第4章 ペアレンティング・ペンディング ⑩私の帰る場所
「えっ、私? 私が何で?」
美羽は思わず親子丼でむせそうになった。
「だって、お姉さん、青山のお店で働いていて、稼いでるじゃないですか。結婚式も豪華だったし。ウエディングドレスも素敵だったし」
「……あれは、流のお母さんのお店にあったもので、お金は全然かかってないんだけど」
「私なんて、お母さんのために群馬で結婚式を挙げたんですよ!? せめて青山のチャペルで挙げたかったのに。長男だからって、自由にやらせてもらえなくて。お姉さんだけ、ずるいですよ」
七緒は早口でまくしたてる。
――そんなことを私に言われても、困るんだけど……。
美羽が困惑していると、朝陽は「なんだよ、姉ちゃんは関係ないだろ? 今さらそんな話をすんなよ」と声を荒げた。
「レンタルベイビーだって、私がここに来るたびに、やらないのかってお母さん聞いてくるし。ホント、嫌。レンタルベイビー・ハラスメントだよ、あれは。お姉さんがレンタルベイビーを始めた時は、『あの子はどうでもいい』とか言ってるし。赤ちゃんが産まれたらうちで面倒見てもいい、うちの近くに引っ越して来たら? って何度も言われるし。お母さんもお店があるからムリでしょって言ってるのに、お店の片隅に寝かせておけば大丈夫って、わけ分かんないこと言うし。私にお店を手伝ってもらいたがってるのが分かるから、ウザいんだもん。朝陽にもお店の経営だけでもしろって、うるさいじゃない」
「そういう話やめろよ、母さんは入院してるんだから」
朝陽は顔を真っ赤にしている。箸が小刻みに震えているので、相当怒っているのだろう。
せっかく作った親子丼はすっかり冷めてしまっている。流も途中で食べるのをやめて、朝陽と七緒の言い争いを止めるかどうか、迷っているようだ。
美羽は静かにショックを受けていた。
――私がレンタルベイビーをするのはどうでもいいって、何それ。お母さん、本当はそんなことを思ってたの?
「だから、お姉さんがここに帰って来て、子育てもここですればいいんじゃない?」
「そんなこと、お前に決める権利ないだろ!?」
朝陽が爆発すると、「はあ? 何それ。じゃあ、私にここで子育てしろなんてお母さんに言わせないでよ」と七緒も言い返す。
美羽は二人のやりとりが途中から耳に入らなくなった。
病院で、しきりに「あさひ」と示していた萌。
――もしかして、あれは私じゃなくて、朝陽に店のことを相談したいって言ってたの? 七緒ちゃんに店を手伝わせたいってこと?
考えてみれば、美羽は今まで一度も萌の店を手伝ってほしいと言われたことはない。何の資格もない七緒にそれを求めるのは、なぜなのか。
そういえば、萌は昔から美羽と朝陽に対しての接し方が違っていた。美羽が美容師を目指したいと言った時は「そう。頑張ってね」と言ったぐらいだったが、朝陽が普通の企業で働きたいと言い出した時は、「うちのお店を継がせたかったのに」と責めていた。
そうだ。いつも、美羽を応援してくれたのは父だった。父はカットマネキンで美羽に髪を切らせてくれたが、萌は「商売道具で子供を遊ばせないで」と激怒していた。幼い美羽が店にいる時も、「お客様の邪魔だから、上に行ったら?」と萌にはよく邪険にされていた。父が美羽を可愛がれば可愛がるほど、萌は冷たく当たるのだった。
美羽の脳裏にすっかり封印していた思い出が次々に蘇った。
みどりは「店を継がせたいんじゃないか」と言っていたが、そんな気はないから、美羽には何も言わないのだ。流の親から見下されたことを美羽に伝えなかったのは、ただ単に恥ずかしかっただけなのかもしれない。
意識がもうろうとしている時ですら、美羽よりも朝陽を頼ろうとしているのだ。
美羽は急に、萌の店のことを真剣に考えているのがバカバカしくなった。
「ごちそうさま」と言い争っている二人を放って2階に上がった。流もついてきて、「あんなの、気にすんな」と慰めてくれる。
美羽はベッドに座り込んで、枕を抱えた。今の自分の気持ちを、どう流に伝えたらいいのか分からない。
ただ、「お母さん、私には何にも期待してないみたい」と言うと、流はしばらく考え込んだ。
「このお店のことは、お母さんが元気になったら、お母さんが決めればいいんじゃないかな。美羽は自分の仕事を大事にすればいいんじゃない? 別に、美羽がしょい込む必要ないでしょ。みどりさんが言ってたように、ヘルプを見つけてもらって、みどりさんに任せちゃえば? それが厳しいなら、お店をしばらく閉めればいいだけで、美羽が掛け持ちまでする必要はないと思う。もう、いいんじゃないかな」
流の言葉に美羽はキュッと唇を結んだ。
――そうだ、流はいつだって私のことを分かってくれる。
「あのね、私、自分の家に帰りたい」
そう言うと、「そうだね。俺も美羽に帰って来てほしい」と頭を撫でてくれた。
美羽は流の胸に顔を埋めた。私の帰る場所は一つしかないんだ、とようやく目が覚めた思いだった。
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