第5章 リ・チャレンジ ①空との再会

 チャイムがゆっくり2回鳴り響いた。

「来た、来たっ!」

 美羽はソファにタブレットを放り出し、早足で玄関に向かった。

 ドアを開けると、淡いピンクの作業着を着た男女の業者の姿。そして、女性の腕の中には、白いベビー服を着た幼児がいた。幼児はつぶらな瞳で、美羽の顔を見上げる。

「空……!」

 美羽は感激のあまり、思わず涙ぐんでしまった。

「こんにちは。レンタルベイビーをお届けに参りました!」

 二人で声を揃えて頭を下げる。前回と前々回の担当者と同じ二人だった。

「こんにちは」

 美羽は挨拶もそこそこに、腕を伸ばした。女性が空を渡してくれる。

「わっ、重!」

「1歳児は体重が8キロありますからね。抱っこは大変ですよ」

 腕に空のぬくもりがじんわりと伝わってくる。空は美羽を見上げて、きょとんとした表情をしている。それから、ふいに笑顔になった。

「あ、笑った!」

「お母さんだって分かったんですね」

 男性の担当者は「お邪魔します」と部屋に入り、段ボールを運び入れた。今までと同様、テキパキとリビングでベビーベッドを組み立ててくれる。美羽は立ち合いながら、腕の中の空から目を離せなくなっていた。

 頬を指でつつくと、嬉しそうに笑う。

「かわいい……」

 美羽も口元がほころんだ。

「前回までの空君と似ているタイプを探しました」

 女性は離乳食のセットや着替えを段ボールから出しつつ話しかけてくれる。

「うち、半年も間が開いちゃって……そういうのって、あんまりないですか?」

「そんなことありませんよ。1年ぐらいペンディングされる方もいらっしゃいますよ。急に仕事が忙しくなってレンタルベイビーをできなくなったとか、本当に子供が欲しいのか分からなくなったとか、ご家庭によってさまざまな事情があるのは当たり前ですから」

 女性は柔和な笑みを浮かべた。

 流の転職や萌の容態のことがあり、落ち着くまで3回目のチャレンジは待ったのだ。萌は、今はみどりのサポートを受けながら、お店に立つようになった。生活はヘルパーの手を借りて一人で何とかやっている。

「ベビーカーは玄関に置いておきますね」

 男性は作業を終えると、段ボールをさっさと運び出した。

「1歳児はかなりやんちゃですけど、ハイハイしたり、動きがあるから今までとは全然違いますよ。一緒に遊べますし」

 それから、ふと女性は思い出したように、「私もレンタルベイビーを続けようか迷ったことがあるんです。1歳児にチャレンジして、それでやっぱり産みたいって思ったんです。1回目と2回目は本当に大変で、自分には向かないって何度もやめたくなりました。でも、続けてよかったって最後は心から思えました」と言った。

「そうなんですか、レンタルベイビーを体験されてるんですね」

「今では二人の子持ちです」

 女性の笑顔は誇らしげで、母親の顔だと美羽は思った。


「うおっ、大きくなってる!」

 その晩、流は帰って来ると、床に座っておもちゃで遊んでいる空を見て目を丸くした。

「そうなの。1歳児だからね」

「おお~、なんか、一気にグレードが上がった感じ」

 流がそばに座り込んで見ていると、空は「キャハッ」と笑いかけた。流は顔をほころばせる。

「なんか……かわいいな」

「でしょ、でしょ? 私もそう思った!」

 流が「ぷにぷに」と言いながら頬をつつくと、空はまた楽しそうに声を上げる。

 流は「よっ」と掛け声をかけて空を抱き上げた。空は弾かれたような笑い声を上げる。

 美羽は内心驚いていた。今まで、流が自分から空を抱き上げたことは、ほとんどなかったからだ。

「おお~、楽しいか? そうか、そうか」

 流が腕を揺すると、空はさらに喜ぶ。

「ほーら、ブランコだぞ~」

 腕を大きく揺すって空をあやしている。

 美羽はその光景を見ながら泣きそうになった。

 ――なんだ。流は子供に愛情を持てないのかと思ったけど、そんなことはないんだ。赤ちゃんをどう扱ったらいいか、分からなかっただけなんだ。

 美羽は、1歳児を申し込んでよかったとしみじみ思った。


「――で、スマフォを投げられて、朝から激怒したと」

「そうそう。空がスマフォに興味を示したから、流が持たせちゃったんだよね。そうしたら、思いっきり投げられて壁にぶつかって、画面がグシャグシャ。『何すんだよ~』って、情けない声を出してた。でも、『あー、もう』とか怒ってたけど、空に怒鳴らなかったから、結構心広いじゃんって思って」

 香奈と二人で、ベトナム料理店でランチを食べていた。

「流君も大人になったねえ」

「ホント。前回まではぜんっぜん空を構ってくれなかったから、どうしようかと思った」

 香奈はフォーを頬張りながら、言おうかどうしようか迷っているような表情になった。

「うん? どうしたの?」

「あのね、うちもね、レンタルベイビーをしようかって話が出てて」

「えーっ、ホントに?」

「うん、美羽のことを話してたら、『オレらも、チャレンジしてみてもいいんじゃない?』って、言いだして」

「へえ~、謙太君から言ったんだあ。意外」

「ホント、意外。子供は興味ないって言ってたからさ。私の方が『えっ、なんで? そういうの嫌なんじゃないの?』って動揺しちゃった」

 香奈は箸を置いた。

「でもね、このままずっと二人きりで老後まで暮らすのかって考えたら、やっぱり子供がいたほうがいいって思ったらしくて。謙太はもう35じゃない? だから、40になってもこのままでいいのかって思って、焦ったのかも」

「そうなんだ。それで、結婚はするの?」

「ううん、たぶんこのまま。子供の姓は、子供が選ぶことになると思う」

「そっか。籍は入れないんだ」

「たぶんね。うちらは両方とも親が離婚してるから、わざわざ結婚する意味ないんじゃね? って考えは一致してるし」

「そのほうか香奈っぽくていいと思う」

 香奈は「うん」と笑みを浮かべた。

「ねえ。今度、空君を見に行ってもいい? レンタルベイビーがどんな感じか、体験してみたくて」

「いいよ、いいよ。謙太君と一緒に来なよ!」

「ありがと」

 デザートの緑豆ココナッツミルクが運ばれてきて、二人はしばし会話を中断した。

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