第4章 ペアレンティング・ペンディング ⑨母、目覚める。

 翌日も、美羽はみどりと二人でお店を切り盛りした。流は会社に出勤し、夜に戻って来てくれることになった。

 朝陽は病院に行き、七緒と合流したらしい。昼過ぎに二人で店に戻ってきて、「母さんの意識が戻った」と報告してくれた。だが、まだしゃべれる状態ではないらしい。

 美羽はお店が終わってから、みどりと病院に行った。萌は相変わらずたくさんの管につながれたままだったが、美羽とみどりの姿を目で追っている。

「お母さん、意識が戻ったんだね。私のこと、分かる?」と尋ねると、かすかに表情が動いた。

「萌さん、心配したんだから」

 みどりも涙ぐみながら、萌の顔を覗き込む。萌は何か言いたげな表情をしている。そのとき、担当の看護師が「こんばんはー」とカーテンを開けて入ってきた。テキパキと点滴を換える。

「堀川さんはまだしゃべれないんですけど、文字盤で言いたいことを指差すことはできるんですよ。これをお使いください」

 看護師はベッドわきのテーブルに置いてある、プラスチック製の文字盤を美羽に渡した。

「お母さん、私とみどりさんのこと、分かる?」

 萌の顔の上に文字盤を差し出すと、指先に管がつながっている右手で、ゆっくりと「わ」「か」「る」と指した。美羽とみどりは、顔を見合わせて安堵した。

 続けて萌は、「お」「み」「せ」と指差す。

「ああ、お店はみどりさんが代わりにやってくれてるから大丈夫だよ。私もサポートに入ってるの」

 美羽が伝えると、萌は顔をゆがめた。そして、「あ」「さ」「ひ」と指す。

「朝陽? 今日の昼間、来てたでしょ、七緒ちゃんと一緒に。覚えてない?」と聞くと、かすかに首を振る。

 ――覚えてないのかな。まだ麻酔が抜けきってないみたいだし。

 美羽とみどりが交互にお店のことを報告すると、萌は何回も首を振る。

「起きてるのが、つらいんじゃないかしら」

 みどりの言葉に、美羽は文字盤を置いて、「それじゃ、明日、また来るね」と立ち上がりかけた。

 すると、萌は何か言いたそうに文字盤を指す。

「え? これ?」

 美羽が差し出すと、再び「あ」「さ」「ひ」と指した。

「朝陽は明日も来ると思うよ。大丈夫だよ」

 美羽の言葉を聞いて、萌は安心したのか目を閉じた。


 家に戻ると、朝陽が夕飯を作ってくれていた。七緒はソファでスマフォをいじっている。

 七緒に「久しぶりだね。お母さんを見舞ってくれてありがとう」と声をかけると、美羽の顔も見ずに「はあ」と返す。

 ――相変わらず、不機嫌ちゃんだな、この子は。

 七緒の笑顔を見たことは、ほとんどない気がする。昔子役をやっていたことがあるらしく、かわいい顔に分類されると思うが、いつもぶすっとしているので一緒にいるだけで気分が暗くなるタイプだ。

 朝陽に、なぜ彼女がいいのかを尋ねてみると、「たまに笑うと、すげーかわいいんだよ」と照れくさそうに答えていたので、それ以上何も聞く気になれなかった。

 結婚してから、七緒はたまに広告モデルの仕事をしているぐらいで、ほぼ専業主婦だ。だが、掃除や洗濯は家事ロボットに任せて、料理をすることもほとんどないらしい。ネットで食事の宅配を頼むか、デパ地下で調達するかで、「できあいのものばっか食べるの、結構キツイ」と結婚したばかりのころ、朝陽はこぼしていた。それでも、子供が産まれたら変わるかもしれないと、淡い期待を抱いているようだ。

 その日は流も早めに帰って来たので、4人で食卓を囲む。朝陽は親子丼にインスタントみそ汁、グリーンサラダを食卓に並べる。親が共稼ぎだったので、美羽も朝陽も、自然と子供のころから料理をするようになった。

「えー、また親子丼? 先週も食べたじゃない」

 七緒が不満そうな声を上げる。

「だって、冷蔵庫に鶏肉があったからさ。使わないともったいないし」

「他のメニューでもいいじゃない。から揚げとか」

 ――そう思うんだったら、自分で作れば?

 美羽は、喉元まで出かかった言葉をグッと飲み込んだ。

「で、これからどうする? オレも明日から仕事に戻らなきゃいけないし」

 朝陽は七緒の文句を聞き流して、箸を手に取った。

「うん……。みどりさんと話したんだけど、明日はお客さんが少ないから、みどりさんに任せて、青山に行って相談してくる。みどりさんも、知り合いの美容師に声をかけてくれてるから、ヘルプで入る人が見つかったら、何とかなるかもって言ってくれてるんだけど」

「でも、みどりさんの店じゃないのに、みどりさんに完全に任せきりにはできないっしょ」

「そうなんだよね。だから、週の半分はこっちを手伝って、残りは青山に行くってことも考えてる」

「それなら、何とかなるかもね」

「ロボットを入れたらいいんじゃないですか?」

 七緒が口を挟んだ。

「だって、アメリカではロボットが髪を切ってる美容院って多いんでしょ? 日本では高額だからなかなか買えないみたいだけど」

「そういう話は既にしてるよ。でも、東京ならともかく、この辺じゃ美容師ロボットは受け入れられないだろうって話になったんだよ。この辺はジジババが多いから、ロボットに髪切られたらケガするんじゃないかって考えてる人が多そうだし」

「ふうん。日本って、やっぱり遅れてるんだ」

 七緒の一言に、「そういう話じゃないと思うよ。アメリカでも美容師ロボットは結局受け入れられなくて、やめてる店が多いって聞いたけど。その売れなくなった美容師ロボットを、日本に売りつけようとしてるってだけらしいよ」と、流は諭すように言った。

 七緒は、面白くなさそうな表情になった。

――そういえば、この子、自分の結婚式の時もなんか不機嫌だったな。ドレスを直前で替えるってダダこねたんだっけ。この子のお母さんが、一生懸命なだめてたけど。すぐに感情をむきだしにしてた気がする。

 なぜ七緒がたいしてカッコよくもない朝陽を選んだのか不思議だったが、どうやら朝陽の勤めているファッション通販のベンチャー企業で、「自分もモデルで使ってもらえるかも」と狙っていたらしい。朝陽も後押ししようとしたらしいが、採用してもらえるレベルではなかったと聞いた。

「まあ、どっちにしろ、うちは美容師ロボットなんて買えないし」

 朝陽がこの話を終わらせようとすると、「ローンで払えばいいじゃない」と、七緒は食い下がる。

 ――いやいやいや。ローンって、払い終えるまでにどれだけかかると?

 美羽はイラッとした。

「そんな簡単な話じゃないから。数千万円のローンを組んだら、毎月払ってくのはすごい大変なんだから。何十年もかかるし、そのお金は誰が払うの? 途中で壊れたら修理代もかかるしさあ」

 朝陽が言うと、「そんなの、お姉さんが払えばいいじゃないですか」と七緒は言い放つ。

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