第3章 ペアレンティング・クライシス ①2回目のチャレンジ、スタート

 0か月の空を返却して一か月後、6か月児のレンタルベイビーが届いた。

 前回と同じ二人の業者が届けてくれて、前回と同じようにベビーベッドを組み立ててくれた。今回は離乳食のセットやベビーチェア、ベビーバギーや抱っこひももセットに入っている。最低5回は外に出かけるよう、講習会で言われている。

「こちら、6か月の男の子でお間違いないですね」

 髪はフサフサと生え、白いベビー服から出ている腕や足は丸々としていて、前回より大きくなっているのが一目で分かる。頬もぷっくりしているので、「や~、かわいい~」と美羽は女性の腕の中のレンタルベイビーの頬に触れた。レンタルベイビーは、じっと美羽の顔を見る。

「あれ、私が気になるみたい」

「6か月になると目が見えているから、動きのあるものを目で追うようになるんですよ」

「へえ~、そうなんですね」

 レンタルベイビーを手渡されると、ずっしりとした体重が腕にかかり、「うわ、重たっ」と思わず声を上げた。

「そうなんです。6か月児は8キロもあるんですよ」

「8キロ! はあ~、赤ちゃんって、ホントにすくすく育つんですねえ」

「ええ、1歳児はもっと驚きますよ」

 セット内容がすべてそろっているか確認してから、二人は「それじゃ、これで失礼いたします」と玄関に向かった。

「1回目と2回目で性別を変える人もいるんですか?」

 二人が靴を履いている時に、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。

「いらっしゃいますよ。二人以上のお子さんが欲しいと考えているご夫婦は、両方体験しておきたいからって変えたりしていますね」

 女性が答えてくれる。

「へえ~、そういうレンタルの仕方もあるんですねえ」

「名前を3回とも変える方もいらっしゃいますよ。どの名前で呼ぶのがしっくりくるのか、試してるんですって」

「はあ~、皆さん、いろいろやってるんですねえ」

 業者が去り、レンタルベイビーと二人きりになる。

「空、久しぶり」

 頬にキスをする。すると、空が「キャハッ」と声をあげて笑った。

「ウソっ、笑った!!」

 前回は泣いているか、普通の顔か、眠っているかで、笑ったことなどなかった。美羽は嬉しくなって、動画を録って流に「空が来たよ。笑ってるの! かわいい!!」とLINEでメッセージを送った。

「早く、2回目のレンタルベイビーをしたい」と美羽が言った時、流は「ああ……」と言ったきり、何も言わなかった。

「申し込んでいいの?」

 美羽が確認しても、流は「うーん、どうだろう」と耳をいじりながら、煮え切らない。

「ねえ、どっち? やりたくないの? やってもいいの?」

 美羽が苛立って問い詰めると、「好きにすればいいんじゃない」と、投げやりな感じで言った。

「何なの、その投げやりな態度」と怒りそうになった時、流から「美羽はオレの都合を聞こうとしない」と言われたのを思い出した。

「会社はまだ大変なの? 会社のことで手いっぱいなら、もう少し先に延ばしてもいいんだけど」

 できるだけ低姿勢で聞いてみると、強張っていた流の表情が緩み、「うーん、そうだね。9月からならいいかな。そのころには、ゴタゴタは落ち着いてると思う」と言った。そこで、9月の初めスタートで申し込んだのだ。

 しばらくほんわかした気分になっていたが、30分も経たないうちに、空は最初の大泣きを始めた。

「ハイハイハイ、ミルクかな~」

 哺乳瓶のスイッチを入れてから、口にあてがう。2回目はさすがに落ち着いて対処できた。だが、空は激しく首を振る。

「あれ、違うか」

 おむつの臭いを嗅いでみたが、何も匂わない。

 ――そういえば、6か月児は難度が上がって、泣くバリエーションも増えるって掲示板で言ってたな。温度でも泣くって言ってたっけ。

 今日はそれほど暑くないので、冷房をつけずに窓を開けていた。抱っこしていると熱がこもって暑くなったのかもしれない。試しに冷房をつけて、ベビーベッドに下ろしてからうちわで空をあおいでみた。すると、徐々に空の表情はゆるんでいき、泣き止んだ。

「おお~っ、当たった! 暑かったんだあ」

 美羽は手を叩いて喜んだ。

「私もちゃんと母親として成長してるってことだよねえ」

 空は穏やかな表情で、あぶあぶ言っている。

「こちょこちょこちょ~」

 試しにくすぐってみると、空は手足をばたつかせ、声をあげて笑う。

「おお~、くすぐったいんだ!」

 美羽は嬉しくなり、何度か「こちょこちょ~」とくすぐった。

 しかし、幸せな親子のひと時はすぐに終わる。その後、空は体が冷えて下痢が止まらなくなり、泣きっぱなしで美羽は一気に消耗することになった。


******************************


「ただいまー」

 流が帰ってきた時、美羽はリビングのベビーベッドの横に倒れ込んでいた。

「ちょっ、どうした美羽っ」

 流はリュックを投げだし、美羽に駆け寄る。辺りにはおむつが散乱していた。

「うう~ん」

 体を軽く揺さぶると、美羽はうっすらと目を開けた。

「流……?」

「何、気分悪いの? 大丈夫?」

「大丈夫……」

 美羽はゆっくりと体を起こした。床に横になっていたので、体が痛い。

「空の下痢が止まらなくなって……何度おむつを替えても、すぐにウンチしちゃうの。そのおむつ、下痢がやけにリアルで……フェイクって分かっててもきつくて……あの破壊力、すごいよ。で、脱水症状になりかけてたから、ミルクをあげたら、すぐに吐いちゃうし」

「脱水症状!? ロボットなのに?」

「そう。そこまでリアルにしなくていいよって感じなんだけど。もう疲れちゃって、床でちょっと寝転んでたら、眠っちゃったみたい」

「なんだ、ビックリした」

 ベビーベッドを覗くと、空は何事もなかったようにスヤスヤと眠っている。流に助け起こされて、美羽はソファに座った。

「大きくなったなあ」と、空を見て流はつぶやいた。

「でしょ? 抱っこしてあやす時、腕がしびれて大変。腕を鍛えとけばよかった。なんか、腕を痛めちゃう人もいるみたいだよ。本物の赤ちゃんなら徐々に大きくなっていくから腕もそれに合わせて鍛えられていくけど、レンタルベイビーは0か月児の後はいきなり6か月児だから、腕が耐えられないみたい」

「へえ、そういうものなんだ」

 流は冷たい麦茶を入れて持って来てくれた。

「あの動画じゃ、楽しそうだったのに。今回は楽なのかと思った」

「うん。一瞬で終わった」

 麦茶を一気に飲み干す。自分が脱水症状になりそうだった。

「夕飯、どうする?」

 聞かれて時計を見ると、9時を回っていた。

「あー、もう、こんな時間……」

「ピザでも頼む?」

「そうする」

 美羽はソファに横になった。

 ――また、この毎日が始まるんだ。

 嬉しいようなうんざりするような、複雑な想いに満たされた。

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