返す映像が流れた。

 流は力なくソファに座り込んだ。美羽はどう声をかけたらいいのか分からず、流の隣に座って、腕を抱きしめた。私がついているよ、という想いを込めて。

 それから後は、スタジオでコメンテーターたちが真剣な表情で、「ブラホワのファンの人達が悲しむ」「どうして真っ向勝負で契約を勝ち取ろうとしなかったんだ」と評している。その間も、朱音が車に乗り込む様子を繰り返し流している。

「ゴメン、スマフォを……兄貴に聞いてみないと」

 流の声はかすれている。

 美羽がスマフォを取って来て渡すと、流はうつろな目で電話をかけようとして止めた。

「今電話かけても出ないか……」

 だが、しばらくして思い直したのか、電話をかけた。

「兄貴? オレだけど。今、報道見てるんだけど、どういうこと? これ聞いたら、連絡ちょーだい」と言って、電話を切る。しばらくスマフォを握りしめたまま、虚空を見つめている。

「――そうだ。仕事行かないと」

 立ち上がったので、美羽は「大丈夫? 今日は休んだ方がよくない?」と言った。

「いや、打ち合わせがあるし。行かないと」

 流は服を着替えると、朝ご飯を食べずに出かけた。ずっと無表情のままだったので、美羽は慰めや励ましの言葉をかけられずにいた。

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